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死ねないポチのおさんぽ日記  作者: 大爆裂エアーコンディショナー
3章 神の理において、君は万物を繋ぐ哀れな博愛主義者となる
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暗闇

 夜の闇を上塗りするほどの暗闇、ただ太陽の光を反射しただけの窓の月明かり如きが“明かり”として認識できるような真っ暗な部屋の中…ぬるりとそれが現れる


「こんばんは、良い夜ね?」

「なに、君ほどじゃあないさ」


 しゃがれた声で老人は笑い、闇の中から現れたそれ(フィレント)に向かってニタリと微笑む。老人の名はレギー・ドミンゴ…海神教信の現在のトップであると同時に気狂いの好好爺だ。

 レギーは部屋に現れたフィレントを上から下まで眺め、その美しさにため息を溢しながらシワだらけの顔に浮かべた笑みをさらに深める


「貴方一人のためにみんなで騒いでる、なのに貴方はこんな真っ暗な部屋でただ月を眺めているだなんて…まるで恋を知ったばかりの少年のようね?」

「かっかっか…!ワシが恋を知ったのは随分と昔の話だったがねぇ…」

「あら、短命な生き物の言う“随分”はどこを指すのか分かりづらいから嫌いよ?」

「長命な種の言葉も大して変わりはしない…刹那を語るか一瞬を語るか程度の違いしかありゃあせんとワシは思うよ」

「ふふっ…意外と生意気なのね、悪くないわ?たかだか皺くちゃになるまで生きただけのくせに」

「その方が若く見られるだろう?少年の心を忘れないというやつさね」

「まぁ素敵、じゃあ次は命に対する執着心も若いのか試してあげる」


 フィレントの後ろにある暗闇からずるりと何人かの影が現れる…ごぼりごぼりと鳴くそれはレギーと大して歳の変わらない老人の姿をしていて青白い肌をぶくぶくとふやけさせて目や鼻や口から海水を垂れ流している

 それを見たレギーはうんざりとした顔で深く大きくため息をつく


「妬けてしまうのう…人魚というのは美しいが故にどうもハエが集る…」

「あらあら、人魚じゃなくセイレーンよ?」

「それは失礼、短命故の過ちを許しておくれ…さて、ドゥーや。」

「——はいここに」


 まるで日常のように執事服を着た若い青年がドアを開け部屋へと入ってくる…コツコツと規則正しい革靴の足音は当たり前のように暗闇の中を無粋に突っ切り、ごぼりと鳴く死体達の隣を歩き去るとレギーの隣でカチンとレイピアを鞘へと収める

 次の瞬間べしゃりと汚らしい音を立てて床にバラバラに解体された腐乱死体が広がった


「暗闇はどうもいけない、手元が狂ってしまう…床を汚してしまい申し訳ありません旦那様。」

「構わんよ、あの絨毯はどうせ捨てるつもりだった」

「あらあら2人だけで話して置いてけぼりなんて狡いわ、ここにゲストが居るのよ?」

「おっとこれは失敬、ドゥーや」

「はい旦那様」


 レギーの言葉にドゥーは動き出し机の上にティーセットを並べ始める…机の横にはバラバラになった死肉が転がるがドゥーはそれを意にも介さずむしろ無造作に蹴り転がして退け、それが屋敷に住んでいたユトウの老人たちだと気づくと僅かに怪訝な顔をする


「セイレーン様、お連れの方々ですが…これは…」

「困ると思って連れてきたのよ?どう?困ったかしら」

「そうですね、少々…」


 眉間に皺を寄せるドゥーにフィレントはクスクスと笑い、その仕草にドゥーはますます眉間の皺を深くする。そんな2人のやり取りを見てレギーはしゃがれた声で笑い…窓の外を見る

 屋敷近くの森からは魔法の光や悲鳴に怒号、そして時には断末魔が上がる。それを眺めていたレギーはおもむろに懐から手紙を取り出すとそれを広げて読み上げ始める


「ワシが恋を知ったのは66年前の暑い夏の季節…父親と喧嘩をした幼い私はひとり海岸を歩き、まだそれを愛情とも認知しきれぬ未熟な子供が美しい1人の女性と出会い、それが親の言う人魚であると知った瞬間に強い嫌悪を抱き、そしてそれを覆す美しさに心に楔を打ち込まれたようだった

 幼稚で無垢な幼心は人生を捧ぐ相手を知覚し、心を捧ぐ相手を見定め、それと同時に一生の呪いを授かった——」

「素敵な詩ね、誰へのラブレター?」

「——嗚呼、それはキミじゃよフィレント…66年前のあの日から私はキミに恋焦がれ、盲目となり耳を塞ぎ心を解放した。決して掴めぬ星ではないと、手の届かぬ海底の宝ではないと、ありもしない翼を求められる雲の上の楽園でもないと己に言い聞かせ、そして今夜キミを掴み取り縛り付け私のものとしたい」


 月明かりの逆光の中ギラギラと輝くレギーの瞳、そこに魔力が宿っていると気づいたフィレントはとっさにその場を離れようとするがもう遅い


「最後にキミに()の愛と執着を捧げよう…【クリミナルソウルバインド】」


 床に無数の小さな魔法陣が浮かび上がりそこから赤黒い不気味な鎖が伸びてフィレントを絡め取った、鎖は罪人を断頭台へ誘うようにフィレントを強い力で引っ張り床へと跪かせるとレギーはニタニタと笑みを深めながら白紙の手紙を投げ捨てる


「詠唱式魔法はええのう…小さなリスクを多く負う、それだけで契約となり魔法の効果を高めてくれる」


 代償その一、対象に本来の一人称を3回以上明かした上で特定の一人称を複数回詠唱に乗せる

 代償その二、対象に嘘偽りを一切述べずに本心からの告白を行う

 代償その三、告白の内容に関する執着に応じた結果のみ与える、こうして得られた結果に疑問を一切抱いてはならない

 代償その四、対象を最低1回は騙すこと

 代償その五、対象より圧倒的な弱者であること

 代償その六、多くの血を流しそれを本心から嘆く事

 代償その七、“死”を本心から嗤うこと


「愉快!愉悦!念願、悲願の果て!!恋とは罪!罪とは恋!!ワシの恋が今叶う!!あぁ…!あぁ人魚様…!!」


 レギーは演技がかったオーバーな手振りで天井を見上げてその老いた体を揺らしながらゲタゲタと笑う…その度にフィレントを縛り付ける鎖が共鳴して嗤うようにジャラジャラと耳障りな音を立てた


「喜劇の恋愛劇!一方的で!未熟で!幼稚で…しかし66年…!!」


 目をギラギラと輝かせながらレギーはフィレントの顎を掴むとにぢゃりと口元を歪ませ悍ましい笑顔を浮かべる


「費やしたァ…!費やしたぞ人生をォ…!!

 何故ワシがたかがゴースト種“にも”効くというだけのクリミナルソウルバインドという魔力消費にも見合わぬ古い時代の欠陥拘束魔法を使ったか解るかね人魚様…?!」

「さぁ…?知らない、わね…!」

「まず第一に人魚様が人魚ではなくただのセイレーン種であると知っておるからじゃよ…!魔力を捕まえるこの魔法ならば確実に人魚様を拘束できる…!

 あぁぁぁはははァ…結果は上々、見事人魚様を網にとらえたァ…」


 堪えきれないように何度も引き攣った笑みをこぼしながらレギーは濁った瞳を爛々と光らせ涙を垂らしてフィレントの髪をなでつける


「そして何より!名前がいいじゃあないか!!ワシの幼き恋を奪った“罪”深き人魚に!ワシの“魂”に恋という楔を打ち込んだ人魚に!ワシの愛で“縛りつける”事が出来る…!!

 この魔法を選ばずしてどんなエンゲージリングを選ぼうか!!」


 悍ましさすら感じる高笑いを吐き出しながらレギーは窓の前に戻る…詠唱のために必要な工程を終えた狂気の老人はもはや心を塗りつぶす必要も無しと言わんばかりに森の中で行われている命のやり取りを大きな宝石のついた指輪をはめた指で見下すように指差してゲタゲタと笑う


「見ろ、ドゥー!馬鹿みたいに殺し合っておるわ!あひゃひゃひゃ!!」


 邪悪としか形容できないその形相と笑い声に思わずフィレントは不快感に顔を顰める…魂そのものが歪んで腐っているようなレギーの悍ましさはセイレーン種にとっては剥き出しの邪悪に映る

 見たくもないのに目に入り、脳を通り、記憶ごとごっそり洗い流したくなるような無価値な邪悪。故にそれほどに鮮烈で不愉快極まりなく、押し付けられるが如き無関心の引き出しにこびりついた汚物のそれだ


「こんな鎖で私を捕まえたつもり?舐められたものね、人間如きの魔法で…この、私を…!」

「っ?!あ、有り得ん!あれほどの(デメリット)を乗せた詠唱魔法じゃぞ!?」


 動揺して唾を撒き散らしながら叫ぶレギーの言葉を裏切るようにギシギシとクリミナルソウルバインドの赤黒い鎖が軋みを上げる…バキバキと魔法陣にヒビが駆け抜けた

 セイレーン種であるフィレントの強さはなにも歌声による魔法だけではない…


「やめろ!お前さんの肌に傷がつくじゃろうが!!」


 半ば絶叫に近いその声にフィレントは鼻で笑う、ざわざわと皮膚が戦慄き青い鱗が身体のあちこちを覆うと同時にクリミナルソウルバインドの鎖が一本、また一本と引きちぎれて弾け始めた

 レギーは弾け飛ぶ鎖の破片に怯えて腕で顔を庇いながら情けない悲鳴をあげ、ヨタヨタと後退りするもすぐに窓の開いた壁にぶつかり青ざめる


身の程(大海)を知るがいいわ、人間…!」


 断末魔のような甲高い音を立てながら鎖がさらに千切れ飛ぶ、破壊の余波と鎖の破片が部屋の調度品や壁を破壊しては埃を散らし…その瞬間に剣閃がひらめきフィレントの体がガクンと脱力した


「これ以上のおいたはゲストといえど困ります。」

 

 カチャンと刃を鞘に収める音が静かな部屋に響き、ドゥーはその短い金髪を少々乱暴にかきあげる…フィレントのまだ鱗で防御されていない箇所の腱を正確に断ち斬ったのだ。セイレーン種は魔力と完全に魔力で身体を構成した種ではないため物理攻撃も有効かつ腱を絶てば当然そこは動かせなくなってしまう

 再び膝をついたフィレントの視界にはあれほど怯えていたというのにまた事態が好転したと理解すると同時に穢らわしい笑みを浮かべた皺くちゃの老人が映る


「ひ…ひひっ!どうじゃ!我が息子の剣捌きは!これほどまでに仕込むのにどれほどワシが金と人生を削ったか!!」


 ドゥーの体をバシバシと叩いて勝ち誇った顔で笑うレギーにフィレントは小さく息を吐き…そして一瞬で間合いを詰めたフィレントの腕がレギーの首を捕まえ持ち上げた


「おいたも最初は笑ってあげる…でも過ぎればもちろんお仕置きよ?」

「ぉ、ごッ…ぐげぇ…?!」


 確かに動けなくしたはず…そんな疑問にレギーが目を白黒させるよりも早くドゥーが動く、レイピアを抜刀しながらフィレントへと斬りかかりレギーの首を掴む右腕を斬り落とそうとするがその一撃は鱗に弾かれ火花を散らした

 老いたレギーの骨身はフィレントの怪力を前に満足に足掻くことすらできない、足をバタバタと暴れさせ視界はチカチカと揺れて脳が熱くなり始める…


「遊んであげるから大人しく遊ばれてなさいな」

「ど…ゥ……!!」


 レギーの絞り出した声に再びレイピアをしっかりと握り直し刺突の一撃を繰り出そうと動き出したドゥーをフィレントはただ無造作に手で払う、たったそれだけの動作に対してドゥーはぞわりとした悪寒に襲われ咄嗟にレイピアで防御するが刃は呆気なく一撃で砕け散り、そして勢いよく壁に叩きつけられて床へと崩れる

 信頼していた戦力であるドゥーが手も足も出ずただ無造作な一撃で沈黙させられた事にレギーはいよいよ必死にならざるを得ない…満足に動かない身体を無理矢理にでもバタつかせ、無駄と理解していながらもフィレントの腕を掴んで引き剥がそうとする


「ぎッ…ぐげっ…ぐぉぉぉ…!!おぉぉぉ…あぁぁぁッ!!」


 みっともなく失禁し、涙を流し、たった数十秒前は遠目に見える命のやり取りを指差し笑っていた哀れな老人は弱々しい瞳をフィレントに向ける


たすけて、死にたくない


 都合のいい、その場しのぎの、懺悔も後悔も反省も何も無いただの命乞い。

 自分の計画は上手くいく…人魚を手に入れ、信仰を手に入れ、愛を手に入れ、命を拾い選んで捨てる側…無根拠にそう思って疑わなかったツケが来たのだ


「さぁ、薔薇を無遠慮に掴んで摘もうとした代償を支払う時よ?」


 フィレントの手に力が込められ始め、万力のような圧迫感と鈍痛がレギーをじわりじわりと襲い始めた


とん…とん、とん…


「あら?」


 フィレントは最初はキョトンとした表情を浮かべ、そして己の腹や胸を蹴るか弱い老いぼれの足に目をやり笑みを深めた。

 死にたくない、こんなはずじゃなかった、死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない…その一心にレギーはフィレントを必死に蹴り付ける。もう要らない、愛なんて無い、今は生きたい生き残りたい…その一心で己の失禁で濡れた足を動かして無意味な蹴りをフィレントにとんとん叩き付ける


「酷いじゃない、愛してくれるんじゃなかったの?せっかく捕まえるほど愛していた女に手をあげるどころか足をあげるなんて…ふふふっ、本当…酷い人ねぇ?」


 所詮正気を保った狂気などハリボテ、ホンモノというのは極端に極論、至極単純にして複雑怪奇、極彩色の塗りつぶしでなくてはならない…愛の狂気の只中に命惜しさに愛を蹴るなど言語道断

 飛び降り損ねた狂気など、底にひとカケラの希望を残した狂人など、それは子供のわがままを卒業できなかっただけのマヌケに過ぎない


「愛の形が生き物の数だけある事くらいは認めてあげるけど…ごめんなさい、あなた私のタイプじゃないみたい♪」


 あとほんのわずかに力を込めるだけでレギーの首がへし折れる…ただその瞬間が来る直前まで、自称狂気の愛を掲げていたはずの今は怯えて縮こまった滑稽な魂を少しでも長く眺めたい…

 そんな加虐心が招いた1秒にも満たない刹那の空白の時間、そこに飛来したのはたまたまポチを二重ロックオンしてしまって遠くまで飛んできて着地点ならぬ着弾点を見失ったどっかんまっしぐらちゃんmark4こと圧縮雷魔法の砲弾の一つだった

 窓を叩き割りけたたましい音を立てて部屋の中で炸裂する雷光、それはレギーを弾き飛ばしてフィレントを一瞬だけ硬直させ…そして部屋から逃走するタイミングを待っていたドゥーがレギーを抱えて逃げ出す手助けとなった


「…あらあら、こうも奇跡的だと運命なのかと考えちゃうわねえ」


 フィレントはほくそ笑みながらバラバラに切り刻まれた水死体ゾンビの破片が散乱した廊下へ出てレギーの魂の残滓から香る匂いを辿って歩きだす…


「普段なら興味のない相手の魂なんて辿れるほど捉えたりはしないのだけれど…こうも熱烈にアピールされちゃ少々意地悪もしたくなってしまうわ♪」


 体のあちこちを覆っていた鱗が深いエメラルドグリーンのマーメイドドレスへと姿を変えていく、コツコツと靴音を響かせこちらへ来るなと怯えながら叫ぶ魂の残した痕跡を追いかけながら…今度はフィレントがニタリと笑う番だった




「想定以上です旦那様…!申し訳ありませんが私と人魚様との相性が悪うございます…!」

「ふざっ…!ふざける、なっ…!悲願なのじゃぞ…!こんな老いぼれになって、なお求めた愛なのじゃ…!諦めてたまるものか…!」


 レギーを横抱きにしてドゥーは屋敷の中を走る、フィレントの一撃で肋骨は折れ武器も砕けた。まだ魔法という手段もあるが魔法に長けた混血の種を相手に魔法のエキスパートでもないドゥーが繰り出せるものはごく僅かにあれど現実的ではない…それがわかっているからこそレギーは癇癪は垂れどドゥーを叱責はしなかった

 ドゥーもレギーがそう考えていると理解しているからこそレギーの我儘な癇癪に反論や苦言は呈さずただひたすらに安全な場所を求めて走っているのだ


「旦那様…!お気を確かに、あまり心を荒立てては人魚様に辿られてしまいます…!」

「わかっておる…!わかっておるわ…ッ!!じゃが…ぐ、うぅぅぅッ…!!」


 満身創痍…争う気はなくとも支配したいという欲望が拭えないからこそ必要な戦力が不足している、役不足だと理解してしまっている。故に沸き立つままならない事へと腹立たしさが胸の鼓動どころか呼吸さえ整えさせてくれない

 狂気になりきれていなかったからこその正気、正気だからこその理解…そして理解ゆえの理性(じぶん)がたった一言シンプルに「どうにもならないぞ」と嘲笑っている


「ひとまず屋敷から出ましょう…!実働部隊の信徒たちが居ます、屋敷の中よりは安全ですし逃げ回れます…!」

「好きにしろ…あとは、もうお前に任せた…」

「……御意に。」


 無念に打ちひしがれてみればコップを逆さにしたように呆気なく、野心も支配欲も怒りすらもみるみる萎んでレギーの体から力が抜けていく…ダラリと上を眺め、それが屋敷の天井から星空に変わっても認識しているんだからしていないんだかあやふやな程に無気力…それを見てドゥーは静かに目を逸らし、そしてレギーを優しく地面に降ろして仰向けに寝かせる


「無念です旦那様…」


 そう言ってドゥーはレギーの胸にレイピアの残骸を突き立てた

 無気力な老人の瞳は一瞬何が起きたのかを認識できず、そしてすぐに燃え盛りながらも鈍い痛みにワナワナと震え出し、やがて叫びたくとも叫べないほどの激痛に悶えながら無意味に突き立てられたレイピアの残骸を掴む


「な、ぜ…?!」

「何故?はははっ、いやいや何故も何もないでしょう〜?」


 ドゥーはレギーの胸からレイピアの残骸を乱雑に引き抜くとシルクのハンカチで刃を拭って血で汚れた布をレギーの顔を狙ってポイと投げ捨てた…震える手でハンカチを掴んで痛みに呻くレギーを見下ろしながらドゥーはその端正な顔を父親(レギー)そっくりの醜悪な笑みに歪めた


「前々から気に食わなかったのですよ〜貴方という存在そのものがねぇ」


 冷酷で残忍な光を宿した瞳でレギーを見下ろすドゥー、そんなドゥーのズボンの裾を血を吐きながら必死に掴んだレギーは激痛に痙攣する身体を無理やり起こしてまるで縋り付くかのように憎悪の表情で見上げる


「ワシに…実の父親に、刃を向けるとは…恥を知れェ…ッ!」

「恥を知れ?貴方に言われたくはないですよ。何年魚のケツ追っかけてるんですかいい歳こいて〜」


 ドゥーはニタニタと下卑た笑みを浮かべながらレイピアの鞘で老いた父の頬を叩く、屈辱と痛みに顔を歪めるレギーを嘲笑いながら蹴り転がしてその懐を探り始め、そして内ポケットから大きな宝石のついた赤い指輪を取り出すと笑みを深めた


「あったあった教祖の指輪、これで私が次の海神教信のリーダー…!」

「お前ぇ…!いつから、いつからだァ……!!」

「いつから?いつから!あっはっはっはっは!!いつから!?くっ、ふふははははっ!!」


 心底おかしいといった様子でドゥーは笑うとレギーの傷をその革靴で踏み躙る、乱暴に上塗りされる激痛にレギーは喉を潰したような悲鳴をあげ悶える


「いつからも何も…最初っからですよぉ嫌だなぁ〜」


 ドゥーの言葉にレギーは呆然とする


「最初…?最初って…」

「子供の頃?物心ついた時?兎にも角にも記憶の中にいる貴方を愛したことなんて一度も無い…お互い様でしょう?()()()?」


 “息子であり執事”ではなく、親子ではなく…ただ執事として、仕事の関係で…そういったニュアンスを多分に含んだその言葉にレギーはくらりと足元を不意に失ったような感覚に襲われる


「何を絶望したような顔をしているんです?貴方が蒔いた種…いやそもそも蒔くだけ蒔いて見向きもしなかったんでしたねぇ?」


 ドゥーの瞳に怨みや嫌悪はない、そこにあるのはそう…他人の不幸なニュースをせせら笑う悪辣な好奇心と嘲笑がぼたぼたと溢れている


「66年の悲願の恋、随分と綺麗に語るじゃあないですか!調べましたよぉ?調べましたとも老いてもなおギラギラとした欲望を隠しもしない発情耄碌魚フェチ男が宗教と血統を私物化する様を毎日ねぇ〜…ふふっ、くっくくく…!」


 未だ血の滲む刺し傷を踏み躙りながらドゥーは嘲笑う…この皺くちゃの老人が実の父であろうとも嘲笑の対象になるほどの真実を知る彼だからこそ、この男のやってきたことをぐちゃぐちゃにぶち壊すと決めたのだから


「レギー様ぁ!!」


 しかし邪魔は入ってしまう、ある者は森を掻き分け海神教信の中では珍しく現地民でありながらも実力のある男たちが


「えぇ…?なんだこの状況…?」


 ある者は見覚えのある怪しくも真摯な執事が見覚えのない老人をいじめてニヤつく奇怪な状況に困惑するツンツン跳ねた明るい茶髪の少年が


「あらあら、余分なのも含めて勢揃いねぇ♪」


 ある者は妖艶な雰囲気とエメラルドグリーンのマーメイドドレスを身に纏う女性が醜悪な見た目の傀儡を引き連れて…

 教徒、生贄、人魚、それぞれの役者が狂った親子を中心に屋敷の前という一つの位置へと集結していた

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