第七話 愛桜ちゃんと空気読み飲み会
その日の終わりに飲み会がある時、マックスの力で仕事ができる人はどのくらいいるのだろう。
少なくとも、僕には無理である。
しかも、その日が金曜日だった場合は、出せる力の割合が比例して下がっていくのは言うまでもない。
歓迎会に参加する社員は二十人くらいいて、定時五分後には会社の入るビルのエントランスに集まっていた。
山崎さんの先導で、課長が予約してくれた店へ向かう。
課長の友人が店長をしているその店は、渋谷にあるらしい。
会社のある東京駅(大手町駅)からは、東京メトロの半蔵門線で乗り換え無しの十五分くらいで行ける距離である。
満開の藤の花のように、くっきりとした紫色で彩られた電車に乗り込むと、車内には既に多くの人がいた。
乗車率は八割くらいだろうか。周りの人に配慮した小さめの声で、愛桜が話しかけてきた。
「これがいわゆる、華金ってやつですか」
「そうそう。SNSとかでよく言ってる人いますよね」
「たしかに、私の周りの後輩なんかは金曜日が来る度に言ってますけど、気持ちが少し分かりました」
おそらく、愛桜が考えている後輩とは鳥栖のことだろうなと思った。
あいつの週末のSNSは、たしかに華金という言葉で埋め尽くされている。
酒に逃げるな。強く生きろ鳥栖。
僕と愛桜が何となく同じ人物について考えていると、近くにいた課長が話に入ってきた。
「最近の若者は、花金なんて古い言葉を使うんだね」
「古いんですか?」
「そうだね、僕の上司世代の人たちがよく使ってた言葉だから、バブルとかの頃じゃないかな」
「そうなんですね!」
そうだったのか。知らなかった。
でも、週末にディスコで踊り狂っていた当時のサラリーマンたちが使っていた用語にしては、だいぶ趣深い表現だと思った。
というか、バブル期と聞くとド派手に夜の街で遊んでいるといったような典型的なイメージしか出てこないのは、僕の知識が浅いせいなのだろうか。
愛桜が、さっきまで浮かべていた愛想笑いを引っ込めて、いつもの自然な笑顔で課長に聞いた。
「課長も、ディスコで踊り狂ってたんですか?」
「いやー、僕が働き出した頃は、もうブームが終わっていたよ」
「そうなんですね!」
残念なことに、愛桜も僕と同レベルの典型的なイメージしか持っていなかったようである。
というか、次々と出てくる課長の少し上の先輩たちのエピソードは、本当に同じ日本とは思えないようなものばかりだった。
まさに、彼らこそがハジケリストである。
(※ バブル経済がはじけたことと、当時の人達がはしゃぎ散らかしていたことを掛けた激ウマギャグ)
そのハジケリストたちの後輩である、課長がニヤッと口角を上げながら言った。
「そうだね。当時、まだ踊ってたのは……大捜査線くらいかな」
「そうなんですねー」
愛桜が自然な笑顔を引っ込めて、ニッコニコの愛想笑いを浮かべながら相槌を打った。
僕は、意外と課長の親父ギャグにしては面白いじゃないかと上から目線で感心していたが、愛桜には響かなかったみたいだ。
その後、課長が話に加わったことで携帯を取り出すわけにもいかず、手持ち無沙汰になった様子の愛桜が路線図を見ながら何となしに呟く。
「そういえば、東京の駅って難読地名が多いですね」
「たしかに、この石神井公園とか、茗荷谷とかは難しいですね」
「普通に読めなくないですか?」
「それは名付け親に言ってください」
普段使っていると馴染んでくるが、実際なぜそう読むのか分からない地名は多い。キラキラネームである。
まあ、逆に変な名前の地名こそ、古くからある伝統的なものである場合が多いのだが。
というか、上京したての僕に難読地名の読み方を得意げに教えたのは、愛桜だったような気がする。
そんなとりとめのない話をしていたら、電車が半蔵門駅に停車することを告げるアナウンスが聞こえた。
ここまで来ると、目的地の渋谷駅まではあと数駅だ。
これから飲み会が始まるというのに移動だけで疲れてしまって、何となく達成感がある。
愛桜も気が緩んでいるのか、会社からの帰り道であることを気にとめず、すっかりといつもの調子を取り戻していた。
「この駅、なんか主役感あっていいですよね」
「半蔵門線の半蔵門駅ですからね」
「路線を代表してる駅ってことですね」
「僕は、勝手にタイトルコールって読んでます」
「……漫画とかアニメとかでその作品のタイトルがサブタイトルになる回って、特にアツいですよね!」
会話を聞きながら途中から存在感を消していた課長が、何かを言いたそうな顔で微笑みを浮かべていたのが印象的だった。
*
課長の友人のお店は、宮益坂から一本入った路地にある小綺麗な感じのワインバルだった。
駅から歩いてきたままの、適当な並び順で席に座る。
社会人になりたての頃は、上座下座がどうとか、席順がどうとか色々気にしていた。
今ではもう、自社内の飲み会では全くそのような配慮をしなくてもいいことに気づいた。
実は、意外と多くの人が大して気にしていないのである。
たが、社会人になりたての愛桜にとっては、その辺のビジネスマナーは重要なものであるらしい。
愛桜は、自分が入り口に近い席に座って何となく偉い方々を店の奥側の席に誘導し、メニューを周りの社員に見えるように広げた後、つつがなく注文を済ませた。
誰かのグラスが空になれば次の酒を進めるし、真ん中に置いてあるサラダも取り分ける。
まさに、社会人一年目のお手本とも呼べる行為である。
また、本人がそれをまったく嫌な顔一つせずにやっているのも大したものだと思う。本心ではどう思っているか分からないが。
なお、本人は乾杯にはハイボールを飲むと事前に宣言していたが、周りに合わせたのかビールを飲んでいる。
日本の誇る集団圧力の敗北者である。
もちろん僕は抵抗した。二十三歳。初手ハイボール。屈してたまるか。
なお、弊社は比較的ホワイトな職場なので、ビールを飲むことを強制される文化はないことを一応記しておく。
誰かが注文したタコとイカのカルパッチョが届いた頃、山崎さんが愛桜の方を一瞥してぽつりと呟いた。
「煙山は、本当に人に好かれたがるな」
一瞬でその場が凍った。え、この人もう酔ったんか。
そう思って山崎さんのグラスを見たが、まだ九割ほどが残っている。というかビールの泡しか減っていない。
店内を彩るスピーカーから流れる陽気なジャズの曲が、沈黙が支配するテーブルでやけに大きく響いている。
僕は、黙っているのがいたたまれなくなって、とりあえず目の前にあったイカへ手を伸ばしたが、まったく味を感じなかった。
スポンジみたいな食感だけが、口の中に取り残される。
少しの沈黙があって、さすがに山崎さんも言葉が足りないと気づいたのか、
「いや、よく周りを見ているという意味だ。他意は無い」
と、取り繕うように続けた。
あの山崎さんが言うのなら、もしかすると本当に愛桜に対しての悪意はなく、きっと思ったことを口にしただけなのかもしれない。
そう思って少し安心したら、急に咀嚼中のイカのドレッシングの酸味を感じるようになった。
良かった、コロナじゃなかったようだ。
とはいえ、それを愛桜がどう思うかは別で、僕はおそるおそる愛桜の顔を見た。
「あ、そういう意味だったんですね。ありがとうございます!」
愛桜は、周囲の心配の視線をよそに、ケロッとした顔で言ってのけた。
近くにいた賀来さんが、ほっとした表情を浮かべたのが見える。
みんなが安心するなか、僕は愛桜の何とも感じてなさそうな表情を見た後もどうしても不安が拭えなかった。
まるで、美しく咲いた満開の桜を見ている時にその根っこの下に埋まる死体を幻視してしまったかのような、不気味で言いようのない不安だ。
課長が、気まずい空気を押し流すかのように、新入社員たちにこれからどんな仕事をしたいのか聞き始めた。
面接で培った課長の得意の会話デッキである。
「私は、企画部の仕事がしてみたいです!」
愛桜のやけに元気な声を聞きつつ、僕は愛桜をひとまず二次会に誘う方法を考えるのだった。
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次回の更新予定は、10/17です。