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いつしか花も芽吹くから  作者: 柚月ぱど
第二章
13/46

3

 自宅に戻るまで、まだ心の内では迷いが残っていた。それはアイリスに謝罪するという行為に対してであって。そもそも機械人形に謝るという行動そのものに意味があるのか不明だし、それ以上に彼女に謝罪するという行為に未だ逡巡が生じている。アイリスは俺を指揮官と煽っているし、いわゆる上官が部下に陳謝するという状態が健全なものかがわからない。そして一番胸に突っかかっているのが、自分のプライドであって。彼女に頭を下げること自体を忌避している自分に気が付いていた。


 そんな思考に頭を奪われている内に、まもなく身体は自宅へ到着してしまっていて。玄関の扉を開けることに多少の抵抗感を覚えたものの、家の前で延々と考え込むのもおかしい。そう踏ん切りをつけてから、勢いよく二重玄関の扉を開けた。


「……帰ったぞ」


 自分でも声のか細さに気付く。ここまで来て情けないこと限りないが、人間である以上は仕方ない。こういう状況下、逆にアイリスだったら一切迷うことはないんだろうなと考えつつデイジーの回答を待つが、いつまで経っても彼女の元気な声が響いてこない。デイジーはそもそも滅多に外へ出ないから、基本的に家に滞在していることが多いが。反対に返事がないとなると、考えうる可能性としては――


 玄関から踵を返して、一旦表へ戻る。そして自宅を回り込むようにして進み、家の後方に位置している家庭菜園へ向かった。


 デイジーには家事の全般を請け負わせているが、放射性下降物フォールアウトの関係上、作物を栽培できる環境は制限されている。しかし放射能の雨が降らない箇所は基本的に人が居住している地区であって、農作物を八百屋から購入するコストを鑑みると、自宅で農園を用意した方が将来的には低コストで済む。だからウチも自前で農園を用意しているが、デイジーが家の内部にいないとなると、大体は家庭菜園で農作業をしている場合が多い。そのような考えの元に農園へ向かったのだが、こちらの予想が的中し、透明なビニールシートに覆われた菜園の中に、小柄な女の子が見て取れた。デイジーはやはり農作業を行っているようだったが、少しだけ普段と様子が異なることに気付く。それはデイジーの隣にいる存在であって。屈みながら手をせっせと動かす少女は間違いなくアイリスであって、彼女は背後に佇むデイジーの指示の下、何故か農作業を行っているようだった。


 アイリスの存在を感知して、家庭菜園に足を踏み入れる気力が低下する。まずはデイジーに相談して、その後アイリスとの仲を取り持ってもらうつもりだったのだ。だからデイジーとアイリスが一緒に作業を行っている状態は不都合である。そう思って一旦自宅へ戻って待機しようとして、自分がとても情けない行動を取ろうとしていることに気が付く。――たかだか部下の機械人形に謝罪するだけだ。どうしてそんな簡単な行為に、ここまで逡巡しているのか。自分の思考回路に嫌気がさして、その場で溜息を吐いてしまう。そして手早く決意を固めて、そのまま出入口のビニールシートを手で除けた。


 二人の方へ歩み寄ると、すぐにデイジーがこちらの登場に勘付いてくれる。


「あ! お帰りお兄ちゃん!」


 笑顔を顔中に広げたデイジーに、今朝の喧嘩を引き摺っていないことを認識し、多少安堵する。やはりデイジーは笑顔が似合うし、そうやって快活に生きるべきだ。その表情に満足していると、地面にしゃがみ込んだアイリスが顔を上げた。


「……おかえりなさい、ドッペル」


「……ああ。ただいま」


 アイリスは普段通りに映ったが、しかし若干発声に時間を要したように思える。そしてこちらの返事もぎこちない。取り敢えず挨拶を交わしたものの、俺とアイリスの間には不可視の壁が存在しているようで、菜園内に沈黙が到来してしまう。


「――あ、そうだお兄ちゃん! せっかくだし、アイリスに農業を手伝って貰うことにしたんだ! 畝に種を植えるだけだったら、失敗とかしないだろうし! ほら、上手く出来てるでしょ?」


 訪れた沈黙を破るように、デイジーが元気な声を上げた。どうやら彼女は俺たちのぎこちなさに勘付いているようで、わざわざ気を遣ってくれたらしい。兄として恥ずかしい限りだが、その温かい優しさがデイジーらしいとも言えた。


「……ああ。綺麗に出来ているよ。お前が教えたのか?」


「うん! やっぱりアイリスは賢いから、すぐに出来るようになったんだよ! これなら農作業については、少し任せても大丈夫そうだね!」


 アイリスが植えた畝の形状を確認していると、デイジーが嬉しそうにそう笑った。まぁ確かに種や苗を植えるくらいだったら、戦術機械人形であるアイリスにも可能だろう。料理や家事については一考の余地があるが、家庭菜園の作業については、少しくらい委任しても問題ないかも知れない。


「――ありがとうございます。お二人にお褒め頂けるとは。これからも精進したします」


 堅苦しい世辞を返すアイリス。彼女の言葉選びも相変わらずだが、その背筋立った言葉遣いもアイリスの特徴かもしれない。


「……なぁ、アイリス」


 良いタイミングだと思い、意思を強固に固めて彼女に言葉をかける。するとアイリスは作業を中断して立ち上がり、こちらの双眸を真っ直ぐに見つめた。


「何かご命令でしょうか?」


「――いや、違う。……その、なんだ。一つ、言っておきたいことがあってだな」


 こちらの発言から何かを察したのか、デイジーが静観するように身を引く。中々に聡い妹だが、今はその心遣いがとてもありがたかった。


「何でしょうか?」


 無表情に尋ねてくるアイリス。未だに幾ばくかの迷いが残留しているが、思い切って言葉にすることにした。


「今朝のこと。お前がビニグナス大佐の死を妥当と表現したことに、俺は怒ったよな。彼の死を侮辱するなと」


「――はい。そのことにつきましては、私からも申し上げたいことがございます」


 アイリスはそこで一旦言葉を切ると、少しだけ目を瞑ってから、


「私は先に申し上げた通り、一介の機械人形です。ですから、ドッペルがビニグナス大佐の死について、どうしてあそこまでお怒りになったのか、皆目見当も付きません。しかしながら、デイジーに事情をお伝えしたところ、とても興味深いお話を耳にしました」


 デイジーが恥ずかしそうに俯く。その様子を横目で見やると、アイリスが言葉を続けた。


「ビニグナス大佐は敵国の――いえ、メリディオンの長官でした。しかし彼は戦争終結後、アースの自治に寛容的な態度を示していたのだと。彼は確かにヴェントゥスにとっての仇ですが、それ以上にアースへ間接的な支援を行っていた恩義ある相手。私はどうして敵将の死に感傷を抱くのか、暗殺対象に憐憫を抱くのか理解できませんでしたが、デイジーのお話を聞いて、論理的に事の次第を理解することが叶いました。その上で、恩がある対象の死を妥当、という安易な言葉で表現したのは、こちらの不手際です。ドッペルが憤慨なされるのも当然でした。ですので、謝罪させてください。申し訳ございませんでした」


 深々と首を垂れるアイリスに、当惑を禁じ得ない。こちらが頭を下げて謝ることは想定していたが、まさか彼女側から謝罪の言葉が飛び出すとは想像もしていなかった。そしてそれ以上に、アイリスがデイジーに話を伺い、その上で俺の怒りを論理的に解釈し、そして自分の非を認めたという事実に驚愕する。戦術機械人形は軍事目的の兵器であって、ある程度の性能スペックは求められていたと思うが、まさかここまで自己完結的な行動を起こせるとは思ってもみなかった。


 そんなアイリスの頭頂部を唖然と眺めていると、不意にデイジーが脇腹を小突いていることに気が付く。彼女の方を見やると、手先で何か言えと指示しているようで、恐らくこちらにも謝って欲しいのだと解釈する。軽くデイジーに頷き返して、アイリスに頭を上げるよう言葉をかけて、


「……お前から謝られるとは思っていなかったから困惑した。それと、アイリス。お前の実直さには感服だ。元はと言えば、お前に感情的な理解を追求した俺が間違っていた。機械に感情を理解させるというのは到底無理な話だし、俺も大人げなく――という表現が適切かわからないが、怒ってしまったから。それについて、俺からも謝りたい。本当に申し訳なかった」


 真っ直ぐに頭を下げて、謝罪の意を示す。別に許してもらおうなどと考えてはいなかったが、こちらが頭を下げた途端にアイリスは当惑するような声を上げた。


「ドッペル、顔を上げてください。あなたが謝る必要などないのですよ」


 今までで一番語気の強い口調に、俺は拍子抜けしてしまう。そこまでこちらが陳謝することが意外なのか。多少傷ついてしまうが、取り敢えず言われた通り顔を上げる。


 アイリスはやはり無表情だったが、その頬元が多少緩まっているように映った。


「その、今回のことは水に流しましょう。互いに謝ったのですし、これ以上長引かせるのは不都合かと」


「――そうだな。もう俺も今回のことは忘れるよ。ありがとうな、アイリス」


 ぎこちなかっただろうが、多少頬を緩ませて微笑んで見せる。するとアイリスも頷いてくれて、菜園には和やかなムードが流れた。


「もー! 二人とも不器用すぎだよ! まるで付き合いたてのカップルみたい! まあまあ、仲直り出来て良かったけどね!」


 聞き捨てならない比喩を用いた気がするが、指摘する前にアイリスが言葉を挟んだ。


「ところでデイジー。私は一体何の種を植えていたのでしょうか?」


 アイリスがデイジーに質問する。というか、何の種か知らない状態で作業していたのか。少し抜けている彼女に呆れが先行するが、その辺りが多少のポンコツ感を演出していて悪くないと思えた。


「ふふふ。それは育ってからの内緒だよ! きっとアイリスも喜ぶと思うから!」


 デイジーは悪戯っぽく微笑み、逆にアイリスは小首を傾げた。その実を後でデイジーに尋ねておきたいところだったが、むしろ知らない方が面白いかもしれない。どうせまたサプライズでも企画しているのだろう。


「よーし! 二人が仲直りできたことだし、張り切って昼ご飯作ろうかな! 今日は二人が食べたいものを作るよ!」


「お言葉ですがデイジー。私は半永久的に栄養摂取は不要です。その上食物を口にすると、機能不全の原因になりえます」


「あーそっか! アイリスは食事しないもんね! じゃあお兄ちゃんの好きなものでも作ろうかな」


「じゃあ肉が食いたい」


「ドッペル。健康的な生活を維持したいのならば、食物繊維、つまり野菜も摂取すべきです」


「仲直りした途端にうるさいなお前は。軽油でも飲むか?」


「せっかく良い雰囲気になったのに、また喧嘩しないでよ! 全く、面倒なんだからぁ!」


 家庭菜園の中を、デイジーの悲鳴が木霊する。俺としては久しぶりに、本当の意味で安穏な時間を過ごしているという感覚に満たされていた。

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