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アイリスを捜索する上で大前提となるのは今現在彼女がどこに囚われている、もしくは連れ去られているかという情報だった。闇雲に捜索したところで発見できないのはほぼ確実だし、時間をかければかけるほど彼女の安全は危険に晒される。できるだけ早い段階でアイリスを発見し、奪還したいところではあったが、そのためにはある程度居場所に当たりを、予測を立てる必要性があった。
デイジーがモトラッドにサイドカーを取り付けている間、俺はガーベラに頼んで、国境警備隊の隊員に連絡を繋いで貰う。墓荒らしの連中がメリディオンからの依頼を受注している可能性がある以上、城塞都市に留まり続ける確率は薄い。十中八九アースの外部へ逃亡を図るものだと断定して構わないだろう。そのように仮定すると、アースから城壁の外へ出る場合、確実に正門を潜らなければならない。そうなれば出入りの記録が残るわけで、もしかしたら連中の足取りが判明するかもと期待していたのだが。
「はい。三十分前ほどに、一台のトラックが正門を越えました。ヴェントゥス政府への直送品を積んでいると聞いて確認しましたが、特段怪しい影はありませんでしたよ」
トランシーバの向こう側で国境警備隊の男は語るが、間違いなく今言っていた車両がアイリスを乗せた墓荒らしの車だろう。巧妙に隠蔽工作を施したのだろうが、国境警備隊の性格上、入るものには厳しい検閲が入るが、出ていくものには甘い審査しか入らない。メリディオンの事前工作を予防することが主任務であるのが国境警備隊なので致し方ない部分もあるが、既にアースの外へ脱出しているとなると事は面倒だ。リベルタスの権益が及ぶのはアース内と、その外に広がる数少ない領有地のみだ。屑鉄塚を越えられたら、リベルタスとしては手が出せない。俺個人が追跡する分には構わないが、そもそも屑鉄塚を越えられた時点で確保は不可能と考えたほうが良いだろう。
「そうか。済まないな任務中に。夜勤だろうし、身体に気をつけてな」
返事をする国境警備隊の隊員との通信を切断し、隣に佇むガーベラに頷く。
「アースを脱出したらしい。既に国境付近まで接近していると踏んで良いだろう」
「連中も随分急いているな。メリディオンからの依頼だとすると、機械人形の捕縛連行は彼らにとって重要度の優先されるものらしい」
「まだメリディオンだと確定したわけじゃないがな。しかしこれ以上逃げられると、こちらとしても対処に困る」
「そうだな。屑鉄塚を越えられると、私も公式には手を出せない。それまでにどうにか回収したいところだが――」
すると、ガーベラの背後から可愛らしい足取りでデイジーが現れる。
「お兄ちゃん! 準備出来たよ! いつでも行ける!」
額の汗を拭うデイジーに軽く頷き返すと、ガーベラの方へ向き直る。
「とにかく、奴らは早いところ国境を越える算段だろう。ヴェントゥス内に入れば即ちメリディオンの権威が及ぶ。それまでに取り返してくるよ」
「ああ。こちらとしてもバックアップは行う。十全ではないかもしれんが……」
「構わない。とにかく家の確保と、新しい情報があれば連絡をくれ。頼んだ」
ガーベラに流し目を送ると、そのままデイジーと共にモトラッドへ走っていく。デイジーはフライトキャップを被ってサイドカーに収まり、俺はそのままモトラッドに跨った。
「気を付けろよ。これ以上同志は喪えない」
モトラッドのエンジン音に負けないような声量で、ガーベラが叫ぶ。俺はサムズアップを返して、アクセルを捻り開ける。前進を開始したモトラッドのクラッチを繋いで、少しずつギアを上げていくと、心地よいGが体を引くように後方へ掛かっていく。
アースの正門へ到着するのには、対して時間を要さなかった。真夜中の繁華街は人気がなく、表通りの真ん中をモトラッドで走行しても、事故を起こさない程度には。そしてサイドカーを取り付けられたモトラッドは国境警備隊の待機する正門へ到着し、彼らの歓迎を受ける。だけど国境警備隊の連中はこちらの顔を見るとすぐさま道を開けて、先へ進むよう促した。彼らに手を挙げて感謝を示しつつ、素早くヴェントゥスとの国境を目指す。
今の段階での予測だが、墓荒らしの連中は一度車両を変更する可能性があった。それはアイリスが俺というリベルタスの団員――と誤認される――の家に居候していたからで、追跡の危険性に勘付いているはずだからだ。そう仮定すると、車両の変更に最適なロケーションは、ほぼ間違いなく屑鉄塚だろう。あそこは放射性廃棄物の巣窟で、スクラップ屋以外は殆ど立ち寄らない。そんな場所にデイジーを連れていくことには未だに忌避感が先行するが、いくら彼女に忠告したところで聞き入れやしないはずなので仕方ない。屑鉄塚は数多くのスクラップに覆われているから、人目にも付かないし、場所的には最適だ。既にアイリスの積み替え作業を終えてないことを祈るばかりだが、そもそも車両の交換があるかも予測でしかない。予測を数少ない情報から語るのは、情報戦で禁忌とされている行為だ。だけど迅速に対処するべき問題に対しては、熟考しシグナルの選別に興じている暇はない。今可能な限り収集できた情報で、最適解を導き出すしか道は残されていないのだ。もちろん予測が的中する確率は限りなく低くはなるが、経験則というものは、確率の概念を一足飛びに答えを探り当てることも往々にしてあった。だからこれまでの短い人生経験を信じて、自分の予測を当てにする他ない。どうか、間に合ってくれ。そして、屑鉄塚で往生していてくれ――その感情は祈りでしかなくて、精神学的な要望ではあったけれど、そんな不可視な存在に帰依しても、デイジーの思いには応えたかった。
しばらくアースの領有地――といってもただの荒野が広がっているのだが――を進み、手早く屑鉄塚を目指す。この周辺は旧世界の地形が丸ごと再現されたままで、数多くのクレーターが穿たれ、過去の戦争の被害を想起させた。各戦術、戦略核によって、その規模ごとの大穴が開いている。かつて戦略核は抑止力に一義的な寄与を行ってきた(らしい)が、過去の人類は国家間の紛争解決の一つの効果的な手段として、戦術核以上の威力を誇る戦略核を用いてきた。そもそも使用を念頭に置かれていた『兵器』という意味において多少の齟齬を伴う武器。その使用は地区だけでなく都市を焼き尽くして、その底に人の生命を沈めた。その名残が多く安置、もとい放置されている区域は、現代の軽戦車を使用した格闘戦以上に被害を齎していて、かつての戦争の悲惨さを描写している。モトラッドでそのクレーターに落ちれば這い上がる手間がかかるので、掘削された土地に足を踏み入れないように注意を払う。そんな風に進行を続けていると、間もなく眼前に件の屑鉄塚が現れる。黒々としたスクラップの山は人工の機械物の墓場のように思えて。自分もその仲間入りを避けるために、どうしても生きて帰らねばならない。気を引き締め屑鉄塚へ進入すると、眼下の泥道に一対の轍が刻まれていることに気付く。少しだけ速度を落としつつ轍の大きさや進行方向を確認するが、どうやら墓荒らしのトラックであるらしい。流石に足跡を抹消する時間も余裕もなかったようだが、これは幸運だ。途中で痕跡が途絶えている可能性もあったが、この跡を辿って追跡するべきだろう。そう考えると少しだけ気持ちが急いてしまって、クラッチをいじり、ギアを一段上げるのだった。
屑鉄の塊に覆われた道筋。前に屍肉喰いとドンパチを交えた場所ではあったが、便宜上スクラップ屋を自称し、そしてカムフラージュとしてある程度その生業に身を委ねていたので、ある程度の土地勘はある。そして轍の方向から進行先が放棄された格納庫跡ということを早期に勘付き、少しだけ速度を落とす。もう間もなく視界に格納庫が映るはずだ。そう考えているうちに眼前に例の格納庫跡が見えてきて、その中に淡く光が宿っていることに気が付く。
隣のサイドカーに収まっているデイジーが息を飲む音が、原動機の駆動音越しに聞こえた。素早く屑鉄の山の陰にモトラッドを停車させ、エンジンを切る。そしてレッグホルスターからリボルバーを取り出し、デイジーに告げた。
「ここからは俺一人で行く。お前はここで待機しろ」
だけれどデイジーは不満なのか、首を横に振って否定した。
「ううん。あたしも行く。アイリスを迎えに行かなきゃ」
「駄目だ。流石に危険すぎる。そもそもお前を連れてくるのもリスクだったんだ」
「でもでも!」
静かにデイジーの傍により、その肩に優しく手を置く。
「わかってくれ」
デイジーは唇を口内へ引っ込めて俯いたが、無言は肯定として受け取ることにした。
彼女に軽く頷いて、静かにその場を後にする。油断なくリボルバーを握る手のひらに神経を通わせながら、格納庫へ接近を試みた。先に見える格納庫は元々戦車か何かの格納庫だったのか、扁平な天井と横に広い構造の建造物だ。三次元的に侵入するのは不可能に近い。そうなるとやはり手練手管を尽くして進むより、実直に侵攻した方が妥当だろう。スクラップの物陰から様子を窺うが、格納庫の外部には小銃を持った二人の戦闘員が警戒を行っていて、そう簡単には侵入できそうにない。裏手へ回り込んでも状況は変わりないと判断し、素早く行動に移すことを決める。
その場で一度息を吐き、手頃な金属片に手の甲をぶつけて音を出す。鈍い金属片は叩いただけである程度の音量を発揮し、周囲に金属音を響かせた。すると見張りの連中にも音が届いたのか、その内の一人がこちらへ確認のために接近してくる。どうやら上手く嵌ってくれたらしい。二人が同時に来たらそれはそれでプランを変更せねばならなかったが、こちらとしては好都合だ。
確認へ来た墓荒らしの男がこちらへ接近してくる。もう一人の戦闘員から見咎められない範囲に入ったことを確認して、近づいてきた男を素早くホールド・アップした。ナイフを首元へ近づけ、生殺与奪の権利がこちらにあることを理解させる。
「そこの格納庫には、捕らえた機械人形がいるな?」
低いトーンで問い質すと、彼は小刻みに首肯した。
「機械人形の奪取の依頼は、メリディオンからだな?」
そう尋ねたが、しかし彼は頷かずに苦しそうに呻いた。どうやら守秘義務があるらしい。
「そうか。じゃあ用はない」
吐き捨ててナイフに力を籠める。すると自らの死を悟ったのか、彼はか細く声を上げた。
「そ、そうだ……詳しくは知らないが、ヴェントゥスの上層部を経由した、かの国からの委託だと聞いている」
やはり、機械人形の強奪にはメリディオンが関与していたらしい。どうも狡猾な手を使い、リベルタスとアースを陥れようと画策しているようだが。そこで何故機械人形に拘るのかという疑問が再度生起するが、恐らくそれについては知らないだろう。
低く唸る男からあらかたの情報を聞き出したので、特に断ることなく首を圧迫する。そうすると間もなく男は気を失って、力なく腕をだらんと下ろした。
その時、後方から足音が響いたことに勘付く。恐らくもう一人の見張りだろう。片割れの帰りが遅いから、確認に訪れたようだ。急いで気絶した男を床に投げ捨てて、ナイフを逆手に構え直す。そしてもう一人の男が顔を出した瞬間、彼の首元に組み付いて、一気に重心と足を崩させた。
下手に声を上げなれないよう声帯を圧迫する。そして咄嗟のことで反撃を起こせない内に、素早く男を体術の要領で地面になぎ倒した。彼はその勢いで後頭部を地面に強く打ち付けて、意識を明滅させたらしい。そのままホールド・アップに持ち込むつもりだったが、そこまで対処しなくても彼は失神し、口から泡を吹き出した。
取り敢えず見張りの制圧を完了し、胸から一息つく。しかし時間に余裕があるわけではないので、意識を切り替え、格納庫を目指した。アイリスを無事回収するまでに、倒した男たちが起き上がることはないだろう。そのような心持ちのまま、迅速に格納庫跡へ歩を進めていく。
格納庫の傍まで接近して、内部を窺う。そもそも格納庫の出入り口――というか戦車の搬入用の出口は大きく開け放たれていて、中の様子を容易に教えてくれる。内部には大型トラックが二台停車していて、その周囲に墓荒らしらしき影と、他にメリディオン人が存在していた。どうやらちょうどアイリスの受け渡しの最中らしい。そして墓荒らしの連中の中心に、手足を縛られ拘束されたアイリスが見て取れた。
どうする。敵の数は未だ多い。今奪還のための行動を起こせば、ほぼ確実に戦闘状態に陥ってしまう。前提としてアイリスがこちらの存在を認知すれば、曲がりなりにも手を貸してくれるだろう。だが、やはり敵の数は馬鹿にできない。下手に戦えば頭数で押し込められてしまう。迅速な判断が求められる瞬間だったが、そこで予想外の事態が発生する。捕らえられていたアイリスが、不意にこちらの方向を見つめた。そして俺の存在に勘付き、目を見開いてしまう。不運なことにその表情の変化をメリディオンの連中に気取られたらしく、彼らは俺を見て、指さし叫んだ。
「侵入者だ!」
その瞬間、墓荒らしたちがこちらへ向き直り、手に持っていた小銃を構える。舌打ちして身を隠した時には、俺が様子を覗き込んでいた場所に小銃弾が炸裂し、後方へ通過していった。
戦闘状態に陥った以上、ここでアイリスを奪還する他ない。そう断じた俺は、決意を固めて障害物から身を乗り出し、連中に向けてリボルバーを発砲する。
手早くメリディオン人の二人を射殺し、もう一度物陰に隠れる。一拍置いて身を隠した障害物に弾丸が衝突し、鈍く震えた。
マズい。このままではアイリスを逃がすための時間稼ぎをされてしまう。そのままメリディオンの連中が逃走すれば、再度確保するのは非常に困難だ。再度顔を出し、今度は墓荒らしの連中を一人撃ち殺すが、反撃の手は止まない。ここから前進が難しく、かつ膠着している以上、八方塞りに近しい。時間を要せばこちらが不利になる。脳内で解決策を検索するがしかし、有効な手段は生起しなかった。
「――ドッペル! どうして助けに来るのですか!」
その時、トラックの方からアイリスの絶叫が響いた。その嘆きは悲しみを含んでいるようで。機械人形でありながら悲痛な声色も出せるんだなと、場違いな感想を抱く。
「デイジーを守るという使命は果たしました。しかしあなたがここへ来ては、無意味に自らの身を危険に晒すだけです! 今からでも間に合います! すぐにアースへ戻ってください!」
アイリスの叫びを聞いて、少しだけ怒りが湧いてしまう。それは彼女の言葉にこちらとの認識の齟齬を感じたからで。
「――言っただろう! デイジーはお前を大事にしている。取り返しに行くのは必然だ!」
叫び返してやると、銃声の合間に息を飲む音が響いた気がした。
だがしかし、このままでは不利なことに変わりない。何か別のファクターがあれば、この事態を解決できるかもしれないが。メリディオンと表立っての戦闘が不可能なリベルタスの援護は期待できない。そうなるとやはり単独でこの状況を打破しなければデイジーの思いは無為に帰す。歯を食いしばって頭を回転させたところに、鶴の一声が響いたのはその時だった。
「――アイリスー!」
少し離れた場所から、とても聞きなれた女の子の叫びが響く。ハッとしてそちらへ首を動かすと、そこには胸で指を握ったデイジーの姿があった。
まさか、俺の指示を無視して付いてきていたのか――その事実を認識する前に、大声で叫ぶ。
「デイジー下がれ! 撃たれるぞ!」
しかしその言葉も叶わず、こちらへ銃口を向けていた墓荒らしの連中が、デイジーへ向けてその照準を合わせる。絶望的な感覚が胸を突いて、身を挺してでも彼女を守ろうと飛び出した時だった。
「デイジー!」
アイリスの声が響いて、そのまま彼女は隣にいた墓荒らしの連中へ攻撃を開始した。元は軍用の機械人形だったからか、彼らがデイジーに向けて発砲を行う前に、すぐさま制圧が完了する。二転三転する状況下において、俺はまずデイジーの元へ向かい、彼女を連れて障害物へ隠れた。そしてアイリスを援護するため、後方からリボルバーで敵を撃ち倒していく。
そうして、リボルバーの弾丸を再装填するまでもなく、アイリスの手によって状況の制圧が完了するのは、本当に間もなくのことであった。