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自宅に帰還できたのは、日が沈んでからしばらく経った後、既に夜の帳が到来してから。
二重玄関の扉を開錠し、そのまま中へ入っていく。玄関には常温で保存できる荷物が大量に安置されていて、足の踏み場に困るほどだった。
こちらが帰宅したことを音で気付いたのか、玄関の奥地からひょっこりとデイジーが顔を見せる。
「お帰りお兄ちゃん! 夕飯出来てるよ!」
「ああ。遅れて悪い」
いつもならとっくに夕食を頂いているところだったが、緊急招集があったため致し方ない。このような場合、デイジーは律儀にもこちらの帰宅を、食事を摂らずに待っていてくれるので、毎回罪悪感が芽生えてしまう。だけれど俺の帰還を長いこと待ち望んでくれているという意味では、愛らしさで頬が緩んでしまうのだった。
流れるような長い金髪をたなびかせるデイジーの背後に、これまた短い金髪を携えた機械人形が顔を出す。
「おかえりなさい。指揮官」
大仰に首を垂れるアイリスに若干の辟易を覚えるが、
「ねぇアイリス。お兄ちゃんのことをそんな無骨な名前で呼ばないでさ、もっと気楽な呼び方にしようよ」
俺の呼称に不満を覚えたのか、デイジーが軽く提案する。
「しかし指揮官は指揮官です。正式な呼び名だと思いますが」
「でもでも! 何か堅苦しいよぉ……アイリスはもうウチの人なんだから、そんな堅い名前で呼ばなくても良いの!」
デイジーの無茶ぶりに対し、意見を求めるかのようにこちらへ視線を送ってくるアイリス。
しかし実を言うと、往来で指揮官などという表現で呼称されると、傍から見れば違和感を覚えるだろう。アイリスはただでさえメリディオン人と同様に金髪なのだから、注目を集める真似は基本的に避けるべきだ。
「知っていると思うが、俺の名はドッペルだ。街中で指揮官なんて世間離れした呼び名は衆目に晒される。デイジーの意見に賛成だ」
アイリスは軽く首肯し、少しだけ間を置くと、
「では、どのようにお呼びすればよろしいでしょうか」
「あたしと一緒で、お兄ちゃん、なんてどう? ああ、でもでも! あたしがアイリスのお姉さんだからね! アイリスは末っ子だよ!」
また面倒な提案を行ったデイジーに呆れる。そもそもアイリスは人間じゃない。疑似的な家族関係を形成するメリットは今のところ皆無だろうし、それ以上にアイリスを自分の妹として取り扱いたくない。俺の妹はデイジーだけだ。
「それは俺が困る。無表情でお兄ちゃんと呼ばれるのは願い下げだ」
反論しておくと、デイジーは意見が通らずご不満なのか、ちょっぴり頬を膨らませた。
「えー……折角妹が出来たと思ったのに」
「お前がアイリスをどう扱おうが感知しないが、俺の迷惑も考えて欲しい」
デイジーは何か言いたげだったが、加えて言葉を発することはなかった。
「俺のことはドッペルと呼べ。それが一番妥当だろう」
デイジーからアイリスに視線を移して命令する。
「かしこまりました。それでは、ドッペル様と」
「様はいらん。ドッペルで良い」
「――了解しました。指揮官を呼び捨てるのは無礼とプログラムされていますが、他でもない指揮官がそう仰るのなら」
話が一旦纏まったらしい。
「それでお兄ちゃん。ガーベラさんからの呼び出しって何だったの?」
「それは夕飯でも食いながらのんびり教えるよ」
時間帯的にも、食事を摂っていなかったから腹が空いている。
「うん! じゃあ席に着いて! すぐに配膳するから!」
そう元気よく笑顔を浮かべると、デイジーは奥へ引っ込んでいった。
そして玄関にアイリスと二人で取り残されてしまう。彼女は変わらず無表情を決め込んでいて、やはり心持ち――まぁ心が存在しているわけではないだろうが――は察せない。
「お前もデイジーを手伝え。それくらいはトラブルを起こさずできるだろ」
「……承知致しました」
恭しく礼を施すと、アイリスもデイジーの後を追って、キッチンの方へ歩いていく。そんな彼女の背中を眺めながら、呼称を決めるだけで手間取ったことに多少の疲労を覚えるのだった。
「ええ?! メリディオンの特殊部隊が来てたの?!」
ダイニング中に響き渡る声で、デイジーが大袈裟に吃驚してみせた。その馬鹿でかい声量に対して僅かに眉をひそめてしまうが、注意せず静かに頷いておく。
「どういうお話をしたのかは知らないけど、大変だったことはわかるよ……ガーベラさんもお兄ちゃんを呼ぶわけだね」
「全く、迷惑この上ないがな」
小振りな鶏肉にフォークを突き刺しながら、軽く溜息を漏らす。ダイニングのテーブルには俺とデイジーが向かい合う形で腰掛けており、背後にはアイリスが休めの形で待機していた。後ろから人間――いや機械人形の視線が注がれることは、こちらから背後の状態を常時確認できないこともあって非常に居心地が悪いが、一々離れていろと命令するのも怠いので、放置を決め込む。
「また面倒なことを押し付けられたんでしょ? お兄ちゃんもそうだけど、ガーベラさんも本当に大変だね……」
「お前の言う通りだ。俺たちは普段から汚れ役ばかりを演じているからな。多少は報われたいところだ」
突き刺した鶏肉を口元へ運ぶ。香料がきいた肉の旨味が舌を十分に刺激して、唾液を分泌させる。放射性下降物が原因で、養鶏が可能な場所が制限されている現在、肉という食材は未だに高級品だ。普段は山菜などで我慢するしかないが、今日は大盤振る舞いらしい。久方ぶりの肉汁に鼻孔が感化され、早いことにもう一口を欲していた。
「詳しくは言えないが、また手数のかかる仕事を下されてな。話の流れで俺が担当することになった」
「ええ……また危ない仕事じゃないよね?」
「まぁ、心配することはない。今回は上手くいけば人死にも皆無で済みそうだ」
「そっか。――ありがとね、いつも」
噛み締めるように感謝を告げたデイジーの頭を乱雑に撫でて、俺は不器用ながら微笑んで見せる。デイジーは諸事情によってアース内部で勤労ができない。つまり働き手は俺だけということで、彼女はいつも申し訳なさそうに謝ってくるのだ。そんな細々とした事情で謝罪してもらっても困るだけだが、彼女なりに気を遣ってくれているのだろう。こちらとしては家事を担当してくれているだけで大助かりなのだが。生活能力が皆無な俺にとって、デイジーという存在は不可欠だった。
「ドッペル。その任務はどのような内容でしょうか」
ふと、背後に控えていたアイリスが突然尋ねてきた。存在を半ば忘却していたので、現実に勾留されたかのような心持ちになる。
「詳しくは守秘義務で言えないな。お前に直接的な関係もないし、別に知らなくて構わない」
「いえ。私は指揮官を護衛するという使命がございます。万が一ドッペルが生命を落とすような事態に陥れば、それは私の責任かと」
「自分の面倒くらい自分で見るさ。お前が気に病むことじゃない」
ぴしゃりと言い放って拒絶するが、それでもアイリスは反駁を止めない。
「ガーベラ様から依頼された作戦は、私見ですが危険度の高いものだと考えます。ドッペルの身の安全を確保するために、私が代替して対応したいと」
一瞬アイリスの発言の意味と捉えかねるが、そこで彼女が馬鹿げた提案をしていることに気が付く。
「あのな。これは俺がガーベラから引き受けた依頼だ。お前に押し付けるつもりはない」
「でしたら、私も任務に同行致します。折衷案ですがいかがでしょうか」
呆れて言葉が出ない。ベーコンエッグも焼けない不良品を、絶対に見つかってはいけない潜入任務にどうして同行させようと思えるのか。確かに昼間、彼女は暴走トラックを停止させるという偉業を成し遂げたわけだが、それもこちらの命令を完全に無視してのことだ。家事が出来ず、そして命令も聞けないアンドロイドを、危険な作戦に連れていくはずがない。
「断る。今回の任務は隠密作戦だ。二人以上で従事する仕事じゃない」
「私は一通りの戦術的プログラムを導入されています。邪魔にはならないかと」
そこで一つの確かな違和感を覚える。戦術的プログラム? それは非常に軍事的なものに思えて。そうしてようやく合点がいった。料理はできないが、暴走トラックの一件で彼女の運動性能の高さは証明されている。それはアイリスにプログラムされている機能の有無であって。
「そうです」
彼女はこちらの内心を予測したのか、確かに首肯して、
「私は軍事的運用を想定され建造された、戦術機械人形です」