7
デイジーの元で泣き続けて。今後一切泣かなくても構わないと思えるほどに泣いて、そして涙を全て使い果たす。その頃には前方の車両で人民の誘導を行っていたリベルタスの団員が二人ほど、俺たちのいる車両へ戻ってきた。彼らは車内の様子から何があったのか悟ったのか、こちらが動き出すまで無言で待機していてくれる。デイジーが死んだ。三年間、ずっと妹として生きてくれた女の子が。俺を兄だと慕ってくれて、いつだって支えてくれた子が。その事実を受け止めることは余りにも困難で、今のこの世界がどうか夢であって欲しいと願ってしまう。だけど事実はとても残酷で、光を喪失したデイジーの瞳は虚空を見つめていて、一切意思を宿すことはない。デイジーの喪失は心に大きな空白を生み出したようで、自分の一部が欠損してしまったかのような、そんなぼやけた幻想に包まれていた。
だけど。このまま泣き続けている訳にはいかない。デイジーだって、きっと自分の傍で永遠に項垂れていて欲しいなんて思わないはずだ。そう意思を振り絞って、呆けたアイリスの腕の中にいるデイジーの瞼を指先で閉じさせる。するとデイジーはあたかも安らかに眠りについているような外見になって、いつしか目を醒ますのではないかと錯覚させた。だけど屍者が蘇生することはあり得ないことなど、戦争当時から身に染みて分かっている。だから悔しさに手のひらを握り締めながらゆっくりと立ち上がって、少し遠方で待機していた団員に声を掛けた。
「――状況は?」
彼らは少しだけ面食らったようだが、互いに顔を見合わせた後、上官らしき方が腰に手を当てて報告を行う。
「は。北の国へ進行していた三両の列車の内、二両が撃破。残った一両は即ち我々の列車ですが、動力への被弾はなく、予定通り北の駅へ向かっています。追撃は今のところありませんが、再度の襲撃もあり得るかと。ガーベラ団長を喪った今、何故メリディオンが強襲を掛けてくるのか不明ですが、残った団員たちで警戒を継続中です」
「護衛の軽戦車は?」
「その殆どが大破しています。この列車に随伴できる機体は皆無です。ですので出来る限り速度を上げて目的地へ進んでいますが……」
つまりメリディオンの追撃が来れば、次は守り切れないということだ。アイリスという戦術機械人形の存在はあるものの、単独で追尾を掛けてくる軽戦車を数台相手にするには、手数も武装も不足している。対戦車ライフルなどが積んであれば話は別だが、この輸送列車は人民の運搬用だ。人間の収容に重きを置いている列車内に、武装の類が用意してあるとは考えにくいだろう。そうなると、やはり次の攻撃が行われれば列車はメリディオンによって制圧されてしまうはずだ。
しかし、そこで胸の内に突っかかりを感じる。それは前にも知覚した感触で。どうしてメリディオンは、こちらの列車へ攻撃を仕掛けて来たのだろうか。ガーベラの戦死は恐らく連中も勘付いているだろうし、もしガーベラの確保が目的でも、捕虜にすることを鑑みれば列車内の人々を皆殺しにはしないはずだ。ガーベラの拘束が目的ではないとなると、他に何か理由が存在するのか――冷静にもう一度分析してみて、そしてある可能性に勘付く。アイリスだ。アイリスは単独で軽戦車の分隊を数個単位で撃破できる戦闘能力を所持している。それは戦争大国であるメリディオンにとっては、喉から手が出るほどに欲しい兵器のはずだ。アイリスシリーズの指揮官機であるアイリスを奪取しなければ、子機であるシスターズを運用することは不可能。そうなれば確実にアイリスを鹵獲しようと画策するわけで。彼女は機械だから、多少壊れていても回収できれば修理が可能である。そうなれば列車内の人間を虐殺し続けていた理由にも頷けるだろう。彼らは何が何でもアイリスを確保して、自らの手駒としたいらしい。あらゆる犠牲を覚悟してでも、人を殺す兵器を手中へ収めたいのだ。
内なる怒りを知覚して、肩が少しだけ小刻みに震えてしまう。こちらの様子を窺うような団員たちに、俺は息を吐いて気持ちを鎮めた。今怒ったところで何も解決しない。要請されるのは冷静な判断力だ。自らにそう言い聞かせて、静かに団員たちへ向き直った。
「――恐らく連中の狙いはアイリスだ。アイリスを鹵獲して、戦争の手駒にしようと画策している。だから列車内を掃討して、彼女を探していたんだ」
二人はハッとした表情になって、目下にいるアイリスを見つめた。彼女はまだデイジーの亡骸を抱き締めながら呆けており、先ほどから一切動かない。かなりの精神的な――と表するのは不適切かもしれないが、ダメージを被っているようだ。だけどアイリスが連中の目的物と予測できる以上は、追撃の手を考えても、北の国との国境線に入る前に再度攻撃を仕掛けてくることが考えられた。つまりアイリスを乗せたまま列車が行けば、攻撃の的となってしまう。ならば一度アイリスと共に下乗して、列車の安全を確保するべきだと考えられた。
「――俺たちはここで降りる。お前たちはそのまま北の国へ向かえ。もしメリディオンの攻撃があれば、アイリスの不在を伝えるんだ。信じて貰えるかは不明だが、あわよくば攻撃そのものを回避できる」
冷静にそう伝えるが、彼らは不安そうな面持ちを浮かべた。
「しかし、アイリスがいれば、攻撃があっても守り切れるのでは? 先ほど軽戦車の攻撃があったようですが、見事撃破できたように見受けられたような……」
「あれは運が良かっただけだ。数台の軽戦車を順番に撃破できる時間も余裕もないだろう。攻撃も拳銃弾を覗き窓の間から通す必要があるしな。対戦車ライフルの類があれば話は別だが、積んではいないんだろう?」
聞き返すと、二人は俯いて少しだけ頷いた。やはりまともな装備品は搬入していなかったらしい。別に責めるつもりもないが、そうなればどちらにせよアイリスがいてもお荷物になる。ここは列車から下乗して、多少の可能性を残す方が彼らにとっても安全に思えた。
話が決まったようなので、彼らから視線を外してアイリスの方へ向き直る。彼女は未だにデイジーを抱えたままボーっと口を開けていた。そんなアイリスの肩を叩いて気付けし、声を掛ける。
「話を聞いていたか知らんが、俺たちは降りる。準備しろ」
そう言葉を紡ぐと、アイリスはゆっくりとこちらへ顔を向けた。その瞳はとてもぼやけていて。かなり参っていることが窺える。
「……嫌です。デイジーから、離れたくありません……」
デイジーの亡骸を抱き締めるアイリス。しかしそもそもこちらにも、デイジーを放置するつもりはない。アイリスの傍に寄って屈み、彼女の肩に優しく手を置いた。
「置いて行きやしないさ。一緒に連れて行こう。墓を――作ってやらないとな」
アイリスの瞳が大きく揺れる。そして彼女は項垂れて、だけど短く首肯してくれる。
「デイジーを頼んだ。――行こう」
立ち上がりつつアイリスに言葉を掛けると、そのまま被弾痕が大量に花開く列車の後部へ向かい、飛び降りれるかどうかを確認する。受け身を上手く取れれば怪我無く済みそうだが、列車の速度が速く、危険性は高い。するとデイジーを抱きかかえたアイリスがこちらの隣に立って、静かに告げた。
「私に捕まってください。二人を抱えて安全に飛び降りることは可能ですから」
彼女の横顔を盗み見る。だけどアイリスは決意を秘めた表情を浮かべていて、どうやら多少吹っ切れたらしい。そんな様子に少しだけ安堵感と寂しさを覚えると、そのままアイリスは俺を抱えて、勢いよく列車から飛び降りた。
そういえば、数か月前。同じような事があった気がする。それはきっと、アイリスと初めて任務を遂行した時で。ビニグナス大佐の保護に際して、退路を塞がれた俺を助けに来たアイリスは、こちらを抱えてホテルの最上階から飛び降りたのだ。余りの出来事に走馬灯が揺らめくような気分であったが、彼女は無事に階下の屍肉喰いの装甲車を飛び越えて、そのまま危険地帯を離脱したのだ。まるで生きた心地もせず、もう二度とあんな真似はするなと口煩く言い聞かせたものだが、まさかもう一度似たような体験をすることになろうとは。
身体が宙に浮く感覚。重力から一瞬だけ解き放たれる感覚が全身を包んで、だけれど恐怖ではなく懐かしさが先行した。アイリスとの出会いから、一緒に暮らすのが当たり前になる。そして彼女の言う愛に感化されて、こうして今も戦い続けているのだ。そんな時の流れを意識していると、肚に着地の衝撃が響いて、喉を低く唸らせた。