第六話 愛桜ちゃんは隠したい
愛桜を含め、新入社員たちが初出勤してから一週間が経過しようとしていた。
あいかわらず、僕は彼らの指導係をやっている。
今日の愛桜は、山崎さんから指示されて備品室で資料の整理をしていた。
もう初日に着ていたリクルートスーツの面影は薄く、白いブラウスの上にベージュのテーラードジャケットを羽織っており、折り返した袖が相手に爽やかな印象を与える。
僕はきょろきょろと辺りを見渡して周囲に誰もいないことを確認すると、愛桜の後ろ姿に声をかけた。
「資料整理けっこう時間かかってるじゃん。大丈夫?」
「すみません、もうすぐ終わります! って、なんだ与一じゃん」
「なんだとはなんだ」
「なんだか、与一に会社内で話しかけられるの、新鮮だね」
愛桜は振り返って僕の方を見ると、同じように辺りをきょろきょろと見渡した後、少し安堵した表情になった。
そして、ちょうど良かったとばかりに、厚み五センチほどの資料の束を差し出しながら言った。
「そういえば与一、この資料見てみてよ」
「あー、これね。去年も似たようなのやってたわ」
「へえ、毎年あるやつなんだね。楽しそうじゃん」
愛桜が見せてきた資料には、『第九回 インテリアザラシさんの空間創造フェス』という名称で、会社のブランド・製品を新規提案する、社内向けのプレゼン大会の開催要項が記されていた。
ふざけた名称のわりに意外と人気のイベントで、去年開催したときは応募だけも含めると、全社員の四分の一ほどが参加していたと思う。
愛桜は、その色素の薄い瞳をキラキラと輝かせ、ワクワクを隠しきれない表情で続けた。
その様子は、掃除の途中で面白いものを発見してしまって、作業が滞っている姿を彷彿とさせる。
「ほら、実際にプレゼンに使ってた資料もあるよ。これとか超本格的ですごいんだよ」
「歴代の資料が保存されているのか、なるほど。部署とか名前とかは一応伏せられているんだな」
「面白そうだし、与一も出たらいいじゃん!」
「……それよりも、愛桜。山崎さんから言われた資料整理は終わったの?」
僕が問うと、愛桜はスッと無表情になって顔を逸らしながら、静かに整理中の資料の方を向き直した。
終わっていなかったらしい。
可哀想になったので、少し作業を手伝うことにした。
「よし、役割分担しようか。僕がファイルに通し番号を振ってくから、愛桜はそれを並び替えて」
「さすが与一! いや、もう与一先輩様! ありがとう!」
「役職に様はつけない。これ、社会人の基本ね。たまに間違っている人いるけど……」
「うるさいなあ。尊敬の感情を込めてるからいいの!」
愛桜と二人で分担して作業をするのは手馴れたもので、資料整理はすぐに終わった。
とはいえ、今回は愛桜の仕事ということもあり、僕は大まかな作業手順を示しただけでほとんど愛桜が手を動かして作業していた。
そういえば、大学時代の愛桜は本人が優秀なのもあってか、人に頼ることがあまり無かったように思う。
僕が社会人になって、かつ先輩になって、ようやく愛桜から頼られるようになったかと思うと、少し嬉しく感じた。
二人で備品室のドアを開けると、ちょうど通りかかった賀来さんが話しかけてきた。
「そういえば、鶴野くんと愛桜ちゃんって、同じ大学出身なんでしょ?」
「実はそうらしいんですよ」
「じゃあ、二人は入社前から関わりはあったの?」
もちろんある。
賀来さんの質問にそう返事をしようとすると、僕が答えるよりも先に愛桜が答えた。
「いえ、鶴野さんとは学年も違いますし、全くなかったです!」
「そうなんだ。でもそんなもんだよね」
それだけ言うと、本当にたまたま通りかかっただけの様子の賀来さんは、コピー機の方へと歩いていった。
完全に賀来さんが見えなくなると、すぐに愛桜が顔の前で手をパタパタさせながら、弁明を始めた。
「いや、違うんだよ。ほら、なんか絡まれるのめんどくさいじゃん!」
「ふーん。僕たち、大学だと関わりなかったんだな」
「悪かったって! でも、変に配慮されるのも嫌じゃない?」
「まあ、それもそうだけど」
そこまでして隠す必要は無いのではないかと思う。
ただ一度、賀来さんにこう言ってしまった以上、これから僕たちが大学で繋がりがあったことを明かすことはできなくなってしまった。
この流れに既視感があるなと思ったら、ゼミの時も同じような理由で関わりを明かさなかった覚えがある。
そういう意味では、大学生の時とやることは一緒である。立場は逆になるが。
僕が一応の納得を示すと、満足そうな様子の愛桜が、僕の方に少し身を乗り出しながら言った。
「それに、隠すのってちょっと楽しいじゃん?」
「そ、それもそうだな」
愛桜にびっくりするくらいの満面の笑みで言われたので、思わず同意してしまった。
席の辺りまで戻ると、山崎さんが手招きしているので愛桜と一緒に向かう。
「おい鶴野。煙山に任せてた仕事を手伝ったのか?」
「あ、はい」
山崎さんにびっくりするくらいの無表情で言われたので、思わず同意してしまった。
実にびっくりしすぎである。
山崎さんは、きっちりと第一ボタンまで閉めたシャツの襟を整えながら、ため息をついて言った。
「鶴野が手伝ったら意味無いだろ」
「すみません」
「でもまあ、仕事が終わるならなんでもいい」
たぶん、山崎さんは仕事で使う資料の整理を愛桜に頼むことで、仕事の全体像を把握させようとしたのだろう。
そういう意味では、本当に言葉足らずというか、不器用な先輩である。
まあ、今はそんなことよりも、横で可哀想なくらいビビっている後輩のフォローをした方がいいだろう。
「あー、仕事を手伝ったのは僕の意思だし、煙山さんは気にしなくても大丈夫だか……」
山崎さんが僕の言葉をぶった切り、愛桜に力強い視線を向けながら言った。
「そういえば、今日新入社員の歓迎会をやろうと思うが、予定は空いているか?」
「はい。僕は大丈夫です」
「はいっ! 私も行かせていただきます」
この流れで聞いたらパワハラになってしまわないだろうか。
なんなら、アルハラにも認定されるかもしれない。世は大ハラスメント時代なのである。
とはいえ、愛桜は嫌な時はちゃんと断るタイプだし、なんだかんだ大丈夫だとは思う。
その後、他の社員も歓迎会の話が回り、退勤時刻が近づくにつれ、会社の雰囲気が少しソワソワし出した。
定時の一時間前くらいになって、そんな雰囲気に似つかわしくない神妙な顔をした愛桜が、周囲をチラチラ見渡しながら僕に話しかけてきた。
「あの……鶴野さん。今、大丈夫ですか?」
「はい。大丈夫です。どうかしましたか?」
僕はなんとなく嫌な予感がして、やっぱり先ほどの山崎さんの発言は良くなかったかと思いながらも、愛桜に続きを促した。
「……私、一杯目はハイボール派なんですが、会社の飲み会ってやっぱりビールがいいんですかね」
「ハイボールで大丈夫だと思いますよ」
「そうなんですね!」
「まあ、僕はビールしか飲まないですが」
「え、いつもハイボールじゃん……。う、裏切り者! どうしよっかなあ……」
愛桜が悲壮感に満ちた声を発しつつ、膝から崩れ落ちたが、器用にもその表情は楽しそうである。
幸いなことに大したことない悩みだったが、会社の飲み会が嫌とか、そういうことでは無さそうで安心した。
別に好きにハイボールを飲めばいいのにとは思うが、周囲の「とりあえず生」の同調圧力はたしかに受け入れざるを得ない雰囲気がある。
新卒一年目なら、なおさらそう感じるかもしれない。
ただ、これで大学時代の僕と愛桜の関係を隠そうとするのは、少し無理があると思う。
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