第四話 愛桜と学生気分
JR渋谷駅のホームに、疲れきった駅員のアナウンスと気の抜けた警告音が鳴り響いた。
すぐに、土を被った若草みたいな薄汚れた緑色の「池袋・新宿方面」の山手線が滑り込む。
ドアが開き、僕たちがその電車に乗ろうと足を上げると、愛桜がまた変なことを言い出した。
「世の中には、二種類の人間がいるの。……酔った後に、甘いモノを食べたくなる人と、しょっぱいモノを食べたくなる人」
「愛桜は何となく前者っぽいよな」
「いや、それは私の気分しだい! うーん、今日はラーメンの気分! 〆はやっぱりラーメンだよね!」
ニコニコとしているところ悪いが、気分で変わるならその分け方は間違っているのではないだろうか。
僕はラーメンの気分では無かったので、とりあえず別の話題を適当に展開する。
「ところで、沖縄の人は、〆にステーキ食べるらしいよ」
「それ、聞いたことある! 私も今日はステーキにしよっかな」
愛桜は、ステーキと聞いて一瞬目を輝かせたが、しばらくして目を伏せながらつぶやいた。
「いや、ちょっとカロリーが怖いから、お蕎麦にしよう」
「ちょっと落差が激しすぎるな。どんな口だよ」
「じゃあ、私どっちも食べたい!」
「蕎麦とステーキが共存する皿は存在しないんだな、これが」
そう言ってみた後、僕は少し考えてみたが、両者が並んで皿の上に乗っている姿が想像できなかった。
異文化コミュニケーションすぎる。一体、どの層に向けてのコラボレーションだろうか。
とはいえ、米もパンも一緒に合わせられるステーキであれば、第3勢力として蕎麦にも迎合するポテンシャルを持っているのかもしれない。
言うなれば、ハンバーグの付け合わせにナポリタンなどの麺類が採用されている例もあるから、ステーキ&蕎麦の組み合わせも無くはないのだろうか。
でもさすがに、「影の薄さナンバーワン麺類」の蕎麦に、ステーキの相棒は荷が重いか。
蕎麦なんて、めんつゆを摂取するための器に過ぎないし……(めんつゆ過激派)。
そんなくだらないことを考えていたが、愛桜はまだこの話題を続ける気があるようで追加で質問をよこしてきた。
「与一は、最後にステーキ食べたのはいつ?」
「……実は昨日だな」
「え、最近じゃん。いいね。どこで食べたの?」
僕は、その質問に答える代わりに、愛桜に一枚の写真を見せた。
少し大きめなサイズのフライパンの上に、二五〇グラム程度の肉がどっしりと鎮座している。
昨日、自分で家で作って食べた、近所のスーパーの特売品を適当に焼いたステーキである。
「家じゃん!」
「おいしそうだろ? 焼き加減はウェルダンです」
「謎にポートレート撮影されてるのがムカつく……。とにかく、それはノーカンね!」
僕の渾身の手料理は、愛桜には不評だったらしい。
肉をとりあえず焼いて「アウトドアスパイス ほり〇し」をぶちまぶすという、男の一人暮らしの自炊にはわりと高頻度で登場する料理なんだが。
なお、蓋を使って余熱でいい感じに肉の中心部まで火を通すのが、おいしく焼くためのポイントである。
僕は、写真を見せるために少し縮まった愛桜との物理的な距離をさりげなく戻しつつ、最後に店で食べたステーキのことを考えた。
「外食だと、それこそ愛桜と食べた時が最後だな」
「あ! サークルのプレゼン大会の前日か!」
「そうそう。ダニエルが決起集会とか言い出して、三人でステーキ屋行ったよな」
「懐かしい! え、あれもう、六年前じゃない?」
しょうがないだろ。元一人暮らし奨学金学生(利子なし・返済義務あり)の懐は寂しいんだ。
ダニエルは、インカレサークルで知り合ったなかでは唯一、今もたまに遊びに行くほど仲の良い友人だ。
日本人の母とアメリカ人の父を持つ、身長一八五センチメートルの大男である。
彼曰く、おおらかでポジティブな性格とオーバーとも感じられるリアクションの大きさは、アメリカ人の父親譲りらしい。
持ち前の軽いノリのせいで軽薄な性格に見られがちだが、サークル新加入者のうちの六割が退会した、例の地獄のプレゼン大会を最後まで僕たちと一緒に戦い抜いた責任感のある男でもある。
愛桜は、電車の車窓からビルと住宅地の光が交互に移り変わっていく様子を眺めながら、小さな声でつぶやいた。
「ダニエル元気かな」
「先月会ったけど、あいかわらず元気に満ち溢れてたぞ。愛桜は会ってないんだ?」
「うん。SNSとかの投稿は見るけど、連絡とって会ってはないかな」
たしかに、大学を卒業してから三人で会う機会がなかったように思う。
それに、ダニエルは定期的に国外に行っているようなので、なかなか会うのが難しい。
愛桜とダニエルのように、一時期は毎日のように顔を合わせて、夏合宿の期間なんかはそれこそ朝から晩まで調べものや資料作成、発表練習を繰り返していたのに、社会人になるとぱったりと連絡が途絶えてしまうことだってある。
それでも、二人がきっと街中なんかでばったり会ったとしたら、かつてのように話が弾むのだろう。
今度、愛桜の新生活が落ち着いたら、三人でまた会う計画を立てて当時の思い出を振り返ってみようと思った。
現在、愛桜と関係性が途絶えていない幸運に感謝を捧げていたら、ラッキーなことに座席がちょうど二人分並んで空いたので、僕たちは席に座って話を続ける。
「それにしても、あのプレゼン大会、本当に大変だったよな」
「ほんとにね。サークル創立十五周年記念企画だったらしいけど、運営側も懲りたのかもう開催の予定は無いみたい」
「たしかに、無駄に規模大きかったよな」
そのプレゼン大会では、各チームでそれぞれ担当の国を決め、文化や経済等のどのような観点でもよいが、その国の魅力を訴求する提案を作成することが課せられた。
唯一の縛りは、現地の人に連絡を取って最低五人以上のインタビュー内容を組み込むことだった。
僕たちは北欧諸国を担当し、特にデンマークやノルウェーについて、各言語の翻訳アプリと英語を駆使して何とかこの課題をこなした。
これだけだと、普通の国際交流サークルの催し物だが、サークルの創設者の一人であるバックパッカーの先輩がしゃしゃり出てきたことで話がおかしな方向に進んでいく。
その人は海外留学の支援会社を立ち上げたらしく、儲かっているのか知らないが、この企画にそこそこの額の資金を投入し、謎の人脈を活かして大小問わず色々な方面に話を広げ始めた。
そのまま、どんどんと話が大事になっていった結果、各国の大使館までもが名乗りをあげて協賛したため、僕たちのプレゼンは、もはや国と国の代理戦争のようになっていた。
こうなってくると、下手な内容のプレゼンは見せられないと、上級生や教授たちを巻き込んでダメだしとフィードバックの嵐が吹き荒れる。
僕と愛桜とダニエルは、他の班員が次々音信不通になるなか、文化祭の前日のようなモチベーションで文化祭の一週間前くらいの作業量を連日こなし続け、なんとか関係者一同に満足してもらうようなプレゼンを拵えることができたのだった。
愛桜も過去のことを思い出していたのだろうか。
少しの間の無言だった僕たちの沈黙を破るかのように、愛桜が冗談めかした口調で言った。
「あ、そういう意味では、あの時頑張れたのはステーキのおかげかも」
「たしかにそうかもな」
「あの時の与一は、すごく頑張ってたよね」
「それを言うなら、愛桜も頑張ってたと思うぞ」
「ありがとう。……社会人も頑張るね」
「……うん」
また、僕たちの間を沈黙が支配した。近くの大学生ぐらいのグループの騒ぐ声が、僕たちの心地よい静寂をより際立たせている。
僕は、先ほど愛桜がしていたのと同じように電車の奥の車窓から外を眺めてみたが、トンネルにでも入ってしまったのか、真っ暗で何も見えなかった。
そのまま、明るく照らされた車内に目を向けると、愛桜の頬が少しだけ赤くなっていたのが見えた。
ちなみにその後、乗り換えのために新宿駅で一度電車を降りてステーキ屋の前までは足を進めたが、愛桜が直前で日和ったので蕎麦を食べて帰宅した。
夜でも明るく街を照らす二十四時間営業チェーン店のカウンター席で、愛桜と二人で並んで食べた蕎麦は、さっぱりしていてとてもおいしかった。
蕎麦に失礼な態度を取ったことを謝らないといけないかもしれない。
でも、お腹は必要以上に満たされたものの、なんだか物足りないように感じた。
お読みいただきありがとうございます。
次の更新は10/9か10/10の予定です。
[2024/12/1更新]
タイトルを以下のように修正しました。
・修正前:同期の愛桜(2)
・修正後:愛桜と学生気分