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短編2

最強の証人をご用意いたしましたわ

作者: 猫宮蒼



 ヘンリエッタ・アルミューレは伯爵家に生まれた娘である。

 両親は政略結婚でお互いそもそも最初から歩み寄るつもりもなかったようで、子どもは一人生まれれば跡継ぎか婿入りしてもらうかでどうにかなるでしょう、と話し合ったらしく、ヘンリエッタが生まれてからは両親が揃って顔を合わせる事はほとんどなかった、と幼い頃のヘンリエッタでもわかる程度には不仲であった。


 母は単純に人嫌いであったようで、役目を果たしたから自分も愛に生きるわ、なんて事はなかったが、ある冬の日、風邪をこじらせてあっさりと死んだ。まだそれなりに幼いヘンリエッタを置いて。


 父は外で愛人を作っていたらしく、母が死んでこれ幸いとその愛人を新たな妻に迎え入れた。

 ついでにその愛人との間に子どももできていたらしく、ヘンリエッタには年のほとんど変わらない妹ができたのだ。


 この義妹、こいつが曲者だった。


 最初の内は恐らく様子見をしていたのだろうけれど、家の中でのヘンリエッタの立場はそこまで高くないと判断した時点で、やれお姉さまの持ってるドレスが素敵、アクセサリーが素敵、ずるいわお姉さまばかり、なんて言って色々と奪い取ったりした挙句、ヘンリエッタがあまり他人様の物をそうやってあれこれ言うのはよろしくないと忠告すれば、お姉さまに意地悪されたと義母に泣きつきヘンリエッタを悪者に仕立て上げ。

 元愛人だった義母も、愛する男の前妻の子、という存在だけでも気に食わない相手をこれ幸いと罵る事ができるので、真偽のほどなんて関係なく義妹が泣き付けばもうその時点でヘンリエッタを悪だと決めつけた。


 父は義妹――ルアンナを将来家の跡継ぎとして婿を迎えればいいだろうとでも考えたのか、ヘンリエッタが虐げられていても我関せずを貫いていた。

 ヘンリエッタを庇おうとした使用人たちは義母の手により解雇され、紹介状もなしに追い出されるという目に遭わされ、ヘンリエッタは自分を庇ったばかりに、と涙ながらに謝罪をしたが、

「お嬢様のせいではございませんよ」

 と、解雇された使用人たちはむしろお嬢様をお守りできず申し訳ない、と言って去っていった。


 義母と義妹の暴虐に抗おうにも、ヘンリエッタには足りないものが多すぎた。

 義母が新たに雇った使用人たちはヘンリエッタを冷遇し、ヘンリエッタに家での居場所なんてものはほぼ無いに等しかった。


 義妹は成長するにつれ、ヘンリエッタの名で社交界に出るようになった。

 そうして奔放に遊びまわり、社交界に悪評を振りまいたのである。


 ヘンリエッタは男好きの阿婆擦れ。

 男と見れば節操なく股を開く――と。


 貴族令嬢にそんな噂が流れれば色んな意味で致命的だ。


 ヘンリエッタには幼い頃に決められた婚約者がいた。

 隣国で暮らす貴族ではあったが、将来的に婿入りをするつもりで母が死ぬ前に調えたものだった。


 幼い頃は手紙でのやりとりだけだったが、婚約者であるイシュヴァールがこちらの国にやって来た際、勿論その噂は耳にしていた。けれども彼は噂はあくまでも噂なので、決定的な証拠がない限りは信じない、としていたのである。

 そんなイシュヴァールにルアンナは目を付けた。

 何せ彼は思わずうっとりと見惚れるくらいの美丈夫だったもので。


 お姉さまにはもったいないわ、どうせ将来お姉さまは家を追い出されて、私こそがこの家を継ぐのだから彼は私にこそ相応しい……!!


 そう考えて、ルアンナはイシュヴァールに纏わりついた。


 ルアンナが社交の場で遊び回る際、ヘンリエッタと名乗り化粧を厚めにし、さながら物語に出てきそうな悪女のような――要はキツめの美人にしていたが、普段のルアンナはいかにも守ってあげなきゃすぐに儚く消え失せてしまいそうな清楚系を装っていた。

 メイクと服装でガラリと印象が変わりすぎるせいか、今の今まで誰もルアンナがヘンリエッタの振りをしているとは気づかなかったのである。


 実際のヘンリエッタは冷遇されてマトモなドレスも与えられず、正直平民の中でならそこそこマシな家に住んでるんだろうな、とは思われそうではあるが、彼女が伯爵令嬢だなんて言われなければわからない有様なのだ。しかしこれもルアンナが普段はお姉さま、家ではわざとらしくみすぼらしい恰好をしているのよ。そうやって周囲の同情を買おうとしているの、なんて吹聴したため。


 そうやって市井に出向いては男を漁っているのだろう、と思われていた。


 ルアンナがルアンナとして社交の場に出た時は、こんな女性が嘘を言うはずがない、と思えるくらいに清らかな見た目をしていたので周囲はまんまと騙されてしまったのだ。


 そうしてルアンナはイシュヴァールに、お姉さまではなくわたくしと婚約を結び直そうか、とお父様が考え始めているようなのです。お姉さまがこの家を継ぐには流石に問題しかないもの……戒律の厳しい修道院へ送るという話も出ているのよ、なんて吹き込んで。


 一度ヘンリエッタと会って話がしたいと訴えたイシュヴァールに、しかしルアンナはお姉さまは街へ繰り出してしまっているので、今はいないのです……と物憂げにのたまうのであった。

 実際その時ヘンリエッタは屋敷の一室に閉じ込められていた。


 自室はとうに使用人たちが使っている中でも一番狭く古い部屋にされていたヘンリエッタだが、あの部屋は脆くその気になれば扉をぶち破る事も可能だと思われた。

 もしそんな部屋に押し込めたままであったなら、イシュヴァールが強行突破するかもしれない――そもそもヘンリエッタがそんな部屋に追いやられているとは気づかないだろうけれど――と考えたルアンナは、イシュヴァールが来る際は使用人たちに命じて頑丈で室内の物音が外に漏れない部屋にヘンリエッタを閉じ込めていたのであった。


 イシュヴァールが毎回先触れを出していたのが仇となった。

 もし連絡もなく突発的に訪れていたのであれば、ヘンリエッタと出会えたかもしれないのに。



 そうして結局イシュヴァールはヘンリエッタとマトモに会って話をする事ができないまま、王家主催の社交パーティーに参加する事になってしまった。

 アルミューレ家に婿入りする事が決まっているため、周囲に顔を売り込むという名目もあった。

 けれどもヘンリエッタと会えないまま、ルアンナがパートナーとして出ますわ、なんて言うものだから。

 もうすっかり周囲でもアルミューレ家の次の女主人はルアンナなのだろうな、と思われていたのだが……



「そういえばアルミューレ家はヘンリエッタ嬢が正当な血筋だろう?

 ルアンナ嬢と結婚したところで、アルミューレ家を継ぐ事は無理なんじゃないか?」


 姉の代わりに家を継ぐ、なんて話が出た際、ふとそれを聞いていた王太子がそんなことを言い出した。


 ざわり、と周囲が騒めく。


「アルミューレ家の正当な血筋は奥方で、その奥方の娘であるヘンリエッタ嬢が次の後継者だ。彼女の父であるガルトン殿はあくまでも中継ぎであって、彼は伯爵代理だ。その娘であるルアンナ嬢には当然アルミューレ家を継ぐ資格はない」


「え、え……?」


 何を言われているのか意味がわからない、という顔をしてルアンナは王太子を見た。

 王太子はどうしてそんな顔をしてこっちを見ているんだろう? と思ったが、あぁもしかして知らされてなかったのか、と納得したらしく、たまにいるんだよな、そういう勘違いしている奴が。とあっさりと言うものだから。


 少し離れた場で妻とワインを飲んでいたガルトンは凍り付いたように動けなかった。


 アルミューレ家の血筋であるのは確かに彼の前妻、クラリッサだ。

 けれども彼女が死んで、家の権利はすっかり自分の物になったと思い込んでしまっていた。

 ヘンリエッタが成人して家を継ぐまでの中継ぎである、という事なんて思いもしていなかった。

 愛人だった今の妻と再婚し、二人で堂々と社交の場に出る事ができる、と浮かれていて、そんな当たり前の事がすっぽ抜けていたのだ。

 周囲が何も言わなかったのは、その事実を知らずルアンナもアルミューレ家の血筋であると思っていた者や、知ってはいたが中継ぎやりつつ許される範囲で好きにやってるんだろうな、と思っていたからである。

 まさかガルトンが中継ぎであるという事実そのものをすっかり忘れ去っているとは思いもしていなかった。

 そしてわざわざそれを改めて確認するような者はいなかったのである。

 そもそも、改めて話題に出す内容でもない。何故ならそれはある種の常識であるからだ。


 例えるならば、晴れた日に「知っているかい、晴れた日の空は青いんだ」と青空の下でさも凄い事を言っているかのように振舞っているようなものである。

 あまりにも当たり前すぎて、言われた側は「そりゃそうだろ」としか言えないのだ。


 ガルトンは言うなれば、青空の下で空が青い事を今知ったようなものなのだ。そしてそれが人類で最初に気づいたのは自分であるかのように振舞っているようなもので。


 周囲が把握していなかったのは、ルアンナが愛人の娘である事くらいだろうか。てっきり前妻が産んだ娘だとばかり思っていた。何せ髪の色も目の色も、まったく同じというわけではなかったがよく似ていたために。


 似ていたからこそ、ルアンナはヘンリエッタに変装して好き勝手やっていたのだが。


「でも、お姉さまの醜態はご存じでしょう? 流石にそのような女性に跡を継がせるのは問題しかないのではないのですか……?」


 跡継ぎを産む前から男をとっかえひっかえしているなんて、いくら女伯爵になるからとてあまりにも問題ではないだろうか。


 そんな風に悪い印象を植え付ける事を諦める事なくルアンナはか細く、しかし決して聞き取れないような小さな声量ではない程度に言ってのけた。


「あぁ、それなんだけどね。

 先日ヘンリエッタ嬢本人から手紙が届いて」

「えっ」

「何か?」


 秒で反応したのはイシュヴァールだ。

 会いたくても中々会えないヘンリエッタが、何らかの用があったとはいえ王太子と手紙でやりとりしていると聞いて、自分にも手紙をもっと送ってくれてよかったのに! と言う気持ちが溢れたのである。


「いえ、その、何でもないです。元気そうでしたか? 生憎会いたくても会えずじまいで、今日、この催しになら彼女も参加するのではないか、と思っていたのですが……」


「あぁ、君が婚約者の……そうだね、少々やつれた様子ではあったけれど、元気にやっているよ。ついでに言うと義妹が纏わりついているせいでロクなコンタクトがとれない、と嘆いていた。

 その様子だと君も婚約者であるヘンリエッタ嬢を案じていたようだね」

「それは勿論。屋敷に行っても既に出かけた後だ、と言われて実際に我が家から連れてきた使用人たちに命じて探させたりもしたけれど、一向に見つからなくて……もしかして既に始末されているのでは……!? と思っていたのです」

「えっ?」


 イシュヴァールはとりあえずルアンナと共にこの場にやっては来たけれど、別にエスコートをしたわけではない。正直父と後妻と義妹が既にヘンリエッタを亡き者にしている可能性すら疑っていた。

 ルアンナがヘンリエッタの振りをしてイシュヴァールの前に現れていたのであれば、彼は間違いなく偽物だと断じただろう。そもそも幼い頃の手紙の内容とかルアンナにわからない話を振れば即ボロが出るのをルアンナ自身理解していたので、そんな危ない橋を渡ってまで彼の前でヘンリエッタとして出るつもりはなかった。


 しかし一切ヘンリエッタとイシュヴァールが接触しないよう目を光らせていた結果、こいつらが彼女を殺したのではないか? と疑われているとは思いもしていなかったのである。

 先程の「えっ?」は平気で人を殺すことをやってそうだと思われていたんですの? という意味での「えっ?」だ。


 家の中で冷遇していたヘンリエッタではあるけれど、監禁して一切外に出さなかったわけではない。

 使用人に紛れて扱き使っていたので、一応街に出る事はあった。

 とはいえそこで自分は伯爵令嬢だなんて訴えたところで、みすぼらしい見た目でそんなことを言ったとしても誰も信じないだろうと思っていたし、そもそもロクに金銭も持たせていなかったのだ。

 誰かに助けを求める手紙を出そうにも、便箋も封筒も新たに買える金もなければ、仮にそれらをどうにか手に入れたとして配達してもらうための金がない。

 ヘンリエッタが街に出る事を許された雑用は、精々注文していた代金支払い済みの荷物を受け取りにいくというお使い程度のもので彼女に少しでも自由になるような金を手にする機会はなかったはずだった。


 ヘンリエッタがもしこの街にやってきたイシュヴァールと直接接触をはかろうとした場合、そちらに密かにつけていた使用人が妨害するつもりだった。だがそんな様子は一度もなかったので、ヘンリエッタが何かを仕掛けてくるなんてルアンナは思ってもいなかったのである。


 詰めが甘いと言ってしまえばそれまでだが、しかしどうせヘンリエッタには何もできやしないだろうと思っていたので。

 今更何か、彼女自身が逆転を果たすような事なんて無いと信じて疑う事すらなかったのだ。


「うん。ヘンリエッタ嬢の母でもあるクラリッサと母上とは親友だったからね。母上に手紙が届いて、そうして私も事の次第を知ったってわけさ。

 で、そのヘンリエッタ嬢だけど。彼女に関する悪評を払拭するために、ちょっと準備に手間取ってしまって」


「悪評を払拭、という事はやはりあの噂はデマだったという事ですね」

「勿論だとも。誰が見ても確実に彼女は決して男漁りをし身体を許したわけではない、とわかる証拠を用意したのさ」


 そう言うと王太子はバッと右手を扉へと向けた。周囲の注目が扉へと向いて、大きな扉の傍に控えていた警備のための兵がその扉をゆっくりと開けていく。


 そうしてそこから現れたのは――


「お久しぶりですイシュヴァール様! 壮健そうで何よりですわ!」

「あぁ、ヘンリエッタ! きみも少しやつれてはいるようだけど無事みたいで何よりだよ!」


「いやあの、まずそこなんだ? え? あれ、私がおかしいのかな。まず一番最初に突っ込むべき部分があると思わないかな?」


 王太子がイシュヴァールにそう言うも、イシュヴァールは何を言われたのかわからない、といった様子で王太子を一度見て、それから再びヘンリエッタへと目を向けた。


「どんな姿のきみも美しいよ!」

「駄目だこりゃ」


 王太子は秒で諦めた。イシュヴァールにマトモな突っ込み役を望むのは大間違いだったと悟る。


「いやそうじゃなくてさ。本来ここには動物を連れ込む事はないんだけど、ヘンリエッタが乗ってる生き物。見てわかると思うけどユニコーンね。もうこれだけで充分あの噂は嘘だったってわかると思う。

 まさかわからないなんて言う愚か者、いる?」


 王太子が視線を周囲へ巡らせる。

 周囲の貴族たちは王太子の視線が向くと首を振った。勿論横にだ。


 一瞬白馬と見間違えそうになるが、しかしただの馬と違いその頭には一本の角が生えている。

 ユニコーンは純潔の乙女にのみ触れる事を許すとされていて、純潔でない女性が触れようとすればそれを拒み、時に威嚇し何が何でもお触り厳禁を貫くのである。


 神獣ではあるのだが、この国の森に生息している事が確認されていて、知能も高いユニコーンにこの度事情を説明し、ヘンリエッタの男漁りが激しいといった噂が嘘であるという証明のために協力してもらったのだ。


 純潔ですらない女性が無理に触れようとすれば最悪突進や後ろ足での蹴りすら飛んでくるので、そんなユニコーンに乗るなんて無理な話だ。純潔であれば話は別だが。

 ちなみに純潔でなくとも結婚し子を産んだ女性などはそこまで酷い対応をしない。やんわりと触んな、と顔で押しのける程度である。

 あくまでも厳しいのは、男にだらしのない女性だけであった。ついでに言うと男にもそれなりに厳しい。


 そんな処女厨と言っても過言ではない神獣にヘンリエッタが乗って登場したのだ。

 もうそれだけで彼女が純潔であると確定したようなもの。

 ヘンリエッタは男漁りなんてしていなければ、勿論股を開いての身体の関係も持っていない、と証明したも同然なのである。


 では、そんな噂が流れるまでに激しく遊んでいたあのヘンリエッタを名乗っていた女性は誰だ? という当然の疑問が周囲で浮かぶ。


「あっ、高くて怖くて降りられそうにありませんわ。どうしましょう、無実潔白を証明するために勇み勢いで行動したまでは良かったものの、流石にずっとこのままってわけにもいきませんわ」


「ヘンリエッタ! 必ず受け止めるから飛び込んでおいで!」


 さぁ! とばかりに受け取る体勢はバッチリだ! とイシュヴァールがスタンバイする。あまりにも素早い動きでヘンリエッタの元へ向かったせいで、ルアンナは何が起きたかを理解するまでに時間を要した。

 先程まで自分の隣にいたはずの男性が、一瞬でいなくなったように見えたのである。

 そうしてやっとルアンナがイシュヴァールの姿を確認した時には。


 ヘンリエッタが覚悟を決めてえいやっ! とばかりに飛び降りたのを受け止めて、そのまま抱擁しているところだったのである。

 誰が見ても相思相愛の恋人にしか見えなかった。


「それはそれとして、ルアンナ嬢」

「っは、なんですの……?」

 王太子がにこやかに微笑む。しかしその笑みは、決して人がいいとは言えない笑みだった。

 まるで童話に出てくるチェシャ猫のような笑みを浮かべる王太子は、すっとユニコーンを指し示す。


「男狂いのヘンリエッタの正体がきみじゃないなら、勿論きみも純潔だよねぇ?

 何、純潔であれば普通に触れることができるわけだからさ、ちょっと触ってみせてよ」

「え、そ、それは……」

「大丈夫大丈夫。あのユニコーンは賢いから人間の言葉を理解できてるし、無意味に暴れ回るような奴じゃあない。きみが社交に出始めた時期と、男狂いのヘンリエッタが現れた時期がほぼ同じだなーと思った私としては、まさかきみがアルミューレ家を乗っ取るために……なぁんて考えすぎかなって思わなくもないんだけど。

 そんな疑問を払拭するために、してみせてよ。潔白の意を込めて、純潔であるという証明」


 ざぁっと顔から血の気が引くのを、確かにルアンナは感じていた。


 バレている。

 一体いつからかはわからないが、ルアンナがヘンリエッタの振りをして社交界で男と遊んでいた事が確実にバレている……!


 でも、危険ではないのですか……? なんて怖いわ、と怯えるふりをしてユニコーンに近づくことを拒絶する前に、既にその言い訳は封殺された。されてしまった。

 こちらの言葉を理解しているというのであれば、つまりは今の状況も理解しているという事に他ならない。


 大人しくしてね……? なんて言いながら触れようとしたところで、ルアンナが純潔でない事はルアンナ自身がよく理解している。これがただの馬ならば誤魔化せたかもしれない。

 けれども相手は神獣ユニコーンだ。一時的にこちらの言う事を無理矢理きかせようにも、土台無理な話なのだ。


 けれども、ここでできない、と言うわけにもいかなかった。


 言ってしまえばつまりそれは、自ら純潔ではないと宣言するも同然になるのだ。

 ヘンリエッタ本人が純潔であるのなら、今まで社交の場で男漁りをしていた貞操観念の緩い女性は誰なのか……本当の名を明かしたくないにしても、偽名にしたってやりようがあったはずだ。確実にヘンリエッタの名誉を貶めたい誰かの悪意。ヘンリエッタの名が、悪い意味で知れ渡れば知れ渡った分だけ、彼女の妹の清楚さが際立つ。ヘンリエッタの名が汚されていく事で誰が得をするのか、と考えれば。

 もう、答えはとっくに出てしまっていた。


 震える足で、怯えた様子でもってルアンナは一歩、ユニコーンへと近づいた。

 普通の馬でも不用意に近づくのは危険であるけれど、ユニコーンは普通の馬と比べて少し大きい。ここが城だからそれでも中に入る事ができただろうけれど、もしこれが自宅であるのなら、きっと中まで入ってこれなかっただろう……とルアンナは若干現実逃避をしつつも更に一歩近づく。


 ダンッ!!


「ひっ!?」


 それ以上は近づくんじゃねぇ、とばかりにユニコーンが前足を上にあげてそのまま打ち落とした。床に亀裂こそ入らなかったけれど、その重い一撃はもしそれが人体に放たれていたら間違いなく骨が砕けていただろう。

 それでも無理にもう一歩だけ近づこうと足を少し前に擦り移動させれば――


「あっ、あぁ……」


 ユニコーンは頭を少しだけもたげ、その角をルアンナへと向けた。


 これ以上近づくなら刺すぞ、の意である。

 流石にそうなれば最悪死ぬ。


 悲鳴を上げる程の元気もなく、ルアンナはその場で腰が抜けてしまいへたり込んだ。


「証明されたね。それじゃあ衛兵、あとよろしく」


 王太子がとても軽い口調で言えば。


 アルミューレ家を乗っ取ろうとした罪人たちはこうしてひっ捕らえられたのであった。



 ――ヘンリエッタは母が死ぬ前にもし何かあった時、自分ではどうしようもない事に見舞われて、周囲の大人が頼りにならないようであれば、クラレンスを頼りなさいと言われていた。

 クラレンスとは王太子の母、つまりは王妃様である。


 恐れ多いと思っていたヘンリエッタではあったが、母は「何事もなければそれでいいのだけど、本当に万が一の場合よ」と念を押していた。


 クラリッサはそもそも夫であるガルトンの事など愛していなかったし、外に愛人作って元気にやってるようだけど自分が死んだらやらかしそうだな、と思っていたのである。

 自分の死期をなんとなく悟っていたクラリッサは、死ぬ前にどこまで役立てるかわからないなりにヘンリエッタに色々と言っておいたのだ。


 屋敷の中での自由を封じられたとしても、屋敷にある隠し通路を使って外に出る方法や、街の中でいくつか、何かあった時にクラレンスとのやりとりが可能な状態にしてある施設だとか。


 屋敷の出入り口から堂々と外に出入りできる程度に自由を許されているのなら楽だったが、外に出るにも許可が必要で、外に出る時は決まったルートを通るくらいしかできなかった。お使いに出されてその時に逃げ出そうにも、クラレンスの所に逃げるわけにもいかない。もしかしたら直接彼女の所へ逃げてしまえばもっと早くに終わった可能性はあるけれど、その場合、アルミューレ家そのものが存続できるかがわからなかったのだ。ヘンリエッタは将来女伯爵として、イシュヴァールと結婚して家を存続させていかなければならない。盛り立て、繁栄させなければならない。幼いながらに自らの責務としてそう思っていた。

 だからこそ、その道が閉ざされるかもしれない可能性がある選択肢を早い段階で選びたくなかった。


 お姉さまにそんないい部屋が与えられてるのはずるいわ、なんて言って私室を使用人たちが使う部屋の中で一番古い部屋へ追いやられてしまった事が、ヘンリエッタにとっては幸運だった。

 何せそこには外に繋がる隠し通路があるので。ここを新たな私室とされた事で、ヘンリエッタは使用人たちの目を堂々と盗んで外に出る事ができたのである。


 そうしてクラレンスに向けての手紙を書いた。

 本当は真っ先にイシュヴァールにこそ知らせたかった。けれども、義妹はさておき父がもしかしたら向こうに監視をつけている可能性があったので。


 イシュヴァールが義妹に嘘を吹き込まれても、安易に信じたりしないとヘンリエッタは信じて。

 そうして、確実に大勢の前で真実を明らかにする方法を選んだのだ。


 ちなみに紹介状無しで追い出されたかつての使用人たちは、クラレンスがどうにか手を回してくれて無事再雇用できている。クラレンスという密かな助けがなければ、ヘンリエッタは今頃何もできず今もなお虐げられ続けて全てを奪われていたかもしれなかったが、そんな最悪の未来をどうにか回避することができたのである。


 ヘンリエッタに協力してくれたユニコーンだけは少々名残惜しそうに角が刺さらないよう気をつけながらも鼻先を擦り付けていたけれども。

 けれども彼女が生涯ずっと純潔でいる事はない、と理解もしていたのだろう。

 再び森へと帰っていった。


 王妃と王太子という二人が味方をしただけでは、自分が純潔である事の証明はできなかったので、真の救世主はまさしくあのユニコーンだった。



 あの清楚で汚れを一切知らないような自分が守ってあげなくちゃいけない、と思わせるようなルアンナが実はあの阿婆擦れヘンリエッタであった、と知って一部の令息たちは若干女性不信に陥ったようだが、ヘンリエッタやイシュヴァールからすれば知った事ではない。

 見た目と中身が一致している人間などむしろ少ないだろうに、何故そう思い込んでしまったのか。

 これに懲りたら外見だけにとらわれずきちんと中身を見て判断してほしいところである。



 義母経由で雇われた使用人たちを解雇して――何せ次期女主人を冷遇していたような連中だ。雇用し続ける理由がない――かつての使用人たちの中で戻ってきてくれると言った者には戻ってきてもらって、それが難しい者たちもいたけれどその分は新たに信用できそうな相手を雇う事にした。


 父も義母も義妹もいなくなった家にはようやく平穏が訪れたものの、後始末が全て終わったわけでもないので当分は忙しいままだろう。

 けれど、それでも。


 ヘンリエッタにとって母の次に大切なイシュヴァールがこれからはずっと一緒にいてくれるのだ。


 結婚式までの期間があまりなくなってしまったので、準備に大忙しではあるものの。


「どうかしたのかい? ヘンリエッタ」

「あら、いえ、ふふ。

 気が早い話だけど、もし子どもが生まれてそれが娘だったなら」

「本当に気が早いね。まだ結婚式もしてないよ?」

「そうね、そうなんだけど。

 でも、もしそうなったら。

 その時は私の潔白を証明してくれたユニコーンに娘を連れて挨拶に行くくらいはするべきかしら、って思っただけよ」

「会ってくれるかな?」

「どうかしら。でも、ユニコーンはとても賢いもの。姿を見せてくれなくても、きっと私たちに見えないところから見守ってくれると思うわ」

「それは……そうかもしれないね。じゃ、もし娘が生まれたら、皆で挨拶とお礼を伝えに行こうか」

「あら、イシュヴァール様も一緒に? だとしたら本当に目の前に現れてはくれないかもしれないわね。

 でも、きっとそれがいいわ」



 そんな会話をした後、二人は生まれてくるのが娘でも息子であっても、どうせなら、とユニコーンを模したぬいぐるみを用意することにした。なんとなくである。


 更にその後、アルミューレ家では密かに守り神のような扱いとしてユニコーンを祀る事になったのだが、それはまた別のお話。

 次回短編予告

 悪役令嬢転生 シナリオの強制力

 断罪などされてたまるか! と回避したのにえっ、なんでぇ……?

 って感じの転生ヒロインちゃんが失敗するパターンと同じような話。

 文字数は今回より少なめ。

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― 新着の感想 ―
この世界のユニコーンは男性の魔力的な物が苦手なのかな…… なので男は嫌いだしその男性の魔力がくっついてる既婚女性もあんまり得意じゃないけど、 一番最悪なのは複数の男性の魔力が絡みついてる遊んでるタイプ…
タイトルの件、そう来たか!の一言に尽きますな(笑)。 おそらくは誰もが分かりそうなことで、とっくに誰かが書いててもおかしくないのに今まで見たことがない、っていう。なんなら私の書く世界観でもユニコーンち…
ユニコーンのことを処女厨って断言しているのは初めて見ましたw面白かったです。
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