第三十三話 二人の新たな関係性
司会の締めの言葉とともに、暗かった会場の電気が点いた。
ホテルの大広間の中心にあるシャンデリアが、再びキラキラと輝き出す。
これで、『インテリアザラシさんの空間創造フェス』に向けて準備してきた、ここ数か月の長いようで短い日々が終わったのだ。
今の僕の心を占めているのは、「やりきった」という達成感と、「もうこれで終わりか」という少しの寂寥感である。
非日常が日常に戻る瞬間、みたいな。
あと、ほんの少しの悔しさもある。
他のチームのプレゼンもきっと良かったのだろうが、自分たちの提案内容が一番良かったと思う。
でも、僕と愛桜の今出せるすべてをぶつけられたので、そこまで後悔があるわけではなかった。
山崎さんや賀来さんをはじめとした、部署のみんなの手も大いに借りたので、「これでダメだったのであればしょうがない」という気持ちである。
僕がこれまでの日々に思いをはせていると、横にいる愛桜が元気よく話しかけてきた。
「鶴野さん! 今年は優秀賞取れなかったですけど、来年も出ましょう」
「いいですね」
「もっといいプレゼンを作って、来年こそは優秀賞取りましょうね!」
どうやら愛桜は、もうしっかりと前を見ているようだ。
愛桜の口から、自然と来年に向けた言葉が出てきたので、僕は嬉しくなった。
そもそも、愛桜に会社を辞めてほしくないと思ったことが、最初に僕が準備を手伝った理由だった気がする。
パイプ椅子の前足を空中に浮かせて、後ろ脚だけでバランスを取りながら、ご機嫌そうな愛桜が話を続けた。
「でも、今回やってみて分かったんですけど、私やっぱり企画の仕事がしてみたいです」
「たしかに、実際に煙山さんはこういう仕事向いてるかもしれないですね」
「ありがとうございます」
そうだった。
そういえば、もともと愛桜の企画力のアピールのために、このプレゼン大会に出ることにしたんだっけ。
でも、最優秀賞は取れなかったにしても、最終選考まで残ったその実力は、きっと関係部署の人たちにも伝わっていることだろう。
だから、僕の目的も、愛桜の目的も、それぞれ十分すぎるほどに達成できたと言えるだろう。
そんな話をしていたら、にわかに周囲の人たちが席を立ち始めたので、僕たちも合わせてとりあえず立ってみる。
すぐにアナウンスがあり、僕たちは会場のホテルの大広間から一度出るようにと言われた。
この後、この大広間で開催予定の、立食パーティーの準備があるらしい。
僕と愛桜は、スタッフの指示に従ってロビーに出た。
大広間よりも狭い部屋ロビーは、出てきた人たちであふれかえっている。
三十分くらいの自由時間が与えられたこともあって、僕たちは別の階に行ってみることにした。
僕と愛桜が逃げるようにエレベーターに乗ると、ドアが閉まった。
ボタンの押されていないエレベーターは、上にも下にも動かずに停止している。
案内板を見ると、どうやら最上階に展望テラスがあるらしい。
東京の展望なんてたかが知れているが、別に特に行きたいところもないし、ここに行ってみるか。
僕は愛桜に目で合図をして、最上階のボタンを押してもらった。
エレベーターが昇っていくなか、売店や喫煙室のある階で人が乗ってきたり、降りていったりしていく。
やがて、最上階に着いたときにはエレベーターの中には僕たちしかいなくなっていた。
*
外に出ると、ちょうど夕日が街に沈んでいたところだった。
長い一日が終わりに向かうとともに、ビル群が長い影を落として、アスファルトの路面を染める。
高層ビルのガラスに反射した夕日が、金色とも橙色とも表現できる美しい光で、僕と愛桜を包み込んでいた。
僕の後ろから顔を出した愛桜は、歓声を上げて僕を抜かしてテラスへと足早に入っていく。
「すっごーい! 綺麗だね、与一!」
「すごいな、想像以上だ」
「うん!」
周囲には、僕たち以外に人はいなかったので、愛桜もすっかり気を抜いていつもの口調だ。
愛桜は、ひとしきりはしゃいだ後、どこか儚さを感じさせる表情で言った。
「……終わっちゃったね」
「終わっちゃったな」
「なんか、寂しいね」
「……そうだな」
こう言っている愛桜には悪いのだが、僕は愛桜と同じ「寂しい」という感情を共有できてうれしかった。
辛いときもあったけど、なんだかんだ楽しかったのだろう。
愛桜は、近くにあったベンチに座ると、小さなため息をついた。
後から追いついた僕も、その隣に腰かける。
しばらくの間、僕と愛桜は無言で夕日を眺めた。
僕は、そんな愛桜の横顔が視界に入るようにしながら、見慣れたはずの街の風景を眺める。
場所としては、いつも見ているオフィスからの景色とほとんど変わらないはずだが、いつもよりなんだか悲しい気持ちになるのは、きっと今日という一日が特別なのだろう。
やがて、ポツポツと点灯し始めた車のヘッドライトが、夜の訪れを静かに告げ始めた。
もっと目を凝らすと、仕事を終えた人々がそれぞれのビルから出てくるのが見える。
僕たちは、お互いに言葉を何も発さずに、静かに今日という一日が終わっていくのを眺めていた。
普段通りのこの時間だったら、僕も風景内の人々と同じように、一日を終わらせるためにあくせくと動き回っていることだろう。
でも、今日だけは、今日という一日が終わる前に、どうしても愛桜に伝えておきたいことがあった。
「ねえ、愛桜。言いたいことがあるんだけど」
「何?」
「あのさ、僕の隣にいてくれないか」
「え……? 今、いるじゃん?」
愛桜は、ほんとによく分かっていない表情で僕を見つめ返す。
僕には、その表情を観察する余裕すらあった。
たしかにそうだ。
愛桜は物理的に今隣にいてくれている。
僕は、愛桜の勘違いを正すために、なるべく真剣な雰囲気を作って言葉を続けた。
「そうなんだけど、そうじゃなくてさ」
「うん」
「僕が言いたいのは、これから先もずっと僕の隣にいてくれないかってこと」
「それってつまり……愛の告白的な……。そういうこと……?」
ここまで言えば、愛桜にもさすがに理解できたらしい。
愛桜は、口元を手で覆い、心の底からびっくりした様子で聞き返してくる。
僕は、どんどん早くなる自分の心臓の鼓動には気づかないふりをして、愛桜のことをまっすぐに見つめて言った。
「うん。先輩としての愛桜も、同期としての愛桜も、後輩としての愛桜も、愛桜のすべてが好きだ」
「……」
「だから、僕と恋人になってくれない?」
僕が覚悟を決めてそう伝えると、愛桜は数秒間、僕を見つめ返した表情のまま固まっていた。
まだ日が完全に暮れていないとはいえ、風の強いテラスは長くいると少し肌寒い。
でも、そのことが気にならないくらいに、僕の顔は緊張で火照っていたと思う。
夕日に照らされて美しく輝く、愛桜の色素の薄い瞳に吸い込まれそうになりながら、僕は愛桜の返事を待つ。
この瞬間、まるで時間が止まったかのように感じられた。
テラスを染め上げていた橙色の空が、深い紫色の陰りを帯びてきたころ、愛桜がようやく口を開いた。
「……私でよければ、喜んで」
「ほんと?」
「うん。私もきっと、与一に隣にいてほしいんだと思う」
愛桜は、僕の言葉を引用して、僕の告白を受け入れてくれた。
よかった。
小躍りしたくなるような喜びと、愛桜に断られなかった安堵感が、一気に僕の心のなかで渦巻いていく。
心の中で爆発する喜びの感情をひた隠して、僕も愛桜の返答を真似して返した。
「今、いるじゃん」
「そうだけど! そういうことじゃなくてさ!」
僕と愛桜は、お互いに笑い合って、照れながら手をつないだ。
何回か愛桜の手を取ったことはあるはずだが、恋人だと意識すると途端に恥ずかしくなってくる。
愛桜は「行こっか」というと、ベンチから軽やかに立ち上がって、僕の手を引っ張った。
ちょっと照れている僕とは違い、愛桜は余裕綽々な表情だが、その頬の赤みを隠しきれていない。
でも、先輩でも同期でも後輩でも無い、愛桜の新しい表情を見れた気がして、すごく嬉しく感じた。
そのままエレベーターに乗り込む僕たちの手は、固く繋がれたままだった。
*
人のいないロビーから大広間の様子を伺うと、立食パーティーは既に始まっているようだった。
でも、部署のみんなとのコミュニケーションも大切だが、今日はこのまま愛桜といたい気分なんだよな……。
僕がそう思いながら、渋々握っていた手を放そうとすると、愛桜が僕の離さずに握り返してきた。
「こんなつまんないパーティー抜け出さない? もうちょっと二人でいたいんだよね」
「おい、そんなこと言うなって! ……でも、僕も同じこと考えてた」
「一回言ってみたかったんだよね、このセリフ」
愛桜はそう言って、いたずらっ子のような笑みを見せた。
ずっと隣で見てきたはずのそんな愛桜の表情に、改めて見とれてしまう。
こんな素敵な女性が、僕の恋人になるのか……。悪くない。
悪くないどころか、最高である。
この後、本当に僕たちはパーティーには出席せずに、いつものバッティングセンターに行った。
お互いの好きなところを言い合いながら、バットを振る僕たちの姿は、傍から見たらまさにバカップルだっただろう。
うん。浮かれすぎである。
後で恥ずかしくなるやつだ。
そんなこんなで、僕と愛桜の間には、先輩とも同期とも後輩とも違う、恋人という関係性が追加されたのだった。
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