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いつしか花も芽吹くから  作者: 柚月ぱど
第五章
45/46

8

 アイリスと共に列車から下乗して。俺たちは徒歩で北の国を目指した。ある程度の距離まで列車に乗って来られたものの、徒歩となると日が落ちる前に国境線まで到達するのは恐らく不可能だろう。どこかで野宿を行うことにはなりそうだが、それでも出来る限りは歩いておきたい。なにせ、メリディオンの連中がアイリスの不在を悟っていつ攻撃を仕掛けてくるのか分かったものじゃないのだから。


 デイジーの亡骸を抱いたアイリスと共に、陸路で北の国へ進んでいく。周囲は閑散とした雰囲気に包まれており、人里の気配は一切ない。存在するものと言えば旧世界の遺物程度なもので、それらも倒壊や欠損を繰り返していて、まともな姿を維持している建造物は少ない。そしてそれらの人工物の数自体も大して無いので、殆ど更地のような場所を通過していくだけだ。アイリスとは特に言葉もなく、ただただ北へ進む。デイジーの死は俺たちの間に不可視の空洞を作り出してしまったようで。ひたすら足だけを動かし、延々と先を急ぐ。降りた列車は無事だろうか。メリディオンの攻撃を受けていないだろうか。鉄道のレールから距離を取って進んでいるから、メリディオンに動きがあったかは不明だ。だけどどうにか北の国へ到着して、身柄の保証をして貰っていて欲しいと思ってしまうのだった。


 沈黙に包まれたまま歩き続けていると、次第に周囲が暗くなり始めて、夜が近づき始めていることを悟る。夜半に歩き続けることは危険だし、照明器具を使えばそれだけ自分たちの位置を敵に勘付かれる可能性を上昇させるだろう。だから一旦旧世界の遺物の中で使えそうなものに身を寄せて、一晩を過ごしてやるのが賢明に思えた。


「そろそろ休憩しよう。夜も近い。取り敢えずどこかへ隠れて、朝になるのを待つんだ」


 口火を切るとアイリスも無言で頷いて、共に一晩休めそうな建造物を探す。やはり過去の遺物だから使えそうな建物は少なく、しばらく探し回ってようやく、荘厳な屋敷の中に、手頃な納屋のような建築物を発見するのだった。とにかくその内部に入って倒壊の危険がないことを確認し、数少ない手荷物を下ろす。そうしたところで、アイリスが抱えたデイジーをどこへ横たえようか迷っているようで、流石に時間が経てば屍体も腐敗を開始するので、すぐにどこかに墓を作って土葬してやるべきだろう。


「外でデイジーの墓を作ってやろう。この家の庭ならアスファルトじゃないし、埋めてやることは出来るはずだ」


 了承したアイリスと共に納屋から出て、元は荘厳な庭だったのであろう庭園に入り、墓に最適なロケーションを模索する。本当なら北の国まで連れて行って、そこで埋葬してやりたいところだったが、遺体の劣化も進むだろうし、そんなデイジーの姿はどうしても見たくない。そして庭園の内に良さげな場所を見つけた時、アイリスは物置らしき場所から二本の古びたスコップを持ち寄って来る。その片方を受け取って、二人で無言のまま庭に大きな穴を掘る。夜が更け始めた段階で穴堀は完了し、アイリスがその内部にデイジーの亡骸をそっと横たえた。そうしてしばらく彼女の安らかな寝顔を眺めて、掘り出した土を埋め直して、デイジーを土葬する。土を被っていくデイジーの寝顔が見るに堪えなくて、嗚咽を漏らしてしまいそうになるが根性で耐えた。そうして完全に穴を埋め終わったのを確認して、俺たちはその墓の中心に使用したスコップを二本とも突き刺し、静かに離れた。そういえば、屍者を悼む時は両手を合わせて祈るのが作法だとガーベラが言っていた気がする。彼女の言う通り手を合わせると、アイリスもこちらの真似をして手を胸の前で合わせて、目を瞑った。


 デイジーの埋葬を終えて、俺たちは納屋に戻る。夜になるとその寒さに拍車がかかってしまうため、屋内でもかなり冷え込む。何か暖を取れそうなものを納屋の内部で探すと、ボロボロのブランケットが二枚見つかった。それをアイリスの元へ持ち寄り、片方を渡す。すると彼女は意外に目を丸くして、


「私は体温の調節機能が装備されていますので、気遣いは不要です」


 そういえば、アイリスは機械人形だった。確かに温度調節など不要だろう。そうかと呟いてアイリスの隣へ座って、ブランケットを一枚自分に掛ける。そして残った一枚をどうしようかと悩んでいると、不意にアイリスの指先がこちらへ伸ばされた。


「――しかし、好意は素直に受け取るべきだと判断しました。そのブランケットを譲っていただけないでしょうか?」


 そう真っ直ぐな瞳で尋ねかけるアイリスに多少拍子抜けして、しかし苦笑しながら余ったブランケットを手渡す。こういうところが、アイリスの可愛らしいところであった。彼女はブランケットを受け取ると、それを不器用そうに膝へ掛けて、そのまま視線を中空へ彷徨わせる。こちらとしてもすることが無いので、彼女に倣って納屋の内装をぼんやりと眺めて、無言のまま時間を潰す。


 先ほど見つけたランプが、淡い暖色の光を灯している。納屋の床に置かれたランプは俺たちの足元を照らし出して。そしてアイリスの横顔を優しく彩った。沈黙が互いの間を包み込んでいて、特段言葉を交わすことはない。だけれど居心地の悪さは感じず、心が凪のように鎮まっていくのを感じた。


「――ここまで自分が機械人形であることを後悔したのは、初めてかもしれません」


 不意に、アイリスが呟いた。きっと続きの言葉があると思って言葉は返さず、そのままぼんやりと室内へ視線を落とし続ける。


「デイジーが死んでしまって。ドッペルは泣いていました。本当に涙が枯れ果ててしまうほどにあなたは泣いて、ですがそれでも立ち上がりました。涙はきっと、悲しみを洗い流す力を秘めているんです。悲しみを過去のものにして、人を前へと進ませる力を。ですが、私は泣けません。機械人形ですから、涙を流す機能は実装されていないのです。――それが、本当に悔しい。私は未だに、デイジーの死を受け入れることができません。あんなに元気で、私を本当の家族として扱ってくれた彼女が死んでしまったなど……どうしても受け入れることができないのです」


 そう呟いたアイリスは、両腕で肩を抱いた。まるで喪失の悲しみに打ち震えるように。涙を流せず、悲しみを振り払えないからこそ、別の手段で喪失感から逃れようと試みるように。


「どうして、人間は争うのでしょうか。戦争の道具として生み出された私が疑問を呈するのは間違いかもしれませんが。戦いの果てに残るものは、喪失です。何かを喪って、そして何かを奪ってしまったという罪悪感。大切な人を永遠に亡くすということは、本当に耐えがたいことで。私には分からないのです。どうして人が争うのか。どうして人々は互いに殺し合うのか。喪う気持ちを味わうくらいなら、戦いなんてなくなれば良いのに」


 ぎゅっと肩を抱くアイリス。彼女には、本当に人が戦う意味が分からないのだろう。だけれどきっと、俺も分からない。何故人間は争うのか。何故人々は傷つけ合うのか。それはとても哲学的な問いに思えて、まともな教育を受けていない自分では、どうしても答えを見つけ出すことは不可能に思えた。


「デイジーは、私を、ドッペルを守りました。血の繋がった家族じゃないのに。ただの機械人形なのに。ですがデイジーの死から、私は気付きました。きっと人間は、本質的には同じなんです。機械人形の私はともかく、ドッペルとデイジーは別の人種です。しかし外見的特徴など関係なく、人が人を想う気持ちに違いなどなかった。だからデイジーはドッペルを、私を守って果てたのです。ですから、同じ人間同士が殺し合って、傷付け合って、悲しみを広げていくのは――とても、度し難いことです」


 人は本質的には同じ。人間は争って、お互いを傷付け合ってしまうけれど、きっといつかは互いに手を取り合って、一緒に暮らすことができる。人間じゃなくても、機械人形でも。それは、俺たちの生活で証明したことだ。人種の違う、血の繋がりのない兄妹。そして、そもそも人間ではない機械人形。しかし俺たちはお互いにお互いを考えて行動し、共に生きて来られた。いつの日にか、人間が銃を棄てる時が来るのだろうか。それはとっても理想論的で、あり得ない未来かもしれないけれど。だけれど願ってしまうのだ。いつしかあらゆるものが互いを尊重して、安らかに生きられる未来を。外見的特徴や、生物学的差異など関係なく、お互いに手を繋いで、微笑み合える時が。


「――俺は祈るよ。遠くない未来で、人が、生き物が、そして機械人形が、あらゆる“もの”が理解し合って、笑顔で暮らせることを」


 アイリスを見やりながら確かに告げると、彼女はこちらへ視線を寄越して仄かに微笑んでくれる。そして互いに笑い合った時、不意にアイリスがこちらの手のひらへ指先を重ねた。人間よりかは冷たいけれど、これが機械人形のぬくもりなのだろう。彼女の指先を優しく握り返すと、アイリスは静かに肩を寄せてくる。俺は特段拒むことなく彼女を受け入れると、アイリスはこちらに寄り添って、静かに目の前のランプを眺めた。


「でも、きっと。分かったんです。“愛”とは何なのか。愛がどこまで高尚なものなのか。その答えは、私を支えてくれた皆さんが教えてくれました」


 ふと、アイリスがこちらへ顔を向ける。こちらも彼女の方へ視線を移すと、アイリスの美しい瞳が目の前にあった。その無際限に広がる碧い瞳に惚けていると、アイリスの顔が静かに近づいてくる。そして俺は自然と、アイリスの唇に自分の唇を重ねた。機械人形なのに、とても柔らかく、温かい感触。脳が蕩けるような感覚に身を委ねて、そして静かに唇を離す。すると目の前には優しく微笑むアイリスの姿があって、愛おしさから、彼女を抱き締めるのだった。


「ドッペル。とても、温かいです。これが――人間の、愛の温もりなのですね」


 言葉もなく、アイリスを抱き締め続ける。するとアイリスもこちらの背中に腕を回してくれて、彼女の腕の感触が伝わってきた。ずっと避け続けてきた愛。見ないようにしてきた想い。だけれど今だけは――今だけは、アイリスを抱き締めていたい。人間じゃなくても、機械人形でも。きっと心の中に愛が宿ることはあるんだと信じて。そうしてしばらく俺たちはただただ抱き締め合って、愛という不明瞭な存在の縁取りを、確かに手触りとして感じ取るのだった。

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