アメンボ
秋の始まりを感じさせる涼しい風が頬を撫で、ついさっきまで夏だった蒸し暑さを連れ去ってゆく。
私は釣糸を垂らしながら、池のほとりで物憂げに水面を見つめている。
自らが放った浮きを、ただただぢいっと監視しているだけ。
その赤く塗られた棒は一切沈むことなく、波紋も作らない。
その隣を、最盛期を過ぎたアメンボが、優雅に……いや、小馬鹿にするように、小さな輪っかを作りながら通りすぎてゆく。
「ふぅ」
私は一つため息を落とし。
彼らを驚かしてやると言わんばかりに、一気に竿を持ち上げる。
アメンボ達は確かに驚き、慌ただしく跳ねていたが、やがて忘れたように静かになった。
それがまた私を苛立たせたのか、つい出たイタズラ心なのか、彼らを狙って糸を放る。
再び慌てふためく彼らを見るが、特に心が晴れる訳でもなく、また静かな浮きをぢっと眺めるに至るのだ。
実のところ、私はアメンボ達を嫌ってはいない。
彼らは不思議な生き物であり、子供の時分には彼らを捕まえては良く観察したものだ。
水面を滑る仕組み、彼らが何を食べるのか……弟と共にそれはもう熱心に。
だが観察はしたが、その答えにたどり着くことはついに無かった。
大人になった今ではスマートフォンで検索し、彼らが浮かぶ仕組みも、食べるものも簡単に答えを知ることができる。
この場所に彼らが沢山いるのは、私の頭上を初秋の中途半端な陽射しから守ってくれているトウカエデの木のせいで、それに集まる蟻などの昆虫が彼らの主食だからだ。
さらに彼らは甘い匂いがすると言うではないか。
これを子供の私が知っていたら、くんくんと鼻を近付け匂いを嗅いだ筈なのだが……残念ながらその情報も知らなかった。
インターネットなど普及していない当時でも、図書館などに足繁く通えば、その答えにたどり着くことはあっただろうが。
私達はきっと、その答えを知りたかった訳ではないのだろう。
水に浮くことのできる彼らをただただ「凄い」と褒め称えるだけで十分だったということだ。
ここまでアメンボをリスペクトしているにも関わらず。
『嫌ってはいない』などと中途半端な言葉を使ったのは。
彼らが、思ったより攻撃的で、足を刺された記憶があり、それがかなりの激痛だったという思い出からだ。
それからは夏の暑すぎる日にでも、この池には足を踏み入れないと決めた。
と、こうして糸を垂らしていても、アメンボの話題しか出てこないのは、釣りのほうが全く芳しくないからである。
この池は昔からそうだ。
岸から見ればそれなりに魚は泳いでいるし、小学生の頃にはヌシがいると話題になり、何人もの学友がここに訪れた筈なのだが。
ヌシが釣れたという噂も聞かぬばかりか、魚が釣れたという噂もちらほらしか耳に入らなかった。
その渋さは今でも健在のようだ。
私はとうに釣る事は諦めて、ただ心地よいトウカエデの木漏れ日と、池を撫でる秋の風の匂いを感じるままにしていた。
記憶の甦る地で、いつも隣にいた弟の事を思い出しながら──。
私は学生を修了すると、すぐに仕事についた。
元来人付き合いの得意だった私は、人と接するのが好きで、仕事にもあっという間に慣れた。
特に苦労もせず家庭を持ち、そのまま実家を後にした。
一つ違いの弟も、後を追うように都会に出たが、彼は苦戦したようだ。
近隣とのトラブルや人付き合いで、何度も家移りし、仕事も転々とした。
主に人と付き合わなくていい新聞配達の仕事をしていたが、真面目にやればやるほど、集金だとか新規の勧誘だとか、人と関わる仕事を押し付けられる。
きっと弟が真面目だから、少しでも楽によい給料を渡したいという配慮なのだろうが。
そうなるといつも、彼はそっとその場を逃げ出す。
私が知っているだけでも、三度は同じ轍を踏んでいる。
その度に引っ越しを手伝いに行ったのも、今ではよい思い出か。
そんな彼も、30を手前に実家に戻ってきた。
やはり都会とは馴染まなかったのだろうと、両親も優しく迎え、しばしの休養期間に入ったのだった。
だが、それがいけなかった。
彼は身も心もささくれだってしまい、潔癖症や強迫観念といった、ちょっとした心の病に陥っており。
そうとは知らない両親が、無神経に話しかける毎に心を閉ざしていった。
終いには、家族が自分の部屋の出入りをする扉の音が煩いという理由で怒り出す始末。
両親はこそこそと忍者のように、忍び足での生活を余儀なくされる。
そんな状態が10年も続き。
さすがにどうなのかと私も思っていた頃。
弟が首を吊った。
両親の事を心配して、しばらく一緒に過ごしたが。
弟が居ないというのに、足音も立てない生活を続けており、10年の月日を感じさせられた。
まるで喪に服したままこれからを生きるように、静かすぎるその家は、寂しがり屋の私にとっては苦痛でしかない。
「釣りに行ってくる」
と、父の趣味である筈の釣り道具を勝手に持ち出し、今に至るわけだ。
昔は弟と自作の釣竿を持ちより、この岸に座って釣りをした。
もちろんアメンボも一緒に捕まえたり、池に入って刺されたり。
私が子供の頃に刺された事があると言うと、出戻った頃の弟は、それは自分だったと主張したが。
私の記憶では二人とも刺されたのだ。
本当に痛いのだ。
忘れる筈がない。
あの痛みのように、もう10年後に弟の事を思い出しても痛むのだろうか?
こんなに心が痛いのだ……。
忘れる筈がないか。
少し強めの風が吹くと、それに煽られた釣糸が浮きを揺らし、一瞬だが浮きの周りに波紋を巡らす。
宙を泳いでいた私の視線が、久しぶりに浮きに向いたが。
「なんだ、風か」
淡い期待を、期待と捉える前に、私の心の高鳴りは静まる。
よっぽど水面に波紋を立てるこの池のほうが騒がしい。
トウカエデが揺れて、餌の虫が多少落ちたのだろう。あちこちで波紋が生まれている。
弟は何故ここに来なかったのだろうか。
実家から歩いて数分のこの場所にくれば、人付き合いなど関係なかったあの頃に戻れたのではないかと、ふと思う。
ただただ、アメンボが水に浮くのを「凄い」と思えたあの頃に。
何故、笑って過ごす普通の事が「凄い」事なんだって思えず。
きらびやかな光に惹かれる虫のように、都会に出てしまったのだろう。
今頃、そんな事を考えたとて……。
そう思っても、繰り返し同じ事を考えてしまう。
何度も。何度も。
しかしそれは、唐突に遮断された。
池に波紋。
それはアメンボのものではない。
かといって竿先の浮きでもない。
「降ってきたか」
先ほどからの冷たい風が、ずっと教えてくれていた。
雨が降るぞと。
私はとうとう釣れなかった竿に糸を巻き付けると、足早にその場所を去ることにした。
トウカエデの庇護を抜けると、どんよりとした雲から秋口の冷たい雨が、顔へと落ちる。
気持ちが悪くてそれを手で拭って初めて、弟のために涙を流していた事を知った。
「この池のヌシを釣り上げたらみんなに自慢できる」
そう言っていた弟の人生は、何も釣り上げられず終い。それが彼を連れていったように思う。
本日も釣果なしの私は。
それはそれでいいじゃないかと、生きてゆく。
同じものを見て、同じ虫に刺され、笑いあった二人でも。
感じたものが少し違っていたのだろう。
煩わしい雨の中、一刻も早く家に戻ろうと走る私の隣を、弟が走って居るような気がした。
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