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城塞都市の玄関口、ほぼ全ての外交の出入り口として利用されている大正門。劣化ウラム装甲板で武装された巨大な大扉は現在開放されていて、数多くの車両が出入りしていた。その殆どがヴェントゥス本国からの輸入品や運搬物を運ぶ大型トラックであって、逆に自家用車でアースの国境を渡ろうと試みる存在は皆無だ。既にメリディオンに反意を持ち、リベルタスへ参加している戦士たちは頭打ちで、本国から追加の人員が派遣されることは体裁上あり得ない。アースを除くヴェントゥスという国はメリディオンによって傀儡政権を樹立され、彼らの言いなりに陥っていた。しかし数少ない勇士たちが未だに政権内で陰ながら抵抗を続け、アースへの支援を継続してくれている。運搬される物資の中には、メリディオンの目を盗んで仕入れられる武器弾薬、そして支給物資が紛れていて、それらを間違いなくリベルタスの支配下に置くのが、国境警備隊の任務の一つであった。
アース都市内へ物資を運ぶ車列は長々と続いていて、その全てが国境警備隊の検問を受ける必要がある。この前の暴走トラックの件のように、支援物資ではなくメリディオンの刺客が搬入される可能性も無視できない。支援品は確実に確保し、そして危険因子は排除する。そのデリケートな作業は精根を頻用するものであって、並の精神力では音を上げてしまう。そう言った意味でも、ぼんやりと眺めている先で荷台の中身を確認する警備隊の人間には、敬意を表する必要があると言えよう。
だけれどそこで、普段はあまり目に入らない存在が鎮座していることに気が付く。それは通常なら数台しか待機していない軽戦車が、いつも以上に配置されているという事実。単座式の軽戦車は基本的に総重量十トン以下の戦車を指し、重戦車に火力では遠く及ばないものの、安価に量産できることから、数多くがリベルタス内だけでなくヴェントゥス、そしてメリディオンに配備されていた。今の戦争の主戦力は軽戦車であって、機動力に保証された格闘戦がメインである。その分搭乗者の技量が不可欠な兵器であったが、リベルタスは南西戦争の生き残りを寄せ集めて立ち上げた自警団であるので、その練度は裏打ちされている。そう言った一面もあって、メリディオンは安易にアースへの侵攻を承認できないのだ。
三年前とは形式が違う、多少技術的に進歩した軽戦車を俯瞰するように眺めて過去に思いを馳せていると、背後から何者かが歩み寄ってくる足音が響いた。その足取りから誰が近寄っているのか判明していたので、特に顔を向けることはない。そのままボーっと軽戦車の布陣を見据えていると足音はこちらの真左で停止し、大きく息を吐いた。
「ビニグナス大佐の件があるからな。屍肉喰いが事実を捏造して政府に密告する可能性もあった。だからこうして、国境に展開する部隊を増員せねばならないのだ」
疲労を感じされる声色で、ガーベラが溜息を漏らす。軽戦車が追加で動員されている理由には勘付いていたので、特段驚くことはない。カリダスという男は、ほんの少し言葉を交わしただけで狡猾な人間だということは明白だったので、もし自分がガーベラの立場であったとしても、彼女と同様に防備を強化しただろう。ガーベラはヴェントゥス政府に工作員を忍ばせているため、もし何らかの武力行使の兆しがあれば、連絡によって認知することが可能だ。しかしメリディオンも間諜の存在には警戒しているはずなので、身内だけで計画を実行に移す可能性も十分にあった。だからこそ不意の侵攻に備えて日頃から警戒を敷く必要があるのだが、子細な情報を取捨選択し、確実なシグナルを発掘する作業の困難さは想像に難くない。日頃からメリディオンの情勢に目を光らせているガーベラの疲労については、語るまでもないことだろう。
特別返事もせずに軽戦車に乗った兵士同士の歓談を聞いて、平和なものだなとぼんやり考える。別にリベルタスは軍隊でもないので、厳格な規律は存在しない。多少のご法度はあるのだが、待機中に兵士の会話を制限するほど、ガーベラは頭の堅い人物ではなかった。逆に厳しく規制してしまうと、人員の士気を低下させる可能性もあるので、その塩梅には神経を費やす。まぁ前提としてリベルタスの構成員は南西戦争を生き延びた精鋭ぞろいなので、言わずとも自分である程度の線引きを行い、有事にはその能力を十分に発揮してくれる。愛国者たちの微笑ましい家内自慢に微笑を浮かべたガーベラは、不意にこちらへ視線を寄越した。
「……何かあったか?」
図星を完全に突かれて、表情にその実が現れ出ていないか不安になる。ガーベラはその立場上、人間の細やかな機微には敏感だ。その才は大部隊の長ともなれば必要不可欠に近しい能力だが、今はそれが疎ましい。これまでも調子の出ない時に、その状態を彼女に勘付かれ、わざわざケアを行ってくれたことも多かった。人間完全ではないので調子の悪い時も少なくないが、戦士にその言い逃れは通用しない。高熱を出そうが敵は構わず攻めて来るし、だからと言って戦場に出向かないという選択肢は存在しないのだ。しかしガーベラは部隊員の調子を逐一確認し、場合によっては後方を担当させるという選択肢も持ち得ていた。だからこそ南西戦争の際に、ガーベラが指揮した部隊、つまり俺たちの『狼犬部隊』は、ヴェントゥスの全部隊の中で一番生還率の高い優秀な分隊として評価されたのだ。まぁ優秀故に危険な任務ばかりを下されて、終戦後に生き残った狼犬部隊の隊員は、俺とガーベラだけという悲惨な結果に終わったのだが。
内心を悟られないように顔を少しだけ彼女から逸らしながら、何でもないと呟く。しかしこちらの声色が自分でも元気の少ないことに気が付き、しまったと唇を引き込む。
「……何かあったんだな」
ガーベラは少しだけ声のトーンを落として呟いた。その声色からこちらを心配してくれていることが伝わるが、何となく羞恥心を抱いてしまって、何も言葉を紡ぐことが出来ない。
「――私見だが、ビニグナス大佐の件と、そしてお前が引き取った戦術機械人形との間に問題があったように見えるが」
全く的確な指摘に対して、ぐうの音も出ない。相変わらずガーベラは人間の感情を知覚する能力に秀でているようで、できることなら件のアイリスにも見習わせたいところだ。
「ビニグナス大佐の死は、私とてとても残念に思っている。本来なら私たちの手で匿うつもりだったからな。だがしかし、それ以上にお前が無事で何よりだった。屍肉喰いが部隊を寄越す可能性についてもっと吟味するべきだったな。お前を喪えば、きっと私はリベルタスという大きなイデオロギーをまとめきれん」
どうも過大評価を受けているらしいが、まぁ俺はガーベラにとって南西戦争時代の唯一の生き残りであって、目にかける気持ちについてわからなくもない。ただ俺という一個人が死んだだけでリベルタスが失速してしまうのは、途轍もなく大きなリスクだ。冗談で発言していると考えたいが、あながちジョークにも思えないのが笑えない。
「それとお前が引き取った戦術機械人形――アイリス、とか言ったか? とどのつまり彼女は人間じゃない。お前もわかっているだろうが、あのアンドロイドは機械なんだ。人間と同じ感性を追求してしまうのはお門違いだし、アイリスが人間らしい感覚を得ることは不可能だと思う。まぁ報告にあった通り命令を無視する危なっかしい一面もあるが、デイジーも気に入っているのだろう? まぁ付かず離れず、ある程度の距離、人間と機械という適切な距離感を保って接してやるべきだな」
ガーベラにはビニグナス大佐保護の一件で、アイリスの存在は連絡してある。元々単独で遂行するはずの任務にアイリスを連れていくのだから、報告しないわけにはいかなかったのだ。結果ガーベラは同行の許可を出したが、結果的にそれが良い方向に働いたと言えよう。アイリスがいなければ俺は多分拘束されていたかその場で射殺されていたし、とても不本意ながら、朝喧嘩したとは言え彼女には感謝をしているのだ。だけどこの俺が素直じゃないというのもあり、そしてアイリスが感謝の気持ちを理解できるかわからないため、このように事が捻じれ込んでしまったのだ。
だけれど、ガーベラの発言は最もに思える。アイリスは所詮作り物の機械人形であって、絶対に心という存在を持ちえない人形だ。命令無視の問題はあるものの、彼女に人の心を求めてしまうのは、きっと間違いなんだろう。だからこそ人と機械という一定の節度を維持しながら共生するべきなのだ。今朝アイリスの発言に憤慨してしまったのは、彼女に人と同様の感性を追求してしまったからだと思う。だからアイリスとの一件は、間違いなくこちらに非があったし、彼女自体に瑕疵があったわけではない。こうして家を出て現実逃避をしている時点で、自分に間違いがあったからこそ子ども心に意地を張っているだけなのだ。少しだけ冷静さを取り戻した心で、アイリスに悪いことをしたなと自省する。許してくれるかはわからないし、その行為自体に意味があるか不明だが、取り敢えず謝って置くべきだろう。
「――心が決まったようだな」
不意にガーベラが呟いたと思うと、彼女はこちらへ向けて慈愛に満ちた表情を浮かべていた。
「人間、間違わずに生きられる者はいない。それにお前はまだ十七だ。子どもの内にできるだけ間違えておけ。その失敗が、お前という人間を立派に成長させるだろうさ」
素直に頷き返して、腰掛けていた弾薬箱から立ち上がる。そしてそのまま自宅へ戻ろうと踵を返すが、
「そういえばドッペル。一つ連絡しておくことがあった」
背後からガーベラの声がかかる。
「最近、機械人形を狙った強盗が頻発しているらしい。リベルタスとしても、街の治安維持のために捜査を続けているのだがな。アイリスの存在も鑑みると、頭を隅に置いておくべき情報だろう」
機械人形をターゲットとした強盗。そもそもアンドロイドは高価な機械のため、高値で売却できることが多い。だからこそ盗賊の目標物になることも少なくないから、警戒しておくに越したことはないだろう。
「忠告感謝する。アイリスにも連絡しとくよ」
「仲直りできることを祈って」
微笑んだガーベラに軽く手を振って、俺は正門からアースの市街地へ向かって歩き出した。