リリー、美少女と眠る
「んんん、なんて本なの。」
宿の寝室でリリーは一人唸っていた。出発前に兄から渡された二冊の本は表紙と中身が全く違う。『心の癒し方』と『貴族女性の務め』の中身は『前妻の子供との接し方』『後妻の務め』という今のリリーの現状についてである。兄の心遣いは嬉しかったはずだが、内容が腹黒い。
例えば『自分に子が出来るまでは前妻の子を愛している振りをして後妻に相応しい女性だと思われるようにする。』だの『前妻の子は抱き締めてはいけない』だの首を捻る内容ばかりだ。不審に思って作者を見てみると、稀代の悪女の名前が記されている。兄のことだからわざとだとは思うが、旅立つリリーへの餞別を無下には出来ない。
「こんなの参考にならないわ。」
リリーは本をテーブルに乗せて、ソファーで深くため息をついた。
クルム公爵領への静養にリリーの侍女は同行を許されなかった。道中は公爵家の侍女マーシャを付けてもらっている。公爵邸ではもう一人追加されるらしい。マーシャは母と同年代らしき侍女で焦げ茶の髪を丸みを帯びたボブに整えた働き者である。彼女はリリーが困る前に先手を打ってくれるため、二日しか過ごしていないが不便に感じた覚えがない。
「どうかされましたか?」
こうやってさりげなく声はかけども、決して不快にならない距離感を取ってくれる。しかし今のリリーは声を大にして言いたい。
気心知れた相手とたわいない会話がしたい!!
完璧過ぎる公爵と令嬢、侍女に囲まれてリリーは心の中で呻いている。
トントントン
ノックの音に返事をしようとして、リリーはマーシャに止められた。時間は夜。リリーのお茶の用意を済ませてマーシャも自分の部屋に下がる前の夜更けと言っても相応しい時間である。人攫いかもしれないと体を強ばらせると、
「リリー様、ミレーヌです。遅くにごめんなさい。」
か弱いミレーヌの声にマーシャは扉を開けて仁王立ちになった。
「一体何時だとお思いですか、ミレーヌ様?このような時間に他所様のお部屋を訪問するなど、レディーにあるまじき行為ですよ。」
マーシャの静かに怒る声音に思わずリリーが肩を震わせていると、ミレーヌはダンスのステップでも踏むように部屋の中に入ってきた。腕には大きなクマのぬいぐるみを抱えている。
「リリー様がホームシックにかかっていないかと心配でやって参りました。おまけにこちらの土地にはお化けが出るそうですから、ミレーヌと一緒に寝てくださいませ。」
目がつり上がったマーシャを見ないようにしてリリーの元にやって来たミレーヌは、上目遣いで喋りながらほらとぬいぐるみを差し出した。
「お父様にいただいた物ですが、貸して差し上げます。だから一緒にお布団に入りましょう?」
美少女は得である。魔法にかかったように頷いたリリーにマーシャは大きくため息を吐き、カップをもう一つ用意した。
「良いですか、ミレーヌ様。公爵にはもちろんですが、ゴードン様にも『ミレーヌ様がゴードン様以外の人間と床を共にした』とお伝えしますからお覚悟ください。」
「いやね、マーシャ。未来のお母様とパジャマパーティーをするだけじゃない。」
ゴホッゴホッ
未来の娘となる本人があっけらかんと言う様子にリリーは激しく咳き込んだ。リリーにはまだこの美少女を娘と呼ぶ覚悟が出来ていないのに、なぜだか美少女はすんなりとリリーを義母と受け入れている。
「まだ他言無用のお話でしょう。リリー様、申し訳ございません。ご主人様に明日厳しくお叱りいただきますので、今日はミレーヌ様と我慢してお眠りください。」
噎せる不思議そうにリリーを見つめるミレーヌをどかして、マーシャはリリーの背中を撫でて申し訳なさそうに謝った。
「ありがとうマーシャ、もう大丈夫。ミレーヌ様と仲良く眠るわ。もう下がってあなたも寝てちょうだい。」
マーシャはどう考えても暫く眠れそうにない顔つきでミレーヌを睨んだあと、深く頭を下げて部屋を出て行った。クスクスと笑うミレーヌは既にベッドに入り込んでいる。
「マーシャは私が公爵家に来た時から私の世話をしてくれていたの。悪戯で怒らせるのはよくあるから、気になさらないで。」
リリーは納得した。マーシャのミレーヌに対しての遠慮のなさと、ミレーヌの他に対してよりも横柄な態度はお互いへの信頼の度合いなのだろう。
「私にも気兼ねなく話せる侍女がおります。」
「お父様が熱心に同行を申し込んだ侍女がいたと聞いていますわ。リリー様が心配なんだろうと同情していました。けれどお父様の顔を見て倒れてしまうとうちでは難しいから断らざるをえなかったと。」
令嬢ならいざ知らずプロ失格であると本人も嘆いていた。クルム公爵が我が家に来た二日前、眼鏡を外した公爵を見て倒れた使用人の中に彼女はいた。
『まるで舞台のスポットライトを浴びたような眩しさでございました』
口を揃えて使用人たちがうっとりとする中、彼女だけは悔しそうに唇を噛み締めていた。
令嬢であれば使用人が支えれば良い。だが使用人は倒れた拍子に頭を打ったり、高価な調度品に当たろうものなら解雇どころでは済まない話になる。
『必ず攻略法を見つけてご覧にいれます。待っていてください。』
プロ根性に火がついてしまった侍女は出発当日、強い力でリリーの手を握って誓いを立てていた。
「きっと抜け道を見つけて、追いかけてきますわ。」
リリーは呟くと明かりを消して一人分空けられたベッドに入り込んだ。ミレーヌとの間にはぬいぐるみが置かれ、ぬいぐるみに巻き付けた小さな手だけが見える。
「リリー様は婚約破棄されて悲しくないのですか?」
顔が見えないのはミレーヌなりの配慮と理解して、リリーはミレーヌの手を取ってみた。きめ細かい手入れの行き届いた美少女の手の触り心地は抜群に良い。
「今は悲しいよりも心配が勝っています。相手が経験豊富なようで、振り回されているだろうなと。」
暗闇の中だからだろうか、まだ詳しく知らない年下相手に素直な言葉が出てしまう。ラルフへの悲しみから怒りとなった感情は心配にまで進んでいる。貴族の青年に平民の暮らしは出来るだろうか、そんなに勉強は得意ではなかったのにとリリーは心配していた。
「お相手は使用人だったとか。」
経験豊富という言葉に興味を示すミレーヌにリリーは苦笑いを浮かべた。さすがに婚約者の父親の妾を略奪したとは言いづらい。
「えぇ、平民の使用人でした。詳しい人柄は知りませんが、元婚約者に扱えるタイプではないように思えて心配です。」
「奔放な使用人に惚れ込んだ貴族令嬢が駆け落ちして未知の世界に飛び出すお話がロマンス小説にもありますわ。結局使用人は他国の王子様だったのでちょっと違うのかしら。」
ミレーヌの話す内容はかなり違うし、所詮物語だ。事実であれば上手くいく確率はかなり低いことだろう。だが夢見る美少女には言いづらい。
「さぁ、まだ明日も馬車です。しっかり寝て疲れを取りましょうね。」
興奮したのかウキウキとミレーヌの手が動くのを止めてぬいぐるみごと布団をかけると、ようやく眠る気になったのか手が大人しくなった。
「おやすみなさいませ、リリー様。明日も仲良くしてくださいませ。」
「もちろんです。おやすみなさい、ミレーヌ様。」
ミレーヌの寝息を聞いてから眠りに落ちたリリーは、翌朝寝坊した。その間にミレーヌが兄から贈られた二冊の本を読み切っていたことなど知る由もない。
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「もうお止めなさい。あぁダニエル、この子を止めて!!」
昼食を食べようと食堂に向かうリリーの兄ダニエルに絹を切り裂くような悲鳴と自分の名前を呼ぶ母の声が聞こえてきた。ダニエルにとってはせっかくの休日が邪魔されて最悪の気分だが、声がした庭を見るとますます眉をひそめた。
一人の侍女が中央で何かを叫び、それを周囲の使用人が囲んで一部は覆いかぶさっている。侍女の正面に立ち、自ら手を頭上に手を伸ばしているのは母である。
「……何かのまじないか?」
怪しい新興宗教にでもハマったのかとうんざりしながら近寄ると、皆が頭を下げたが侍女はそのままである。
「太陽を克服すると言って朝からずっと見ているみたいなのよ。」
「奥様、申し訳ございません。私はリリーお嬢様について行く為には太陽に打ち勝たなくてはならないのです。ですからどうか前をお退きください。」
よく見るとリリーに仕えていた侍女で、出発前にも騒いでいた覚えがあった。なかなか面白いとリリーからは聞いていたが、ダニエルには全く笑えない。
「何で太陽に勝つ必要があるんだ?分かるように言ってみろ。」
母に代わってダニエルが侍女の前に立つと、侍女は眉を下げて訴えた。
「私はクルム公爵様のお顔を見て倒れてしまったからリリーお嬢様に同行出来ませんでした。他の者も同様でリリーお嬢様は一人きりで慣れない土地に行ってしまわれたのです。伯爵令嬢が一人で他領になど行ってしまえば、どうなるか分かりません。追いかけるためには公爵様のお顔に耐えなければ行けないと言われました。この近くで公爵様に匹敵する輝きを持つと言えば太陽くらいです。だから朝から見ております。ご安心ください、私は今日お休みです。」
侍女のとんでも理論にダニエルはこめかみを押さえ、母を見た。同じ回答を受けたのか、諦めたように首を振る姿にますます痛みが増す。
「ひとまずお前のリリーに対する覚悟は分かった。俺が公爵の顔への対策を考えてやる。だから俺に免じて部屋に戻れ。」
次期伯爵であるダニエルの言葉に侍女が迷っていると、空に雲が現れ太陽が隠れた。残念そうな侍女を他の使用人は今のうちだと部屋に連れて行った。「うわ、見えない。真っ暗。」と騒いだ声は自業自得だ。
「あなたには何か案があるの?」
心配げに侍女の後ろ姿を見守っていた母がダニエルに問いかけると、嫌そうに頷いた。
「妻が懇意にしている商人から以前サングラスという道具の話を聞いたと申しておりました。手に入れられないか、確認をしている所です。」
自分の妻がクルム公爵を見て倒れないようにと探していたが、数を増やすように言わなければならない。
「あら、さすがあなたの愛しい妻ね。」
揶揄う母に頭を下げ、ダニエルは妻の元に向かった。
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