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俺たちはすぐさま戦場となっている市街地へ向かう。軽戦車を走られ、避難民たちが進路上に入らないよう拡声器で指示を出しながら。通りは多くの住民たちに埋め尽くされていて、戦域に到着するまでには多少の時間を要してしまう。家財や避難用具を抱え不安そうな表情を浮かべた避難民たちの様子は心に痛く、唇を軽く噛ませた。そうして軽戦車を走らせている内に、間もなく戦場へと到着する。
戦線は混迷を極めていた。既にリベルタス側の軽戦車が多く撃破されており、そしてそれ以上にメリディオンのものと思われる軽戦車が多く撃破されており、街中は火の手が回っていたり、民間人の屍体が折り重なるように転がっている。先ほどのガーベラの発言から民間人の被害の存在は認知していたものの、ここまで派手に一般人を殺害しているとなると、無差別攻撃の可能性も出てきた。連中はアースの占有を視野に入れているだろうし、それとは関係なくリベルタスの戦意を削ぐために民間人への攻撃を行っているのだろう。その下劣な姿勢に義憤が湧き上がるが、今出来ることはこれ以上の被害を増やさないことだ。民間人を早急に非難させて、戦闘員のみで戦域を継続する。かなり相手側の侵攻が早く被害は免れないだろうが、一般の民草に人死にを出させるのは本意ではない。何とか庇いつつ戦いたいところではあったが、敵の量的にもそう簡単に達成できるかは不透明だった。
建築物の陰に隠れながら主砲を放ち、前方に展開しているメリディオンの軽戦車隊を迎撃する。彼らも彼らで建物の陰に隠れつつ戦闘を行っているから、容易く砲弾を命中させることはできない。軽戦車の十八番は障害物を用いない格闘戦ではあったものの、市街地戦となれば話は別だ。数多くの建築物、つまりは障害物が存在している以上、軽戦車を思うように展開は出来ない。回避行動も制限されるとなれば、射線を上手いこと切りつつ、こちらは攻撃を正確に命中させる必要があった。
ふと、敵の砲弾が飛来し、こちらの機体の隣で攻撃を行っていた団員の軽戦車に直撃する。その瞬間こちらは機体を移動させ、被弾した機体に誘爆されないよう避難した。案の定エンジンオイルに引火したのか、直撃を受けた友軍機は爆散し炎上する。仲間が一人散ってしまったことに怒りと悲しみを覚えつつも、新たな障壁を見つけて隠れ、被弾を防ぐ。
『団長! 左翼の防衛線が突破されました!』
『報告します! 右翼の第一防衛戦が一部決壊、敵軍の侵入を許しました!』
『ガーベラ団長! このままでは部隊は壊滅します! どうか次の指示を!』
団員たちの恐慌した報告がオープンチャンネルに木霊し、焦燥感を抱かせる。自分の戦域はガーベラと同様に中央の防衛線で、こちらは今のところ何とか凌げているが、後退に転ずるのは時間の問題だ。指示を乞われたガーベラは悔しそうに舌打ちを行い、各方面に命令を下す。
『中央の後方部隊を左翼に回せ! これ以上先へ進ませるな! 右翼は一旦後退し第二防衛線で耐えろ! 敵機の撃破は考えるな! 足止めに徹するんだ!』
足止めできたところで状況は好転しないだろうが、敵の攻撃がかなり激しい以上、下手に攻勢に出れば簡単に撃破される。これ以上の損耗が許されない状況下では致し方ない指示ではあるが、ガーベラも焦っているのが窺えた。
「ガーベラ。このままじゃ中央ラインも崩壊する。それに弾薬の充填も必要だ。ここは一時撤退を考えるべきだと思うが」
個別チャンネルでガーベラに提言する。彼女はわかっていると吐き捨てた上で、歯ぎしりをしたようだった。
『敵の数が多すぎる。撃破しても撃破しても次が現れるんだ……! どうすれば良い、くそッ!』
ガーベラは再度舌打ちし、真紅の機体を前方へ進ませた。これ以上前に展開すれば危険なことは当然分かっているようだが、多少冷静な判断力に欠いているようだ。
「ガーベラ! それ以上進むと危険だ! 後退しろ!」
直通チャンネルでそう叫ぶが、彼女の前方に隠れていた敵の軽戦車が、真紅の機体に照準を合わせるのは同時だった。
「ガーベラ!」
なりふり構わず、フットペダルを踏み込む。障害物から踊り出した自機は、ガーベラ機の左側面に衝突して、彼女を吹き飛ばした。だけれど自分の機体の回避が間に合わず、飛来する砲弾に自機を晒してしまう。
轟音が響き渡って、機体が大きく振動する。そのまま全身を振り回されてしまって、そして何かに衝突したのか自機は停止した。後頭部をリクライニングに打ち据えて意識が多少明滅するが、爆発していないことから燃料タンクへの直撃は免れたようだ。視線を左へ向けると、操縦席の左側が僅かに吹き飛び、運転席が外部に多少露出してしまっていることに気付く。
『ドッペル!』
ガーベラの悲鳴が耳孔を灼く。すると真紅の機体が盾になるように前方へ展開した。
『ドッペル! ドッペル! 応答しろ!』
「……無事だ。怪我もない」
まぁ操縦席の破片が頬を少しだけ切り裂いたが、それ以上の怪我は特になかった。機体の操縦も普段通り可能なようだ。
『ドッペル機が被弾した! 分隊員はドッペル撤退の援護をしろ!』
するとガーベラは砲弾が掠っただけなのにこちらを撤退させるべく、分隊に指示を出していた。彼女はこちらを恐ろしく心配しているようだが、その気遣いは不要だ。
「ガーベラ。継戦は可能だ。装甲板の一部が飛ばされただけだからな」
『しかし!』
「今の状況下なら、一機でも動かせる機体は必要だ。それにお前が前線を離れてどうする。今度こそ戦線が崩壊するぞ」
ガーベラが息を飲む音がヘッドセット越しに響いた。彼女的には迷いどころかもしれないが、アースの維持を鑑みれば結論は簡単に出るはずだ。するとガーベラは息を飲んで、撤退の指示を撤回することを宣言した。
『だがドッペルは後援へ回れ。それが条件だ』
ガーベラの指示に苦笑しつつ了承する。そこが彼女の甘いところではあったが、逆に言えば優しく、ガーベラらしい部分だった。
指示通りに多少後方へ下がりつつも、戦線の維持に努める。ガーベラ機を、こちらと入れ替わるように分隊の機体が護衛に回り、露払いをしてくれた。だが現状を鑑みても、撤退は免れないだろう。あと数分持つかさえも疑問だ。力不足に多少のやるせなさが募るが、隣に展開している分隊からの連絡が入ったのはその時だった。
『団長! 中央の防衛線の一部が崩壊しました! そちらへ軽戦車の部隊が向かっています!』
報告を受けて、ガーベラが息を飲む。俺も一度被弾しているし、これ以上の敵機が現れたら確実に中央の戦線は崩壊する。すぐにガーベラが撤退の指示を出すべく分隊のチェンネルに切り替えたようだが、前方の建築物の間から数機の軽戦車が飛び出してきたのはその時だった。
現れた数機の軽戦車の内一機が、こちらへ照準を合わせる。すぐさま回避行動を取ろうとするが、位置的に回避することは不可能だ。――直撃する。長年の直感が、そのように告げていた。絶対に逃げられない。そのような確信さえも胸を埋めていた。瞬間的に死を悟って、ガーベラだけでも逃げて欲しいと思ったところで、敵機の砲門から閃光が飛び出して――
その瞬間、異音が響いた。
その音は金属が金属に超高速で激突するような鈍いとも鋭いともつかない音で、その音は自機に砲弾が直撃した際の音かと認識するが、どうやら違かったらしい。何故か自分の機体は撃破されておらず、先ほどと変わらない状況でガーベラ機の付近に鎮座していた。理解が追いつかない最中、不意に発砲音が響いて、こちらへ砲弾を撃ち込んで来た敵機に風穴が花開く。そしてすぐさま爆発して付近に誘爆し、合計二機が大破した。
訳が分からないまま呆然としていると、左側の視界に金色の色彩を知覚する。ハッとしてそちらの方を見やると、そこには巨大な対戦車ライフルを携えたアイリスが、被弾して装甲板がめくれ上がった箇所から顔を覗かせていた。
「ご無事ですか、ドッペル」
その無機質な声色にぼーっとしてしまうが、すぐに思考が正常化する。
「お前! デイジーはどうした?! 護衛しろと命令しただろうが!」
「そのデイジーからの指示です。ドッペルを守るようにと。彼女は事情を知るリベルタスの団員に、責任をもって預かっていただきました」
唖然として口が開いてしまうが、アイリスは依然として凛とした面持ちのまま、前方へ向き直った。
「今は歓談を行っている場合ではないと存じますが?」
涼しげな口調に多少のいら立ちが募るものの、ここまで来てしまったなら致し方ない。
「さっきのはお前がやったのか?」
そう尋ねると、アイリスは短く首肯した。
「はい。ドッペルの機体に砲弾が迫っていましたので、こちらの対戦車ライフルで弾を撃ち落としました」
そんな馬鹿げたことができるか、と言いかけて、あながち不可能ではなさそうなことに気付く。
「飛来する戦車砲の速度、角度、着弾地点を予測し、先ほど試し打ちしたこちらの対戦車ライフルを用いて撃墜しました。多少こちらのライフル弾が遅いので不安でしたが、上手く食い止められたようですね」
平然と言葉を並べるアイリスに半ば呆れながら、しかし彼女のお陰で命拾いしたことを悟る。感謝は後で伝えれば良いと断じて、そのまま覗き窓から前方を見据える。
「なら、今は協力しようか。戦うのは嫌かもしれんが、ここは戦場だ。生き残りたいなら戦うしかない」
「当然です。メリディオンの方々と戦うのは本意ではありませんが、私も戦術機械人形ですので。指揮官が危機的状況なら護衛するのが使命です」
頷き返して、すぐに前方を注視する。二機を撃破したものの、他にも軽戦車が大挙して押し寄せてきていた。
「行くぞ! アイリス!」
放たれた敵機の戦車砲を交わすため、ガーベラ機と共に回避運動を取る。アイリスはまだ自機に張り付いたままで、回避行動の最中片腕で対戦車ライフルを放った。
耳をつんざくような轟音が響いて、瞬間的に敵機の一つが爆炎を上げる。どうやらアイリスが撃破したらしい。その腕前に舌を巻くが、この状況下では非常にありがたいものだった。
「私は歩兵として展開します。ドッペルはガーベラと共に防衛線の維持を」
こちらが了承する前に、アイリスは機体から離れ、そのまま前へ走っていく。しかしその走行速度は尋常ではなく、人間を象った馬か何かを思わせた。
『ドッペル。あれはアイリスか?』
ヘッドセットからガーベラの声が響く。そうだと伝えると彼女は息を吐いて、
『どの程度の実力があるのか見せてもらおうか。足を引っ張らないでくれると助かるのだが』
今更アイリスを戦域に投入したことに後悔を覚えつつも、そのまま彼女の軌跡を見守りながら、自分たちも障害物を利用して迎撃を行う。だけれど俺たちはすぐに悟ることになる。アイリスという軍用機械人形が、どれほど恐ろしい兵器なのかを。
アイリスは走りつつ、飛来する砲弾や機関銃を完全に回避して、走ったままの状態で、かつ片手で対戦車ライフルを放ち続ける。数秒に一機のペースで軽戦車が爆散し、次々と火の手が上がっていく。その上アイリスはライフル弾を一発たりとも外すことなく、弾倉の装弾数と全く同じ数の敵軽戦車を、再装填のタイミングまでに撃破する。こちらから一切の援護を行わなくとも、彼女一体で中央の防衛ラインを制圧し、そのまま敵機を押し返していく。ガーベラたちもその様子には呆然とするしかなくて、分隊のチャンネルは沈黙に包まれた。
『なんだ……あれは……』
ガーベラの畏れるような声色が響く。分隊員や俺も何も言葉を返せなくて、ただアイリスの奮戦を眺めるしかできない。間もなく中央防衛線の制圧が完了し、周囲には敵機の大破した機体が大量に転がり、延焼を続けていた。
『――中央防衛線の制圧が完了した。このまま左右翼の制圧に移る!』
ガーベラの号令が響いて我に返る。そして俺たちはアイリスが進む先の左翼に移って、彼女の援護を続けた。ただやはりこちらの援護が一切なくとも、アイリスは単体で状況の制圧を完了させてしまう。その勇姿に、彼女の姿を見たものは文字通り希望を描き、各々が称賛の言葉を口にする。
『あの子はなんだ?! 凄すぎるぞ!』
『あれならメリディオンにも勝てる! 奴らを追い出せるぞ!』
そのような感嘆の声がオープンチャンネルに響いて、何故か胸が苦しくなるのを知覚する。どうしてこんなに胸が苦しいんだろう。その理由に気付けないまま状況の制圧を続けていたが、敵の軽戦車に違和感を覚えたのはその時だった。
アイリスが単独で先行し、敵の陣地で暴れまわる。しかし敵はどうしてかアイリスを誘い込んでいるようで。そしてそれが罠だと気が付いて、すぐさまアイリスの方へ機体を進める。
「アイリス! 罠だ! それ以上進むな!」
声が絶対に届かないことを分かっていながらも、俺は吠えた。メリディオンの連中は、アイリスシリーズの奪取を目論んでいたはずだ。そしてそれらに失敗している以上、リベルタス側がアイリスを運用することも視野に入れていたはず。そうなれば彼女の対策を行っていないはずはない。その可能性に気が付いた時にはもう遅く、アイリスの周りを囲うように軽戦車が展開していた。そしてその砲弾を放って。撃ち込まれたのは恐らく鹵獲用のワイヤー弾であって、アイリスは回避しようと身を翻すものの、四方から撃ち込まれたため、回避行動が間に合わない。そのままアイリスはワイヤーに絡めとられて、そのまま対戦車ライフルを取り落としてしまう。
「アイリス!」
叫んで、機体を彼女の方へ直進させる。この時俺は、一切周りが見えていなかったように思う。だから敵の軽戦車の一機がこちらへ向けて照準を合わせていることにも、気付かなかったんだ。
轟音が響き、視界が明滅する。天と地の方向が不鮮明になって、自分が砲弾の直撃を受けたことを悟った。そして機体は吹き飛ばされて、身体が慣性の虜となる。最後に目にしたのは、吹き飛ばされたハッチ越しに、アイリスがメリディオンの兵士に囚われているところだった。