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私の頬をひっぱたいて下さい  作者: ひつじまぶし
第一章 はじまりの古城
12/24

逃げ道 Ⅵ


 神はこの世の全てを作り出したと云う。

 この気持ちも神が生み出したものだと云う。

 そして死後に裁きを下すと云う。

 その公正さの為に一切の救いを齎さないと云う。

 故に、人々は神を崇めよと云う。




 だが私は思うのです。

 ──目の前の弱者も救わないならば、そんな神なぞ必要ないと。


 (カラザリア修道院図書庫 正聖典末尾殴り書きより引用)


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー








 マイヤー騎士団は西都の守護者であり、西都が属するマイヤー伯爵家の直属騎士であり、マイヤー伯爵が傘下に下る大公家の庇護下に属する。

 帝国でも名高い有力貴族の旗を掲げる彼らは、それに足る正義を示し続けて来た。

 その忠誠は平原に轟き、正義は帝国中に知れ渡っている。

 彼らは帝国が誇る、審判の鉄槌なのだ。

 故に、彼らは示さなければならない。

 帝国に湧いた邪教徒がどのような末路を辿るのかを。






 西風が送ってきた暗雲が月を覆い隠し、岩窟地帯は暗闇に包まれた。

 鉛のような暗雲はさめざめと泣き、涙は岩肌を伝っていく。


 さてどうしたものか。

 灯火の消された暗い岩窟で頭を巡らす。


 岩窟の入り口は急な斜面で道も狭く、迎撃にはもってこいだ。

 地の利はこちらにある。


 けれどここは岩窟。

 斜面であり以外に出口などなく、競り負ければ押し潰されるほかない。

 まさに袋の鼠だ。


 こちらの戦力は俺を含めて三人。

 守らなければならない人員は四名。


 一方の騎士団は総勢何名かもわからない。

 ここに駆けつけた人員だけを考えると小隊か分隊規模、多くて数十人が妥当だろう。

 だが人員は西都中から補給が効くのだ。

 さらにミュザウ侯爵や中央の騎士も加わればその天井はないものと考えて良い。

 正面から衝突すれば轢き潰されて終わるのだ。




 仕方ない、騎士団に御令嬢を突き出すしかない。

 俺たちはあくまで巻き込まれた身であり共犯者ではないのだ。

 逃亡に協力したとはいえ、俺たちの命だけはどうにかなるかも知れない。


 命さえあれば、あとはなんとかなってしまうものだ。

 長年の旅の中で身に染みている教訓だ。


 そうと決まればすぐにやろう。

 折角助けた相手だがそれもパウロ様に嫌われないために過ぎない。

 俺は嫌われることなど慣れている。

 それに仕方のないことだと理解してくれるだろう。


 俺は後ろを振り返る。

 背後にはケイが俺の後ろ脇でナイフを構え迎撃の体制を整えている。

 その後ろには棒を持って狼狽えるパウロ様。


 そこで初めて気づいた。

 御令嬢と女騎士と親子の姿がない。

 いつの間にか奥の部屋にでも隠れたのか?


「ここに隠れているのは手のものからの情報で分かっている!

 投降すればマイヤー騎士団の誇りにかけ命は保証する!」


 崖の外で騎士たちが喚いている。

 アイツらの言葉なんぞ、どこまで信用したもんかわかったもんじゃない。

 特に異人である俺にはまともな対応するとは思えない。


「大人しく邪教徒とそのものの騎士、そして異国の男を引き渡せ!」


 ──はぁ?

 聞き間違えか?

 今、異国の男って言ったよな?

 ファーガスが言っていた出国のための協力者のことか?


「大剣を背負った異国のものが邪教徒を抱えていたとの報告が入っている!」


 ダメだやっぱ俺のことだ。

 大剣ってのはこの太刀のことだろう。


 俺は振り返って渋柿色の包みを見る。

 こんなでかい刀背負っていたら目立って当然だ。

 だからって俺ばかり名指しで言う必要ないだろうに。


「以上の四名には邪教徒の嫌疑がかかっている!

 少しでも良心が残っているなら大人しく投降しろ!」


 おい、なんで俺まで邪教徒の疑いをかけられなきゃならん!

 そんな言われ一つも……いやある。


 独房で出会った男の発言を思い出す。


『それに計画を知ってしまった以上タダで返すわけにもいかない。もし逃げ出そうものならお前も我々に与する者として密告するまで。』


 さてはあの男、密告しやがったな! あんの悪徳騎士がぁ!




 意気地なしのファーガスくんのせいで、俺は晴れて追われる身となった。

 覚悟を決めねばなるまい。クソッタレが。


「騎士さんたち、こっちに!」


 捨て身で迎え撃とうとする俺の耳に少女の声が聞こえる。なんだガキこっちは忙しいんだが。


 チラリと後ろを見ると、寝室の奥の暗闇で少女が手招きしていた。

 そっちは台所だって聞いたが何があるってんだおい?


「こっちに逃げ道があるから、来て!」


 なんだよあんのかよ逃げ道。先に言っとけよクソガキ。






 台所の先は巨大な溝へと繋がっていた。

 溝の幅は馬車が二台通っても余裕があるほど深く、その底を見通すことはできないほどに深かった。

 彼岸に繋がっていそうな暗黒の奥底から、微かな川のせせらぎが聞こえて来る。


 この溝は西都建設初期ごろに移動経路として活用されていたものだ。

 元々あった岩裏の河川、言うなれば裏フルッツ川と言われるものに手を加えたのがこの溝だ。


「急いで、こっち!」

 

 少女が溝の淵をへばりつくようにして進んでいる。

 彼女が進む淵は足の幅分しかなく、到底人の使う道とは思えない。

 昔の人間は本当にこんなところを移動経路に使っていたのか?

 それとも昔の住人は、そんなにちっこかったのか?


 だが考えている暇はない。

 俺たちは女騎士、御令嬢、親子、パウロ様、ケイ、俺の順番で淵を伝っていく。

 先頭の安全確認を女騎士が、中間を被守護者が、後ろからの攻撃を警戒しケイと殿の俺が担当するという構図だ。

 些か後続偏重な構成。

 投げもができるケイといざとなれば身軽に動ける俺ならこの狭さでも何とかなるだろう。けれど近接戦主体の女騎士ではもし前方から敵が来た時分が悪い。


「お母さん……。」


「大丈夫、大丈夫だからね。」


 それにこちらは病人連れだ。

 正確には病気ではないが、半日前まで病人だった母親はまだ体力が十分に回復していない様子。治した本人もしばらく安静にしているようにと語っていたのだから本来なら動いていい状態ではない。


 だが、ここは無理してもらわないといけない。

 彼女たち親子も理由は異なれど追われる身。

 騎士に捕まれば農場主に送られることだろう。

 そんな未来を彼女らも理解しており、苦しそうにしているが必死に足を動かしている。


 そんな親子を、御令嬢は心配そうに見守っている。

 時折淵にある石を蹴っ飛ばして親子が進みやすいようにしている様子が見受けられる。

 また、母親がふらつく度サッと手を出して淵から落ちるのを防いでいる。

 その度に母親はありがとうございますとお礼を言うが、それを心配そうな悔しそうな、苦しそうな顔で受け入れていた。

 大方自分が巻き込んでしまったとでも思っているのかも知れない。そんなことないんだがなぁ……。


 この御令嬢には些か自己犠牲的な傾向が見られる。

 疲労困憊の身で少女を助けに行ったり、悪漢に正面から挑みに行ったり捨て身の行動が目立つ。

 そう言ったところが少し、少し────馬鹿だなと思う。そう馬鹿だ。

 この世はそこまで善人に優しくはない。優しさに優しさが返ってくるなんて満たされた社会でしかあり得ない。

 そうでない社会における優しさは、悪にとっての養分でしかなく、神も見返りを齎さない。そう、父なる神のように。

 だから、彼女は馬鹿なのだ。

 きっとろくな人生を送れないだろう。


 ──いかんいかん何感傷的になっているんだ俺は、らしくない。

 今は一刻も早く先に進めねばいかんのに!


「!! !?」


 岩窟の方から騎士団の喚く音が聞こえてくる。

 どうやら、突入したものの岩窟ないに俺たちの姿が見えないため困惑しているらしい。

 そのままこっちに気づかずに帰ってくれたら嬉しいんだが……。

 残念ながらそうもいかないらしい。


 騎士たちの足音が近づいてくる。

 この通路に気づいたようだ。




 マイヤー騎士団との戦闘はこちら優位に進んだ。

 通路が狭すぎてマイヤー騎士団はその勢力差を活用できていないのだ。

 それでも足を掬おうと突き出してくる長槍と矢を、俺が刀で打ち払いケイが投げナイフで牽制する。


 投げナイフが尽きるまでの均衡だが、このまま距離を稼げば何とか別の岩窟から逃げ出せるかもしれない。


「居たぞ、こっちだ!」


 後方の方から騎士たちの叫び声が聞こえる。

 どうやら先回りされてしまったらしい。

 別の岩窟から侵入してきた騎士団が先頭の女騎士と接敵した。


「くっ!」


 女騎士は何とか剣で迎撃しているが間合いのせいで一方的に攻撃されている。

 剣で防御する女騎士に槍と矢で遠くから攻撃する騎士団。

 後続偏重の編成が仇となった。


「アイラ!」


 ケイが女騎士に棒を投げ飛ばす。

 パウロ様が持っていたものに投げやりを括り付けたものだ。


 後方から飛んできた即席の槍を後ろ手で掴むと、女騎士は鋭い一撃で騎士団の一人の喉元を刺し貫いた。

 ゴポリと体液を撒き散らしながら突き刺された騎士は奈落へと落ちていく。

 即席の槍でよくやるもんだ。


 だが反撃の手段を手に入れたところで劣勢は覆らない。

 仲間の死体を蹴落としながら騎士団は着実に距離を詰めてくる。

 このままでは前衛が持たない。


 山なりに放たれた矢が列の中央に飛んでいく。

 暗闇を切り裂いた白銀の鏃が、深々と母親の肩に突き刺さった。


「お母さん!」


 少女の悲痛な叫びが溝に木霊した。


 これに気を良くしたのか騎士たちは狙いをこちらから列中央に変更し、矢を山なりに放ってくる。


「クソっ! 弱者を狙うなどと!」


 ケイが得物を剣に切り替えて懸命に矢を迎撃する。

 けれどその努力も虚しく、矢は豪雨のように中央に降りかかる。


「痛っ!」

「グッ!」


 パウロ様やケイにも矢は突き刺さっている。

 迎撃を続けていた俺も急所は免れているが針の筵状態だ。


「おねえちゃん!」

「お嬢さま!」


 前方から親子と女騎士の悲痛な叫びが聞こえてくる。

 見ると御令嬢が親子に覆い被さっているのだ。

 その背中には幾本も矢が突き刺さり、ただでさえ赤い服を鮮烈なワインレッドに染め直している。

 そして数十本の矢束が牙獣の顎が如く、その魂を喰らわんと飛来する。


 ──あんの馬鹿がっ!!!


 俺は身を軽くし溝の壁を駆け、矢の束を打ち払った。

 撃ち漏らした矢が幾本も身を穿ち、俺の臓腑を掻き乱す。


「朝護さん!」


 パウロ様が悲痛に叫んだ。


「無事かお前たち!」


 俺は親子たちに声を上げる。


「はい、でもお二方がっ!」


 御令嬢に庇われるように蹲っていた母親が矢の痛みから額に汗を滲ませながらも、沈痛な表情で俺と御令嬢を見る。

 少女も心配そうに両者に間で視線を彷徨わせている。


 御令嬢の華奢な体から雑木の如く矢が生えている。

 内臓を貫いた矢は腹から鏃を覗かせ、心臓の脈動に合わせドクドクと深紅の雫を零す。

 御令嬢に命は風前の灯火だ。


「お嬢さまっ!どうかご返事くださいっ!お嬢さまっ!!」

「!! 貴様ら!その命、最早ないものと思え!!」


 騎士団の攻勢を凌いでいる騎士たちが叫び声を上げる。

 一人は縋り付くような声を上げ、一人は激情のまま荒ぶらんとしていた。

 その叫喚には苦悶が滲んでいた。


 母親を治した時の治癒の御業なら治せるかもしれない。

 けれどそんな隙を、騎士団が与えてくれるわけもない。

 当の御令嬢が瀕死の重症なのだから尚更良くない。


 母親が瀕死の御令嬢へ懸命に声をかけ続ける間に、二人の騎士が押され始める。

 もう役立たずの俺は何もできない。

 パウロ様や少女も何とか手伝おうとしているが素人が騎士に手出しできるわけもない。

 騎士団の鉄槌は邪教者の命脈を砕かんとしていた。


「─────。」

 御令嬢が囈言を呟いている。


 すでに屍人の血の色だ。

 流れる血は鮮紅から朱殷へと変じ、淵に滾々として流れ出す。

 きっとこの囈言が今生に残す最後の言葉となるだろう。


 不幸の中、一体彼女は何を遺すのか。

 せめて最後に立ち会ってやろう。


 白蠟の如く青くなった顔は重く瞼を落とし、薔薇のようだった唇が真蒼に染まる。

 その真蒼の唇が空虚に語り聞かせるように震わされた。




「私は……ただ、優しくしたかった……だけなのに……。

 ただ、目の前のひとに……手を、差し出せたら、満足だったのに……。」


 ──こんな時でさえ御令嬢は他人を救うことを考えていた。

 他人に優しくしたい。手を差し伸べたい。

 こんな残酷な世では、そんなもの願いですら無いのに。


「その為なら……命を賭して……よかったのに……。

 どんな苦難で……耐えたの、に……。」


 ──その上自己犠牲すら厭わないと云うのだ。

 言葉とともに気力すら吐き出しているかのように、呟き声が弱まっていく。

 何と──愚かな少女なのだろう。


「あなたは……無縁の……すら…………のですね……。

 こ……葉を……届ける…………ね。」


 ──掠れきった声は、言葉の殆どを載せることなく夜の空気に溶けて消えていく。

 献身そのもののような彼女を、袖手傍観(しゅうしゅぼうかん)な神は救おうとしない。

 残酷な世界の法則が、彼女を屠らんとしていた。




 彼女ならもしかしたらと、()()()()()()()()知れないと思ったのに。

 結局()()()違ったのか……。


「なら……貴方の……つけ……関係な……。

 弱者を……切り捨てろなど……受け入れ、られない……。」


 彼女の口から発せられた言葉に、気力が混じった。

 死ぬばかりと考えていた彼女の瞼の間から紅色の光が洩れ出す


 なんだ、なんなんだこの赤い光わ。

 コレではまるで、まるで、()()()みたいではないか!


「たとえ……貴方が阻もうと……私は、諦めない。

 絶対に……絶対に、諦めてたまるものですかっ!」


 彼女は重い瞼に閉ざされた瞳を開帳する。






 火眼金睛(かがんきんせい)


 その瞳は黄金の如く輝き、焔の如く燃えていた。


今彼らが使っている溝は、西都建設初期の兵舎でした。

彼らは崖ではなくあの溝を使って城壁と岩窟を移動していたのですが、当時はあの場所に縄梯子がかけられており、敵が攻めてきたら縄梯子を切り落として敵の侵攻を阻止できるような造りになっていました。

物語の中盤に「淵は足の幅分しかなく、到底人の使う道とは思えない。」とありました。あの淵は元々足場となった木材を設置するためのものだったので、本当に人が通る場所ではなかったのです。

古代ローマの建築物や城砦を見てみると、壁に四角い穴がいくつも開いていたりします。その穴はもともと建築用や足場用の木材を設置していた穴で、この溝の淵もそれと同じようなものです。

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