不死性は文学だからではない、冬の朝廷を超えて春に届くように
和歌の文化が定着したのは、飛鳥、奈良時代の二人の歌人、柿本人麻呂、山部赤人の功績によるところが大きい。
「人麻呂はあか人が上に立たむ事難く、あか人は人麻呂が下に立たむ事難くなむありける。」古今集序文
また、これを平安時代により広めたのは、奈良帝、平城天皇だと言われている。
「古よりかく伝わはれるうちにも、奈良の御初む時よりぞ広まりにける。」古今集序文
この三人は非常に重要で、特に人麻呂は他の歌人が歌仙と表現される中、一人だけ歌聖と呼ばれていてその重要性が分かる。
「かの御時に、おほきみ(み)つのくらゐ、柿の元の人麻呂なむ歌の日知なりける。」古今集序文
また、聖の読みは『ひじり』で、万葉集の時代には『日知』日を知る者と意味文字で書かれている。
身分を考えない場合、歌仙からすら別格扱いされている事に注意して見て欲しい。
百人一首から和歌を知ると、天皇でもなく女性でもないという事で、あまり重要性を知られていない二人であると思われる。
枕草子では、『春はあけぼの』『夏は夜』等、太陽に関しての使い方等、和歌でどのような物を扱うのが適しているのか、という事を学べる。
そして、それは人麻呂に付いても同じだ。
古今和歌集の序文や長歌にはかなり分かり易く用法が類推できる物が多い。
『枕詞』の解説は現代ではでたらめである。
『呉竹』に付いて見て行けば分かる。
「呉竹の世に聞こえ」「呉竹の憂き節を人にいひ」これらもまた、古今集の序文からだが、歌以外の用法が有る時点で、意味の無い言葉だったり情緒を足す為の言葉では無い、ただの修飾子だ。
そして、これは古今集の和歌の中にも使われている。
『呉竹の 節世の古言』 01003 [詞書]短歌:ふるうたにくはへてたてまつれるなかうた
壬生忠岑の作品なのだが、明らかに和歌を指す言葉として使われていて。
必然的に、『呉竹の節世』と言うのが、柿本人麻呂が活躍した時代を指している事に気が付く。
これが起点になり、和歌=節=不死=富士=伏し=淵と言った感じの関連付けがなされている事も気が付く。
文学は寿命を超える 不死
和歌が作られた時は 節
諷刺の文学である 伏し、伏見、『鳴く鹿のおきふし(起伏し、起き臥し、置き節)は』古今集序
諷刺で心にたまった物を吐き出した 淵
更に、不死に関する物として。
落葉樹と対比し、青柳、松(葉)
音羽、『音羽の滝の 音に聞く 老いす死なすの 薬かも』
これ等を纏めると、文学の不死性を述べているのではなく、本当の君主が女だったと言うのを「時を超えて伝えたい」と言っている事が分かる。
「君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」
これに付いての結論だが。
さざれ石 = 和歌
さざれ石の巌 = 和歌文化
それが『苔が生えるほど残る事で』と言うのが一般的に訳されていない部分だ。
『千代に八千代に』はそのまま長くと言う意味で、不死性を表している一部になる。
では『君が代』とは何なのか?
『これはきみもひとも身を合わせたりと言うなるべし。』古今集序文
『徳仁、明仁、裕仁、嘉仁、睦仁、統仁、恵仁、兼仁、英仁……』 歴代天皇の和名 ○仁……
女性が君主だった事を時を超えて伝える為、名前を常に仁としてきた者達が居る。
かみさんの治世を
千代に八千代に
和歌が
和歌文化と成り
苔の生えるほど伝わる事で