【番外編】愛桜ブユー
愛桜と与一が初めて会った時。
国際交流インカレサークル『文化の交差点』の新入生歓迎会で、愛桜が与一にまず感じたのは、安堵だった。
――よかった、これで話す相手は確保できそうだ。
同じ大学から参加しているという共通の話題もある。
留学したことで一年遅れになったサークル生活も、なんとか取り戻せそうというのが、率直に愛桜の思ったことだった。
そんな風に始まった愛桜と与一の関係性は、本人たちも思いもよらない方向へと進んでいくことになる。
*
与一と愛桜がサークルで話すようになってからしばらくした頃。
長すぎた夏休みが終わって、愛桜が留学して取れていなかった必修の講義に出席すると、そこには与一がいた。
「お、大学で会うのは初めてだな、愛桜」
「そうだね。友達がこの授業面白かったって言ってたし、私も楽しみなんだよね」
「そうなのか、それは良いことを聞いた」
与一は、愛桜の言葉に少し首をかしげる。
その違和感に考えを巡らせる前に、与一の同級生が続々と教室に入ってきた。
その多くは、いわゆる「よっ友」と呼ばれる大学特有の軽薄な関係性の友人たちだ。
なんとなく同じ講義を受けていて、顔と名前が一致する程度の同級生。
時間が合えば食堂や教室で一緒にご飯を食べることはあれど、休日に遊びに行くほどではない。
大学を卒業したら、SNS上で生存報告をするぐらいで、たぶん一生会うことはない関係性である。
「よっ友」たちは、初めて見る顔の愛桜をチラチラと見ながら、与一と中身のない会話を続ける。
ちなみに、この「よっ友」のなかには鳥栖もいた。
鳥栖と与一は、ゼミで一緒になる前はあまり話したことがなかったが、タイミングやきっかけ次第で「よっ友」が本当の友達に昇格することは、よくあることである。
もし、この時に与一と鳥栖の仲が良かったのであれば、ゼミで与一と愛桜が関係性を隠すことは不可能だったかもしれない。
与一の横で外面よくニコニコしていた愛桜は、席を移動するタイミングを逃し、そのままの席で講義へと突入することになった。
「なんか、大学に愛桜がいるの新鮮だな」
「たしかにそうだね」
「まあでも、同じ大学の同じ学科なんだから、会うこともあるでしょ」
講義中に顔も知らない与一の同級生たちを眺めながら、愛桜もこの光景に小さな違和感を覚えていた。
少し考えて、愛桜たちにとっては二回目のこの講義は、与一たちにとっては一回目であることに気づく。
――そうだ、私。大学では与一の一学年上だったな。
それに気づいた愛桜は、与一にいつこの事実をバラすかを考え始める。
愛桜には、「与一はこの盛大なドッキリに怒るような器の小さい人ではない」という、ある意味で打算的な感情があった。
でも、そういうことならバラすことを引っ張れるだけ引っ張った方が面白そうだ、と考えるあたりが、愛桜が愛桜である所以だろう。
それ以降の愛桜は、大学では与一と同じ代のように振舞うことに決めて、その演技力を存分に発揮してそれを遂行した。
しばらくは、与一の一つ上の代である愛桜の同級生たちとは、大学で見かけてもあまり話さない徹底ぶりである。
ネタバラシは、数か月後のゼミの歓迎会で行われた。
これに関しては本当に偶然だが、愛桜と同じゼミに与一が入ることを決めたことが原因だ。
でも、興味関心の似ている二人が、同じゼミへの参加を決めることは、必然だったのかもしれない。
普段は感情を表に出さない与一だが、この時は驚愕のあまり授業中にも関わらず立ち上がって大声をあげた。
愛桜はそれを見て静かに笑い、与一は顔を赤くしておずおずと席に座る。
それが、ゼミでの二人の初めての出会いだ。
この時、ただのサークルの「同期」だった与一が、愛桜にとって特別な「後輩」になった。
でも、この時点では与一と愛桜がそれ以上の関係になることなんて、本人たちも思っていなかっただろう。
ましてや、そこからさらに特別な関係になるなんてことは、想像さえしてなかったに違いない。
実際、愛桜は与一に対して、明確に好きという感情を抱いたのは、案外最近のことである。
*
そもそも、愛桜にはこれまで恋人がいなかったわけではない。
むしろ、その明るくて親しみやすいキャラクターから、どちらかと言えばモテる方だったようだ。
でも、逆にみんなから愛情を向けられていたからこそ、ある特定の人のみに特別な感情を抱いたことがなかった。
別に、嫌いな人はいない。
……でも、特別好きな人もいない。
ある意味で、みんな平等である。
そんな愛桜であったが、十代後半から二十代前半に特有の、衝動的で無責任な恋愛によくある「とりあえず人生経験として付き合っておきなよ」みたいな、周りからの見えない圧力に押されて恋人を作ってみることはあった。
でも、告白されたから、とりあえず付き合ってみるという受動的な関係では、ずっと長続きしなかった。
――「恋人」という関係性を演じているうちに、そのうちに本当に好きになるんじゃないかな。
そんな風に、愛桜は周りで恋愛にキャッキャする同級生たちを、どこか一歩引いた目線で眺めていた。
*
でも、二人がこれまで準備していたものを全てぶつけた、プレゼン大会の最終選考の日。
与一が愛桜の手を取ったあの瞬間。
……愛桜は人生で初めて誰かのことを心の底から好きになったのだ。
その前日の愛桜は、一日中布団の中にいた。
ひとり暮らしの風邪は、なんとなく心細い。
でも、こんな時に頼れる誰かは、当時の愛桜にはいなかった。
むしろ、本来立場的にも関係性的にも頼るべき存在だった与一と、お互いのことを思うあまりぶつかり合ったことが、愛桜が体調を崩すに至った原因だったのだろう。
一日中、熱の出た頭で与一のことを寝ながら考えて、考えながら寝て、気づいたらもうプレゼン大会の当日になっていた。
愛桜は、仕方なく重たい体を動かして、会社へと向かう。
いつもは会社に行くことが楽しみでしょうがないのに、その日の家のドアはやたら重かった。
会社に着いたら着いたで、他の業務に追われて与一と落ち着いて話す時間もない。
でも愛桜は、そのことにどこか安堵している自分がいることに気づいてしまった。
そして、与一と本格的に話をできないままに、いよいよプレゼン大会の本番の時間が近づいてくる。
暗くて埃っぽい舞台裏。
愛桜と与一は、冷たいパイプ椅子に座りながら、自分たちの出番を待っていた。
愛桜は自身が本番に強い方だと自負していたが、いざこれだけ大きな舞台でプレゼンをするとなると足が震える。
――失敗したらどうしようか。
一度でもそう思ってしまったら、思考がどんどんマイナス方向に偏っていく。
もともと、自分の無理が祟って会社を休み、プレゼン大会の最終選考の直前準備を任せてしまった不安と罪悪感でいっぱいになっていた愛桜は、与一と目も合わせることすらできなかった。
愛桜は、いつの間にかパイプ椅子の上で少し前屈みになって、自分の膝を抱え込むように下を向く。
その時だった。
与一が愛桜の手を握ってきたのは。
「冷たっ」
「ごめんごめん」
思わず愛桜は、反射的に与一に文句を言った。
とはいえそれは、手を繋いできたことへの文句ではなく、繋いできた手が冷たいことへの文句だった。
思ったより大きいなとか、ごつごつした無骨な手だなとか、そういう感想以前の問題である。
――でも、この冷たくなった手で私のことを元気づけようとしてくれたんだな。
そう思うと、愛桜の心の中に、今まで誰かに感じたことのない愛しさがこみあげてくる。
さらに急速に視界が明るくなっていく感覚が生まれ、前日からあれだけ悩んでいた頭の中のモヤモヤが消え去って、「私たちならなんだってやれる」という全能感が戻ってきた。
その後の二人の息の合ったプレゼンとその結果については、ここで語るまでもないだろう。
*
だから、愛桜はふとした瞬間に、与一と手を繋ぎたくなる。
与一と二人で行く休日のスーパーマーケットで。
すっかり常連になったウイスキーバーの店内で。
時には大胆に、会社の同僚と行ったランチのメニューボードの裏で。
あの日に与一が愛桜のことを引っ張ってくれたように、今度は愛桜が与一を引っ張ることもあるだろう。
先輩とか同期とか後輩とかがごちゃ混ぜになった、二人の対等な関係性は、これからも続いていく。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
これ以降の更新の予定は、今の段階では未定とさせてください。
もし、二人の物語を少しでも面白いと思っていただけたなら、これ以上嬉しいことはありません。
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『文明の衰退した世界で、バンドメンバーを探す少女の話。』
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