第三十九話 先輩で同期で後輩で、恋人の愛桜
披露宴の翌日の夕方。
そのまま僕の家に泊まっていった愛桜とともに、僕は街に繰り出していた。
愛桜は、ここ数週間で僕の家に入り浸っていて、僕の狭い六畳半のアパートには既に愛桜の私物で溢れている。
歯ブラシに始まって、クレンジングやヘアゴムなどの細々とした消耗品まであった。
なお、前に愛桜がうちに来たときに使っていたクレンジングは、元カノが置いていったものだったが、それは付き合ってすぐに捨てられている。
そして、愛桜待望の可愛いもこもこのパジャマも置いていた。
だからもう、僕のジャージの裾を余らせている愛桜を見ることはできないと思うと、一抹の寂しさがある。
まあ、僕が望めば着てくれるような気もするので、今度お願いしてみよっと。
さて、街に出てみたものの、特にやることも無い。
そんな何でもない一日のはずだが、昨日の「非日常」からの「日常」という感じで、なんかワクワクする。
あるいは、愛桜がいることが日常になったことを実感できたことが嬉しいのかもしれない。
社会人になると、自分の自由な時間が減って休日の貴重さは相対的に上がる。
最初の頃は、その分を取り戻そうと、土日に予定を目一杯詰め込んでいたが、やがてそんなことも無くなった。
けっきょく、何も予定のない一日が一番幸せなのだ。
そんな日々を過ごしながら、さらに横に愛桜がいるなら、それはどんなに幸せなことだろう。
そんなことを思いながら、あてもなく街をぶらついていると、愛桜が目の前の雑居ビルを指さした。
「与一、エアホッケーかレースゲームで勝負しない?」
「お、いいぞ」
愛桜は、何かと僕と勝負をすることがお好きらしい。
僕たちは、やかましい複合型のレジャー施設へと足を踏み入れて、ゲームセンターのエリアへと向かう。
ゲームセンターの中では、アーケード筐体のゲーム機から出る音が反響していて、近くにいるはずなのに声を張らないとお互いに会話ができなかった。
クレーンゲーム機のなかに鎮座する、流行りのアニメのフィギュアや、色とりどりのぬいぐるみが僕たちを出迎えてくれる。
僕がお目当てのエアホッケーを探していると、隣を歩いていた愛桜がいつの間にかどこかに行ってしまったことに気づいた。
慌てて来た道を戻ると、愛桜は一つのクレーンゲーム機の前で立ち止まって、熱心にぬいぐるみと目を合わせている。
僕の知らないキャラクターで、頭に数冊の本を乗せていること以外には、特に目立った特徴も無いアシカだ。
最近、巷で流行っているキャラクターなのだろうか。
……ちなみに、愛桜が立ち止まるくらいだから、もしや『インテリアザラシさん』のぬいぐるみかと身構えていたけど、杞憂のようだった。
さすがに、社内ぐらいしか知名度の無い、身内向けの雑魚キャラクターの出る幕ではなかったようだ。
僕は、そっと愛桜の横に立つと、耳の近くて大きな声を出して尋ねる。
「このアシカ、何かのゲームとかのキャラクター?」
「え、与一知らないの?」
「うん。初めて見た」
「えー、そうなの!? この子は知っとかないとダメだよ」
そんなに知名度の高いキャラクターだったのか……。
もともと流行に敏感なわけではないが、大人になるにつれてどんどん流行に置いていかれている感覚があって悲しい。
愛桜は、僕に向けて人差し指を立てて、ちょっとドヤっとした顔をしながら言った。
「この子はね、『インテリアシカちゃん』って言うの。『インテリアザラシさん』の彼女なんだよ」
「知るわけないだろ!」
「いつの間にか、アミューズメント専用のぬいぐるみが出てたんだね……。これは欲しい」
「要らんわ!」
ここに来て、まさかの新キャラクターだった。
たしかに、このアシカの何を考えているのかよく分からない目は、ヤツを彷彿させる。
というか、あのアザラシ、彼女持ちだったのかよ……。
今は、僕には愛桜という彼女がいるのでよかったが、もし独り身の時にその事実を知っていたら苛立ちが倍増していただろう。
では、その大切な彼女が欲しがっているぬいぐるみを、颯爽とプレゼントしてみようか。
ちょっと想像してみたが、クレーンゲームを成功させるところまでは良かったものの、譲渡物がこの謎のアシカな時点でテンションが下がったので、止めておくことにした。
賢明な判断である。
さて、この階には目当てのエアホッケーもレースゲームも無さそうなので、二階へ行くことにした。
途中、片側だけ空いているエスカレーターの列に並ぶ。
全体の運搬効率だけを考えたら、どう考えても両側に乗った方がいいだろう。
でも、個人の観点からすると、急いでいる人が空いている片側を歩くというのは、それはそれで理にかなった使い方なんじゃないかと思う。
だからまあきっと、百年後もエスカレーターの片側は空いているんだろうな……。
愛桜が、トントンと僕の肩を叩いてきたので、手すりに体を預けて振り返る。
そうすると、すぐ近くに愛桜の顔があった。
僕と愛桜はいつも十数センチの身長差しかないのだが、僕がエスカレーターの上の段に立ったことで、愛桜が上目遣いでこちらを見ている。
うん。可愛い。
そうか。エスカレーターの片側が空いていたのは、この空間を邪魔されないためだったのか(違う)。
*
二階に上がってすぐに、僕たちの探していたレースゲームを見つけたので、早速愛桜と対戦をスタートする。
レースが始まってしばらくして、愛桜は僕の運転を見ながらしみじみと言った。
「なんか、こうやって横で並んで運転していると、ドライブしてるみたいだね」
「二人ともハンドル握ってるから、別方向に進むけどいいのか……」
「それもそっか。あと与一は、ハンドルを握っても性格変わらないタイプなんだね」
「いや、だいたいの人間がそうだろ!」
そんな奴が運転する車なんて、怖くて乗りたくない。
そうやって愛桜と会話をしながらゲームを続けると、ハンドルを切るときに一緒に体を傾けている愛桜が目に入った。
とても可愛い。
そのままの流れで愛桜の運転を観察していたら、大した盛り上がりも無くゲームに負けていた。
愛桜は、「一位」と表示されている画面を指さして胸を張る。
「見たか。これか無事故無違反のチカラよ!」
「愛桜は無免許だから運転したことないだけでしょ……」
「まあね! そろそろ私も、免許取らないとなあ」
なんか、社会人なのに、やっていることがお金のない学生時代みたいである。
もし、学生のうちに愛桜と付き合っていたのなら、こんな風にデートをしたのだろうか。
そんな過去を妄想するけど、今デートができているのだから、まあいいかと思考を断ち切った。
これから、たまにはこういう友達の延長線みたいなデートをするのも悪くないな。
昨日、愛桜が見せてくれた頼りがいのある姿とはまた違う、肩ひじを張らない気楽なやり取りが心地よかった。
*
それから、街をまたブラブラした僕たちは、今度は少し背伸びをしたくなって、小洒落たウイスキーバーに行くことにした。
雰囲気のある木の扉を前にして、ビビった僕たちはどちらが扉を開けるかを押し付け合う。
後ろから人が来るまで続いた、そんなしょうもないやり取りが、どうしようもないほどに楽しかった。
店に入り、カウンター席に腰かけた愛桜が、肘をつきながら僕に小声で話しかけてくる。
「与一って、ウイスキーよく飲んでるよね。好きなんだっけ?」
「ハイボールはずっと好きだったけど、それ以外の割り方はそこまで飲んだことないな」
「あ、そうなんだ。詳しいかと思ってたよ。私もそんな感じかな」
そんなウイスキーにわかの僕たちは、揃ってバーテンダーにおすすめのお酒を頼んでみる。
やがて、バーテンダーの勿体ぶった所作の後、僕たちの前には、シュワシュワと気泡のはじける透き通った黄金色の液体が置かれた。
一口飲んでみて、すぐに愛桜と顔を見合せた。
「うわっ! 煙っ」
「ほんとだ、でもおいしいな」
もう、お焚き上げとか焼畑農業とかをやってるんじゃないかってくらい煙い。
燻製もそうだけど、全部すごく体に悪そうな味してるよな……。でも、すごくおいしい。
名前を聞くと、どうやらスコットランドのアイラ島のウイスキーらしい。
愛桜も気に入ったようだし、うちにも置いておこうかなと思って値段を調べてみると、そこそこ高かった。
お酒と食べ物は、お金をかければかけるほどおいしくなる。悲しいかな、これがこの世の真理だ。
ギリギリ手が出せないほどではないけど、気軽に買えるものじゃないな……。
いつかもっと歳をとって、経済的にも気持ち的にも余裕ができたら、その時はこのアイラウイスキーで愛桜と晩酌をしたい。
過去も現在も、そして未来も、愛桜が隣にいてくれることを祈りながら、僕たちは居慣れないバーでのゆっくりとしたひと時を過ごした。
今回もお読みいただきありがとうございます。
次の更新は、2/5です。




