男じゃなくて女です
次は『一つの目的』に付いて解説していく。
通常、風刺とは時代毎に遠まわしな嫌味を言うぐらいで、共通の目的は持っていない。
これは絵画でもそうだ。
マスメディア批判、現在の治世者批判、世情を描いた絵など様々だが、和歌はこれらとは異なる。
まずは諷刺である事を知る為に、『世も末』と言う言葉から。
世の末とは、冬である。
政権末期や末期症状なんてのと同じだが、季節で表す。
で、これを基準に四季全てに意味が有る。
冬 末期
秋 終わりに向かう
春 再生
夏 単純に良い状態
これが基本なんだが、春や夏にも悪い状態だと伝えたい時に組み合わせが行われる。
典型的な物は、日と花だ。
『お隠れになる』って言う言葉は高貴な人が死ぬこととされる、尊敬語とされているが、和歌ではこの二つが隠れる表現で使われる。
因みに花と日は両方とも『カ』と読む事を利用して同一の物を指していて。
日『ヒ』と言うのは、『妃』『姫』『比』『日』の事だ。
元々は食料と女性を交換する事で、餓死を防いでいたのだが、それらが太陽神天照に変わっていった。
妃や姫が同音異義語になっているのも、空想の産物ではなく、文化からの変化と言う痕跡から。
「君主が女から男に替えられた」これに対する批判を行っているのが和歌集である。
なお、これは神の話で西洋のそれと同一の物に付いて述べている物だ。