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整備が全く行き届いていない荒地を、一台のモトラッドが怠そうに走行している。周囲の景観は、淡い月明りがあれど殆ど黒に覆われていて、子細な景色を読み取ることはできない。しかし周辺には土の香りが漂っていて、畑が続いていることを意識させた。現在は冬が迫っているため農作物はあまり育たないし、地理的な問題で放射性降下物の雨が注がれることも少なくないから、盛んに農業が行われているとは言い難い。だけれど自然の香りというものは人間の本能的な安らぎを誘発するようで、多少の安堵感を覚えていた。
いつもよりモトラッドの速度が出ないのは、間違いなく急遽設置した後部座席に行儀よく座っている奴の体重が原因だろう。人間の女の子と大差ない身長ではあるものの、生物的な臓器を有しているわけではないので、その質量は鋼鉄の重さに比例して上昇していく。つまり見た目以上の体重を誇っているわけで、後輪のタイヤが過重でパンクしないか若干不安ではあった。だけれどもう少しで目的地に到着するので、大型モトラッドを曳いて夜道を進むという苦行には陥らないと思うが。
ちらりと、サイドミラーを用いて後部座席を盗み見る。そこには現実味の無いほど整った顔立ちの少女がぼんやりと腰掛けていて、鮮やかな金髪を使い込んだフライトキャップで乱雑に隠しているから、その不釣り合いさが奇妙だった。彼女は呆然と夜道に目を落していて、そこから喜怒哀楽を読み取ることはできない。まぁ機械人形にそもそも感情があるかと言われれば疑問は残るが。
「質問してもよろしいでしょうか?」
不意に、後方から声がかかる。もう一度サイドミラーで後部座席を確認すると、ミラー越しにこちらを見つめる彼女の姿があった。
「手短に頼む」
ぶっきらぼうに呟いて、前方へ視線を戻す。そろそろ目的地に到着するから、間違えて通り過ぎるわけにはいかなかった。
「どうして指揮官の帽子を被らなければならないのですか?」
本当に純粋な疑問なのか、流麗な合成音声――いや、もしかすればサンプリングした肉声を用いているのかも知れないが――は玲瓏に言葉を紡いだ。指揮官という呼称は気になるが、大して長い付き合いにはならないだろうし、訂正する気力も湧かないから無視することにした。
「気に入らないか?」
すると、彼女はサイドミラー越しにゆっくりと首を横へ振った。
「いいえ。単純に私が被る必要性が疑問でしたので尋ねました。自動二輪車に搭乗する際はフルフェイスのヘルメットが推奨されますが、指揮官は何も装備されていません。衝撃の吸収に貢献するかは分かりませんが、ファー付きの帽子くらいは被っていた方が安全かと」
流れるような言葉に少しだけおかしな気分になって、軽く口元を歪める。いつの時代の機械人形か見当も付かないが、比較的高性能らしかった。自己言及のパラドクス程度なら突破できるかもしれない。
はっきり言って、この辺りに住んでいる人間なら常識だったが、起床したばかりのアンドロイドが城塞都市の不文律を認知しているはずもない。
「面倒事に巻き込まれないようにだ。この辺じゃお前の髪色は目立つからな」
疑問が解消されなかったのか、未だに疑問符を浮かべている彼女を無視していると、ようやく目的地が視界に映る距離まで到着した。
「あちらが目的地ですか?」
「ああ。俺の家だ」
段々と自宅との距離が近づいてきて、その様相がぼんやりと明らかになっていく。
えんじ色の屋根を持つ、小柄な住宅。旧世界の遺物を改築したものだが、そろそろ引っ越しも考えなければならなかった。防寒性を求めて壁面は頑丈に作られているが、小型故に家内は少し息苦しい。まぁ大所帯で生活しているわけでもないので、妥当なサイズ感ではあったが。
徐々に速度を落としていって、モトラッドを自宅の前に停止させた。温まったエンジンは火照った熱を少しずつ冷ましていくようで、全身がリラックスしていくのを感じる。後部座席に座った彼女に降りるよう指示していると、二重玄関の扉が開け放たれた。
大きく開け広げられた玄関の前には、とても小柄な女の子が佇んでいる。鹵獲した機械人形に被せたフライトキャップより更に古びた帽子を目深に被った女の子は、こちらを視界に入れると、顔いっぱいに笑顔を浮かべて可愛らしく駆け寄ってきた。
「お帰り! お兄ちゃん!」
過剰なほどに笑顔なデイジーは、大声でこちらを歓迎しつつ走り寄ってきた。若干鬱陶しくもあるが、それ以上にいじらしさを覚えて、自然と口角が緩んでしまう。軽く片手を持ち上げて返事とすると、デイジーは不思議そうな表情を浮かべつつ、モトラッドから下乗した彼女を見つめる。
「お兄ちゃんが女の人を連れてきた!」
「違う」
口元に開いた指先を当ててあからさまに驚く仕草を取るデイジーに、即刻溜息を漏らしながら否定する。だけどこちらの否定の意味が解せないのか、デイジーは未だ不可思議そうに唇を小さく噤んでいた。
「任務の目標物だ。まさか機械人形だとは思わなかったがな」
バイクの端に行儀よく待機している彼女に親指を向けながら軽く説明する。アンドロイドは現在の市場換算でも高価な物品に属していて、あまりお目にかかれない代物だ。修理や代替部品の枯渇からそもそも維持そのものが困難であるため、富裕層が己の権威の体現のために用いる程度なものである。だからこのような表向きスクラップ屋を営んでいる兄妹の手元に存在していること自体が、あべこべで矛盾していた。
小刻みに首肯するデイジーを優しく眺めて、アンドロイドの頭を手のひらで軽く叩く。安価な合金製ではないのか、身の詰まった感触が指先に走った。
「ガーベラの任務じゃなければ、バラして売っていたところだ」
本来であれば解体せずに販売した方が楽であるが、このようにある程度性能が保証されている機械人形ならば、内部パーツを個別に販売した方が高く付く。解体する手間があるが、その分稼ぎで帰ってくるのならば、分解して小売りした方が経済的だろう。
だけれどデイジーは何が不満なのか突然頬を膨らませると、機械人形の方に歩み寄って、その鋼鉄製の腕を掴んだ。
「いきなり分解するなんて可哀想だよ! こんなに可愛いのに……」
そう言うと、デイジーは同意を求めるように機械人形へ笑顔を向けた。だけど肝心の機械人形はぼんやりとした視線をデイジーに向けるだけで、何を答えて良いのか決めあぐねているらしい。
まぁアンドロイドにしてみれば、見た目は整っている部類だろう。機械人形と一口に纏めても、その種別は多岐に渡る。このように外見にリソースを割いている機体ならば、元々水商売用の機体であった可能性が高い。しかしそれにしては言語体系が確立されているように見受けられるし、本来の用途が不明瞭であった。
「機械に可哀想も何もあるか。こいつは生き物じゃないんだぞ」
確かに見た目は限りなく人間に似通っているが、その実は心無き人造人間である。未だにアニミズムの延長なのかわからないが、富裕層の中には使役するアンドロイドに戸籍を与える酔狂者も少なくない。彼らにとってアンドロイドは人間とほぼ同様な“生物”であって、人と同じ固有の意思を認めるに足る存在なのだろう。しかしスクラップを扱う自分のような立場からしてみれば、機械は限りなく機械的であって、プログラムされた指示以外の行動は生起しない。そこに人間と同じ“魂”を追求してしまうのは明らかにお門違いだし、稚拙な孤独感からくる依存心というものだ。そこまで緻密な思考がデイジーにあるかはわからないが、彼女に関していえば同性の――と言っても、女性型だから即ち女性と安直に断じられるわけではないが――存在を熱望していたからと推定できる。友人ができる環境に置けていない自分にも責任を感じてしまうが、デイジーはこのヴェントゥスにおいていわゆるイレギュラーに換算されるので、致し方ない部分もあるのだが。
隣で待機している機械人形に視線を送ってやるが、彼女は未だに虚ろな視線を中空に彷徨わせているだけで、やはり意志と呼べる星幽らしきものは見受けられない。彼女は機械以上でもそれ以下でもなく、生理的な意識は持ち得ないようだった。
そんな中、沈黙を破るようにデイジーが機械人形へ顔を向ける。
「ねぇ! あなたの名前は何て言うの?」
腕を掴まれていた機械人形は、自分への問いかけであることを理解したのか、瞳に光を宿し、デイジーの方へ向き直った。
「私に名前はありません。ロールアウト時の製造番号ならTMD-27ですが」
無機質な声色に、不満なのかデイジーが声を上げる。
「えー、可愛くないよう! …… そうだ! じゃああたしがお名前付けてあげるね!」
そう言い放つと、デイジーは考え込むような仕草で頭を捻る。そして待つまでもなく、彼女はパァっと顔を上げて、
「アイリス! あなたはこれからアイリスよ! 綺麗な名前でしょ?」
すると自分の見間違えかもしれないが、アイリスと名付けられた機械人形の瞳が少しだけ開いた気がした。だけれどそれ以上に、アイリスという名前の意味を理解してしまって、少しだけ心が黒く染まるのを感じる。デイジーはきっと取り戻したいのだ。その意図が良く分かって、唇を軽く歯でなぞった。
しかし、すぐに手放す予定のアンドロイドに名前を付けてしまうのは宜しくない。それは野良犬に名付けをしてしまうのと同様に、安易な愛着を湧かせてしまうからだ。
「おい。こいつはすぐにガーベラへ引き渡すんだぞ。下手に別れにくくなる真似はするな」
ガーベラに引き渡す際にごねられても面倒なのでそう諫言しておくが、デイジー的には意に介さなかったらしい。
デイジーはこちらが仇だとばかりにふくれっ面を浮かべると、
「もしガーベラさんのところが嫌だったら、あたしたちの家においで! 使用人として雇ってあげるから!」
アイリスに目いっぱいの笑顔を浮かべて、小首を可愛らしく傾げて見せた。
件のアイリスはデイジーを見つめて、だけれどぼんやりとしたまま何ら口にしない。やはり彼女の顔持ちからは、何らかの情報を読み取ることは難しいように思えた。