第十一話 愛桜さんは諦めない
それから、愛桜と僕は、すっかり日の落ちきったビルの屋上で、仕事とは関係ない話をしていた。
凛が後輩とご飯に行って変に懐かれて困っているとか、鳥栖が資格試験に落ちたとか、そんな他愛のない話だ。
鳥栖はもっと勉強しろ。
でも、愛桜は『空間創造フェス』に僕を誘うのを諦めていなかったらしい。
買った缶コーヒーが、僕の手の体温ですっかり温くなってしまった頃、愛桜が真剣な顔で聞いてきた。
「ねえ、さっき見せてくれた資料、というか私が倉庫で見てた資料もだけど、あれって与一が作ったやつだよね」
「……いや、マスキングされてるし、僕のとは限らないだろ」
「一緒にいろいろ作ったんだもん。与一の資料の癖くらいわかるよ」
「それもそうか」
愛桜の指摘した通り、去年、僕は『第九回 インテリアザラシさんの空間創造フェス』に出ていた。
しかも、最終選考の手前まで通過しているので、わりと良い結果も出していた。
だけど、その結果のために払うことになった代償が大きすぎたので、今年は絶対に出たくなかった。
「去年は資料を作っていたとしても、今年、僕は何も作らないよ」
「去年、何かがあったの?」
「……」
僕は、何も言わなかった。でも、その沈黙が答えのようなものだ。
答える代わりに、手に持っていた缶コーヒーのプルタブを開けて、常温に近いコーヒーを口に運ぶ。
同じ銘柄なのに、朝起きた時や仕事中にいつも飲んでいるコーヒーよりも、ずっと苦く感じた。
愛桜は、僕の方を真っ直ぐ見て、腕を伸ばして大きく両手を広げる。
そのまま、僕の後悔や悲しみをすべて包み込んでくれるかのような、包容力のある笑顔を浮かべて言った。
「去年、何かがあったんだとしてもさ。今年は私がいるじゃん! きっと楽しいよ」
「そうかもしれないな」
「じゃあ!」
「……去年もいたんだよ。他の頼れるメンバーが」
当時のメンバーは、僕と、僕が教えていたインターン生二人の計三人だった。
良いチームだと思っていたし、結果的に評価されていたのだから、客観的に見ても優れた発表内容といえるのだろう。
でもこのプレゼン大会のせいで、二人は会社を辞めることになった。
普通の業務と並行してプレゼンのための資料作りをしていたため、忙しかったのは間違いない。
ただ、仕事自体は楽しくて、充実していたと思う。それは、僕が見る限り、二人も同じだっただろう。
だけど、精神より先に身体に限界がきてしまった。
その時倒れたのはインターン生のうちの一人だったが、それが僕であった可能性だって十分にあった。
彼らのキャパオーバーな頑張りを止めることができたのは、きっと僕だけでは無かったと思う。
だけど、それを止めるべきだったのは、僕だった。
自分を責めていた僕に対して、みんなが「仕方ない」と慰めてくれた。でも、仕方なくなんて無い。
そしてなによりも、周りの人たちの気遣いの言葉によって、安らかに回復していく自分自身の心が一番許せなかった。
愛桜は、なかなか僕が口を開かないのを見ると、さっきまでいたバッティングのブースを指さした。
「なんでそんなにやりたくないのよ……。じゃあ、私があれで勝ったら教えてね」
「なんでここまで……?」
「……悩んでる後輩を助けるのは、先輩の役目らしいからね」
僕がさっき言ったことを、そのまま返された。
もうそれだけで胸が熱くなって、僕がウジウジ悩んでいる理由なんてどうでもよくなってしまったけど、バッティング勝負を所望している愛桜に水を差すこともしたくない。
――うん。適当なところで負けよう。
そう思って、サクッと打球ブースに足を踏み入れる。
「決闘、開始ィ!」
「あ、それ毎回やるんだ……」
カキーン! カキーン! カキーン!
始めてみたら、なんか楽しくなってしまって、勝負のことなんて忘れて打ちまくってしまった。
「え、与一普通にうまくない?」
「なんかコツ掴んだわ」
「すごいじゃん。教えてよ」
「バットは飛んでくるボールに添えるだけって感じでやるといいぞ」
「分かるかあ! 見てて! よし、私は高校球児……。甲子園を目指して頑張った、あの灼熱の夏を思い出せ……!」
愛桜が、謎の自己暗示をかけながら、僕と交代でバットを持って打球ブースに入っていった。
構えだけはすごくそれっぽいが、それでいいのか元演劇部。
だが、会社への愚痴やストレスをあらかた出し終えてスッキリした愛桜は、全然バットにボールが当たらなくなっていた。
がっくりと肩を落とした様子の愛桜が、トボトボと外に出てくる。
「私の、夏が終わった……」
「あー、うん。砂でも持って帰りな」
「コンクリじゃん……。あと、何の変哲もない砂なんて要らないよ……」
それはごもっともである。
球児たちのように、負けを綺麗な思い出にできなかった愛桜は、もう一度打球ブースの前に立って震えた声で宣言した。
「ちょ、ちょっと、もう一回やってくる!」
その後、愛桜が勝利を手にして先輩としての威厳を取り戻すのには、追加で三回の挑戦が必要だった。
ようやくバットを置くことができた愛桜が、フラフラの足取りで打球ブースから出てくる。
そのまま全身をプルプルと震わせながらも、対照的にキリっとした力強い目つきで、僕に人差し指を突き付けた。
「はぁ、はぁ……。それじゃあ与一、……勝ったから、話して……!」
「いや、満身創痍じゃん……」
なんだかおかしくなってしまって、二人して大きな声で笑った。
しばらく経つと笑いが収まってきて、ほどよい疲れと開放感のままに打球ブースとベンチの間の、数段の階段にドサッと腰かけた。
愛桜も近くに寄ってきて、隣同士に座る。
それから、愛桜の促すままに、去年の『空間創造フェス』について話した。
僕が教えていたインターン生の、響と碧のこと。
イベント出場のきっかけと、そこに至る経緯のこと。
精いっぱい練った、僕たちの発表内容のこと。
定時後のファミレスでの反省会のこと。
その後の居酒屋での愚痴大会と作戦会議のこと。
空間把握能力が高く、3Dモデリングが得意な響と、デザインセンス抜群の碧。
二人の力を借りれば、どんなイメージも形にできた。
でも、そもそものイメージが非凡で無いなら、せっかく形にしたものだって凡庸なものに成り下がる。
――そして、『空間創造フェス』の結果と、彼らが会社を辞めた理由のこと。
実際には、彼らが会社を辞めた理由の正確なところはわからない。
なぜなら、直接辞める連絡を受けたのは、僕ではなく山崎さんだったからだ。
僕は、無機質なメール文面での事後報告から、彼らが辞めることを知った。
その後、それとなく聞いてみても、山崎さんがその真相を語ったことは、現在に至るまでない。
ただ、遠くから見ていた賀来さんが、「響が泣いていたこと」と「碧が怒っていたこと」をひっそりと教えてくれた。
直接見たわけでもないその光景が、僕の頭の中にずっとこびりついている。
もしかしたら、僕に原因があったのかもしれないが、最後くらいは直接会って話したかったと思った。
ここまで一気に話して、缶コーヒーを飲んでひと息つく。
大学生の頃までは、コーヒーなんて香りがピークで、いざ飲んでみると味は泥水のようで飲めたものではないように感じていた。
それが、社会人になってみると、毎日のけだるさや眠気を吹き飛ばし、元気をチャージするための飲み物へと変わった。
――そっか。僕も成長しているんだな。
味覚が鈍くなったことを、成長と呼んでいいかは別として。
きっと要領を得ない部分もあっただろう僕の話を、愛桜は腕を組みながら相槌をうって真剣そうに聞いてくれた。
今、愛桜に話していて、自分の感情を客観的に整理することになったおかげか、気づいたことがある。
僕が、今回手伝いをやりたくなかった本質的な理由は、突き詰めればただ一つだった。
――愛桜に、会社も仕事も辞めてほしくない。それだけだった。
つまり、僕が手伝った結果、去年と同じようなことが起こるかもしれないことを恐れている。
でも、僕が知らないままに物事と人間関係が進んで、取り返しがつかなくなってしまうことの方が、ずっと嫌だ。
愛桜が僕に何も告げずに仕事を辞めて、次第に疎遠になっていく未来なんて、想像するだけでも怖い。
もう、後悔なんてしたくないんだ。
僕は、今気づいた感情から目をそらさないように、しっかりと愛桜の方を向き直った。
愛桜の、吸い込まれそうな色素の薄いブラウンの瞳が、僕をまっすぐに見つめ返してくる。
「……『空間創造フェス』、手伝うよ」
「ありがとう」
「別に、自分のためだから気にすんな」
「それでも嬉しい」
「あんま期待すんなよ」
「それは無理。一緒にすごいもの作ろう!」
わざとか素なのか分からないが、能天気な愛桜を見ていたら、本当に何でもできるような気がしてきた。
頭上の雲はまだ重厚に空を包み隠していて、月も星も見えそうにない。
僕と愛桜の気分に合わせて晴れてくれてもいいのにと思ったが、そんな都合のよいことは起こらないらしい。
――でも、それでいい。それがいいんだと思った。
これはただの始まりだ。
去年、やってみたから身に染みているが、通常業務と並行しての準備は大変なんてもんじゃない。
眩しくてまっすぐなナイター用のライトの光だけが、僕たちと空を燦々と照らしていた。
もし、この先に暗雲が立ち込めているのだとしても、自分たちの手で切り開いて行ってやる。
それから、さびれた屋上のバッティングセンターは、定期的に(主に水曜日に)喧騒に包まれることになった。
いつもお読みいただきありがとうございます。
次の更新は、10/28です。




