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暗夜の貧民街は毒々しいほどの暗闇に覆われていて、光源なしにはその子細な状況を認識することはできない。貧民街は常に不法行為と隣り合わせの土地ではあったが、真夜中になればその危険性は更に増大し、平然と犯罪行為が敢行される負の温床となっていた。
そんな黒々とした貧民街の通りを、鋼鉄に保護された軽戦車の車列が進行している。その車列は延々と長く続いていて、途切れるところを見せない。貧民街を軍事目的の車両が走行しているのはどこか世紀末じみていて、しかしその表現があながち的外れではないことを認識し、苦笑する。そもそも俺たちの居住する環境は常に危険に晒されていて、ある意味理性を放棄しなければ生き永らえない不毛の土地でもあった。メリディオンといい侵略国家の存在は、それほどまでに強大な影響を齎していて、正常な社会生活というものに欠陥が生じてしまうほどの恐怖を運んでいるのだった。
貧民街が雑多な環境であって、表通りと言えど、軽戦車が一台ギリギリ走破できるほどの間隔しかない。だから二台以上を並走させて進行できないため、連中に勘付かれれば一瞬で壊滅に陥るだろう。側道へ逃げ込むこともできないから、数機の軽戦車が撃破されただけで、部隊は機能不全に陥ってしまう。墓荒らしの本拠地は貧民街の奥地にあるから、その手前に到着するまでは、どうしても侵攻を露見させるわけにはいかなかった。ガーベラの情報統制に瑕疵があるとも思えないが、墓荒らしの連中がリベルタスに間諜を仕込んでいる可能性もある。だから幹部以外の人間には、墓荒らし襲撃の作戦は直前まで伝えられず、予防的な緘口令が敷かれていた。その実が結ばれているのか、今のところ先制攻撃はない。最低限車列の前線が、主砲の範囲に入るまで大人しくしていて欲しいものが、その緊張感が脳内にアドレナリンを分泌させた。
軽戦車の車列の最前線には、部隊の指揮官であるガーベラが鎮座している。そもそもリベルタスの団長が直々に戦火の最前線に立つのはかなりの危険性があるが、そもそも彼女の十八番は格闘戦だ。彼女と同等の戦闘力を有している団員はリベルタス内にはあまり存在しないため、戦力として頼るしかない。確かに大将を危険に晒すというリスクはあるが、彼女は南西戦争を生き延びた精鋭の一人だ。多少のことで戦死などあり得ないだろうし、前提として彼女が戦死するほどの相手なら、リベルタスが総力を上げても勝利できるか怪しい。しかしガーベラは最前線に出ることで、リベルタスの部隊全体の士気を持ち上げている。ガーベラはメリディオンの連中とは異なり、大将自ら先陣を切ることで、リベルタス団員の信頼を勝ち取っているのだ。これまでも幾度となく最前線を駆け抜け、そして必ず生還している。その信用度と言えば底なしであって、彼女の態度がリベルタスに大きく貢献していることは言うまでもない。
車列の先頭、ガーベラの軽戦車の背後には、白く塗装された一機の軽戦車が護衛とばかりに控えている。もちろんその機体は俺のものであって。白く塗り固められているから、敵はこちらを大将と誤認する効果も見込めるのだ。戦場において白という塗料を用いるのは殿部隊の伝統であって、その目立つカラーリングから、友軍を被弾から守るという戦術的効果があった。俺は『狼犬部隊』に所属していた頃の伝統を引き継ぎ、機体を白で染めて戦闘に参加する。狼犬部隊のもう一人の生き残りであるガーベラも機体を白く染めると言って聞かなかった時期もあるが、流石に危険すぎるので強引に止めさせた。ガーベラとしてはこちらと同様に先の部隊の遺志を継ぎたいのだろうが、手早く指揮官機を喪えば、指揮系統が壊滅する。こちらとしては最前線に身を投じているだけで十分なので、現在のガーベラの機体は真紅――これでもまだ目立つのだが、折衷案として認めざるを得なかった――黒光りした紅に染められていた。
『今のところ動きはなさそうだな』
装備したヘッドセットから、無線越しにガーベラの声が響いた。彼女の直通の回線を結ぶことを許されているのは基本的に俺だけで、俺は戦闘時にガーベラへ意見できる唯一の存在であった。
「ああ。情報が漏れてるってことも無さそうだ」
前方を注視しつつ、静かに答える。こちらの作戦を事前に知っていたのなら、ここまで進軍させることはあり得ないだろう。そのような状況証拠から、墓荒らしが俺たちの作戦に勘付いていないことが窺えた。
『それにしても、妙じゃないか?』
ふと、ガーベラが声のトーンを下げて呟いた。
『リベルタスの軽戦車が貧民街を進行しているのに、住民の反抗がない。普段であれば、哨戒に訪れた部隊を妨害するのに』
それは先ほどから考えていて、ガーベラに忠告するか迷っていたことであった。
「そうだな。恐れをなして隠れているだけの可能性もあるが……ここまで静かな貧民街も珍しいだろう」
言葉を返して、一応周囲の状況を窺う。しかし側道にも人影は一切なく、人の気配が全く感じられなかった。
『罠だと思うか?』
ガーベラの問いに、少しだけ思案する。連中にしてみれば、こちらの侵攻作戦を勘付いていたら、貧民街に突入する前に迎撃を行うはずだ。もしこちらの計画に勘付いていて、その上で貧民街の内部に導いているとしたら――それは別の算段があると予測した方が身のためだろう。しかし、何故? 貧民街に部隊を突入させることで得られるメリットは何だ? そもそも作戦が露見していた場合は計画そのものがおじゃんではあるが、こちらを貧民街の内部へ誘導する理由は、一体――そこまで考えたところで、ある一つの可能性に勘付く。それは途轍もなく危険な可能性であって。その答えを口にしようと思ったところで、同時に後方から爆発音が響いた。
『――なんだ?!』
ガーベラが叫ぶと同時に、俺は背後を確認する。すると覗き窓越しに、車列の最後尾付近の軽戦車から火の手が上がっていることに気が付く。そして間もなく二、三回と爆発音が反響して、後方の軽戦車が爆発四散した。
「ガーベラ! 後方の戦車を潰して、退路を封じるつもりだ!」
『クソ! 作戦がバレていたか!』
完全な隠密作戦を計画していたから、作戦の露呈は生命取りだ。ガーベラの舌打ちがヘッドセットのノイズ越しに響いた瞬間、側道から武器を持った貧民街の住人たちが溢れ出してきた。
『全軍、応戦しろ!』
ガーベラがオープンチャンネルで絶叫する。俺はすぐさまガーベラの機体へ寄って、護衛しつつ迫りくる住民たちへサブの機関銃を掃射した。放たれた三十口径の機関銃は走り寄るアースの民をズタズタに引き裂いて、同胞たちを射殺せねばならない苦痛に苛まれる。住民たちはロクな武器を持っておらず、その殆どが安価に密造されたであろう口径の小さなリボルバーで、もちろん軽戦車に傷一つ負わせることは出来ない。だが万が一覗き窓の隙間を通して被弾すれば操縦者に被害が及ぶので、応戦する他ないのだ。
貧民街の中を、怒号と悲鳴、そして機関銃の炸裂音が響き渡った。静謐な夜空をマズルフラッシュと立ち上る硝煙が彩って、ここが戦場だということを強く意識させる。機関銃の掃射を一旦やめると、大通りに身体中がバラバラに解体された遺体が折り重なるように転がっていることに気が付き、血が滲むほど唇を噛み締めた。
『――クソが。ロクな武器を持たせずに戦わせるか……これでは虐殺だろう……』
ガーベラが悔しそうに呟いた。その悲痛な思いに共感するものの、迫りくる第二陣に向けて機関銃を放つ。側道から飛び出してきた貧民街の民は四肢を飛び散らせながら果ててゆき、その生命を無為に散らしていった。
だがしかし、ある程度教化していた人員には限りがあるのか、第二陣を最後に住民が無謀にも飛び出してくることはない。この兵の割き方を見ても、連中が考えているのは時間稼ぎだ。そしてこちらの戦意を削ぐという目的もあるのだろうが、ここまで卑劣な手段を採られては、もう前進するほかない。
『後援部隊は被弾した後方の戦車を撤去しろ。前衛はこのまま先へ進む。狡猾な墓荒らしを一掃するぞ!』
オープンチャンネルで指示を出したガーベラは、我先にと貧民街の奥地へ進んでいく。こちらの存在が露見している以上、隠密行動をする必要はない。彼女の護衛のため、こちらも機体を前進させ、彼女の背後に付いて行く。しかし貧民街の連中の残党が行く手に立ち塞がり、進行を妨害する。
『どけ! 無駄に生命を散らす必要はない!』
拡声器を使って前方へ呼びかけるガーベラだったが、その効果は薄い。貧民街の残党は一切聞く耳を持たず、前進する軽戦車に立ち向かい、回転する履帯へ飲み込まれていく。それと同時に骨が粉砕する異音が響いて、ガーベラは吠えた。
履帯に血痕が付着し、道端には屍体が散乱する。怒りに理性を喪いかけているガーベラに対して、冷静に立ち回るよう忠告を行うが、
『これで落ち着いていられるか! アースの市民を、ごみ屑のように扱う墓荒らしを! そしてメリディオンを! 無為に散って良い生命などない! だが私は、彼らを足蹴にして進まねばならないのだ!』
「わかるが、ガーベラ! お前が討たれれば部隊は壊滅する! 冷静になれ! 一人で先行するな!」
速度を上げて貧民街を直進するガーベラを宥めるが、彼女は聞く耳を持たない。舌打ちしつつ何とか追い付こうと変速機を操作するが、覗き窓の先から紅い光が見えたのは、その瞬間だった。
「ガーベラ!」
絶叫して、俺は機体を一気に前進させる。そしてガーベラ機を突き飛ばすようにして、狙撃から守った。
その瞬間、一瞬前までガーベラの軽戦車が走行していた位置を、対戦車ライフル弾が穿った。その銃弾は地面を乱雑に掘削して、周囲に破片をまき散らす。俺は唇を噛みながら、すぐさま狙撃手のレーザーサイトが映った方向へ七十五ミリ主砲の照準を合わせる。そして迷うことなく発砲すると、機体を大きな衝撃が叩く。引き金を引いたと同時に戦車砲が放たれ、その軌跡は迷うことなく狙撃手の現在地を粉砕し、大きな着弾音を響かせた。
反響するように着弾音が鳴って、ガーベラの息を飲む音がノイズ混じりに聞こえる。荒い息を吐きながら呼吸を整えると、
「――無事か?」
『……ああ。――済まなかった』
こちらの安否確認に対して、息を吐くようにガーベラは無事と謝罪を呟いた。
『お前がいなければ今頃潰されていたよ。……本当に助かった』
「今は良い。それより、他にも狙撃手がいるかもしれない。注意して進むぞ」
了解したガーベラだったが、死の恐怖に若干怯えているようだったので、適当に軽く笑い飛ばしてやる。
「お前が死ぬときは、それが俺の墓標だ。だが今はその時じゃない。鬱憤を晴らしたいのは俺も一緒だ。――住民たちの弔い合戦に、俺も連れて行って欲しいな」
笑い掛けると、ガーベラはいつもの調子を取り戻したようで、ヘッドセット越しに軽く微笑んだのがわかった。
『そうだな。――お前には助けられてばかりだよ。……愛している、ドッペル』
「年上好きじゃないんでね。遠慮させてもらうよ」
軽口を叩きながらも、俺たちは狙撃に警戒しつつ前進を続ける。後続の部隊も追い付いてきたようで、この状態なら素早く墓荒らしの本拠地へ辿り着けるだろう。
『体勢を立て直すぞ! 前衛はこのまま私に続け!』
オープンチャンネルで呼びかけたガーベラに、雄叫びを上げる部隊員たち。士気は上々のようだ。
そうして俺たち前衛部隊は貧民街を進んで、まもなく墓荒らしの本拠地へ到着するのだった。