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いつしか花も芽吹くから  作者: 柚月ぱど
第三章
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2

 人間になりたい。その想いはどこか機械人形らしさを感じさせて。そもそも自分が人間であることを強く意識する。心や魂。そのような星幽アストラルな存在を求めてしまうのは、むしろ機械人形の性なのだろうか。実際にアイリス以外の機械人形と接した機会は皆無に近いから、その実はわからないけれど、アイリスの願い自体は、とても胸に詰まされるものだった。


 人間は闘争本能が備え付けられているけれど、それ以上に美的意識も伴っている。だからきっと人間は仲良く手を取り合って暮らせるはずだ。そのような主張は、今現在の社会に一切まかり通らないことは百も承知である。だけど、だけれど。そのように人の可能性、人の善性を信用する機械人形の存在はとても貴重に思えて。きっとデイジーの底抜けの明るさが、アイリスを少しずつ変化させたんだろう。機械人形に願われるほどに人間が腐敗してしまっているのは情けないが、きっといつか。いずれアイリスの思いが人の心に宿る時が来るのだろうか。その未来はきっとまだ遠くて、目視できないほどに距離がある世界だけど、こんな俺でも、願わくばそんな社会が、人を殺さず、笑顔で暮らせる毎日が訪れることを、心から祈っていた。


 アイリスは自分自身の名を持つ花々を見せられた後、少しずつ調子を崩していく。人間と同じように風邪に臥せったわけではないけれど、彼女の言動や行動に違和感を抱くことが増えた。その変遷を垣間見るに、きっとアイリスはやはり人間を望んでいるのだろう。人に生まれたいという思いは、機械人形として生を受けたアイリスにとっては悲願であって、そしてもう二度と叶わない祈りであった。




「人間らしさとは何か、だと?」


 ガーベラは机に頬杖をついて、深々と溜息を吐いた。そんな彼女の前に立ち、コクコクと頷いて先を促しているのは件のアイリスだ。そんな二人を半ば遠目から俯瞰して、馬鹿なことをやっていると自嘲するのだった。


 リベルタス自警団の本部。その団長室を俺たちは訪れていた。普段仕事以外では訪れない場所へ行きたいと主張したのは当のアイリスである。彼女は最近『人間らしさ』について強く意識することが増え、知り合いにその概念について追求していた。ある意味戦時とも言えるアースの環境でどうも暢気なものだが、その行動を半ば容認しているのは俺自身である。多分俺はアイリスの言う『人間になりたい』という想いに少しだけ感傷を抱いてしまっていて。他人に迷惑だとわかっていながらも、アイリスを止められずにいた。


 ガーベラは呆れたようにこちらを見やる。そもそもガーベラは多忙な身であり、アイリスの疑問に付き合っている時間などない。だけどアイリスはガーベラにも尋ねたいと聞かずに、俺の立場を利用してここまで詰めかけたのだ。俺としてはやはり止めて欲しいところだったがしかし、アイリスの答えについて知りたがっている自分もいた。人間らしさ。それは俺が南西戦争時にかなぐり捨ててしまった大事な一部分な気がして。それを多少なりとも取り戻せるなら、それに越したことはないように思えたのだ。


 呆れるようにこちらを見やるガーベラに軽く頭を下げて、誠意を示す。すると彼女は寛大にも淡く微笑んで、静かにアイリスに向き直った。


「確かにお前は機械人形だから、人間らしさ、という曖昧なものに憧憬を抱いてしまうのか知れないな。私とて人間ではあるが、そのような抽象的な価値観について深く思料したことはなかった。まぁこれも良い機会かもな。うーん、そうだな……」


 どうやらガーベラはアイリスの疑問に答えてくれるらしく、唸るようにして執務椅子に寄りかかった。それと同時に体重が背もたれにかかり、リクライニングが多少の軋みを上げる。


「……楽しむこと、とかか? どんなことにも挑戦して、人生を楽しむこと。あらゆるものに疑問を持って、調べたり考えたりすること、とか? まぁ、世界は思っている以上に面白いもので満ち溢れている。それに気付き、受け入れることで、新しい価値観が生まれるかもしれん」


 ガーベラの発言に対して、アイリスは納得するように何度も頷いた。なんともガーベラらしい考え方だが、そのある意味では能天気さとも取れる価値観が、彼女の魅力かもしれない。


「ありがとうございます。貴重なお時間、そして貴重なご意見を伺えました。感謝いたします」


 礼儀正しく頭を下げるアイリスに、ガーベラは優しく苦笑する。


「まぁ、色々考えたり、迷うこともあるだろう。そんな時は周りに聞いてみると良い。きっと誰かが助けてくれるさ」


 そう微笑んだガーベラに深々と首を垂れて、アイリスはこちらへ目配せする。もう用事は終了したようで、退室したいらしい。なぜ主人である俺がアイリスに振り回されなければならないのかは疑問だが、俺も特に用はないので、アイリスに頷き返す。


「ああ、そうだドッペル。少し良いか?」


 すると、不意にガーベラがこちらに声を掛けてくる。振り返って発言を待つが、どうやら二人で話したいことらしい。すぐにアイリスに外で待つよう指示をすると、彼女は軽く了承し、そのまま団長室から退室していった。


「随分と機械人形にしては高尚な考えをお持ちのようで」


 皮肉るような発言だが、ガーベラにとっては特に嫌味でもないのだろう。自分に多少の責任を感じて肩を竦めてみせると、ガーベラは淡く笑った。


「まぁ良い。それはそれとして、少し聞いておきたいことがあったんだ」


 呟いたガーベラは執務机に腕を組み、その上に顎を乗せる。


「かなり前にはなるが、墓荒らしの連中を一掃した時、同時にアイリスが攫われただろう」


「ああ。あの時はひやひやした。なにせデイジーも連れていたんだからな」


 軽く息を吐いて返事を終えると、ガーベラは言葉を続けた。


「未だにどうしてメリディオンの連中が機械人形を鹵獲していたのか不明瞭だ。アースの内部で工作を行う以上、かなり危険性の高い計画だったはず。だからこそ、その重要度が垣間見えるのだが、しかしまだメリディオンの思惑がわからん」


「新しい情報もないんだっけか?」


「そうだな。工作員モールにも洗わせているが、目ぼしいものはない。墓荒らしの壊滅と同時に人形狩りも自然と消滅したが。事態が一旦の落ち着きを見せただけで、その実がわかっていないのだ」


 メリディオンはアース内部の犯罪組織である墓荒らしに機械人形狩りを委託していた。しかし未だに何故機械人形の強奪を敢行したのかが不鮮明だ。墓荒らしが消滅した以上、真実を追うことは既に不可能だろうが、やはり疑問は残る。


「かつて私は、特定の機械人形の奪取を試みている可能性について言及した。実際のところ不明だが、可能性としてはあり得る」


「既に目的の人形を確保した可能性もあるしな」


「そうだ。人形狩りが今のところ落ち着きを見せている以上、連中の目標が達成された場合も考えうる。メリディオンによる昨今の軍備拡張には頭が痛いが、特段大きなファクターだとも思えん。だからこそだ。どうして墓荒らしまで用いて、機械人形を狩っていたのか」


 最近はアースの国境付近に、軍事演習を謳ってメリディオンの連中が軍備拡張を続けている。今のところ目立った衝突はないが、このまま軍備の拡張が継続すれば、リベルタスとしても一計を案じなければならない。停戦協定反故などといった最悪の事態には陥りたくないものだが、可能性としては念頭に置かなければならなかった。


「こっちで調べた方が良いか?」


 そう提案してみるが、ガーベラは首を横に振った。


「お前を使うほどの案件ではない、と私は考えているが。まぁ全貌がわからない以上、状況が動けば臨機応変に対応する必要がある。今はそれで良い」


 ガーベラの発言に頷き返すと、彼女は大きくため息を漏らした。


「最近は考えることが多くて困りものだ。お前もたまには飲みに付き合え。南西戦争時代からの付き合いだろう」


「――ま、俺も多少は人付き合いに慣れるべきか。今度は多少考えるよ」


 手を軽く振って、そのまま団長室の出入り口に向かう。そして扉に手をかけたところで、ガーベラが再度声を掛けた。


「アイリスをしっかり見てやってくれ。あの子は中々に面白い。リベルタスの兵士として招聘したいくらいだ」


 ガーベラが冗談で言っていることは分かったが、アイリスを自警団に入れると聞いた瞬間、胸に何か苦い感情が浮かび上がるのを知覚する。だけれどその正体に気付けないまま、俺は団長室を後にした。




 自警団の本部から外へ出ると、入り口付近に佇むアイリスが視界に入る。団長室の外で待っていてくれても良かったのに、どうせ盗み聞きは良くないなどと考えたのだろう。そこにアイリスらしさを感じてしまって、少し呆れる。そんな心持ちのままアイリスに近づき、帰宅することを告げた。


 本部から自宅はそこまで離れていない。俺の家自体がそもそもアースの奥地にあるから、リベルタスの本部から近いというだけだが。俺たちは無言のまま自宅へ向かって表通りを歩き、ヴェントゥス人の雑踏の中に紛れた。


「そういえばドッペル。あなたには聞いていませんでしたね」


 唐突にアイリスが声を上げる。


「何をだ?」


「人間らしさ、についてです。――時にデイジーにも聞いていませんでした」


 どうして一番身近にいる人間にまず尋ねないのか疑問だが、その多少抜けている部分もアイリスっぽさかもしれない。


「答えなきゃいけないのか?」


「できれば」


 軽く息を吐いて、少しだけ思案してみる。人間らしさ、か。あまり考えたこともない。俺はいつも生き死にの合間に生きている人間だから、哲学者が考えるような思案は行ったことが少ない。そもそも人間らしさ、について考えられる人間は、ある程度人生に余裕のある連中だけだ。特にこのアースに暮らす人間たちに、そんな余裕はない。だからこそアイリスの“自分探し”は難航しているのだろうが。


 多少考えを巡らせて、とにかく思いついたことを声に出してみることにした。


「……後悔すること。何度も失敗して諦めること。そうして、程よい妥協点を見つけて、距離を保って生きること、かな」


 自分で言っていて随分達観、というか諦念じみた思考だなと自嘲する。まぁ年単位で戦地に身を置けば多少精神に異常をきたす。先ほどのように楽観的な思考が可能なガーベラが羨ましいくらいだ。


「――その、とても大人びた考えに思います。率直に言えば、多少マイナス思考寄りかと」


「自分でもそう思うよ」


 自ら発言して呆れてしまうが、しかしアイリスは納得したのか小刻みに頷く。


「ですが貴重な意見です。参考にさせていただきます」


「こんな回答で役に立つならな」


 そんな会話を続けている内に、自宅が眼前まで迫って来ていた。俺はアイリスを伴って、そのまま二重玄関の扉を開ける。するとすぐにデイジーが迎えに来て、その有り余る笑顔を向けてくれる。


「お帰り! 二人とも! 自警団に行ってたんだっけ?」


「ただいま戻りました。ええ、ガーベラに大変貴重な意見を賜りました」


 二人の会話を流しつつ、そのままリビングへ入る。遅れて入ってきた二人だったが、どうやらアイリスは早速デイジーに質問しているようだ。


「それでデイジー。あなたの思う人間らしさ、とはなんですか?」


 するとデイジーはふふふと笑って、平べったい胸を偉そうに張った。


「いつ聞いてくれるかなと待ちかねていたよ! 安心して、もう考えてあるから!」


 そう自信満々に宣言すると、


「恋をすること! 人を愛して、愛されること。愛はいろんなものの中心でね、人間が人間らしく生きるために絶対必要なものなんだよ!」


 ずきり、と胸が痛むのを感じた。それは南西戦争の記憶が蘇ったからで。胸がとても苦しくなって、その場から立ち去ろうとするが、


「――恋。……愛」


 胸にしっくり来るものがあったのか、アイリスは噛み締めるように呟くと、確かな面持ちでこちらを見据えた。


「ドッペル。恋とは――愛とはなんですか?」


 その視線はとても真っ直ぐで。それだけで目を逸らしたくなるけれど。


「……どうして俺に聞く。デイジーに聞けば良いじゃないか」


「何故かわかりませんが、あなたに尋ねるのが有効だと判断しました」


 どうも判断基準が曖昧だが、アイリスは今、一番聞いてはいけない人間に聞いていることを自覚していないようだった。


「……知るか。自分で考えろ」


 そう吐き捨てて、リビングから自室へ向かうため、部屋を出る。その際にアイリスはずっとこちらを見据えていて、まるでその視線は、こちらが答えを知っていると言わんばかりであった。

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