第八話 愛桜さんのお悩み相談室
その後はなんとも言えない雰囲気を、なんとなく洗い流して、なんとなしに飲み会は終了した。
みんな、幹事の山崎さんにそれぞれ役職に応じたお金を払って、お店を後にする。
愛桜も山崎さんも、先ほどの不和など無かったかのように普通にお金をやり取りしていた。
僕はと言えば、会社の人たちにバレないように愛桜を二次会に誘うことに無事成功し、駅前のチェーン店へ向かっていた。
ゼミでも個人でもよく使う、おなじみの全品三五〇円の居酒屋である。
ちなみに、ビールが一番原価的にはきついらしい。さもありなん。
店員さんいわく十分ほど待てば席が用意できるらしいので、店の入り口にある座り心地の悪い木の長いすに並んで腰かけて待つことにした。
僕も愛桜もそれなりにお酒には強い方でもあるし、何より一次会であまりお酒を飲むような雰囲気ではなかったため、僕たちはほとんど素面だった。
とはいえ少し歩いて暑くなったからか、いつのまにかベージュのテーラードジャケットを脱いで、二つに折って膝に乗せていた愛桜が、少し長めのため息をついた。
「会社の飲み会って、こんなに疲れるんだね。私も、今日は飲み足りないなって思ってたよ」
「愛桜は色んな人に気を遣ってたから、そりゃ疲れるよな。さすがに今日は二次会が必要だと思ったわ」
「ありがとね。でも、もっと情熱的に誘ってくれても良かったのに」
「ふーん。どんな感じよ?」
愛桜は、なぜか上目遣いで僕の耳に口を近づいて、たっぷり息を貯めてから囁いた。
「ねえ、鶴野せんぱい……。この飲み会二人で抜け出しませんか?」
「うるさい黙れ」
反射的にビクッとなって愛桜を跳ね除けてしまった。
ちょっとドキッとしたのは内緒だ。
まあ、愛桜のしてやったりという顔を見れば、長いすの逆の端に移動した僕の動揺がバレバレなのは明らかだが。
そんなことをしていると、ちょうど店員さんが呼びに来て、四人席のちょっと広めのテーブルに通してくれた。
半個室のブースに入った愛桜が、着ていたジャケットをハンガーにかけ、硬めの質感の木の椅子に座るまでの間に、僕は注文用タブレットからメガハイボールを二杯頼んだ。流れるような動きである。
「とりあえず大きいサイズのハイボール注文しといた」
「うわー! 先輩、アルハラですよ」
「俺の酒が飲めないと言うのか!」
「まあ、先輩が飲めと言うなら飲みますけど……」
思わず、アルハラ上司のムーブをしてしまった。
なお、令和の時代にこれをすると、冗談ではなく職を失う可能性があるため、気をつける必要がある。
「……でも、これが飲みたかったんだろ?」
「まあ、そうだけどさ! さすが先輩。大正解!」
「あと、追加で適当に焼き鳥頼むけど、たしかこの辺り好きだったよな?」
僕は、愛桜にメニューを見せながら、砂肝(砂ずり)と、ねぎま(もも)と、つくねチーズを追加で注文した。
なお、ものすごくどうでもいいが、つくねとつくねチーズの値段が、均一居酒屋において同じになるのが納得いかないのは僕だけだろうか。チーズは実質ゼロ円。
すると愛桜が、クイズ番組で司会者に当てられたタレントみたいに、指をおでこに当てて考え込みながら言った。
「砂肝は塩! ねぎまはスパイス! つくねはタレ! どう、合ってる?」
「さすが我が後輩だ。僕の好みを分かっているとは、なかなか見どころがある」
「はい! ありがとうございます、先輩!」
そんな風に僕たちが謎の先輩後輩ごっこ(?)をしていたら、店のドアが開いて見知った顔の二人組が入店してきた。鳥栖と凛である。
彼らは、一瞬驚いた顔をしていたが、僕たちを見つけると、すぐに近づいて来た。
鳥栖が、白地に青のストライプが入ったシャツを着ていて、凛も同様の色使いのスラッとしたワンピースを着ている。
シミラールックで並んだ二人は、まるでお似合いのカップルのように見えたが、この時期の白×青のストライプは被りがちなので、たぶん何も無いだろう。
それにしても珍しい組み合わせだと思いつつ、よく大学の人たちと来ていた店なので、こんなこともあるかもなと思い直す。
二人で飲んでいる理由を聞くと、最初は僕も顔は知っている大学の友人五人で飲んでたようだが、残りの三人が帰ってしまったらしい。
なお、凛は鳥栖と二人で飲む仲だと誤解されたくはないようで、ニコニコしながらも毅然とした口調で偶然一緒に飲むことになったことを強調していた。
ドンマイ、鳥栖。
ふと愛桜の方を見ると、さっきまで一緒になってふざけていたはずなのに、今ではその素振りも見せずに横で静かに会話を聞いていた。
「愛桜さん、せっかくだし、二人と合流しませんか?」
「いいよ。楽しそうだし」
愛桜がそう言うと、「ありがとうございます」と凛が嬉しそうに手を叩いた。
特に理由は無いのだけど、こういう時には同性同士が隣になり、男女で別れて向かい合わせで座ることが多い気がする。
僕たちも例に漏れずそのように座ると、ちょうど店員さんが大きなハイボールを持って近づいてきたので、人数が四人に増えたことを告げた。
鳥栖は届いたハイボールの重量感に笑いつつも、一次会でわりと飲んできたのか普通サイズのビールを注文した。
つづけて凛も、普通サイズの梅酒のソーダ割りを注文している。
一通りの注文が終わると、凛が不思議そうに尋ねた。
「与一と愛桜さんは、どうして二人で飲んでいたんですか?」
「私たちも他の飲み会があって、その二次会って感じかな」
「そうだったんですね!」
僕は赤べこのごとく、コクコクと横で頷いて同意した。
注文した飲み物が届いてみんなで乾杯をした後、後輩との関係性に悩んでいるらしい凛が、すっかり先輩モードになった愛桜に相談を持ちかけ始めた。
「一個下の男の子なんですけど、うまくコミュニケーションが取れていない気がして……」
「そうなんだ。仕事はちゃんとしてくれるの?」
「仕事自体は一応やってくれます。でも、何を伝えても生返事なんですよね。目も合わないし……」
「その子、綺麗で優秀なOLの凛ちゃんに教えてもらって、照れてるだけじゃない?」
「そ、そんなことないですよ! あ、でも、たしかに女性慣れしてない感じはしましたね」
「うーん、じゃあ、ランチとか行って仲良くしてみなよ!」
「それはいいかもしれないですね」
「こうして、冴えない新入社員と一個上の可愛い先輩のオフィス・ラブが始まるのであった……!」
「いや、絶対始まらないです! 私が好きなのはもっと、頼りがいのある感じの人です! あとは優しくて……」
最初は真面目な相談だったのに、いつの間にか脱線しまくって恋バナになっていた。ただ、最初は曇りがちだった凛の表情に笑顔が戻っていたので、これでよかったのかもしれない。
さすがは先輩モード(?)である。
僕と鳥栖は何も言わずに、すごい勢いで繰り広げられる会話に相槌を打つだけのマシーンとなり、この卓にもう一体の赤べこが誕生した。
酒が回ってきて顔に赤みがさしている鳥栖は、本当に赤べこを体現しているのかのようだ。
女性のコイバナが始まったのなら、男に介入の余地は無いのである。
二人が話に花を咲かせるなか、鳥栖が僕にも職場での後輩の話を振ってきたので、愛桜のことを思い浮かべながら最近のエピソードを伝える。
「僕の後輩は、倉庫で資料整理を頼まれてなかなか帰ってこないから見に行ったら、キラキラした目で全然関係ない資料を漁って読みこんでた」
「うわー、いいねその子。掃除してて漫画見つけて、全然作業進まないタイプじゃん」
「そうそう。基本的には優秀な後輩なんだけどな。ちょっと抜けてるところはある」
「え、俺そういう子好きだわ。今度紹介してよ」
どうやら、凛と会話している愛桜にも聞こえていたのか、机の下で思いっきり足を踏まれた。
なお、冗談で紹介を承諾しようとしたところ、愛桜が表情を変えずに踵でグリグリしてきたので、断っておいた。
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