些細なことは気にせずに
とある王国の公爵家令嬢であったマリアンヌが十六歳になった時のことだ。
『ハ~イ、マリアンヌ! 貴女は大聖女なのよ!』
……神の啓示が降りた。ノリが軽いのがいささか気になったが、置いておく。
とにかく、マリアンヌはその時、初めて自分が大聖女であることを知った。
『ついでに二十年後、王国の辺境の地に巨大魔獣が降り立って国を滅ぼすかもね~』
「はい?」
『だから、国が亡びるかも? 以上、またね!』
「わたしに言われても……」
一応、王国の成人年齢十六歳に達しているとはいえ、人生経験の浅いマリアンヌ。たいへんに戸惑った。
しかも、神は具体的に何をせよ、とは言ってくれなかった。
二十年後の自分は三十六歳。
ちょっと厳しいか?
いや、婚活ではないのだ。
その時まで、しっかり修行をすればいい。
大聖女の力を百パーセント発揮できれば、巨大魔獣と渡り合えるかもしれない。
王太子妃候補の一人であったマリアンヌは、あっさりその座を手放した。
生まれ育った王国は愛していたが、王太子やその妃としての地位に未練はない。
だいたい、王太子妃や王妃なんて結構忙しいのだ。
聖女の修行の時間が無くなってしまう。
善は急げと、王太子妃候補を辞退したその足で教会本部に赴き、聖女の修行をさせて欲しいと申し込んだ。
ところが、ここ三百年王国は平和で、教会には聖女などいなかったし、修行のやり方を知っている者もいない。
教会の責任者は素直に頭を下げ、他を当たって欲しいと告げた。
そういう事情なら仕方ない。
マリアンヌはとりあえず、辺境の地を目指すことにした。
いったん実家の公爵家に戻ったマリアンヌは、意外にも婚約者候補辞退に狼狽えることもない父に、旅に出るための馬車を強請った。
「いや、実はさ、お前が生まれる前の晩、神が私の夢枕に立って『あなたの娘はすごいことをするでしょう』とお告げをくれたんだ」
大雑把なお告げを、大雑把に受け取った父は、マリアンヌが何をしても受け止めようと決心したのだという。
そんな父のお陰で無事に辺境の地に着いたマリアンヌだが、そこには修行するような修道院もない。
あるのは寂れた教会が一つだけ。
他に神を祀るものもなく、マリアンヌはとりあえず、そこで働くことにした。
教会には年老いた神父と、中年の修道女が二人だけ。
そして併設の孤児院には、たくさんの子供たちがいた。
ある程度育った子供が年下の者の面倒を見て、なんとか回っているのだった。
公爵家のお嬢様育ちであるマリアンヌは、掃除も料理も子供の世話も、何一つしたことがなかった。
しかし、そこは行動力と決断力がずば抜けた大聖女(の卵)である。
なんとかしようと頑張った結果、なんとかなった。
教会での奉仕は、知らないうちに大聖女の力を高めた。
マリアンヌが悩んでいた修行は、意外と簡単に進んでしまったのだ。
というわけで日夜、子供の世話で睡眠時間を削っても、炊事洗濯で手を酷使しても、疲れも肌荒れも隈も知らないマリアンヌである。
すっかり神父と修道女と子供たちに頼りにされるようになった彼女は、地元でも評判になった。
田舎の寂れた教会に、王都から現れたご令嬢。
目立つのが定め。そして、申し遅れたがマリアンヌは美女!
評判が評判を呼び、とうとう領主の息子が求婚に来た。
が、そんなものに構っている暇はない。
「私には神に与えられた大いなる使命があるので、お断りいたします」
ところが、その晩のこと。
久しぶりに神が話しかけてきた。
『領主の息子と、あなたの子がこの世界を救う勇者となるでしょう』
いや、遅いって! 求婚断ったばっかりだって。
なぜ、なぜにもっと早く言わない?
『ごめん、うっかりしてた』
酷い話だ。
ちなみに辺境で日々、魔物と戦う領主の息子は強い。
「どうしたら彼を手籠めにできるかしら?」
マリアンヌ、子種だけもらって子を産み、勇者に育てればいいと考えた。
ここ数年の経験で、子育てには少々自信がある。
『そう来たか~! いや、求婚されてるんだから普通に結婚すれば?』
「一度、お断りしてるのに?」
『彼は脳筋だから、細かいことは気にしないって!』
さすが神のお告げだ。その通りだった。
翌日、領主館を訪れたマリアンヌが申し込みを受けると言うと、すぐに寝室に連れ込まれた。
数年後には無事に息子が生まれ、すくすくと育った。
住まいは領主館だが、マリアンヌは相変わらず子供たちの世話のために毎日出かけている。
息子も教会の子供たちと一緒に、逞しく育って行った。
しかしながら、マリアンヌは不安を抱えていた。
巨大魔獣が現れるまで、もう時間がない。
その時、息子は十歳。十歳の勇者。大丈夫なのだろうか?
そうこうするうち、約束の時が来た。
「魔獣だ! 巨大魔獣が現れたぞ!」
逃げ惑う領民、怯える子供たち。
「お母様、僕の出番だね」
息子のジルベールが静かに言った。
「知っていたの?」
「うん、時々、神様が僕にいろんな話をしてくれたよ」
あの神のこと、全てが有難い話だったとは思えないが、今この時に息子が怯えていないのは神のお陰だろう。感謝せねば。
「お母様、一緒に来てくれる?」
「もちろんよ」
実感はやや薄いが、マリアンヌとて神から大聖女と言われたのだ。
ここで出なくて、どこで出る。
すでに領主を継いでいる夫は、領民の避難に奔走している。
マリアンヌは心の中で、優しかった夫に礼を言う。
対峙してみると、巨大魔獣は本当にデカかった。
「教会の建物より大きいわね」
「本当だね」
母子は巨大魔獣の目前で、のんびりと会話していた。
確かに魔獣はデカかった。
デカいのは間違いないが、見た目が子犬なのだ。
しかも、敵意も殺意もまるでなく、どうしていいかわからなくて、今にも泣きそう。子犬は心細そうに、マリアンヌたちを見下ろしている。
マリアンヌは優しく言った。
「お座り」
大人しく従う子犬は、大きさが半分くらいになった。
次は、ジルベールが話しかける。
「よしよし、怯えなくても大丈夫だよ。お手!」
子犬はジルベールの小さな手に、自分の片方の前足を乗せようとした。
そのままではジルベールが潰されるか、と思った時、シュンっと子犬が小さくなる。
子牛サイズまで縮まった子犬は無事、お手に成功した。
マリアンヌは子犬の後ろを見る。
そこには禍々しい魔人が不満げな顔で立っていた。
「おやおや、私の魔法を無効化するとは。
なかなか、やりますね」
「あなたはどなた?」
「魔王城が四天王の一人、ノワールと申します」
「そう、私は大聖女マリアンヌ」
「……大聖女!? この国の教会は聖女など一人も擁していないはずでは」
「教会には所属していないわ。私は辺境の孤児の世話係ですもの」
「何と言うこと! 魔界は神に謀られたか!」
「あなたの目的は何?」
「魔力を注いで魔獣化させた動物で、国を混乱させること。
だが、私の魔力をほとんど注ぎ込んだ子犬がお手ひとつで、元に戻されてしまうとは……」
「あなたは魔界に帰るの?」
「魔力がほぼ枯れてしまったので、もう帰るのは無理だ」
「そう。では騒動を起こした罰として、領民を助けなさい」
「私が人間の手伝いをする、だと?」
「嫌なら、私の聖なる力で消し炭に」
「……それだけは勘弁してくれ。わかった、従おう」
さも、大聖女ですわ、という顔をしながら『聖なる力ってどうやって使うのか、いまいち分かってないのよね』とマリアンヌは心中で舌を出した。
その後、自称元四天王の魔人は教会の下男としてこき使われている。
子牛サイズの子犬は、人に危害を加えないよう、しっかり躾けられ、領主のお供に、孤児院の遊び相手に、充実した犬生を送っている。
マリアンヌはと言えば、相変わらず孤児院の世話をし、賢い息子を愛した。
そして、意外と気の合う夫と末永く幸せに暮らしたのだった。
巨大魔獣出現後は特に危険の兆候も無いので、ご神託を控えた神様。
『あ、もうひとつ、言い忘れてた!』
実は、大聖女の大は大雑把の大。
大雑把聖女、略して大聖女だったのです。