リリー、美少女と散歩する
ガット公爵
国王陛下の従兄弟で元王妃様の甥。年の頃は五十代の後半。数年おきに離婚、その後数ヶ月で結婚を繰り返している有力貴族。結婚相手は若く初婚であること以外に特徴はなく、伯爵令嬢から有力な商家の娘まで多岐にわたる。子供は初めの結婚相手との間に娘のサマーのみ。四十歳を迎えた彼女も父に劣らず色恋沙汰を繰り返し、経験と金と体重を増やしているらしい。
クルム公爵を含む今まで近寄った覚えもない上級貴族の名前にリリーは目眩を覚えた。父に追い立てられるように母と義姉と共に、ミレーヌ嬢を庭に案内しながらも応接間での会話が気になって仕方がない。
「なぜ男の人だけでお話されるのでしょう?女性にだって聞く必要があると思いますわ。」
隣から聞こえるミレーヌ嬢の声に周りに苦笑いが広がった。父は幼い少女のミレーヌを汚いものから引き離したかったに違いないが、大人ぶる年頃の少女には響いていないようだ。
「リリー様、綺麗なお花がいっぱいですわね。」
ミレーヌが母自慢の花壇に駆け寄った際に足元の段差に躓き転びかけてから、リリーが手を引いている。嬉しそうな声と手をぎゅっと握られる感触に、リリはあっという間にミレーヌの可愛さの虜になった。以前から美少女っぷりは有名だったが、年が離れているため卒業パーティーまでお目にかかる機会がなかった。成長が楽しみすぎるミレーヌ嬢をきっとクルム公爵と婚約者のゴードンは誇りに思っていることだろう。
「そうですね、ミレーヌ様。母が大切に育てた花々を気に入っていただけて嬉しいですわ。」
リリーがミレーヌ嬢に微笑みかけると、ミレーヌ嬢は小さく笑った。
「リリー様はお元気がないと聞いていました。それなのに私たちが急に訪問してしまって、お父様がとても心配していたのです。笑ってくださってミレーヌは安心しました。」
縁もゆかりも無い美少女に心配されたことに驚き、リリーは遠くを見つめた。まさか昨日までやけ食いしていたなんて、この可憐な貴族令嬢は思いもよらないだろう。
「ミレーヌ様に手を繋いでいただいたら、元気が出ました。ミレーヌ様のおかげですわ。ありがとうございます。」
リリーが気を取り直してミレーヌと目を合わせて礼を言うと、ミレーヌはリリーの手を離し前に回って両手を広げた。
「ミレーヌを抱きしめたらもっと元気が出ますわ。さぁ、どうぞおいでくださいませ。」
あまりにも自信満々なミレーヌ嬢の表情に思わず吹き出し、言葉に甘えて抱きしめるとミレーヌは背中に手を回してくれる。
「お父様もゴードンも執事のマーティンもメイドのモーリーもこれで元気になりました。私の元気を分けてあげます。」
美少女に抱きしめてもらえるだけで心が満たされる感覚をリリーが満喫していると、後ろから母に肩を叩かれた。
「ミレーヌ様が可愛いからといって甘えていてはいけませんよ。ミレーヌ様にお礼を言いなさい。」
母の声からは美少女を抱きしめられて羨ましいという気持ちがダダ漏れだが、言っている内容は正論である。確かに美少女をリリーが独占するわけにはいかない。リリーが渋々体を離すとミレーヌが手を胸の前に組み、リリーを見上げた。
「リリー様、お願いがあるのです。叶えていただけたらミレーヌの物を何でも差し上げますわ。」
目を潤ませた美少女に自分の首が勝手に縦に振ろうとするのを、リリーは必死に押しとどめて微笑んでみせた。
「ミレーヌ様。初対面の人間にそんなことを言ってはなりませんよ。危ない目にあってしまいます。」
「リリー様はそんなことしませんわ。」
ミレーヌはリリーの言葉を打ち消すように遮ると、唇を尖らせ上目遣いでリリーを見つめた。リリーはミレーヌの瞳を見つめながら衝撃を受け流すように胸に手をあてた。周りを見ると母も義姉も使用人も同じように胸を押さえている。皆、美少女の虜だ。
「それでミレーヌ様のお願いとは?」
ミレーヌの願いを聞いてみないと叶えられるかは分からない。出来れば叶えてあげたいが、婚約者に逃げられたことしか特筆することのないしがない伯爵令嬢に何が出来るのだろう。
「ミレーヌのお母様になっていただきたいのです。」
嬉しそうに願いを伝える美少女に、リリーはクルム公爵一家が我が家に来た理由を思い出した。
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エルバ伯爵家からの帰路、馬車の中でミレーヌは上機嫌だった。
リリーはミレーヌのお願いに口ごもり、返事はしてもらえなかったが手応えがあった。ミレーヌの義母になることに嫌悪感は感じられなかった。問題は普段の力を半分も発揮出来なかったらしい父である。
「私、リリー様と手を繋ぎましたわ。とっても柔らかい手でした。」
わざと自慢げに話してやれば、向かいに座る父はビクリと体を揺らしてから持っている書類に目を落とした。
「ねぇゴードン、お話は上手く行きましたの?」
隣に座る愛しい婚約者に話を振れば、分かっているだろうと苦笑いを浮かべて頷かれた。
「ひとまず心を癒すという名目で我が領に来て頂くことになったよ。我が領は静養にもってこいだからね。」
「全く病んでらっしゃらなかったけれど?」
目の錯覚か、卒業パーティーの時よりも少しだけふくよかだったような気もする。病むとはやせ細ることではないのか?ミレーヌにやけ食いという発想はない。
「噂は上手に使わないと。領地で療養中に兄上との交流でお互いの心を癒す存在となり、周囲からの再婚の勧めもあり結婚を決める。」
「まぁ素敵な恋愛結婚。誰も文句は言いませんわ。」
ミレーヌが手のひらを胸の前で合わせて、お芝居のようにわざとらしく喋るとゴードンは耐えきれずに吹き出した。悔しそうに父が手元の書類から顔を上げて見てくるが知らんぷりだ。
「ミレーヌ、兄上は自分の不甲斐なさを痛感しているんだ。エルバ伯爵の嫡男にリリー嬢への気持ちを気付かれて、睨まれたんだ。許してやってくれよ。」
その言葉に父は書類を足元に散らかした。社交界では上手くやっているらしいが、身内の前では心を隠すのが下手である。座席を降りて書類を手渡してあげながら、ミレーヌはマジマジと父を見つめた。身内の欲目があるかもしれないが、父の顔は完璧だ。少々たれ目なゴードンの顔の方がミレーヌの好みだが、それは一個人の感想であって全体評価は父の勝ちであろう。切れ長な目も整った鼻筋も、優秀な頭脳も長身も公爵という肩書きもあるというのに、今日の父は自信なさげである。
「一目惚れした相手がせっかく手に入るチャンスなのに、どうして強引に奪えないのかしら。」
公爵からの申し出であれば、余程の理由がなければ断られることは無いだろう。ましてや悪漢から救おうという大義名分まである。大手を振って手に入れて、あとは甘やかして愛してメロメロにするだけである。
一週間と一日前にあった卒業パーティーで、ミレーヌの付き添いで参加した父はリリー嬢を見て「美しい」と呟いた。今まで誰を見ても言わなかった言葉を聞いたミレーヌとゴードンはリリー嬢が伯爵令嬢であること。一年後に長年の婚約者と結婚することをその夜までに調べた。さてどうやって父と乗り換えさせようかと思っていた矢先にその婚約者が駆け落ちしたという話が舞い込んできたのだ。これは運命だと父を説得している最中に、今度は悪名高いガット公爵が後妻にしようと縁談を申し込んだと連絡が入り、ミレーヌの自慢の父はやっと重い腰を上げた。
「ガット公爵と同じことはしたくない。」
書類を諦め窓から外を見る振りをして過ごすことにした父が小さな声で呟くのをミレーヌは聞き逃さなかった。ゴードンも同様だったようで、二人で顔を見合わせる。
・公爵
・結婚歴有
・娘がいる
「確かに似てますわ。違うのは年齢くらい?」
ミレーヌが漏らした言葉に父は肩を落とした。だが父はガット公爵と違ってリリー嬢に惚れている。今回ミレーヌとゴードンが同行したのはリリーの内面を知りたかったからだ。調査報告では侍女とも分け隔てなく交流し、傲慢でもなければネガティブでもない。学力も問題なく、散財癖もない。父親の爵位も含めて公爵夫人になっても問題ないとの判断だった。
そこでミレーヌは仕掛けた。わざと目の前で躓いてみせ、リリーの反応をみた。するとリリーは手を出して自然と繋いでみせたのだ。今まで幾度か父の後妻候補に試してみたが、扇で顔を隠して馬鹿にしたり、責任を取らされると思ったのか顔を青くして距離を取ったりする人間ばかりだった。いくら評判の良い令嬢でも中々自分が助けようとする人はいなかった。婚約者に駆け落ちされたばかりなのに相手を気遣うリリーの姿にミレーヌは確信した。のこの人ならば安心して父を任せられる。
「けれど私、リリー様を気に入りました。ぜひ私のお母様になって欲しいと心から思っています。」
ミレーヌの言葉にゴードンは意外そうに眉を上げた。伯爵家に行くまでは「父の好きになった人がよほどの問題児でなければ賛成。父の妻であって、私の母ではなくて良い」というスタンスだったはずなのに、「母になってもらいたい」まで短時間でミレーヌの心が動いたらしい。
「私もエルバ伯爵家とは縁を結ぶのは賛成ですよ。特にリリー嬢の兄は身内になって損は無いかと。」
特産品の茶葉は国内外でも評判が良く、領地の状態も安定している。ゴードンが同行したのはリリーの家族を判断するためであったが、伯爵の嫌がらせも、娘を思えばこそだろう。それを咎めない家族や使用人もよく統率ができている。なかなかに面白い家ではあるが。
「もう伯爵との話は完了したのですから、兄上はリリー嬢が心地よく過ごす環境を作る他無いでしょう?彼女はきっと自分のことを兄上の虫除けだと思いますから、違うと伝えるのは兄上の仕事ですよ。」
実際に伯爵と嫡男にはそれらしく伝えてきたのだ。彼女は政略結婚と割り切り嫁ぐことだろう。上手く口説いて幸せになれるかは公爵の行動次第だ。
「しかし彼女は婚約破棄されたばかりで…外見には見えなくとも、繊細な心はきっと。」
言い淀むクルム公爵に、「あっ」と何か思い出したのかミレーヌが声を上げて微笑んだ。
「私、先程リリー様をぎゅうと抱きしめましたの。とっても『柔らかかった』ですわ。」
『どこ』をとは言わない娘の挑発に、クルム公爵は頭を抱えた。
読んでいただき、ありがとうございます。
今週は月から金まで更新する予定です。
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