リリー、命じられる
「私が静養するためにクルム公爵領に行く?」
恙無くクルム公爵一家を見送り、応接室に戻ったリリーに父は言った。
「リリー、明後日からクルム領へ静養に向かえ。」
と。
ミレーヌ嬢の発言からてっきり婚約話だと思っていたが、噂を聞いて静養を勧めにいらっしゃるなんてどれだけ善良な人なんだ。と、リリーは思った。
「この阿呆が。妻を亡くした公爵がいきなり交流のない若い女と結婚したら周りから批判されるだろうが。裏があるんだよ。」
リリーの心を読んだかのような兄に呆れられて、リリーは頭を振った。前言撤回、結婚話だった。
「先程公爵が仰っていたガット公爵に関係がありますの?」
義姉が問いかけると、兄は嫌そうに頷いた。おっとりしている割に鋭い人だから、兄はベタ惚れだ。
「ガット公爵がリリーに、その娘サマー嬢がクルム公爵に、それぞれ結婚を打診している。それを断るには結婚するのが簡単じゃないかというのがクルム公爵の言い分だ。兄としてはどちらも嫌だが。」
「は?」
リリーが思わず声を漏らしたのは自分の結婚話にではなく、クルム公爵とサマー嬢が夫婦になる想像が出来なかったからだ。ぽっちゃりなんて言葉を通り越したふくよかさな体を持ち、素顔がまるで分からないとまで言われるほど厚化粧のサマー嬢をクルム公爵の横に置いても夫婦だと思う人間はどれくらいいるだろう。それが政略結婚だと普通になってしまうのだが、クルム公爵は避けたいらしい。前妻が麗しいミシェル夫人だったのだから無理もない。
「色々外堀を埋められて困っていたらしい。そこに運良くリリーが婚約破棄をされた。」
父が補足するように言うが、運良く?運良く?とリリーは頭を悩ませた。娘の反応に失言を自覚した父はバツの悪そうな顔で続けた。
「私で良いと?」
サマー嬢よりはという言葉を言外に問いかけると、父はしかめっ面で頷いた。リリーも自分とサマー嬢を思い浮かべて、自分がクルム公爵だったらと考える。
「容姿は若さで補える。性格も派手な騒ぎを起こしそうにない。家格も同等では無いから優位に立てるし、何よりも親の人間性はまぁまとも。」
兄が客観的に唱えると、父と母、使用人たちが何とも言えない表情で頷いた。
「良かったな。公爵様に公爵令嬢よりもマシだと評価されたぞ。」
兄に背中を叩かれたリリーは複雑そうに手を払い除けた。
「お兄様、サマー嬢を並の公爵令嬢に入れるのは失礼だと思うわ。」
どちらに失礼かは言わずもがなだが、リリーはため息をついた。
「けれどなかなかの良物件だわ。サマー嬢が狙うのも頷けるわね。」
おっとりした義姉の言葉の通り、クルム公爵は子持ちで結婚歴ありではあるが、本人がまだ若く前妻は病死で瑕疵はない。子供は美少女で秀才。問題があるとすれば早すぎる再婚の時期くらいだろう。
「私の方からは断らなかったが、静養中にもしクルム公爵にとんでもない汚点があれば連絡するように。無ければあちらから求婚していただける。」
父の畳み掛けるような早口で話は終わり、リリーは荷造りをすることにした。
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「コホン。確かにガット公爵から娘との縁談話は届いておりますが、何故それをクルム公爵はご存知か?」
女性陣を庭に追い出した所で、エルバ伯爵は話を切り出した。クルム公爵からの訪問したい旨の手紙より数時間前にガット公爵からの遣いがやって来て後添いにならないか?と直筆の手紙が届いたのだ。
「タイミングですよ。前回も同じような頃合でした。ガット公爵が離婚し、数ヶ月すると婚約破棄される令嬢が現れた。それが数ヶ月前に離婚された前の夫人です。」
クルム公爵は取り出した紙にはガット公爵の婚姻の遍歴が書いてあった。
「それがガット公爵の手引きだとでも言うのでしょうか?妹が婚約者に駆け落ちされることが?なんて馬鹿らしい。」
悪態をついてクルム公爵に食ってかかるリリーの兄ダニエルをクルム公爵の弟ゴードンはまぁまぁとなだめた。
「駆け落ちが仕組まれていないとしても、ガット公爵は婚約破棄された令嬢ばかりを妻にしています。事実今回はあなたの妹に話が回ってきた。」
そう返されればダニエルも黙る他はない。
「しかしガット公爵の再婚話を何故クルム公爵が気になさる?」
エルバ伯爵が問いかけると、クルム公爵がため息をはいた。
「陛下がこの件に関して憂いておいでだからです。若い令嬢を妻として娶り、数年で別れることを繰り返している。彼女たちとの離婚理由は毎回同じで、子が出来なかったからと。ガット公爵は愛人も作らず、毎夜子作りに励んだと吹聴しているようです。彼女たちは周りから白い目で見られ、修道院や実家に引きこもる者、次に嫁いだ先で酷い扱いを受けている者ばかりだと聞いています。このままでは縁が続かない家や、跡継ぎが残らない家が出てもおかしくない。」
確かに聞いたことのある話だったが、自分には関係ないと思っていた伯爵は眉間に深く皺を刻み娘のことを考えた。もしガット公爵と結婚し数年で離縁されたとして、リリーが幸せになれる再婚相手を見つけられるだろうか。夜会で別れた妻との営みを何年経っても面白おかしく話すガット公爵に嫌悪感を感じたことはあったが、もし自分の娘の話であったなら立場を忘れて胸ぐらを掴み殴り殺すだろう。実際に何度かガット公爵は元妻の親族から命を狙われているらしく、屈強な護衛が何人も付いている。
「おまけに娘のサマー嬢も父親と同じことをしようと、兄に声をかけているのです。自分の取り巻きや気に入っている商会を使って『ミシェル夫人は夫が早く再婚することを望んでいた。サマー嬢ならば安心だと周囲に伝えていた。』と妄言を撒き散らしているのです。」
「は?あの厚塗りお化けが?」
ゴードンの困った声にダニエルが思わず声を上げた。サマー嬢とクルム公爵の並んだ姿を想像した使用人たちは青ざめ、小さく声を漏らしたが誰も咎めない。
「厚塗りお化け、良いネーミングですね。これから裏で使うようにします。」
ダニエルの言葉にゴードンはケラケラと笑ったが、公爵本人は苦笑いを浮かべただけで首を横に振った。
「私はサマー嬢を妻にすることに抵抗はありません。寧ろそのまま幽閉するには良い案かと思っています。彼女も若い使用人や商会の人間を好きなように扱っていると言われていますから。それよりもリリー嬢をガット公爵から守る手立てとして、王都を離れて静養することを勧めたいのです。」
「静養?」
伯爵とダニエルが顔を見合わせると、クルム公爵は捲し立てるように話し始めた。
「ええ、幸か不幸か駆け落ち騒ぎでリリー嬢は心を病んだという噂が広まっています。それを理由にガット公爵から逃げようとも王都では家に乗り込まれる可能性がある。それならば物理的に距離を置いてはどうかと提案をしに来たのです。彼はプライドが高い。婚約破棄された可哀想な令嬢を助けてやり、子作りも嫌々協力していたと笑い飛ばす男です。地方に追ってくるなんてことは出来ないでしょう。」
確かに若い娘の尻を追いかけているなんて噂はガット公爵からしてみれば、恥でしかないだろう。では何処に娘を隠すかとエルバ伯爵が考え始めると、隣に座っているダニエルがニヤリと笑った。
「我が領くらいなら見舞いと称してガット公爵も来るかもしれませんね。クルム公爵領にどこか良い療養地はありませんか?例えばミシェル夫人が過ごされたお屋敷とか。」
「なっ。」
思わず声を上げたのはクルム公爵で、伯爵は息子に怒鳴り声を上げた。
「ダニエル!クルム公爵から良い提案をいただいただけでなく、妹の世話までさせる気か!」
「どうせならご縁を頂けないかとこちらからも提案させていただいただけのこと。厚塗りお化けよりは妹と結婚した方がマシかと思いまして。」
慇懃無礼な態度を崩さないダニエルにゴードンは微笑んだ。
「話が早くてありがたい。兄は良くても、私はサマー嬢が義姉になることは反対の身でして。出来ればリリー嬢との縁談をお願いしたいと付いてきたのです。」
「ゴードン、裏切ったな。リリー嬢を救うための訪問だからそんな話はするなと言っただろうが。」
クルム公爵は低く唸り声を上げながら立ち上がり、眼鏡を外して弟を睨みつけると伯爵家のメイドたちは悲鳴を上げた。その声に我に返った公爵がメイドに目を向けるとメイドたちはパタリと倒れ込んだ。
「怒ったら眼鏡を外す癖をどうにかしなよ、兄さん。女性に迷惑がかかるだろ。」
睨まれても平然としていたゴードンは兄に眼鏡をかけ直して、座るように促した。
「申し訳ありません。兄の素顔を見ると、高位の貴族女性たちでも倒れる方がいるのです。普段はこうして防いでいるのですが、激昂すると外してしまう癖があって困ったものです。」
弟に説明をされながら眉を下げるクルム公爵にダニエルはくくっと喉を鳴らして笑った。
「それは眠る時も大変でしょう。私の妹が耐えられると良いのですが。」
「ですから!」
「心を病んだことにすれば、ガット公爵は疎か他からの縁談も雀の涙ばかりになるでしょう。であれば、クルム公爵の後妻にしていただけた方が妹も幸せになれる確率が高いと思います。」
クルム公爵の反論を聞こうともせず、ダニエルはつらつらと喋り父の方を見た。心が弱いというのは男女どちらにとっても結婚から遠ざかる要因とされる。偽るのであれば、リリーは独身を通すか待遇の悪い嫁ぎ先に行くことになるだろう。
「どれが我が伯爵家にとってもリリーにとっても良い選択か分かるでしょう?嬉しいことにクルム公爵も満更でもないようだし、さっさと決めてしまった方がいいと思いますよ。」
静かに話を聞いていた伯爵は長く息を吐いたあと、クルム公爵の方を向いて頭を下げた。
「不躾なお願いとなりますが、どうか娘をもらってはいただけないでしょうか。あれは幼い時から貴族令嬢という生き方を覚悟しております。ガット公爵から離婚されれば、きっと心が死んでしまう。どうかクルム公爵の後妻にして、サマー嬢除けにでもしてやってください。その方が、あれは生きる意味を見出すことでしょう。」
その言葉にクルム公爵はぐっと否定の言葉を飲み込んだ。じっと自分を見つめるエルバ伯爵の圧に押されたのだ。
「ひとまず我が領にて静養ということにいたしましょう。兄とリリー嬢の相性に問題がなければ婚約、結婚ということで。お互いよりもガット父娘の方が良かったということであれば目も当てられませんから。リリー嬢が兄ともガット公爵とも結婚したくないということであれば良い嫁ぎ先か修道院を紹介しますよ。」
手を打って場を仕切るゴードンに押されるがままに話は進み、馬車で休みながらだと三日はかかるクルム公爵本邸にリリーは準備出来次第出発することになった。
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