棚から落ちたのはリリー
ガタガタと揺れる馬車の中、リリーは何とも言えない気持ちになっていた。
四人が余裕で座れるゆったりとしたクルム公爵家の馬車に三人で乗っているから窮屈な訳では無い。乗り心地に自信のあった伯爵家の馬車よりもフワフワで何時間乗っても疲れない公爵家の馬車はクッションまで置かれている気の使いようで眠ることも出来る。ひとまず今はクッションを腰に置き、ミレーヌにいつでも渡せるようにはしてある。
公爵領までの道程は整備された道と上等な馬車、馭者の細やかな気配りによって順調に進んでいる。同行している使用人専用の馬車も乗り心地が良さそうなものだった。
リリーの気持ちを穏やかにさせてくれないのは同乗者にある。リリーを車内で隣に迎えてくれたのは美少女ミレーヌ嬢だ。初対面からわずか二回目にも関わらず公爵領の良いところをいくつも教えてくれ、リリーがケーキが好物だと話すとミレーヌが大好きなケーキを食べに行く約束まであれよあれよという間に約束してしまった。美少女の口から伝えられるデザートの表現はどれも魅惑的で、リリーには逆らえる程の強い意思がなかった。彼女は王都の学園を暫く休み、リリーに付き添ってくれると言う。申し訳ないと何度も断ったのだが、ミレーヌの目に涙が浮かび始めるとリリーが白旗を上げるしかなくなった。
朝から王都を出発して昼休憩を挟んでから一時間。ミレーヌ嬢はクッションにもたれかかって眠ってしまった。そんな彼女に自分の上着をかけているのが、目の前に座るミレーヌの父。クルム公爵だ。ミレーヌとの会話中に何度も感じる視線がリリーを落ち着かなくさせていた。挨拶して以降、リリーとは一言も話をしていない。会話には常にミレーヌが間に入っている。
「ミレーヌばかり話していて申し訳ない。喋り倒した挙句に眠るとは、令嬢の風上にも置けないな。」
ミレーヌがリリーに話しかけている間、手持ちの書類に目を通していたクルム公爵は静かになった車内でリリーに謝った。
「いえ、そんな。大変楽しかったですわ。私に気を使って、正に令嬢の鑑です。」
リリーが首を振るとクルム公爵は開きかけた口を閉じ、何かを言いたそうに眉を下げた。
「私の方こそ公爵領で過ごさせていただくだけでなく、クルム公爵に送っていただくなんて申し訳ありません。」
当初は伯爵家の馬車で向かうと思っていたリリーだったが、出発前に玄関に現れたのは公爵家の馬車で中ではミレーヌが手を振っていた。見送りに出ていた兄を見るとそっぽを向かれたので、リリー以外は知っていたようである。
「女性だけでの旅路は危ない。こちらからエルバ伯爵に提案しておいて、大切なご令嬢を危険な目には合わせられません。あちらでしか出来ない仕事もありますし、ミレーヌも帰るというのでリリー嬢は気にしなくて構いません。寧ろ話し相手をしてくださって助かっています。二人で移動する時は私がずっと話し相手で、『お父様は気が利かない』とよく言われるんです。」
そのミレーヌの可憐な寝顔を見ながらリリーは眉を下げた。
「ミレーヌ様も私のために学園をお休みするなんて、申し訳なくて。」
「学園生活がミレーヌには合わないから良い機会だと言っていました。ミシェルも家庭教師をつけて勉強していましたから、領内での勉強でも良いかと私は思っています。ミレーヌの年頃は心無い言葉を平気で相手に伝える危うさがある。リリー嬢との触れ合いも勉強だと思っています。」
クルム公爵のしっかりとした意見にリリーはなるほどと頷き、ミレーヌの美しい金髪をそっと撫でた。彼女を傷つける悪者などいるのだろうか。
「お母様が居なくなって寂しいでしょうに、明るく接して頂いて私が元気をもらってしまいます。」
「それがミレーヌの望みですから。リリー嬢が笑顔になってくだされば、娘も喜びます。」
クルム公爵の眼鏡越しにミレーヌに見つめる眼差しに学園を卒業したばかりの自分とは違う父性を感じた。ドキリと心が動いたリリーは深呼吸をして、正面を見据えた。クルム公爵と二人きりで話すことが出来るのは、ミレーヌが寝ている今しかない。
「クルム公爵、婚約破棄された私にチャンスを与えていただいてありがとうございます。私に何があろうとも公爵様をサマー嬢からお守りいたします。」
覚悟は出発するまでの間に決まっていた。
貴族令嬢とは結婚して縁を繋いでこそ育てられた価値がある。それが貴族であろうが平民であろうが構わない。生まれた家に利益のある結婚をすることこそがリリーの願いだ。クルム公爵家との縁談はエルバ伯爵家にとっては奇跡のような存在だ。遠く離れた東の土地の言葉で『棚からぼたもち』というのだと噂好きな侍女が話していた。ラルフのせいで予定が狂ったが、転がり込んだチャンスをものにしなければならない。
そう意気込んだリリーに公爵は微笑んだ。
「では私もあなたをガット公爵からお守りすると約束いたします。これからよろしくお願いしますね。あと私の名前はアルフレッドですよ。」
眼鏡越しでも分かるクルム公爵の神々しさにリリーは深く頭を下げて堪えた。
リリーは侍女から伝え聞いているのだ。『あのお方のお顔は耐性をつけないと劇薬です。』と。
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「お祖母様、私のお父様はどうしてあんなにカッコよくて地位があって博学で背も高いのに臆病なの?」
領地に帰り着いたミレーヌは大好きな祖母の部屋でお茶をしながら不満をぶつけた。リリーは屋敷を案内された後は夕食まで部屋で休憩中である。
アルフレッドの母であるアナベルはミレーヌとはもちろん血が繋がっていない。しかしそんなことは全く関係ないほどに仲の良い間柄だ。アナベルは現在公爵夫人の役目を終えると、プラチナブロンドの長い髪を短く切り、元々興味のあった慈善活動に積極的に関わっている。今日もチャリティーに出すマフラーを編みながら、文句を言う孫の話し相手となっている。
「おや、どうしたの?あなたのお父様は昔から勇気がある方だと思っていたけれど。」
アナベルは弟のゴードンや今まであったことのある人間と比べても特段アルフレッドが臆病だとは思わない。幼少期から現在に至るまで兄として公爵家嫡男として当主として怖気付く姿を思い出せなかった。
「お父様とリリー様と私の三人しかいない馬車の中で寝たフリをしてみたの。」
「あら悪い子ね。」
「お父様が悪いのよ。ずっと私の話しかしなかったの。小説だったら隣に座って手を握るとかするじゃない。」
ミレーヌは自分の好きなロマンス小説と違うと頬を膨らませて文句を言うが、アナベルは安心した。婚約破棄されたばかりの令嬢に手を出すような息子であれば、蹴飛ばして家から追い出す所存だ。
「それが現実ですよ。リリー嬢がミレーヌと仲良くしてくださるのが嬉しいのでしょう。」
「違うわ。私とお話するリリー様をずっと見ていたのよ。時々顔を書類に隠して、話に加わりもせずにずっとよ。リリー様を見て幸福に浸っていたんだから。」
身振り手振りをつけて話すミレーヌにリリー嬢の意識はずっと向いていたことだろう。ミレーヌに注目している間にアルフレッドはリリー嬢を好き放題眺められたということだ。
「それなのに、二人になったら私の話ばかり。だから昨日してやったわ。」
「何を?」
不敵に笑う孫にアナベルは遠い目をした。父親にしてやったとは何だろうか。
「お父様よりも先にリリー様と同衾してやったの。」
アナベルは少女の口から出るべきでない言葉に目眩を覚えた。書庫にあるロマンス小説が孫に悪影響を及ぼしている。自分の趣味を提供したつもりだったが、年齢制限は必要だったと痛感した。
「同衾なんて言葉はお止めなさい。一緒に寝ていただいたで良いでしょう?学園生活の話もゴードンから手紙で聞いていますよ。意地悪をした侯爵令息を泣かせるくらいに言い負かしたらしいですね。」
「しょうがないわ。皮肉ったら意味が分からないというんだもの。だから悪い子にも分かる言葉で、ていねいに教えて差し上げたの。そうしたらワンワンと声を上げて泣いたただけですわ。」
大人ばかりと暮らしていたのがいけなかったのか、ミレーヌは同年代の中で浮いてしまっているのかもしれない。リリーという少女と過ごすことはミレーヌにとって良い影響を及ぼすことだろう。先程会ったばかりの令嬢にアナベルは孫の成長を託すことにした。
「そういえばリリー様、『前妻の子供との接し方』と『後妻の務め』っていう本を持ってらっしゃってたわ。中身が面白くて、リリー様が何をしてくれるのか楽しみでしょうがないの。」
前言撤回。アナベルは悪戯な笑みを浮かべる孫からリリー嬢を守ることを決心した。
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