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城塞都市を放棄することが決定してから。リベルタスの本部は慌ただしさに包まれ始める。ガーベラの言う通り、北の国へ人民を移送することについて、どうしてもメリディオン側に露見させるわけにはいかない。前提として、アースの放棄は確定しているから、メリディオンが都市を制圧することは確定した。だがその上で、彼らは俺たちリベルタスを逆賊として取り扱っている。つまりアースの制圧は最低条件で、その上でリベルタスの長、ガーベラや幹部を拘束する必要があるのだ。メリディオンはリベルタスをビニグナス大佐暗殺の嫌疑で指名手配しているし、ガーベラが生き残れば、再度旗揚げされて反旗を翻される可能性も高い。だからこそメリディオンの連中はガーベラを確保しようと躍起になるだろうし、リベルタスの士気を落とすためには、最も有効な手段に思えた。
リベルタスの本部を抜けて、俺たちは表通りへ出る。通りは団員たちによって喧騒に包まれており、周囲の建物は軽戦車の砲撃で倒壊しているから、どうも世紀末な印象を抱いてしまう。だが既に避難誘導は開始されているようで、リベルタスの団員たちが西方の奥地にある避難所へ駆けていて、事が動き出していることを顕著に示していた。メリディオンに勘付かれる前に何とか脱出したいところだが、殿部隊の損耗は免れないだろう。恐らくメリディオンの観測班からリベルタスが撤退を開始していることはすぐにバレるだろうし、加えて北の国との交渉内容も傍受されている可能性もある。こちらの情報を露見させるわけにはいかないものの、それも時間の問題ではあった。少なくとも後退の準備が完了するまでは、どうにか持ち堪えたいところだ。
避難誘導へ向かうリベルタスの人員たちを遠巻きに眺めつつ、アイリスとデイジーに向き直る。彼女たちはこちらの視線から真剣さを嗅ぎ取ったのか、表情を固めてこちらの発言を待ってくれた。
「見ての通り、もう避難の誘導が始まっている。お前たちも避難所へ戻って、旧北西鉄道へ向かえ。後で合流する」
そう指示を出すが、アイリスとデイジー両名とも納得していないようで、二人は口々に声を上げた。
「嫌だよ! またお兄ちゃんが大怪我するかもしれないでしょ! まだ前の怪我も治ってないのに……あたしたちと一緒に逃げようよ!」
「私は申し上げました。ドッペルにはもう戦って欲しくないと。しかしあなたがどうしても戦うと言うのなら、私も同行します。あなたを守ることが、私の使命ですから」
全く言うことを聞かない二人に頭が痛くなるが、それでも言葉を尽くして説得しようと試みる。
「良いか。今回の戦いは、相手を撃破する必要はない。味方の後退が完了するまで、時間稼ぎを行えば良いんだ。だから普段以上に損耗は少ないだろう。それに、南西戦争時、俺は狼犬部隊にいた。あの部隊は通常戦闘時には殿を担当していてな。だから撤退戦には慣れている。心配は無用だ」
デイジーに淡く笑いかけて、彼女の頭を乱雑に撫でてやる。デイジーは目を細めて泣きそうな表情に変化するが、それを見ないようにして、アイリスへ顔を向けた。
「それに、アイリス。お前は俺のことを良く考えてくれている。だけれど、それと同じくらいに、俺もお前のことを考えているんだ。お互いにお互いを喪いたくないと思っていて、だからこそ手を差し伸べる。でも、だからこそ俺は頼みたい。どうか、デイジーを守ってやってくれないか? デイジーはメリディオン人だから、一人ではやはり危険だ。だから、デイジーを良く分かっているアイリスが必要だ。――頼む。俺の妹を、デイジーを守ってくれ」
深々と頭を下げる。これは俺の真摯な気持ちだ。アイリスをただの機械人形として命令を下すのではなく、一人の家族として頼み込む。だから、気持ちを込めて頼むのだ。するとアイリスは驚いたように肩を震わせると、顔を上げるようにこちらへ寄って来た。ゆっくりと姿勢を戻すと、アイリスは呆れたように、だけれどどこか優しげな表情で、少しだけ小首を傾げる。
「――了解しました。デイジーの護衛、引き受けます。しかし、絶対にご無理はなさらないでください。私もデイジーも、あなたの帰還を待っています。ガーベラやリベルタスの団員たちも一緒に、また再会しましょう」
アイリスの微笑みに、デイジーが優しく頷く。そんな二人に不器用ながらも笑いかけると、アイリスは俺から離れて、デイジーの手を握った。そして二人は避難所が在地している方向へゆっくりと歩いていき、デイジーは振り向きながら手を振ってくれる。そんな彼女たちに軽く手を振って、二人が見えなくなるまで見送った。そして彼女らが視界から完全にいなくなったのを確認して、一人リベルタスの本部へ向かう。どちらにせよ、ガーベラの傍にいてやる必要がある。彼女を護衛するためにも、彼女の相談役としても。そういえば、先ほどデイジーに伝えたが、今回は殿を務めなければならない訳で、南西戦争時代の狼犬部隊を想起してしまう。あの頃も撤退戦の場合は殿部隊として戦線を維持し、後方の撤退の援護を行った。まるで昔に回帰したかのようだ。ガーベラと共に戦場を駆け抜けた日々を。そんなことを思い出しながら、今回もきっと大丈夫だと言い聞かせつつ、リベルタスの本部へ戻っていった。
アイリスとデイジーを見送ってから、俺はリベルタスの撤退作業に従事する。とは言っても、ガーベラが殿部隊としてアースに残ることを表明したから、俺も彼女に付き添って殿を務めることが(大方予想は付いていたが)決定した。そしてリベルタスは優秀な人材が多いからか、移送部隊の準備は昼頃には全て完了し、旧北西鉄道の輸送列車の手配も終了したようだ。まぁ列車の確保はガーベラが尽力したのだろうが、それにしても皆行動が素早く、流石リベルタスの団員だと舌を巻く。これほどの人材が集結しているからこそ、メリディオンに対してこれまで反抗を継続して来られたのだろう。アースを完全に放棄する結末にはなったが、まだガーベラや団員たちは残っている。意思は潰えていないのだ。だから何度だって、俺たちは生き返る。自分たちの国を、仲間を守るために戦えるはずなのだ。
大破した俺の軽戦車は敵陣地へ置き去りになってしまったから、撤退戦に際して新しい機体を譲渡された。元々俺が再度搭乗することを見越していたのか、機体はパーソナルカラーとなりつつある白色に染め上げられ、明らかに人目を惹くマットホワイトに仕上がっている。ガーベラの護衛を行うことを鑑みればある程度目立つ彩色を用いた方が効果は高いのだが、それにしたって、今更ながら死に急いでいるなと自嘲する。リベルタスの軽戦車の色合いは深緑が多く、メリディオンの機体はディープブルーが多い。どれも暗めの色合いであるため、戦場では白色の機体はあまりにも視線を集める。狼犬部隊の時は殿と務めていたので、白い方が戦術的効果は高かったのだが、部隊は壊滅し、今その遺志を機体色で継いでいるのは俺だけである。ガーベラ自身も白にしたいと駄々を捏ねていた時もあったが、それも過去の話だ。今は真紅を用いていて、半ばそのカラーはリベルタスの指揮官機の色となりつつあった。それほどリベルタス内部ではガーベラの存在が大きいと言えるだろう。
そんなこんなで、俺はあてがわれた新しい機体(と言っても量産機の色違いだが)へ搭乗して、メリディオンとの境界線である時計台広場付近に展開していた。殿部隊はリベルタスの中でも優秀な戦車乗りが起用されており、このユーロシア大陸に現存する軽戦車部隊の中では最強クラスの位置付けとなるだろう。同じ頭数の部隊と戦闘を行えば間違いなく負けなしだろうが、今回に限っては敵の数が膨大だ。だからこそ避難民の誘導が完了するまで耐え凌げば良い訳で、敵機を敢えて撃破する必要はない。時間稼ぎさえ行えれば良いのだ。それは過去の狼犬部隊に所属していた自分としては慣れ親しんだ作戦内容であり、ちょっとだけ懐古的な意識を抱いてしまう。隣に展開しているガーベラは今、何を思って待機しているのか。こちらと同じように、きっと昔のことを想起しているのだろう。そんな心持ちを抱きながらメリディオンの攻撃に備えていると、不意にヘッドセットがノイズを発した。
『待機だけなら随分と楽なものだな、ドッペル』
軽口を叩くガーベラに微笑ましさを覚えながらも、薄く笑って返事をする。
「もしかすれば、メリディオンが攻めてくる前に撤退できるかもしれない。そうなれば損耗も無く平和的に逃げられるのにな」
軽口を返すと、ガーベラも優しげに笑った。
『本当に、そうなることが望ましいな。北の国で体勢を整え、メリディオンへの対応を考える。アースを放棄することは無念だが、それ以上に大切なのは人員だ。何よりもまず生命が大事。死んでしまっては、余りにも無為だからな』
ガーベラの言葉に、少しだけ感傷を抱く。今まで死んでいった仲間たち。苦闘して散っていった戦友たち。犬死にもあったし、残酷な死もあった。だけれど皆が他人のために戦って、そして生命を使い切ったのだ。彼らは最期に何を思ったのだろう。それはやっぱり想像の域を逸脱しないけれど、どうしても彼らの遺志だけは無駄に出来なかった。
『――なぁドッペル。お前はいつまでも私を慕ってくれるのだな』
不意に、ガーベラが少しだけ辛そうな声色でそう告げた。発言の意図を分かりかねて無言を返事としてしまうが、彼女はそのまま言葉を続ける。
『今回の殿部隊の編制。本来であれば、お前を配属させるつもりはなかったんだ』
意外かと思いつつ少しだけ納得してしまう内容を受けて、細く息を吐く。そして何も言葉を発さず、そのままガーベラの陳述を待った。
『……お前は、十四の時に南西戦争に巻き込まれ、少年兵として戦場を駆けた。まだ成人もしていない少年が、仲間を殺される喪失感や、女を奪われるやるせなさを経験する。それは余りにも酷なことだろう。だが、お前はそれでも生き残り、そして戦い、戦争後も私に付き従って、共に肩を並べてくれた。――私には、勿体ないくらいの存在だ。だからこそ思ってしまうんだ。お前をどうしたって喪いたくないと。どうか幸せに暮らして欲しいと。だから、お前を戦わせたくない。アイリスやデイジーと共に、逃げてくれても良かったんだ。そう、私は敢えてお前に仕事を割り振らずに、そのまま会議を終わらせた。だがお前はそれでも私の下へ戻って来て、共に戦うと言うのだ。――十七の少年を、戦争に駆り立てる罪の意識。そして愛しい自分の弟分を、殺されてしまうかもしれないという感覚。だが私はきっと、お前がいなければ何度も死んでいた。だからこそ戦うなとは言えない。そうした自分の弱さが、どうしても許せないのだ……』
内心を吐露したガーベラに、俺は胸がキュッと絞られる感触を意識する。どうやら彼女はアイリスだけでなく、俺も戦線に投入しないつもりだったらしい。過去にもガーベラは俺を戦わせることに対して忌避感を抱いていたものの、確かに戦うなとは言って来なかった。そこがガーベラの弱さであり、多分俺が支えてあげなければならない箇所なんだろう。だけど、だけれど。俺は今、自分の意思でガーベラの隣にいる。自分自身が、彼女の隣で戦えと叫ぶんだ。だからガーベラが気に病む必要はない。いつも通り冷静な采配を行って、そして戦場で暴れ回れば良いのだ。
「――前にさ、アイリスの軍事利用の話が出た時、ガーベラはデイジーやアイリスと接して、自分を見つめなおせって言ったよな。……それで、わかったんだ。どうして自分がアイリスを戦わせたくないのか。それはね、多分ガーベラと同じで、喪いたくないからなんだ。他者を喪いたくないと思う気持ちがあるから。だから、ガーベラが気にする必要はないよ。普段通りに戦えば良いんだ。俺だってさ、ガーベラが俺を思ってくれるくらい、ガーベラの事を大切に思っているから」
自分の心境を真っ直ぐに伝えると、ヘッドセット越しに少しだけ鼻をすするような音が響く。その小さな音響に気付かないように軽く息を吐いて、
「生き残って、また一緒にいよう。俺はガーベラを見捨てたりしないから」
ああ、と返したガーベラに愛しさを覚えて、むず痒い感情を知覚する。これはきっと、“親愛”に近いもので。血の繋がりもないし、家族でもない。だけどそれでも、ガーベラはかけがえのない存在で、どうしても喪いたくない人間の一人だった。
『ありがとう。ドッペル』
そう言って笑ったガーベラに、見えないにも関わらず笑顔を浮かべた時。
破壊的な爆発音が響いた。
瞬時に意識を切り替えて、前方を確認する。すると前の方から軽戦車の部隊が接近していて、戦闘の火蓋が切って落とされたことを理解した。
『総員、迎撃しろ!』
ガーベラの咆哮が響き、俺は操縦桿を確かに握り直すのだった。