リリー、美少女に褒められる
「初めましてエルバ伯爵令嬢リリー様。ワタクシ使用人のアリソンと申します。腕によりをかけて、リリー様をエレガントにさせていただきます。」
恭しくリリーに自己紹介した老女アリソンは白髪を綺麗に団子にして纏めた華奢な女性だった。公爵家のお仕着せも似合っているが、教師や店の責任者のような風格だ。目尻や頬の皺も彼女の雰囲気と重なって相応しく感じる。リリーにはクルム公爵が描いたという絵を見てぼんやりとしていた空気が入れ替えられた気がした。
「本日は公爵邸での初めてのお食事でございます。気合いを入れて、おめかしをいたしましょう。」
広い浴場にて湯あみをした後にリリーが緑のドレスにマーシャに手伝ってもらって着替えている間、アリソンは色々な角度からリリーを観察していた。何となく居心地の悪さをリリーが感じていると、アリソンがパンと手を打った。
「ここからがワタクシの腕の見せ所です。坊ちゃんなんぞ、イチコロですよ。」
アリソンはパチンとウインクすると、化粧道具を取り出してリリーの前に立った。
それから二十分。アリソンの補助をしていたマーシャから出された鏡を見てリリーは驚愕した。
「私に似た美人がいる。」
うっかりと漏れたリリーの言葉にアリソンは口元を押さえて笑いを堪えた。
目の位置や口元は物心がついてから何度も見たそのままではあるものの、何かが違う。ポニーテールにしたから顔が引き上がっているのではない。伯爵家の侍女のマッサージではこんなにシュッとした輪郭は現れなかった。所謂別人級の化粧ではなく、全てが上方修正されたリリーの双子の姉妹と言われたら納得してしまう程の仕上がりである。
「元々の素材の良さを引き出させていただきました。もちろんパーティーなどの際は更に力を入れます。」
リリーの様子に満足したアリソンは舞台女優のカーテンコールのように深く頭を下げた。
「髪にはミレーヌ様からお貸しいただいたリボンを付けましょうね。」
一度部屋に入ってきた侍女が持ってきた鮮やかなピンクのリボンが巻かれて全体を見れば、差し色の効果か視線が上に向きスタイルまでよく見えてきた。
「素晴らしい技術です。世の女性に知られたら皆あなたに跪いて教えを乞うわ。」
「滅相もございません。ワタクシはお手伝いをするのみでございます。喜んでいただけたのであれば、今度リリー様のお暇な時間にワタクシの気の済むまでお化粧をさせてくださいませ。」
リリーの賛辞を受けたアリソンはにこりと笑うと、今回使わなかった化粧道具に手で広げた。
「リリー様の肌は白く美しくて化粧映えがします。目や唇、頬に髪型、腕がなりますわ。こちらの白粉は王都にも店を構えるミヒャエル商店のもので……」
そのままアリソンが道具の説明がつらつらと始めると、リリーは見慣れぬ道具や細かく分かれた口紅やアイシャドウに興味津々でくいついた。延々と続く説明と質問をマーシャが手を叩いて止めた。
「本気で聞くのはまた後日にしてください。ドアの前でミレーヌ様がお待ちです。」
その言葉に我に返ったアリソンとリリーは口を閉じ、お互いに微笑みかけて場を濁した。
「リリー様にお呼びいただけるのを待っております。行ってらっしゃいませ。」
「ありがとう。また今度じっくり聞かせてください。」
公爵領での楽しみを見つけたリリーは意気揚々とミレーヌの待つ廊下に出た。
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「リリー様の緑のドレス、本当にお似合いですわ。」
隣に並んで座ったミレーヌはリリーを見ながら褒めた。ふんわりとした袖に目がいくベビーピンクのドレスを着た美少女からの褒め言葉にリリーは首を横に振って否定する。
「何を仰ってらっしゃるんですか。ミレーヌ様の方がよくお似合いです。レースもとても美しくて、ミレーヌ様を引き立てていらっしゃいます。」
廊下で、食堂で繰り返し褒めるミレーヌに、リリーは何度もマーシャとアリソンのおかげだと伝えているが美少女は受け流すだけでリリーの話を聞いてくれない。
「どちらもよく似合っていますよ。お揃いのリボンで羨ましいわ。」
向かいに座った前公爵夫人のアナベルは横並びの二人を見て目を細めた。ドレスは違えどポニーテールに同じ色のリボンを巻いた二人を見たクルム公爵と前公爵夫妻と食堂で待っていた使用人は驚いていた。してやったりといった顔をしたミレーヌと謙遜するリリーを見て誰が首謀者かは判明し、一部の使用人を除いて納得した。
「あらお祖母様にもプレゼントしますわ。一緒に付けましょう?」
「意地悪な孫ね。ポニーテールになんて出来ないのが分かっていて勧めてくるなんて。」
冗談を言いながら食事を進める二人の血は繋がっていないはずだが、気安い会話にリリーも時折笑い会話に加わった。前公爵とクルム公爵はこちらの話を聞いてはいるようだが、黙々と食事をしている。リリーの正面に座ったクルム公爵はたまにこちらを見ているようだが、リリーが顔を向けると曖昧な笑みを浮かべて食事に戻ってしまう。
「お父様、リリー様はお部屋の絵を大変気に入ってくださったのよ。」
デザートのケーキを食べている最中、思い出したようにミレーヌがクルム公爵に話しかけた。ミレーヌからの会話のきっかけを送られたと思ったリリーはにっこりと微笑み、頷いた。
「はい、素敵な湖の絵ですね。森も何だか心が落ち着いて、ドレスの色を同じにしてしまいました。それに」
リリーが感想を続けようとすると公爵は激しく咳き込んだ。眼鏡がズレるほどの勢いにリリーが目を丸くし立ち上がりかけると、公爵が手で制するので腰を下ろす。
「取り乱して申し訳ない。まさかリリー嬢の目に触れるとは思っていなかったんだ。下手の横好きの絵を褒めてくれてありがとう。」
「横好きなんて、私はとても気に入りました。」
リリーの言葉に公爵が頬を緩めて口を開きかけると、ガチャンと使用人が物にぶつかり謝罪の言葉を口にする。その音に公爵はまた曖昧な笑みに戻り、リリーとの会話は途切れた。
「お二人でお話をしてくればいいのに。」
ミレーヌの言葉にリリーはチラリと公爵を見るが、公爵は緩く首を振り席から立ち上がった。
「いや、私は父上と仕事の話があるからまたの機会に。リリー嬢もお疲れでしょう。ゆっくりお休みください。」
そう言って場を離れた公爵は次の日の朝早くに王都に戻り、絵の話をすることは叶わなかった。
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「わざわざ私と話すことなどあったかな?」
「惚けるのはよしてください。ありませんよ、万事順調です。ゴードンも頑張っております。」
前公爵の書斎で対面に座った公爵アルフレッドは眉を寄せて、子供のように唇を尖らせた。親にしか見せない態度に前公爵はつい口角を上げた。
「では、リリー嬢と話をすれば良かったのに。ミレーヌがあんなに懐くとは、逸材かもしれんな。」
もっと面白い態度をとけしかけてやれば、更にアルフレッドの眉は寄っていく。
「ミレーヌがどんどんと押しかけているのです。昨晩は同衾したとまで私に報告してまいりました。リリー嬢はまだ相手に逃げられたばかりの傷心であるでしょうに、私に礼を言うのです。チャンスをくれてありがとうと。こちらこそありがとうと言いたいのに、彼女の前ではどうも口が上手く回らなくなる。どうすれば良いのでしょう?」
何でも器用にこなす息子が『恋』に翻弄される姿に前公爵はニヤニヤと笑った。
「何がおかしいんですか?大体私の絵が客室に飾ってあるなんて聞いておりません。よりにもよってリリー嬢が泊まる部屋に、あの湖の絵があるなんて。」
息子の手紙のついでに届いた孫からのお願いだとは言わずに、前公爵は素知らぬふりを決め込んだ。
「あれは暫く前から部屋に飾っていたんだが、客室は暫く利用していなかったからなぁ。気に入ってもらえて良かったじゃないか。」
「気に入る……緑のドレスも素敵でした。絵と同じ色を着てくれるなんて、なんて良い子なんだ!!」
「もっと褒めて、交流すべきではないか?馬車でどれくらい話をした?結婚出来るかはまだ確定ではないのだろう?」
少しづつ気持ちを高ぶらせる息子を唆すように疑問を投げかければ、アルフレッドは急に肩を落としてソファーに座り込んだ。
「馬車ではサマー嬢から私を守ってみせると言われました。だから結婚は出来ると思います。あとはミレーヌが元気にリリー嬢にまとわりついて、話をしていません。けれど二人になっても話が出来るかどうか。」
元気にまとわりつくという単語に娘に対するなんとも言えない感情を読み取り、続く話に前公爵は深くため息をついた。
「ミシェルが聞いたら檄を飛ばすだろうなぁ。『眼鏡を外してメロメロにしてしまえ!!』とでも言いそうだ。」
声のトーンを上げてミシェルの口調を真似る前公爵にアルフレッドは頭を抱えた。
「言うでしょうね。眼鏡をもぎ取られそうです。実力行使が好きな所はミレーヌが引き継いでいますよ。」
「たださすがに眼鏡を外して惚れさせるのはよせ。」
顔だけで相手が魅了してしまうことを知っている親子はそれが良くないことも知っている。幼少期のアルフレッドは幾人かの使用人と商家の人間を顔だけで真っ当な人生から転落させた。事態を重く見た父が眼鏡をかけさせたことで騒ぎは落ち着いたが、青年期から眼鏡を外せばアルフレッドに耐性のない女性たちが倒れるようになってしまった。ここ数年の中で眼鏡を外した素顔を見せたのは、エルバ伯爵の屋敷でゴードンにやられた時以外には記憶にない。
「分かっていますよ。そんな卑怯な真似をしなくても、なんとか……リリー嬢と良好な関係を築いてみせます。」
なんとかの後にきっと、多分という不安げな言葉が続いたような気がするが、前公爵は聞かない振りをした。
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今週も月から金まで更新する予定です。