第三十四話 愛桜ちゃんはまだ隠したい
翌日の金曜日。
僕と愛桜は、さりげなく電車を合わせて一緒に出社した。
僕たちは、誰かに見つからないように周囲をうかがいながら、おそるおそるオフィスのドアの前に立つ。
これまでも偶々タイミングが合って、一緒に出社することはあった。
だから、別に見られても何も問題があるわけではないのだが、なんとなく緊張してしまう。
愛桜と顔を見合わせて頷いて、いざドアを開こうとしたとき、後ろから声がかけられた。
「愛桜ちゃん! あとついでに鶴野くんも、おはよう!」
「わ……。おはようございます」
僕は、悪いことをしていたのが見つかった時のように、一瞬ビクッと肩を震わせて、後ろを振り返った。
案の定、後ろにいたのは賀来さんで、僕たちの驚きようを見て肩を震わせて笑っている。
なんか、前もこんなことあったような。
それと、完全に愛桜の付属品みたいな言い方をされていなかっただろうか。
僕は、わなわなと肩を震わせて、自らの怒りを表現した。
「ついでとは失礼ですね!」
「ごめんごめん。うっ……。そんなつもりはなかったの……」
賀来さんは、小刻みに肩を震わせて下手な泣き真似をした。
僕は、そんな賀来さんを見て興奮を落ち着かせ、冷静さを取り戻す。
アンガーマネジメントの成功だ。
「それなら良いですけど……」
「ありがとう。今日もおはよう、鶴野くん」
「はい、おはようございます」
なお、ここまで茶番である。
そして賀来さんは、僕たちが入るのを躊躇していたドアを軽々しく開けて、中に入っていった。
僕たちも、それに続いてオフィスの中へ足を踏み入れる。
オフィスには全然人がいなかった。
でも昨日、社員総会にくわえて立食パーティーもあったし、みんな出勤が遅くなるのは仕方がないか。
僕が、自分の周りの電気を点け、営業部のフリーアドレスの席に座ると、愛桜もその隣に座った。
ここ数か月くらいで定位置となった、いつもの愛桜の席。
それは、気づけば、愛桜が傍にいるのが当たり前になった日常だ。
僕には、それだけのことが無性に嬉しかった。
さて、業務を始めようかと自分のパソコンを開く。
パソコンが起動するのよりも早く、賀来さんがキャスター付きの椅子をザーッと滑らせて僕たちの方へとフェードインしてきた。
オフィスにほとんど人がいないからこそ、許される愚行である。
楽しそうで何より。
満足そうな顔をして椅子から立ち上がった賀来さんが、「忘れてたんだけど」と言って僕と愛桜を指さした。
「二人とも、昨日はおつかれさま!」
「ありがとうございます」
「良い発表だったよ、ほんとに! 私も先輩として鼻が高いっ」
賀来さんは、うんうんと頷きながら、僕たちを褒め称えた。
というかこの人、社長の話はまったく聞いていなかったのに、僕たちの発表はそんなに詳しく見ているんかい。
ありがたいけど、少し恥ずかしいな……。
そのまましばらく、僕たちのどこが良かったかを具体的に褒め続けた後、賀来さんが思い出したように言った。
「そういえば、昨日の立食パーティーに二人ともいなかったよね。何してたの?」
「私は病み上がりだったので、早めに帰って家で寝てました」
愛桜は、まるで本当にそうしていたかのような口ぶりで、流れるように嘘をついた。
僕は面食らって、思わず愛桜の方を見つめてしまう。
愛桜は、目だけで「与一、何してるの?」と伝えてきた。
そういえば愛桜って、演技派だったな。
最近がポンコツすぎて忘れていたけど、ゼミの頃はけっこう隙の無い擬態をしていたものである。
賀来さんも、すっかり信じ込んだ様子で、愛桜のことを心配そうに見つめている。
僕たちの視線を一手に集めた愛桜は、そのことを気に留める様子もなく、架空のエピソードを続けた。
「そうだったよね、愛桜ちゃん、風邪大丈夫そう?」
「ありがとうございます。昨日、お粥とか食べて早く寝たので、もうこの通り元気です!」
「よかったよかった。じゃあ、愛桜ちゃんはしょうがないね」
嘘つけ。
昨日僕と一緒に、バッティングセンターの下の中華屋でラーメン食べてただろ。
愛桜が、調子に乗ってヤサイマシマシ・カラメマシ・アブラスクナメとか言って頼んだけれど、途中で僕に泣きついてきたあの時間は何だったんだ。
ニンニクとアブラを控えめにしているところが、なんというか「女子を捨てきれていない」という感じである。
まあ、そこが可愛いんだけども。
でも、その呪文によって召喚されるラーメンは、きっとお粥とは正反対の全然可愛くない食べ物だ。
僕が今更ながら昨日のラーメンによる口臭を心配していると、急に賀来さんから僕にボールが飛んできた。
「それで、鶴野くんはただのサボりってことでいい?」
「え……」
横にいる愛桜の方を見ると、素知らぬ顔をしている。
その表情からは、僕を心配するどころか、この状況を楽しんでいることが分かった。
まあ、サボりはサボりで間違いないんだけど、参加は強制ではないのでは……。
僕の無言の抵抗が伝わったのか、賀来さんはフッと表情を緩めて、両手を顔の前でバタバタさせた。
「まあ、全然鶴野くんを責めてるわけじゃなくてね。昨日、二人を祝おうと思ったのに、二人ともいないからさ」
「あ……。すみません」
「いいのよ。だから今度、別でお祝いさせてね!」
「ありがとうございます。お願いします!」
「そんだけ! じゃあね!」
それだけを言うと、賀来さんは颯爽と去っていった。
昨日、僕と愛桜の間では「しばらく会社の人には付き合ったことは黙っておこう」という取り決めがなされている。
賀来さんぐらい仲の良い人には伝えておいてもいいのかもしれないが、今のやり取りからも分かるように、愛桜は賀来さんにも付き合い始めたことを伝えるつもりはないようだ。
賀来さんを見送っていた愛桜は、続々と同僚たちが出勤し始めたことに気づくと、他の人には聞かれないように、僕との距離を詰めてきて言った。
「とりあえず、まずは凛ちゃんに報告しなきゃね」
「そうだな……。って、え? 知ってたの?」
「まあね。気づいたのは最近だけど」
「そうだったのか……」
愛桜は、僕と凛の関係性についても気づいていたらしい。
凛は、きっと愛桜と会っている時にも態度には出さないだろうから、これは愛桜本人の洞察力の成せる業だろう。
僕も凛になんと言った方がいいか迷っていたから、ありがたいと言えばありがたいが、少し気まずい時間になりそうである。
そんな僕に気づいてか、愛桜は僕をたしなめるように言った。
「こういうのは、早く報告すればするほど、誠意が伝わるものでしょ」
「それはたしかに一理あるけど」
「どうせ、遅かれ早かれ伝えることになるんだから、早めに伝えておいた方がいいんじゃないかな」
「それもそうか。じゃあ、僕から連絡してみるわ」
僕がそう告げると、愛桜は至近距離で満足そうに頷いた。
内緒話をしていたせいもあるが、なんか、距離近くない?
これだけ近いと、僕たちが恋人になったことを、会社の人たちに気づかれてしまうんじゃないだろうか。
そう思ったが、よくよく考えたら、付き合う前の距離感もこれくらい近かった気がする。
……もう手遅れだったようだ。今更か。
僕は、愛桜からさりげなく距離を取ってパソコンを開き、その影に隠れるように私用のスマートフォンを開く。
それから、凛に「伝えたいことがある」とメッセージを送った。
凛からは、即座に既読がついて「え、告白!?」と返信が送られてくる。
凛って、こんなことを言うキャラだったっけ……。
最近ポンコツ化していた愛桜もそうだけど、凛も仲良くなればなるほどキャラが変わっていくタイプだったようだ。
でも、もし凛も愛桜も、僕の前で素の自分が出せているということであれば、少し嬉しいな。
僕がその勘違いを正すメッセージを送ろうと指を動かすと、凛は続けて目をきゅるきゅるさせている海洋生物のスタンプを送ってきた。
毎度おなじみの、無駄に腹立つ顔をしている『インテリアザラシさん』である。
僕の周囲に、続々とアザラシが布教されてる……。
どう考えても、絶対に愛桜あたりから聞いたと思うが、このアザラシのどこがそんなに魅力的なのだろうか。
あとこれ、凛との個人チャットで言ってたら、たぶんキリがないな。
面倒くさくなった僕は、愛桜と凛のグループトークの画面に、「飲みに行きましょう」というメッセージを送った。
凛が即座に「OK」のプラカードを掲げるアザラシのスタンプを送り付けてくる。
少し遅れて、愛桜も「了解」のプラカードを掲げるアザラシのスタンプを送り付けてきた。
アザラシまみれになったトーク画面を眺めていたら、凛と愛桜によって、あれよあれよという間に日程と場所が決まっていく。
僕がやれることは、ただ「Good」のプラカードを掲げるアザラシのスタンプを送るだけだった。
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