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いつしか花も芽吹くから  作者: 柚月ぱど
第四章
32/46

4

 オリビアをメリディオンの畜生どもに殺されてから。僕は数少ない狼犬部隊ウルフドッグズの面々と共に、西方へ後退せざるを得ない状態へ追い込まれた。当時はメリディオンが戦線の強化を行っていたから、次第にヴェントゥス側が不利となり、段々と前線を下げなければならない撤退戦に持ち込まれたのだ。既に狼犬部隊も分隊単位の維持が不可能な程の損耗を受けていて、更に度重なる殿での戦いにおいて、ただでさえ減少していた部隊員を半ば崩壊まで減らされてしまう。ヴェントゥスの前線は日を追うごとに西方へ詰め込まれ、最終的には城塞都市アースの手前まで侵攻されて、その当時には狼犬部隊の人員は僕とガーベラの二人の生き残りを残すだけとなり、事実上狼犬部隊は崩壊した。


 だけれど僕とガーベラはそれでも他の部隊へ編入し、そこで戦いを続けて行く。最後まで生き残った二人だったから、やはり編入先でも僕たちは死なず、他の隊員たちが湯水ように死んでいく場面を目の当たりにした。ちょうどあの頃は屑鉄塚が前線だったか。スクラップの山を盾にしながら軽戦車を駆り、メリディオンの部隊に応戦する。敵の頭数の方が圧倒的に多いのは明白だったから、連中がアースまで侵攻するのは殆ど時間の問題で、僕たちはいつ死ぬかわからない戦いに身を投じていたのだ。そして間もなく戦線はアースの劣化ウラム装甲板、つまり城塞の手前まで後退を強いられ、そこでの籠城戦に持ち込まれた。


 だけれど、そこでメリディオンの連中にとって不測の事態が発生する。昔から劣化ウラム装甲板は強靭な防護素材として重宝されており、過去の核戦争の遺物、つまり放射性廃棄物ラディアントから安価に作成できることから、戦車の装甲などに流用され、軽戦車にも一部用いられるなど親しまれていた。しかしその強度や堅牢さについては折り紙付きであり、重戦車の百二十ミリ主砲でも一撃で貫通できないほどの恐ろしい強度を誇っている。そしてアースまで追い込まれたヴェントゥスの兵士たちは激戦を極めた南西戦争において生き残った生粋の精鋭たちであり、そのような要素も相まって、メリディオンはアースへの侵攻に手間取っていた。そしてアースの陥落に時間がかかればかかるほど、兵站、つまりはロジスティクスの面で連中は苦心することとなる。そもそもメリディオンは西方のヴェントゥスの更に奥地にあるアースまで食料や弾薬、人員や軽戦車の交換部品を運搬せねばならないため、かなりの時間がかかるし、コストも不可欠だ。その上ヴェントゥスへの侵攻のために大部隊を編成していたため、ただでさえ数の多い部隊を兵站で支えるとなると、莫大な費用の必要性が生じる。当時は狼犬部隊の隊長であったガーベラが生き残った兵士たちの指揮を執っており、彼女の敏腕から隠密部隊をメリディオンの後方へ忍ばせ、輸送部隊を急襲する作戦を立案していた。その結果メリディオンの本隊は補給なしの状態で立ち往生する結果となり、最終的には食料や弾薬の不足から撤退を余儀なくされる。そうして僕たちヴェントゥスの生き残りは屑鉄塚付近まで逆襲を仕掛け、何とかメリディオンの本隊を追い払ったのだ。


 そうしてヴェントゥス最後の拠点となったアースは、メリディオンの脅威が去り、新しい指導者を必要とする。そこに狼犬部隊のリーダーであったガーベラが名乗りを上げるのは、とても自然なことだっただろう。そしてガーベラはリベルタス自警団を発足し、アースを統治下に置いた。そして国境警備隊ゲートキーパーを編成し、国の境を明白にする。そしてリベルタスの存在を周知させ、追い払ったメリディオンの連中に停戦協定を持ち掛けたのだ。


 停戦協定の締結に乗ってくるかは、当然賭けな部分も存在した。しかしメリディオンは大部隊の使用で大幅に疲弊しており、堅牢な城塞都市アースの制圧を現時点では不可能だと断じたらしい。ヴェントゥスの部隊が屑鉄塚の先まで侵攻し、ヴェントゥスの奪還に乗り出すくらいだったら、一度体勢を立て直すべきだと判断したんだろう。そういうわけでメリディオンはリベルタスの停戦協定提案を飲むことにして、その会議をメリディオンの首都で行うことが決定した。


 メリディオンの首都で停戦協定を締結するとなると、ガーベラに対する暗殺の危機がある。だけれど協定の締結はどうしてもメリディオンの首都で行うと譲歩しない相手に、ガーベラは仕方なく応じることにした。それ以外にもガーベラの不在時にアースへの侵攻が行われる可能性もあったが、相手方の部隊の損耗具合から、暗殺以外の手段はあり得ないとガーベラは断じる。そうして彼女は僕やリベルタスの団員を護衛として招聘し、メリディオンの首都へ協定締結に向かうのだった。


 結果から言えば、ガーベラへの暗殺は敢行されたものの、その全てを防ぎきることに成功する。毒殺や狙撃など多種多様な暗殺が目論まれていたようだが、こちらは精鋭の集まりなのだ。僕たちは全ての暗殺を潜り抜けて、悔しそうなメリディオンの高官たちと協定を締結した。もちろん多少こちらには不利な協定ではあったものの、ガーベラ的にはアースへの侵攻を一時的に食い止めるのが目的であったので、奏功したらしい。しかし会議そのものは白熱し、五日間に渡って論戦を繰り広げ、ようやく落としどころを見つけるのだった。


 停戦協定が締結された日の夜。僕は一人でメリディオンの街を歩いた。侵略国家メリディオン。彼らは血を啜ることでしか生きられない悲しい人種だという偏見を持っていたが、その実をどうしても確かめたかったのだ。同じ人間だというのに、やっぱり人を殺して奪うことでしか生き永らえない愚かな種族なのか。それとも僕たちと同じ人間であって、その本能的な闘争本能が暴走しているだけなのか。フライトキャップを目深に被って黒髪を隠しながら、冬の街を歩く。だけれどこの場所、首都を訪れた時にも思ったが、表通りに人の気配はない。見かける者と言えば路肩に転がる乞食たちであって、脳内で想像していた華やかさは一切ない。軍需産業や戦争の賠償金で潤っていると勝手に思っていたため、その光景は吃驚するに足るものであった。


 しばらく表通りを歩いていると、流石に土地勘のない場所を一人で歩いていただけあって、道に迷ってしまう。ぼんやりと周囲を徘徊して戻ろうと思ったがそれは甘い考えだったようで、次第に表通りから離れて裏通りへ入ってしまう。だけれどその裏通りは、裏通りと言うだけだって悲惨な光景が広がっていた。表通りと同様に金銭をねだる乞食たちに、恐らく違法薬物か何かで頭のたがが外れた女性。強姦や強盗、殺人や暴行に満ちている街。そんな負の世界が目の前には広がっていて、まるで故郷のアース貧民街を思い出す場所であった。


 すぐにこんな嫌な場所は抜けてしまおうと躍起になるが、焦れば焦るほど道から外れ、段々と奥地の方へ進入してしまう。そもそも僕はヴェントゥス人であったし、フライトキャップ越しに黒髪がバレれば、集団暴行を受けてしまう可能性が大いにあった。一応護身用としてガーベラから預かったリボルバーがあるものの、数で圧倒されれば到底敵わない。死が身近に迫りつつある緊張感を覚えながら早く立ち去ろうと足を速めると、不意に上着の裾を誰かに掴まれてしまう。


 冷たい汗が背筋を伝った。まさかこちらがヴェントゥス人だと露見したのか。そうなれば暴行を受けてしまうのは確実であって、ガーベラの下へ戻りたいなら戦うしかない。そう思ってショルダーホルスターのリボルバーに手を伸ばしながら振り返るが、そこには予想外の存在が佇んでいた。


 長い金髪に、あどけない表情。しかし衣服は襤褸切れであって、肌は薄汚く茶色に染まっていた。だけれど釘付けになったのは、その丸い瞳だ。とても大きくて可愛らしいのに、どうしても目に光がない。まだ年端もいかない少女なのに、どうしたらここまで絶望できるのか。しかしそこで思い出す。きっと自分がこの少女の歳くらいの時にも、同じような表情や目を浮かべていたんだろう。何にも期待せず、死すらも恐れない。だけれど生存本能から無為に生きようとする。人間の尊厳さの欠片もない憐れな姿に、リボルバーに伸ばした手を下ろしてしまう。


「――さい」


 ふと、少女が何かを口にした。か細すぎて聞こえなかったが、彼女はもう一度言葉を繰り返す。


「ごはん……ください」


 少女は上着の裾を掴んだまま、じっとこちらの双眸を見つめていた。その無機質な目線にたじろいでしまうが、少女は決してこちらの服の裾を離さない。


「もう、三日も食べてないんです……お願いします。少しで良いので、ご飯を分けてくれませんか……」


 恐らく水分もまともに取れていないんだろう。彼女の小さな唇は渇ききっていて、言葉を紡ぐことさえ困難そうであった。内なる憐憫を覚えながらも、僕は食料もメリディオンの紙幣や貨幣も持っていなかったので、断る他ない。


「その……ごめんね。僕、今何も持ってないんだ。それじゃ――」


 罪悪感を覚えながらも立ち去ろうとするが、少女はやはり服の裾を離さない。そして彼女はこちらの目の前に立つと、何を思ったか下腹部の襤褸切れを少しずらした。


「……その、ただとは言いません……相手をするので、どうかお願いします」


 その少女の姿が、オリビアの姿を重なってしまって。オリビアは、メリディオンの兵士に暴行されて殺されてしまった。僕より年上だったけど、まだ若かったのに。その花を散らして。目の前の少女は、自分の身体を売ってまでも食料を得ようとしている。その姿に悲哀よりも怒りが湧いてしまって。僕はきっと、この時メリディオンに対する怒りを爆発させてしまったんだ。オリビアの清純を奪って殺したメリディオンが、僕に買春を要求している。その事実がどうしても許せなくて。ショルダーホルスターに収めていたリボルバーを引き抜いて、少女の顔面に向けていた。


「お前が! お前たちが! オリビアを殺したんだ! たくさんの仲間たちを! 多くの同胞たちを! そんなお前たちが、どの口で言えるんだ!」


 トリガーに指をかけて、引き切ろうと指に力を籠める。怒りのまま少女を射殺しようとして、そこで照準の先にいる彼女の姿が映った。少女は頭を押さえながら縮こまっていて、涙を流していた。


「お願いします……どうか殺さないでください……悪いことをしたなら謝ります……だから、殺さないで――」


 リボルバーを握る指先が揺らぐのを感じる。それは少女の姿が、暴力に怯えて泣く様子が、幻視したオリビアの姿と重なって見えたからで。彼女の遺体には、泣き腫らした跡が残っていた。きっと集団で痛いことをされて、泣きながら助けを求めていたんだろう。だけれど助けは来ないまま、そのまま殺されてしまった。――僕は今、何をしようとしている。身体を売ってまでも生き延びようとする小さな生命を、拳銃で刈り取ろうとしているのだ。そんなことが許されていいのか。オリビアの悲劇を、僕が繰り返してしまっても構わないのか――そこまで考えた僕は、気が付くとリボルバーを地面に落としていた。金属の塊が鈍びたアスファルトに衝突し、愚鈍な音を立てる。そうして僕はその場に崩れ落ちて、泣きながら目の前の少女を抱き締めていた。


「ごめん……ごめんよ……怖かったよね。辛かったよね……本当に、ごめんね……」


 あまりにも悲しい。あまりにも悲しすぎる。戦争は悲劇しか生まない。戦った両方の国に悲劇を齎す。戦争に勝利などない。きっと残るのは虚しさだけだ。どうして人間は争ってしまうんだろう。こうやって、別の人種同士が抱き合って、二人で泣き合うことだってできるのに。でも、だからこそ信じたい。悲劇の繰り返しを避けることだってできるんだと。だって現に今、僕は少女に自分の復讐を押し付けず、こうやって抱き締めてあげることができたのだから――




「これが、お兄ちゃんとの出会いだよ。その後あたしはガーベラさんに引き合わせてもらって、たくさんの食事と、笑顔を貰った。そしてあたしはお兄ちゃんと正式に義兄妹になって、アースに転住したの」


 柔らかな笑顔を浮かべたデイジーが、こちらへ優しげな目線を送ってくる。淡く微笑み返すと、彼女は嬉しそうに笑ってくれた。するとデイジーは手に持ったフライトキャップを被り直して、思い出したように語り出す。


「この帽子もね、アースに移住する時にお兄ちゃんから貰ったんだ。金髪を見せたままアースで暮らすわけにもいかないからね。アイリスのその帽子も、お兄ちゃんから貰ったんだよね? ふふふ。形は違うけど、お揃いだね」


 デイジーが微笑むと、アイリスは淡く口角を上げて、小脇に抱えていたフライトキャップを握り締めた。そんな大層な物でもないが、デイジーにとっては思い出の品なんだろう。


「しかし、そうですか……そんなことが……」


 重苦しく呟くアイリス。しかし俺たちにしてみればもう平和に暮らしているわけだし、過去のことはそこまで気にしていないのだが。アイリスが来てからデイジーも更に良く笑うようになったし、特段悲しむ必要はないだろう。


「ふふふ。運命的な出会いでしょ? お兄ちゃんは運命の人だからね!」


 自慢げにない胸を張るデイジー。


「語弊が残る言い方はやめろ」


 呆れつつそう返すと、デイジーは不満そうに頬を膨らませた。その様子に愛らしさを覚えて軽く笑うと、デイジーも優しく微笑んでくれる。


「ささ、もう夜も更け込んで来たし、もう寝る準備しよ? お兄ちゃんはこれから忙しんでしょ?」


 手を叩いて話題を変えたデイジーに、軽く首肯する。


「そうだな。早めに寝ておくか。アイリス。いつも通り警備を頼むぞ」


 伸びをしつつアイリスに指示を出すと、彼女は恭しく礼をする。


「了解しました。お任せください」


「デイジーもあまり夜更かしするなよ。背が伸びんぞ?」


「はいはい、どうせ私はチビですよーだ!」


 舌を出して目を瞑ったデイジーの頭を乱雑に撫でて、そのまま自室へ戻っていく。そんなこちらの様子を、アイリスがジッと眺めて、


「きっと、人々は手を取り合って生きられますよね」


 小さく、そのように呟いた。

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