リリー、前公爵夫妻と対面する
令嬢としてあるまじき寝坊をしたリリーはその日終始恐縮しながら馬車に乗っていた。
一緒に寝ていたのだから起こしてくれれば良かったミレーヌは、
「とても可愛い寝顔で見ていて飽きませんでした。」
とにこやかに笑うし、クルム公爵は、
「疲れが出たのでしょう。王都から離れて気が楽になったのかもしれません。」
と心配そうに見つめられるしで、リリーの肩身は狭い。
「ミレーヌ様に止められて、起こすことが出来ませんでした。代わりにリリー様が眠っている間にご主人様にちゃんとミレーヌ様を叱っていただきました。今日からはぐっすりとお眠りになっていただけます。」
マーシャに寝坊は自分のせいだと言われると、リリーにはもう立つ瀬がない。繰り返し謝り倒すしかなかった。午前中に到着すると思われた公爵領へはティータイムにギリギリ間に合わない時間になってしまい、クルム公爵の両親とは簡単な挨拶をするだけとなった。
屋敷のエントランスで出迎えてくださった前公爵は白髪の多くなった黒髪を後ろに撫で付け、丸眼鏡をかけた痩身の方だった。息子たちと同じく長身だが、猫背気味で公爵よりも小さく見える。
「エルバ伯爵の娘リリーと申します。公爵のお言葉に甘えて、本日からお世話になります。」
リリーが名を名乗ると、前公爵が一歩前に出た。
「歓迎するよ。」
短い言葉だが、穏やかな表情と合わせても怖い方ではなさそうだ。前公爵の奥様は綺麗なプラチナブロンドをショートカットにした上品で美しい人だった。公爵とゴードンが二人の息子だと言うのも頷ける。両親の良いとこ取りなのだろう。
「私はアナベルよ。大変な目にあった上に厄介な相手に目を付けられたわね。私が後ろ盾になるから任せなさい。」
チラリと公爵に視線をやったアナベルは両手を広げてリリー抱き締めて、背中を撫でる。傷心だと思われているのは心苦しいが、リリーは大人しく抱き締め返した。
「お祖母様狡いですわ。私も仲間に入れてくださいませ。」
ミレーヌの声がリリーの背後で聞こえると、軽い衝撃があり背中が温かくなる。美しい夫人と美少女に抱きしめられて、リリーは婚約者に駆け落ちされたことなど忘れるほど多幸感に襲われた。
「二人とも、リリー嬢は疲れているんだ。そろそろ離れてやりなさい。夕食の時にゆっくり屋敷の説明をしよう。」
前公爵から声がかかると、ミレーヌは名残惜しそうに体を離してリリーの手を取った。
「ミレーヌがお部屋にご案内します。夕食だって私がお迎えにあがりますわ。」
得意げに話すミレーヌの声に使用人も目を細めて笑っている。リリーの家と同じくクルム公爵家は使用人と関係が良好らしい。
「ではミレーヌ様よろしくお願いします。」
機嫌をますます良くしたミレーヌは、エントランスから階段を上ってリリーは二階に連れて行かれる。後ろには荷物を持ったマーシャと屋敷で出迎えてくれた使用人が続いた。
「三階はお父様とゴードンのお部屋があります。私の部屋はリリー様の部屋の向かいですから、何時でも来てください。」
ミレーヌの部屋だと指さした真向かいの部屋の中に入るミレーヌに続いたリリーは感嘆の声を漏らした。
「見事な絵ですね。」
ドアを開けて目に飛び込んできたのは正面の壁に飾られた大きな絵画だ。森の中にある湖畔を描いたその絵にリリーは圧倒された。
「お父様が描いた絵ですわ。下手の横好きと自分では言うけれど、お上手なのよ。」
リリーの反応に満足そうに返したミレーヌは、手をくいっと引っ張った。
「ベッドも家具もお父様がコーディネートしたの。センスがあると思いません?」
エクルベージュの壁紙と合わせたベッドには森と同じ深い緑のカバーがかかっており、絵の水面と同じ色の棚が置いてある。茶色のテーブルも緑のソファーも部屋に合っている。
「何だか落ち着きます。ここに滞在できるなんて夢のようです。」
リリーのその言葉にミレーヌは満面の笑みで、リリーにソファーに腰掛けるように促した。ソファーは絵に近く筆のタッチがよく見える。
「私はこれからお祖母様の所に行ってきますので、リリー様はどうかおやすみになってください。夕方にはまた来ますから、準備をして食堂に案内しますね。」
荷物が運び終わるのを見ながらミレーヌはリリーにカーテシーをしてみせた。リリーが同い年の頃よりも美しいカーテシーに、ますます美少女の虜になりそうになる。マーシャはミレーヌが去るのを見送ると、リリーにお茶を用意して自分は鞄に詰め込まれた服を取り出し始めた。
「夕食会はどれを着ていきましょうか?」
マーシャの問いかけにリリーは頭を悩ませた。
「あまり暗い色は相応しくないし、元々似たものが多いの。どうしましょう。」
リリーの好みは地味でシンプル。元よりフリルや派手な物は数が少ないが、元婚約者からの贈り物を除くと数は激減した。ましてや静養という口実での滞在である。あまり派手ではなく、尚且つ前公爵夫妻の印象は良くありたい。
「こちらはいかがですか?」
マーシャが取り出したのは落ち着いたオレンジ色のドレスだった。胸元はあまり開いておらず、裾の広がりも少なく初対面の前公爵夫妻にも清楚に見えるだろう。オレンジも地味なドレスの中では目立つ色だ。
「確かに良いかもしれないけれど、今日の気分ではないわ。」
寝坊したことがリリーの中では消化しきれていないのに、オレンジは朝焼けを思い起こさせる。
「では、こちらにいたしましょう。」
暫くドレスを見て思案していたマーシャが取り出したのは、ベッドカバーと同じ深い緑色のドレスだった。スクエアネックで程よく肌が出ていて、スカート部のフリルも気に入っている。
「こちらの絵を気に入られたと、良いアピールになります。」
確かにとリリーが頷くと、マーシャは早速ドレスを整えるために部屋を出ていった。リリーはマーシャが助っ人を連れて戻ってくるまで、クルム公爵が描いた絵を見ながらソファーで微睡んだ。
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「まぁまぁまぁ可愛いご令嬢がいらっしゃったわ。」
「腕が鳴るわねぇ。」
使用人の休憩室で嗄れた声のお仕着せを着た老女たち四人が笑いあった。
「何でも卒業パーティーの翌日に婚約者が使用人と駆け落ちしたとか。」
「やだ、私にも無いかしらねぇ。駆け落ちしてくれる貴公子との出会いが。」
「若い時になかったんだから、もう無いんじゃない?」
ケラケラと笑う老女たちの前に現れたマーシャは、苦笑いをしながら手を叩いた。
「アリソンお姉様、出番ですよ。夕食会のドレスが決まりましたから、伯爵令嬢のお手伝いをお願いします。静養にいらっしゃったのと、今日は気分が落ちこんでらっしゃいますので控えめに清楚なイメージでお願いします。」
「坊ちゃんを誘惑するのは、また後日ね。」
「あら清楚が好みなんじゃないの?」
「意外と色気のある美女じゃないかしら。」
孫のようなクルム公爵の好みについて語り出した輪の中からよっこいせと立ち上がった一人の老女は、背筋をすっと伸ばすとやる気に満ち溢れた目でマーシャの後に続いた。
「伯爵令嬢様はどんなタイプがお好みかしらねぇ。」
「探りをいれて坊ちゃんに教えてあげましょうか。」
「お仕事に集中してくださいね。」
マーシャは苦笑いをしながら老女と共に歩を進めると、リリーの部屋の前でミレーヌとお付の侍女が待っていた。
「まぁまぁまぁミレーヌ様、どうなさいました?」
老女が声をかけると、ミレーヌはにっこりと微笑んだ。
「リリー様とドレスを合わせて驚かせたいの。どんな色を着るのか教えてくれない?」
その言葉にマーシャは天を仰いだ。道中でも伯爵令嬢にぴったりとくっついていたが、同室で一晩過ごしたことでより執着が強くなっている。リリーが起きるまで公爵に怒られていたはずだが、全く意に介していないようだ。
「自分をよく見せるのが得意なミレーヌ様が人に合わせたくなるほどお気に入りになりましたか。ただリリー様のドレスは深緑でミレーヌ様のドレスにあったかどうか。」
ミレーヌの後ろに控える侍女は首を横に振った。美少女のミレーヌは暖色系を好んで着ているし似合う。まだ成長期なのも相まって渋い色のドレスは作っていない。
「では、ポニーテールにして同じ色のリボンを結んではいかがでしょうか?差し色に黄色やオレンジなんかが良いかもしれませんわねぇ。」
のんびりとした老女の提案にミレーヌは笑顔で頷いた。
「良い考えね。私のコレクションにリリー様にぴったりのピンクのリボンがあるの。それにしましょう。」
即決したミレーヌは侍女を伴って自分の部屋へと入り、マーシャはため息をつく。その様子に老女は微笑みかけた。
「坊ちゃんのお気に入りじゃなかったのかい?ミレーヌ様は割り切った関係にすると聞いていたけれど。」
「そのはずだったんですが、むしろミレーヌ様のお気に入りになってしまって、父親と張り合っておられます。」
肩を落としたマーシャの背中に手を当て、老女はリリーの居る客室のドアを叩いた。
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「私たちの出番はもう少し後かしらねぇ。」
「奥様が気に入ったら早いんじゃない?」
「ミレーヌ様も大きくなったわね。やりがいがあるわ。」
残った三人は茶を啜り、のんびりと庭を眺めている。
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