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自宅へ急いで帰っている間、胸の内を拭えない焦燥感が闊歩していた。墓荒らしの部隊が自宅へ向かっているという情報はそれだけでデイジー、そしてアイリスの身に迫る危険を示していて、脳内を容易く躁状態へ陥れる。二人は無事なのか、自宅へ既に墓荒らしの連中は到着しているのか。彼女らの安否を早急に知りたいという感情が、正常な判断能力を劣化されているのは言うまでもない。もし連中がもう既に自宅へ到着していたとしても、アイリスにはデイジーの身の安全を守護するように命令してある。彼女の戦闘能力を鑑みても、そう簡単に排除されるとは考えにくいが、それでも不安であることに変わりはない。墓荒らしの目的はアイリスであろうが、デイジーに関しては危険性が高い。目標物でない以上、デイジーの安全は絶対に保証されないからだ。アイリスが連れ去られて、その上デイジーに危害が及んでいたら――そう脳内で想起するだけで、最悪の想定が浮かんでしまう。家に辿り着いた途端、血生臭い香りが漂っているという予測したくもない未来。その想像は妙に現実味を伴っていて。脳裏に、三年前の出来事が蘇る。“彼女”の存在が、アイリスとデイジーに迫る危険に具体的な結果を縁取っているようで、自然と息が荒くなってしまう。どうか、無事であってくれ――その願いは祈りのようで、どうしたって神頼みにはなるものの、どんな神やら仏やらに頼ったって、アイリスとデイジーの無事には代えがたいことだった。
墓荒らしの本拠地を攻城する際に運用していたモトラッドを借り受けて、トップスピードのまま自宅を目指す。最高速度を記録しているというのに、それでもモトラッドの速度を無理矢理上げようと無謀な努力を行う。それほど気が急いていて、ようやく自宅へ到着した時も、モトラッドをしっかり停車させずに放置し、玄関に駆け寄った。
「デイジー! アイリス! 無事か?!」
大声でそう呼びかけつつ二重玄関の扉を開錠しようと試みるが、既に鍵は開けられていて、脳内を絶望的なイメージが蹂躙する。その場で崩れ落ちそうになりながらも、自意識に勢いよく鞭打って、玄関の扉を開けた。
玄関の先の廊下は、普段以上に散らかっていて、これが侵入者によるものだと瞬時に判断する。既に襲撃は終了した後らしい。頭が灼き切れそうになるのを必死に堪えながら、廊下を通って、リビングの前の扉に立つ。一応リボルバーを構えながら、そうして勢いよく扉を蹴り開けた。
リビング、そしてダイニングは混迷の限りを尽くしていて、墓荒らしの連中が暴れていったことが嫌にでも伝わる。俺とデイジー、そしてアイリスの日常の象徴。それが赤の他人に踏みにじられたことを理解し、砕けんばかりに歯を食いしばる。周囲の確認を続けていたところで、ダイニングの奥から、すすり泣くような声が響いていることに気が付く。すぐさまダイニングへ足を運び、その声の元を辿るが、ダイニングの床には泣いているデイジーの姿があった。
「デイジー!」
彼女に駆け寄り、怪我がないかどうかを確かめる。服装は多少乱れているが、目立った外傷もない。乱暴をされたわけではなさそうだ。その事実に少しだけ安堵して、そしてアイリスがいないことに気が付く。
「デイジー。アイリスはどうした?」
優しくそう問いかけるが、デイジーは延々と涙を流すばかりで、言葉を発そうとはしない。リボルバーをホルスターに収めつつ彼女の肩に手を置き、安心するように言葉をかける。
「大丈夫、もう大丈夫だ。……怖かったな。――済まない、肝心な時にいられなかった」
自分で呟いて、悔しさから唇を噛みしめてしまう。デイジーを守れなかった。まるで“彼女”の時と同じように。デイジーはまだ生きているが、それは幸運だったからだ。殺されていても文句は言えない。だからこそ、彼女を守れなかった罪が、胸に重くのしかかるのだ。
「……お兄ちゃん、アイリス、アイリスが……」
嗚咽交じりだが、デイジーが言葉を紡いでくれる。丁寧に頷きながら先を促すと、
「――墓荒らしの人たちに、連れていかれちゃった……あたしを守ろうとして、犠牲になって……」
デイジーの言葉の意味が少しわからず、俺はその実を尋ねてみる。すると彼女は涙を拭いながら、
「墓荒らしの人が家に入ってきて、アイリスが戦ってくれたんだけど、あたしが捕まっちゃって……あたしを殺されたくなかったら言うことを聞けって。したらアイリスが大人しくするから、あたしには手を出すなって……あたし、何もできなかったの……」
「それで、アイリスが連れていかれたのか」
するとデイジーは顔を歪めて、大声で泣き始めた。ワンワンと鳴き声を上げるデイジーを優しく抱き締めて、その背中をゆっくりとさする。
「そうか……だが、まずはお前が無事で何よりだ。本当に、良かったよ……」
それしか声が出ない。玄関の扉が開いていることを知って、半ばデイジーの死は覚悟していた。だけど彼女は生きていて、アイリスを強奪されたものの無事なのだ。それだけでもう十分に思えたが、
「お兄ちゃん、お願いがあるの……」
ふと、デイジーが顔を上げて、こちらを真っ直ぐに見据えた。この時点で彼女がこちらに何を頼みたいかわかってしまうが、何も言わずにその瞳を受け止める。
「あたしが言えたものじゃないけど、お願い。アイリスを助けてあげて。あの子は自分を犠牲に、あたしを守ってくれたの。だから、どうしてもそのお礼が言いたい。危険なことだってわかってる。でもどうしても、お願いしたいの」
デイジーは涙を止めて、毅然とした口調でこちらに依頼を申し込んだ。その綺麗な碧い双眸を見つめて、ゆっくりと目を閉じる。
「――既にバラされている可能性もある」
「それでも、だよ。まだ無事かもしれないでしょ」
「……お前には敵わないな」
半ば呆れつつ温かい視線を送ると、デイジーも優しく微笑んでくれる。
「助けに行こう。あたしたちの家族を」
「――ああ」
彼女の頭を雑に撫でて。俺たちは立ち上がる。
アイリスがどこへ連れていかれたかは今のところ不明だ。しかし、確かなシグナルを辿れば、きっと辿り着けるはず。
そのように決意を固めていると、恐らくリベルタスの団員たちと思われるモトラッドの排気音が家の前で停止する。どうやらガーベラが気を利かせてくれたらしい。
「リベルタスの人かな?」
デイジーの問いかけに、多分と頷き返す。
「心配して見に来てくれたらしい」
俺はデイジーと手を繋ぎながら、玄関へ迎えに出る。するとやはりリベルタスの団員、というか先陣を切って現れたのはガーベラで、彼女の顔には焦燥が浮かんでいた。
「ドッペル! デイジーとアイリスは?!」
玄関から飛び込んできたガーベラは、ポカンとしたデイジーを見つけて胸を撫で下ろしたようだった。しかしアイリスの不在に勘付いてか、
「――遅かったか」
「……ああ」
悔しそうに唇を噛むガーベラ。それと同時にデイジーも沈んだ表情を浮かべるが、
「だが、まだ間に合うかもしれない。デイジー、家が襲撃されたのはいつだ?」
「えっと、多分三十分前くらいかな」
「ならまだ遠くへは行けていないはずだ。まだ追いつける」
「行くのか?」
ガーベラの問いに対して、確かに頷き、苦笑を浮かべる。
「妹に頼まれてな。アイリスを助けてくれって」
「――そうか。なら仕方ないな」
そう微笑むガーベラは、デイジーに慈愛の表情を浮かべて、
「私たちも協力する。墓荒らしの狼藉だし、それ以上にドッペルやデイジーが関わっているんだ。放っておけない」
「助かる。それなら、家の維持を頼めるか?」
「了解した。それとデイジーも預かる。色々辛い目に遭っただろうしな。温かい食事を用意させよう」
しかし、ガーベラのその言葉に対して、デイジーは首を振った。
「あたしは大丈夫です。それより、あたしもお兄ちゃんについていきます」
毅然とした態度でそう告げたデイジーだったが、ガーベラは首を横に振る。
「駄目だ。相手は正真正銘の犯罪者集団だ。ドッペルも君を守り切れない場合もある。私と共に待機するんだ」
「――でも!」
「デイジー、俺もガーベラに賛成だ。相手は墓荒らしだが、背後にメリディオンがついている可能性もある。何をされるか分かったもんじゃない。ここは大人しくガーベラの指示に従うんだ」
こちらからも待機するように言いつけるが、それでもデイジーは納得していないようだった。
「……あたしね、本当にアイリスが大事なの。もう喪いたくない。――もう二度と、喪いたくないの」
その言葉に秘められた別の意味を理解してしまって、俺たちの間には沈黙が訪れる。もう二度と喪いたくない。その思いは俺もガーベラも、そしてデイジーも一律に抱えている感情であって。喪失が一体何を齎すのか理解しているからこそ、その発言は表面的な意味以上の重みを感じさせた。
ガーベラが困ったようにこちらへ目配せしてくる。俺はその目線を受けて、息を短く吐いた。もちろん連れていくのには反対だが、デイジーは時に頑固な一面もある。待機させたところで、納得していなければ単独でこちらを追跡している可能性もあった。
「――わかった。だが俺の指示は必ず聞くんだ。絶対に勝手に動いちゃ駄目だからな。良いか?」
そう尋ねるとデイジーは決意を秘めたような表情で確かに頷き、ガーベラに頭を下げた。当のガーベラは呆れたように苦笑していたが、優しくデイジーの頭を撫でてくれる。
「そういえば、最近は茶会をしていなかったな。今度どうだ、デイジー?」
「は、はい! 喜んで!」
「なら、そこの堅物も連れてこい。飲みにさえ来ない硬派気取りだからな」
「俺は別に関係ないだろう」
おどけたように呟いてみせると、二人は柔らかく微笑んだ。どうやら、お互いに心は決まったらしい。
「デイジー。サイドカーを用意しろ。五分で仕上げろよ?」
「うん! 任せて! アイリスを連れて帰るんだったら、三人乗れなきゃね!」
目いっぱいの笑顔を浮かべてガレージへ走っていくデイジーを、目を細めつつ見つめ、玄関から外の天球を見上げた。
どこへ連れ去られたか知らないが、ここまで妹の心を奪っているんだ。分解されてましたじゃ終わらせないぞ。その言葉はどこか自分に言い聞かせているような節を感じさせて。決意を新たに、サイドカーの取り付け完了を待つのだった。