第三十六話 愛桜ちゃんとのびのび飲み会
大きな仕事が終わって一息ついたのもつかの間、非日常は一瞬で忙しい日常に塗りつぶされていった。
僕は、今日も家具やインテリアの営業に出かける。
プレゼン前に止めていた仕事が何個かあって、その対応のせいでむしろ忙しいくらいだ。
愛桜も、僕と同様の理由で、忙しそうなのは変わらない。
たまに同じ営業先へ一緒に行くことはあれど、基本的には独り立ちしているため、僕と一緒に仕事をする機会は減った。
これまでは、毎日のように定時が終わってから顔を突き合わせてプレゼンの準備をしていたから、少し寂しいような気もする。
でも、基本的にオフィスの席は近いところに座るし、ランチや行き帰りを含めると、なんだかんだ僕たちは一緒に過ごしていた。
これからも、同じ会社にいる以上、愛桜と関わる機会が減ることはないだろう。
オフィスの外に出ると、吐く息はいつのまにか白く変わっていて、薄っぺらいトレンチコートでは肌寒さを感じるようになっていた。
紅葉したイチョウやカエデの葉っぱは一枚と残らず地面に落ち、もうすっかり季節は冬である。
そうやって、段々と『インテリアザラシさんの空間創造フェス』のことが頭から抜け落ちてきたかという頃、突然実行委員会の人から連絡があった。
何ごとかとメールフォルダを見ると、「【選考結果のご連絡】第十回 インテリアザラシさんの空間創造フェス」という件名が画面に映し出される。
なんかこれ、ライブのチケットが外れた時みたいだな……。
当たっている時は「当選のご連絡」で、外れているときは「抽選結果のご連絡」であることが多いから、件名で当落が分からないときは、たいてい外れている。
なんとなく萎えながらメールを読み進めていくと、どうやら僕たちのチームは「アイデア賞」を受賞したみたいだ。
――いや、受賞してるんかい。
この賞を受賞した参加チームは、これから関係部署と詳細を詰めていって、上手くいけば企画を商品化できる権利を得るらしい。
ある意味、僕たちが一番欲しかった賞だ。
「最優秀賞」や「優秀賞」には届かなかったけれど、愛桜の企画力のアピールのためには最適な賞である。
ちなみに、内容がシークレットになっていた「インテリアザラシさん賞」の景品は何だったんだろうか……。
ちょっと気になるけど、たぶんしょうもない非売品のグッズとかだろうな。
でも、非売品と言われるだけで、少し欲しくなってしまうのが人の性だ。
とはいえ、その心理を利用した不当な価格の転売が始まる、フリマアプリやオークションのシステムは、人の罪である。
メールを読み終わった僕は、隣の席で事務作業をしていた愛桜にすぐに声をかけた。
「僕たち、アイデア賞を取ったらしいですよ」
「え? ……あ、ほんとだ。メール来てますね」
「反応薄いですね」
「まあ、なんか、そういえば結果発表まだだったなと思って」
愛桜は、意外そうに首を傾げた。
プレゼン大会当日もそうだけど、そんなに嬉しそうではない反応である。
まあ、あの日は結果云々よりも、もっと他にも印象が強いことがあっただろうから、仕方ないのかもしれないが。
僕も、このメールが来るまでは、『インテリアザラシさんの空間創造フェス』のことはすっかり頭から抜け落ちていたから、その気持ちは分からなくもない。
なんなら、その後に報告した山崎さんや賀来さんを始めとした部署のみんなの方が、僕たちよりもはるかに良い反応をしていた。
そこでやっと、実感が湧いてきたまである。
早速、賀来さんが祝賀会を企画してくれることになった。
その日の仕事を即座に終わらせ、すぐに碧や響などの社外の関係者にも声をかけると、大規模にスケジュールを調整し始める。
そこでの賀来さんの張り切りようはすごく、選考委員のお偉い方々にも声をかけ出したときは笑ってしまった。
たしかに関係者っちゃ関係者だけど……。
偉い人たちは、意外と下の子から誘われれば断らないとは、賀来さんの談だ。
しかも、なんか上手いことやったらしく、祝賀会を経費かなんかで落とすことができたらしい。
交際費だか福利厚生費だか知らないが、賀来さんのこういうところは見習いたいと思った。
やり方を聞いても、真似できる気がしないが……。
ともあれ、僕たちは思ったより大所帯で祝われることになってしまった。
*
アルコールといえば、お酒ではなく消毒を指すようになった時代においても、飲み放題というものは健在である。
別に、たくさん飲みたいというわけではなくて、単純に会計がしやすいから選んでいるだけなんだよな……。
ちなみに愛桜は、飲み放題だと飲む量が二倍くらいに増える。
元を取ろうとしているのか、周りのペースに合わせた結果なのか知らないが、無理はしないでほしいところである。
今日の祝賀会の会場となるお店は、賀来さんが予約してくれた、チェーン店の居酒屋だ。
そこそこの値段はするけど、そこそこお酒とご飯がおいしく、そこそこうるさくもないお店である。
そんな最高の居酒屋に参加者が集まると、賀来さんが乾杯の音頭を取っていた。
今日の愛桜は、一杯目からハイボールを飲んでいるようだ。
周りの人に合わせてビールを飲んだり、自分の見た目に合わせてレモンサワーやカシオレを飲んだりするのは、もう止めたらしい。
僕も、愛桜と同じようにハイボールを右手に持って、賀来さんの乾杯の挨拶を静かに聞く。
「――それでは、鶴野くんと愛桜ちゃんと、インテリアザラシさんの今後のますますのご活躍を祈りまして、乾杯!」
「乾杯!」
その合図とともに、グラスとグラスがぶつかり合う小気味のいい音が響きわたる。
なんか、当然のような顔をしてどこぞのアザラシの活躍が祈られていた気がするが、ツッコんだら負けだ。
それから、コースの料理が次々と運ばれてくる。
最初にサラダと刺身の盛り合わせが置かれて、愛桜がそれを各々に取り分けながら言った。
「私、今すごいことに気づいちゃいました」
「なんですか?」
「サラダ油って、サラダにかかってるところ見たことなくないですか?」
たしかに、言われてみればそうである。
平然とサラダを名乗っているが、加熱して使われているところしか見たこと無い気がする。
昔はサラダにかけていたのかもしれないが、今ではオリーブオイルや各種ドレッシングにその座を奪われて久しい。
うん。改名しろ。
サラダ油へのお気持ち表明をしていた愛桜が、今度はカツオの刺身を一枚掴んで口に入れた。
おいしそうに咀嚼しながら、また僕に話しかけてくる。
「カツオのたたきって、叩かれたり炙られたりで可哀そうですよね」
「まあ、おいしいんだから、別にいいじゃないですかね……」
「えー、でも、踏んだり蹴ったりで、なんか痛めつけられてるみたいじゃないですか?」
それはちょっと分からない。
カツオに感情移入している愛桜を放っておいて、僕は次に運ばれてきたポテトフライを口に運ぶ。
その後に僕と愛桜が、唐揚げにレモンをかけるか、かけないかの討論をしていると、目の前の席に座っていた碧が言いにくそうに声をかけてきた。
「あの、お二人……。なんかその……」
「どうしたんですか?」
「えっと、なんて言うか……」
「うん」
「あー。その、……すごく仲がよろしいんですね」
その率直な言葉を受けて、僕と愛桜は一瞬だけ顔を見合わせ、すぐに腰を浮かせて距離を取った。
それから、平然とした顔をして「そうですか……?」という愛桜の耳は、少し赤くなっている。
たしかに、こんなに大勢が集まる飲み会なのに、僕は愛桜としか話していなかったな。
そのことを少し反省して、それからは来てくれた色々な人たちと会話をした。
賀来さんが連れてきた偉い方々にも、愛桜と一緒に話しかけにいった。
最初は少し緊張していたのだが、公式の場で無ければ気さくな人たちである。
最終的に、プレゼン大会や業務の話はそっちのけで、居酒屋メニューで打線を組む話をしていた。
決まった打順は以下の通りなので、誰か対戦よろしくお願いします。
一、ポテトフライ。
二、枝豆。
三、たこわさ。
四、唐揚げ。
五、焼き鳥。
六、カツオのたたき。
七、もつ煮込み。
八、ハムカツ。
九、刺身盛り合わせ。
意外と、偉い人たちでも味覚は庶民的というか、酒飲みって感じなんだな……。
そんな馬鹿みたいな話をしながら、祝賀会の夜は過ぎていった。
一次会、二次会、三次会と偉い人たちに連れられて店を梯子していく。
やがて、そろそろ解散という雰囲気が出るなか、愛桜が僕のもとにすり寄ってきた。
「鶴野さん、途中までタクシーで一緒に帰りましょう!」
「そうしましょうか」
「部長からお金もらったので、鶴野さんは財布出さなくていいですよ!」
「はいはい。後で部長にもお礼言っときます」
愛桜は、自分がお金を出すわけでもないのに、胸を張って僕に五千円札を握らせてきた。
僕と同じ方面に帰るはずの響が、苦笑いをしながら僕たちを見送る。
タクシーに乗り込むとすぐに、愛桜が僕の手を握って太ももに手を載せてきた。
「このまま与一の家、行っていい?」
「もちろん。念のため掃除しておいてよかった」
「私が代わりに掃除してあげてもよかったのに」
「愛桜、男の家には、色々と見られたくないものもあるんだよ」
愛桜は、「キャー、変態さんだ」と笑いながら、楽しそうに僕の手をブンブンと振り回した。
気を張っていた会社の飲み会が終わって、リラックスできる愛桜との二人の空間になると、遅れて一気に酔いが回ってくる。
僕は、愛桜の肩に自分の頭をもたれかかせて、そっと目を閉じた。
いつかの愛桜が少しだけ酔った日(本人曰く)とは、逆の構図である。
でも、愛桜が僕の頭を撫でる感覚だけを感じつつ、心地よいタクシーの揺れに身を任せていたら、僕より先に愛桜が眠ってしまったようだ。
寝息を立て始めた愛桜を見て、タクシーの運転手さんが広告の音を小さくしてくれた。
僕は、愛桜を起こさないように、半目を開けて小さな声でお礼を言う。
やがて、そんな愛桜を見守っている僕の意識も、自然と遠のいていった。
でも、僕たちの手は強く結ばれていて、目的地である僕の家に着いた後も離れることはなかった。
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