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いつしか花も芽吹くから  作者: 柚月ぱど
第五章
43/46

6

 輸送列車に身を委ねてから、しばらくの時が過ぎる。周囲には戦域から離脱できたことに安堵する民間人の会話が響いていて、複数の列車の周りには護衛の軽戦車が随伴しており、今のところ大きな変化はない。まだ北の国まで時間は要するであろうが、この調子なら何の問題もなく逃げ込めそうであった。先ほどからデイジーとアイリスは寂しそうに言葉を交わしており、恐らくガーベラの死を受けて元気が出ないのだろうが、それでも努めて明るく振舞おうとする様子は微笑ましく、自然と頬が緩んでしまう。恐らくリベルタスの団員たちの中で、ガーベラが戦死した件については、北の国への離脱が完了した後にアースの民へ知らせる流れになっているようだ。まぁ個人的にも妥当な判断だと思える。下手にガーベラが死んだことをアース市民へ伝達すれば、必要ない不安の種が広がりかねない。民の平静を保つためにも、今はガーベラの死については触れず、そっとして置くのが賢明だろう。


「ねぇねぇお兄ちゃん。北の国って、どんなところなの?」


 ふと、アイリスと談話を続けていたデイジーがこちらへ話を振る。アイリスもこちらに顔を向けていて、北の国について知りたがっているのが窺えた。ガーベラに関する思考を一時中断して、ゆっくりと二人に向き直る。


「そうだな……俺も訪問したことは一度もないから詳細は知らない。だが、放射性降下物フォールアウトの被害が少ないから、ヴェントゥスと同様に放牧を行ったり、農業に秀でた国だったと思う。国土はヴェントゥスと比較すれば広大だし、狭っ苦しいアースの装甲板の中で暮らすよりかは、心の余裕は生まれるかもな」


 北の国はユーロシア大陸の北側に大きく広がっており、ヴェントゥスに比べれば更に寒冷地ではあるものの、北部へ行けば景色が中々に綺麗だという噂も聞いたことがある。運が良ければオーロラというカーテンにも似た景色を空に望めるらしい。まぁ俺たちが現在向かっているのは北の国の南西側であって件のオーロラとやらは窺えないだろうが、それでも広々とした敷地が待っていることだろう。アース市民やリベルタスにどれほどの生活が保障されるのかは今のところ不明だが、北の国もメリディオンの侵攻下にある国だ。だからアース市民の苦しみは自分の事のように理解できるだろうし、非道な扱いは流石にないとは思うのだが。しかしリベルタスの団員については、もしかすると北の国の支援活動などに回されるかもしれない。


「牧畜が盛んなのですね。私はあまり動物には触れて来ませんでしたから……動物を目にするのが楽しみです」


 頷きながら語るアイリス。確かに彼女は花などの植物は見てきたが、動物に関しては殆ど目にしたことがないだろう。そう言った意味でも、彼女にとっては良い経験になるかもしれない。


「ま、最初は慌ただしいだろうが、じきに落ち着くさ。まずは生活を確立して、それからだな」


 色々と忙しい毎日が待っているだろうが、それでも生命あっての物種だ。今生きていることに感謝して、前へ進んでいこう。こちらの発言に二人は大きく頷いて、歓談へ戻る。そんな二人を眺めつつ、現在時刻を確認しようと思った時だった。


 耳をつんざく轟音が響き渡って、列車内を激震が襲う。車内にいた人間は皆が体勢を崩して、床に転げ落ちていく。何とか壁に捕まりながらその振動を堪えて、二人の方を見やる。デイジーは姿勢を崩していたが、踏み留まったアイリスに抱えられて、転ばずに済んでいた。二人の無事を確認して状況をリベルタスの団員へ尋ねようと無線機を手にしたところで、車窓から見える軽戦車の一機が、装甲に穴を花開かせて、そのまま爆散してしまう。


 爆発した軽戦車の破片が、隣に位置していた俺たちの乗る列車に飛来する。高速で接近する装甲板やらの破片は窓を突き破って、車内にいる人間たちへ突き刺さる。俺はすぐさま屈み、アイリスもデイジーを抱き締めて伏せたから俺たちに被害はなかったものの、反応が遅れたアース市民たちは破片の直撃を受けてしまっていた。


 列車内が瞬間的にパニックに陥る。体中に破片を受けて即死した人間が折り重なっていたり、眼球に破片が刺さって失明した女性が周囲に手を伸ばしながら助けを求めていたり。動かなくなった母親を泣きながら揺り動かす少女がパニックに陥った人々に跳ね飛ばされていく。そんな地獄のような光景が目の前に広がっていた。


 すぐさま二人の様子を再度確認する。幸い一切の怪我や外傷はないようだが、デイジーが車内の光景を目にして、呆然と瞳を震わせていた。しかしすぐにアイリスがデイジーの目を塞ぎ、悲惨な光景からの遮断を行う。二人の無事を確かめたところで、すぐさま無線機で連絡を行う。


「誰でも良い! 何があったんだ! 応答しろ!」


 無線機へ叫ぶと、ノイズと共に荒い息が響いてきた。


『ドッペルさん! メリディオンです! アースから直行してきたメリディオンの部隊が、列車に急襲を掛けて来ました! 現在我々軽戦車部隊が応戦を行っていますが。長くは――』


 爆音が響いて、瞬時に通信が途絶する。どうやらオープンチャンネルで現状を伝えてくれた彼は撃破されたらしい。舌打ちしつつ砕け散った窓枠のガラスを、指を切らないように落として後方を見やる。すると確かにメリディオンと思われる軽戦車や輸送車が接近していて、すぐに自分たちが戦火に巻き込まれていることを意識するのだった。


「――アイリス! デイジーを連れて前の車両へ向かえ! このままだと電車に揚陸される!」


 軽戦車だけでなく、輸送車も追跡を掛けているということは、恐らく列車の動きを止めて、車内へ侵入してくるはずだ。そうなれば、すぐにこの場が戦場になる。ならばなるべくデイジーたちを前方へ移動させ、こちらでメリディオンの部隊を迎撃する。車内に戦闘員が大して配置されていないことを考えれば状況はかなり絶望的だが、やるしかない。素早くレッグホルスターからリボルバーを抜き去ると、号車の後方にある連結部分の陰に隠れる。そして接敵を待ったが、アイリスは逡巡しているのか、デイジーとこちらを見比べて、動かないでいた。


「早く行け! 俺は平気だ! 後で合流するから、先へ進め――」


 言い終わる前に、車両の連結部分にある扉が吹き飛ばされて宙を舞う。爆発物を用いて、扉を破壊したらしい。すぐさま敵が大挙して現れることを予測した俺は、すぐにリボルバーと右半身を連結部分から先へ出して、発砲を行う。すると黒い戦闘服に包まれたメリディオンの兵士の一人がこちらの攻撃に被弾して、そのまま崩れ落ちた。すぐに反撃が飛来することを予測して身を隠すと、すぐに小銃の発砲音が響いて、車内に弾痕を生み出していく。あまりにも敵の動きが速く、デイジーを前方の車両へ移動させる時間がない。彼女ら二人の様子を見やると、しかしちょうどアイリスがデイジーを先の号車まで送り届けて、こちらへ帰還してくるところだった。


「デイジーを頼んだだろ! 何故戻って来る!」


「どちらにしてもドッペルが倒されれば、私たちはお終いです。ならデイジーを守るためにも、あなたと共に戦うのが賢明だと判断しました」


 しれっと告げたアイリスは、恐らくメリディオンの陣営から救出した際に鹵獲した自動拳銃を取り出すと、こちらとは反対側へ隠れた。


「――くそ! 足を引っ張るなよ!」


「当然です」


 メリディオンの攻撃が止んだと同時に、二人で半身を晒して後方の号車へ攻撃を仕掛ける。たったの一瞬でアイリスは二人の敵兵を仕留めて、もう一度物陰へ隠れる。こちらが一人しか撃破できなかったことを考えれば、足手まといも何も俺より優秀だ。しかしまたアイリスを戦闘に巻き込んでしまったことに罪悪感を覚えつつ、歯を食いしばりながらメリディオンの猛攻に耐える。敵が小銃を撃ち切ったところでもう一度顔を出し、障害物へ隠れようと屈む敵兵を撃破していく。数度そのような銃撃戦を行って、何とか第一波は制圧できたようだった。投げ物を使われたら困ったものだったが、何とか生き延びることが出来たらしい。後方から敵が接近して来ないことを確認して、アイリスと共に並走する二つの列車へ目を向けた。だがその両方とも車内に戦闘員がいなかったのか既に制圧されてしまったようで、先頭車両も敵の手に落ちたのか次第に減速を始めている。――助けるのは不可能だ。悔しい心持ちの中そう断じて、とにかく自分たちの安全を確保することを考える。俺たちがいる車両から後方は既に制圧されており、生存者は恐らく皆無に近いだろう。第二波が後方から侵入してくることを考えれば――


「アイリス。連結部分をどうにか外せないか?」


 自動拳銃をホルスターへ戻したアイリスに尋ねてみる。彼女はすぐにこちらの意図を察したのか、だけれど少しだけ迷うような表情を浮かべた。


「ですが、まだ後方の車両にも生存者が残っているかもしれません。ここで車両を分割すれば、生存者を完全に見捨てることになりますが――」


 逡巡するアイリスの気持ちは痛いほどわかるが、メリディオンの戦闘員に侵入されている以上、民間人の生存は絶望的であった。彼らの目的が何なのかは分からないが、侵入のリスクと生存者の救命を天秤にかければ、残酷だが前者を取るべきに思える。眉間に皺を寄せていたであろうこちらの様子を窺っていたアイリスは、しかし納得してくれたのか列車の連結部分に手を伸ばした。


「強引に分割します。離れていてください」


 アイリスの言葉に従い、彼女から距離を取る。するとアイリスは両腕を使って金属の結合箇所を力技で破壊し、連結を解除した。次第に減速していく後方の車両からこちらへ飛び移ってきたアイリスの手を一応受け取り、後方の車両を見送る。アイリスは沈痛な表情を浮かべて唇を噛んでいたが、すぐに凛とした瞳に戻ってこちらへ向き直った。


「デイジーの元へ向かいます。ドッペルはどうしますか?」


 メリディオンは三つある輸送列車の内二つを制圧している。戦闘員の皆無から突入班に被害が少なかったであろうと予測すると、更に攻撃を仕掛けてくる可能性が大いにあった。


「俺はここで後方を警戒する。お前は――」


 その瞬間、轟音が周囲を直撃した。思わず身を屈めてしまうが、すぐにその衝撃音の正体に勘付く。後方から、一両の軽戦車が接近して来ているのだ。奴の放った砲弾が列車の付近に直撃し、その爆音が響いていたらしい。件の機体はそのまま全速力でこちらの車両まで距離を詰めて来ている。流石に歩兵が軽戦車に勝利を収めることは不可能だ。そう断じた俺はすぐにアイリスに撤退の指示を出そうとして、


 その声は軽戦車が放った対人用の機関銃に搔き消された。


 車両の壁が弾丸によって貫通され、次々と風穴が空いていく。壁が銃弾を防ぐに足る強度を伴っていないことを確認した俺たちは、すぐさま床に伏せた。頭上で轟音が響き渡る中、アイリスの様子を確認する。彼女もこちらと同様に地面へ伏せていて、何とか持ち堪えているようだった。このままでは結果的に機銃で撃ち抜かれてしまうことを悟り背筋が凍り付いてしまうが、機銃の乱射が原因か発砲の手が止んだ。これ好機と判断した俺は素早く前方の列車へ逃げ込もうとして、だけどアイリスが起き上がったまま付いてこないことに気が付く。


「何してる! 逃げるぞ! このままじゃ撃ち込まれるだけだ!」


 大声で撤退するよう急かすが、彼女はどうしても動こうとしない、脳を白熱させるような焦燥感に包まれる中、アイリスはこちらを流し見た。


「このまま下がっても、この戦車によって列車は破壊されます! でしたら、一か八かでも戦いますから! ドッペルは下がって、デイジーの安全確保を!」


 何を馬鹿なと思いつつ彼女の手を引こうとするが、その瞬間敵機の機関銃の照準がこちらへ向けられたことを目視する。


「アイリス!」


 絶叫して彼女の元へ駆け寄ろうとして、不意に見慣れたフライトキャップが宙を舞うのを視界に収める。この帽子は――俺が昔、彼女にあげたもの。そうそれはアイリスではなくて――


 フライトキャップから飛び出した長い金の髪が、甘い匂いを鼻腔に届ける。そしてその可愛らしい香りを発している少女はアイリスの前へ飛び出し、そのまま肚に機関銃の一撃を受けた。


「――」


 血しぶきが舞って、アイリスの髪が血に染まる。彼女を庇ったデイジーは口から血を吐き散らしながら、横へ流れていった。


「デイジー!」


 その瞬間、アイリスは瞬時に自動拳銃を構えて、即座に発砲した。その銃弾の行く末は目視することなど不可能だったが、発砲音が響いたと同時に、軽戦車が体勢を崩す。どうやらアイリスは覗き窓の隙間から拳銃弾を通して、操縦者へ弾丸を命中させたらしい。そのまま減速を開始した軽戦車は、鉄道のレールに履帯を引っ掛けて横転し、派手に爆散する。


「デイジー!」


 軽戦車のことなど頭から完全に抜けて、すぐに彼女の元へ駆け寄る。デイジーはアイリスによって抱きかかえられており、既に虫の息だった。アイリスは瞳を震わせてデイジーを抱えており、その手は酷く震えている。


 デイジーは肚に弾丸を食らっており、弾は完全に抜けているものの、出血があまりにも酷い。アイリスと一緒に止血作業を行うが、一切出血は止まる様子がなく、どくどくと赤黒い血液が車両の床や俺たちの膝へ漏れ出ていた。


「デイジー! しっかりしろ!」


 半泣きで止血を行うが、内心ではもう助からないことは理解していた。両手が彼女の血に染まって滑り、作業に支障が生じてしまう。だけど手を止めることはなく、彼女の被弾部に手を当てて圧迫する。アイリスも恐慌をきたしたように止血を継続するが、不意にデイジーの指先が、俺たちの手に当てられた。


「デイジー!」


 彼女の顔を見やると、細く目を開けた状態で、薄っすらと笑っていた。こんな状況になっても笑顔を向けてくれるデイジーに胸がいっぱいになり、一粒の涙が零れる。


「――えへへ。無理、しちゃった……」


 掠れた声で呟くデイジーに、悔しくて項垂れてしまう。そんな彼女に、アイリスは震えながらもしっかりと手を握って、声を掛ける。


「どうして、どうして、来てしまったのですか……こんな、こんなことは、嫌です。デイジー。どうか、生きてください……」


 デイジーの手のひらに額を当てたアイリスは、そのまま目を瞑って俯く。そんな彼女にデイジーは笑いかけて、細々と言葉を紡いだ。


「アイリスを、お兄ちゃんを……喪いたくなかったから……もう二度と、あたしの家族を……死なせたくなかったの……」


 アイリスはデイジーの言葉に何かを感じたのか、ハッと顔を上げる。そんなアイリスにデイジーは苦しそうに微笑み返した。


「あたしね……本当は、血の繋がった妹がいたの……戦争が原因で死んじゃったけど、双子の妹がね……その子の名前が……アイリスだったの……希望を意味するお花の、女の子……私は家族を喪って一人になって、だけどお兄ちゃんに拾われた。そしてあなたに……アイリスに出会ったの。あたしは、きっともう一度やり直したかったんだと思う。家族をもう一度……家族の“愛”に包まれたくて、あなたをアイリスって名付けたのね……」


 アイリスは震えながら、デイジーを抱き締める。そんな二人を見ていられなくて、俺は血が滲むほど唇を噛み締めた。


「でも、本当に……楽しかった……お兄ちゃんとも、アイリスとも…….人種が違くても、血の繋がりなんてなくても……それでも仲良く一緒に暮らせるんだって、分かったから……」


 デイジーの視線が、次第に胡乱なものへ変化していく。彼女の生命の灯が消えようとしている。その最期から目を逸らさないように、俺はアイリスと共にデイジーの手を優しく、だけどしっかりと握りしめた。


「ありがとう、お兄ちゃん。あたしを見つけ出してくれて……お兄ちゃんのいる毎日は、本当に楽しかったよ……それに、アイリス……家に来てくれて、ありがとう……妹の代わりを押し付けちゃったけど、でも死んじゃったアイリスも、あなたというアイリスも、あたしの妹であることには変わりないから……ありがとう。二人とも……最期まで、あたしの傍にいてくれて、ありがとう……」


 デイジーの両目尻から、一筋の涙が溢れる、その涙はこめかみを伝って、血に染まった床板へ零れ落ちた。そしてデイジーは大きく息を吸うと、そのまま呼吸を止める。細く開かれたままの瞳が、光を喪って。俺は肩を震わせながら、デイジーの胸で泣き叫んだ。アイリスが傍にいることなど構わずに。そしてアイリスはデイジーを抱えたまま、ポカンと呆けてしまう。彼女にしてみれば、初めて体験する身内の死だから、多分思考の整理が追いついていないのだ。そのまま長い時間をデイジーの傍にいて、そんな俺たちを、列車は無情にも北へ運んでいくのだった。

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