第三十七話 愛桜と芽吹いた決意
翌週から、僕たちの企画は市場投入に向けて準備が進められることになった。
ここからは、未知の領域である。
まず、本職の企画部の人たちと一緒に、僕たちの企画内容自体を練り直した。
実際の市場調査のデータを見せてもらって、生活者のニーズやトレンドを細かいところに反映していく。
それが終われば、再度デザインやプロトタイプの作成を行っていった。
この段階からは、僕と愛桜の強い希望もあって、碧と響にも参加してもらう。
今度は、正式な会社の仕事ということになったので、ボランティアではなく、少ないながらも二人に報酬を出せたことも嬉しかった。
その次は、ユーザーテストを実施して、その結果をもとにデザインや機能の修正を繰り返す。
企画の時点では、これ以上考えられることは無いってくらいまで突き詰めたはずなのに、実際に色んな人に試してもらうと、足りないことがたくさんあった。
僕と愛桜が介入できたのはここまでで、後は別の部署の手に渡って製造計画を作成して、実際の量産体制に入る。
その後も素材や部品の調達のためのサプライチェーンや、品質を管理するための検査体制、各店舗への商品の輸送経路、マーケティング計画などのさまざまな工程があった。
そして、最後の最後に店舗担当者や法人のお客さんと商品をつなぐのが、営業の仕事である。
ここまで来て、ようやく商品が店頭やオフィスに並ぶことになるのだ。
やってみると思った以上に大変だし、多くの人の手がかかっている。
それでも、自分たちの企画した商品が、出来上がっていく過程には、筆舌を尽くしがたいものがあった。
やがて、僕たちの手元に商品が届いた頃には寒さもだんだんと和らいできて、せっかちな街のショーウインドウには、もう華やかな色のカーディガンやトレンチコートが並んでいる。
――愛桜にとって、新卒一年目の年が終わろうとしていた。
*
ある日の昼休み。僕は愛桜に呼び出されて外を散歩していた。
今日も朝晩の冷え込みは相変わらずだったが、昼は暖かな日差しが街を包んでいる。
もう少し経ったら、地獄の「スギとヒノキの七週間」が始まってしまうので、今だけの絶好の散歩日和だ。
僕と愛桜は、会社から歩いて数分のところにある、東京駅の八重洲口の大通りを歩いていた。
平日のお昼だが、観光客とスーツ姿のビジネスマンが半々くらいずついて、大いに賑わっている。
愛桜は、道の途中で足を止めて、一列に並んでいる桜の木の枝を何気なく引き寄せ、もうすぐ咲きそうなつぼみを見ながら言った。
「まだ、桜咲いてないね」
「そうだな。でも、あと少しで咲くかもな」
「はあ……。もう春かあ……」
愛桜は、もう一度つぼみを愛おしそうに眺めると、枝から手を離して僕の手を引っ張った。
この先に、愛桜がずっと行きたがっていた洋食屋さんがあるらしい。
僕は、先を行く愛桜に駆け足で追いつき、歩幅を合わせて横に並んで歩いた。
愛桜は、体を揺らしながらご機嫌そうな表情で鼻歌を歌っている。
「何かいいことでもあった?」
「うんとね……。あったよ!」
「そっか。何があったの?」
「こうやって与一と一緒に散歩していることが、楽しいなって」
愛桜は、こういうことを気軽に言ってくるのでずるい。
僕がなんとなく照れて返答に窮しているのを見ながら、愛桜は嬉しそうにぴょこぴょこと跳ねた。
「それとね。私、営業部から企画部に異動することになったんだ」
「いや、絶対に本題そっちじゃん」
「まあね! でも、与一との時間が大切なのはほんとだよ」
純情な僕の心を弄んできやがって……。
さっきまでの照れと喜びを返してほしい。
でも、それよりも、愛桜の念願の思いが叶いそうで本当によかった。
僕は、愛桜の背中を優しくポンポンと叩きながら、気持ちを切り替えて愛桜に語りかける。
「異動が決まってよかったな」
「うん。こんなに上手くいくとは思わなかったけど、あの時教えてくれた与一のおかげだよ。ありがとうね」
「いや、僕は大したことはしてないから……。全部愛桜の頑張りの成果だろ」
「そんなことは無いと思うんだけどな……。私が頑張れたのは、与一が一緒にやってくれたからだよ」
こういうことを照れもせず、まっすぐな瞳で言ってくる愛桜は、本当にずるいと思う。
今度も僕は照れてしまったけど、二回目だから立ち直りも早い。
人間とは、成長する生き物なのである。
「僕も、愛桜と一緒に仕事ができて楽しかったよ」
「そうだね。ここ数か月は、特にすごく楽しかったね」
あれ……。あっさりと流された。
僕が、手ごたえの無さにきょとんとしていると、愛桜は前を見たまま話を続ける。
その瞳に映っているのは、もう僕なんかではなく、立ち並ぶ桜の木と雲一つない空だけだった。
「企画部の人たちと仕事をして、やっぱりこの仕事をやりたいって思ったんだ」
「……僕はやってみて、企画って本当に色んなことをしてるんだなって思ったわ」
「そうだよね。想像してたよりすごく大変だった」
「それでも、企画がやりたいと思ったんだろ?」
そう聞きながらも、愛桜の答えなんてもう分かり切っている。
愛桜は、僕が思っていた通りの答えを、僕が思っていたよりもずっと素敵な笑顔で言った。
「そうだね……。大変だけど、すごく楽しかった!」
愛桜と部署が変わるのは、正直なところ少し寂しいけど、愛桜がやりたい仕事をやるのが一番だ。
どんなに憧れて望んでなった職業だったとしても、すべてが楽しい仕事なんて存在しない。
どこかで、つまらなかったり、しんどかったりする時が必ず来るだろう。
でも、その仕事を自分で選んだのであれば、辛いときだって乗り越えることができると思う。
それに、その仕事が違うと感じたら、少し休んだり、逃げたりしたってもいい。
どんなにつまらなくて、しょうもない仕事だと思っても、その仕事なりの楽しさがあることだってある。
すべてが自分の思い通りになることなんて絶対に無い。
だから、自分のやりたいことを伝えて、上司や同僚、部下たちとコミュニケーションを取っていこう。
――大事なのはきっと、諦めずに自分から行動する勇気だ。
そんなことを考えながら歩いていたら、目的地のお店らしき場所が見えてきた。
……何というか、すごく良いように解釈すると、時代を感じさせるノスタルジックな雰囲気の店である。
看板の文字はすっかり色褪せていて、何度か修理されたのか場所によって文体が少し異なっているし、入口の重そうな扉の取っ手は錆びついた鉄の部分がむき出しになっていた。
当然のように、客は一人もいない。
あの……。ちょっと愛桜、勇気を出しすぎじゃないだろうか……。
「え、ほんとに入るの?」
「うん。ここはきっとおいしい。私の中でビビッと来たの!」
「大丈夫か……?」
かつては色鮮やかだったのであろうメニューボードを見ながら、僕たちが何を食べようか考えていると、中からおばあちゃんがニコニコとしながら出てきた。
こうなってしまったら、もう後に引き返すことはできない。
僕は覚悟を決めて店に入った。まあ、愛桜は隣でずっと楽しそうにしていたが……。
店内は古いながらもよく手入れされた様子で、それを見て僕は少し安心する。
その後、埃一つもないアンティークのテーブルに置かれたオムライスは、それはもうおいしかった。
愛桜の直感は正しかったようだ。さすがである。
狐につままれたような気持ちでお店を出ると、すぐに愛桜は近くの桜の木に駆け寄って、僕のことを呼んだ。
「与一、見て。もう咲いてる桜があるよ!」
「ほんとだな」
そう言って愛桜は、小さな桜の木の空に近い上の方に、一つだけ早めに咲いている桜の花びらを指さした。
もう春だ。
愛桜が僕の後輩になってから、ようやく一年が経つくらいなのに、愛桜はどんどんと突き進んで花開いていく。
これからもやりたいことにまっすぐな愛桜の隣に立つには、僕もやりたいことを見つけ、勇気を持って挑戦を続けるしかないのかもしれない。
幸い、企画の仕事の一部を経験したことで、目標と言うには漠然としすぎているが、何となくやりたいことができた。
――今回で、今まで僕が売っていた商品に、さまざまな人の思いが乗っていることに気づけたのだ。
だから、価格やデザインの良さだけでなく、その思いまでしっかりと余すところなく伝えることで、納得して選んでもらえるような営業がしたい。
そして、これから愛桜が企画するであろう商品を、これまで以上に多くの生活者や会社に届けることができたら……。
何年後になるかは分からない。
でも、それができたときに初めて、僕は愛桜に負けないくらい仕事をしたと、胸を張って言えるようになるのだと思う。
決意を新たにする僕の瞳には、雲ひとつない快晴の空と、今か今かと開花の時を待っている桜の木と、それらを見つめる愛桜の横顔が映っていた。
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