高校の時付き合っていた元カノの娘が会社で部下になってしまった!?
「ほ、本日よりこちらの部署でお世話になる、悠木藍と申します。よろしくお願いします!」
「――!!」
何気ない朝会での一コマ。
今日から新入社員が一人配属されてくるという話は聞いていたが、その子の顔を見た瞬間、俺は戦慄した――。
その顔が、俺が高校の時付き合っていた、元カノの悠木紫苑に瓜二つだったからだ。
悠木という名字も同じだし、ひょっとして紫苑の娘……?
だが、だとしたら名字が悠木のままなのが若干気になる。
旦那さんが婿養子になったのか、はたまた離婚したのか……。
「悠木さんは石川君のチームで働いてもらうからね。いろいろ教えてあげてね」
「っ!」
部長がめっきり薄くなった頭をポリポリ掻きながら、俺のほうを向いてそう言った。
「ふ、ふつつか者ですが、よろしくお願いします石川主任!」
「あー、うん。……こちらこそよろしく」
まるで結婚の挨拶みたいな言い方をされて、若干困惑する俺。
こういうちょっと天然ぽいところも、紫苑にそっくりだ。
俺の隣の席で、パソコンのセットアップに「うー」とか「あー」とか言いながら悪戦苦闘している悠木さんを横目で眺めていたら、あっという間に昼休みの時間になった。
俺は小さく咳払いを一つしてから、悠木さんに声を掛ける。
「あー、悠木さんはお弁当とか持ってきてる?」
「えっ? わ、私ですか?」
小動物を連想させる、くりっとした目をなお丸くする悠木さん。
いや、そりゃ君に話し掛けてるんだから、君しかいないでしょ。
「あ、はい! お弁当は持ってきてません!!」
声デカいな。
こんなところも母親譲りか?
「うん、じゃあ、よかったら一緒に社食行く? 案内するよ」
「あ、はい! ふつつか者ですが、よろしくお願いします!!」
それ口癖なの?
「悠木さんは何にしたの?」
悠木さんの向かいの席に、生姜焼き定食を置きながら尋ねる。
うちの社食の生姜焼き定食は、安い割に肉がたくさん入っているので、俺は週に一度は食べている。
「はい! 味噌ラーメンにしました! 味噌ラーメン大好きなんです、私」
味噌ラーメンを見つめながら、幸せそうに顔をほころばせる悠木さん。
味噌ラーメン、か……。
好物まで紫苑と一緒とはな……。
「いっただっきまーす!」
ちゅるちゅると音を立てながら、悠木さんは味噌ラーメンを美味しそうに啜る。
その様子を眺めていたら、何故か心の奥がぽわっと温かくなったような気がした。
「悠木さん、この案件、悠木さんに主担当を任せたいんだけど、いいかな?」
「えっ!? わ、私ですか!?」
悠木さんが入社してから、早や一年が経った。
そろそろ悠木さんにも本格的に実戦経験を積んでもらおうと考えた俺は、試しに小さな案件を任せてみることにした。
「は、はい! ふつつか者ですが、精一杯頑張ります!!」
「うん、俺もなるべくサポートはするから」
悠木さんの口癖である「ふつつか者ですが」も、この一年で何度聞いたかわからない。
むしろ最近は聞くのが楽しみになっている俺もいる。
「見ていてください主任! もしもこの案件に失敗したら、切腹する覚悟で挑みますので!」
「武士かな?」
……大丈夫かな。
ちょっとだけ不安になってきた。
「……はい、はい……えっ!? また仕様追加ですか!? ……はい、はい……えーと、では一旦社内で検討させていただいてもよろしいでしょうか? ……はい、失礼いたします」
悠木さんがどんよりした顔で電話を切った。
これは……。
「悠木さん、先方はまた仕様追加を要求してきたの?」
「――!」
俺が小声で話し掛けると、悠木さんは赤点のテストを怒られる生徒みたいに、ビクッと身を竦める。
「……は、はい、もうスケジュールは大分押しちゃってるんですけど、どうしてもこの機能がないと困ると仰ってて……」
「なるほどね」
どうやら悠木さんが新人だということもあって、クライアントから舐められてしまっているみたいだな。
悠木さんなら何でも言うことを聞くと思われてしまっているのだろう。
「で、でも、まだ土日返上でやればギリギリ間に合いますし、やり遂げてみせます! ふつつか者の意地を見せますよ!」
「いや、それはダメだよ悠木さん」
「……え?」
いい機会だから、ちゃんと言っておかないとな。
「できる限りクライアントの要望に応えようとするのは、確かにプロとして大事なことだよ」
「は、はい、だからこそ私は――」
「でもね」
「っ!」
俺はなるべく優しく、諭すように言う。
「例えば100万円しか費用をもらってないのに、200万円相当のものを納品したらどうなるかな? それはクライアントは喜ぶだろうね、少ない費用で、高機能のものが手に入るんだから。――でも、そんなことを繰り返していたら、いずれうちの会社は潰れてしまう」
「――!!」
小動物を連想させる、くりっとした目を見開く悠木さん。
「いいかい、クライアントの要望を何でも叶えるのがプロではないよ。――コストとクオリティのバランスを、ギリギリのラインで見極められるのが、本当のプロだ」
「しゅ、主任……」
悠木さんは唇をプルプルさせている。
「す、すいませんでした! 私が間違っておりましたッ! このうえは、腹を掻っ捌いてお詫びを――」
「武士かな?」
ちょいちょい武士になるの何なの……?
……そういえば、紫苑も時代劇が好きだったことを、ふと思い出した。
お、おっと、いかんいかん。
今はそれは置いておいて。
「切腹はしなくていいから、とりあえず悠木さんは今の仕様のまま仕事は進めて。先方には俺のほうから、仕様を追加したい場合は費用とスケジュールを見直させてもらうように言っておくから」
「は、はい! ありがとうございます! この御恩は、一生忘れません! えへへへ」
「――!」
頬をほんのり赤く染めながら、満面の笑みを向けてくる悠木さん。
……くっ、そんな顔されたら、勘違いしそうになるからやめてくれよ。
「ううううう終わったああああああ!!! ひゃっほーーー!!!!」
「ははは、本当にお疲れ様、悠木さん」
あれから悠木さんは今まで以上に必死に仕事に打ち込み、何とか当初のスケジュール通りに案件を完了させたのだった。
うんうん、初めての主担当でこの結果は上出来だろう。
紫苑に似て、本当に頑張り屋だな悠木さんは――。
「ありがとうございました主任んんんん。何とか無事に終われたのは、主任のお陰ですううううう」
「――!」
泣きながら俺の手を強く握ってくる悠木さん。
くっ! 胸がうるさいくらいにドキドキしている――!
……いい加減、俺も認めなければいけないみたいだな。
俺は、悠木さんのことを――。
だが、この感情は悠木さんにかつての紫苑の面影を重ねているだけなのか、それとも――。
今の俺には自分でもわからなかった。
「いや、これは悠木さんが必死に頑張ったからだよ。――よくやったね」
「しゅ、主任……」
……あ。
昔紫苑にやってたみたいに、思わず悠木さんの頭を撫でてしまった。
マ、マズい――!
これはセクハラになってしまう――!!
「ふふふ」
「――!?」
が、悠木さんは飼い主に撫でられてる猫みたいに、目を細めながら恍惚としている。
こ、これは、セーフか?
「あ、そうだ悠木さん、案件の打ち上げに、今夜二人で飲みにでも行かないかい?」
「えっ!? いいんですか!? やったぁ! ふつつか者ですが、よろしくお願いします!」
「うん、こちらこそ」
これはあくまで打ち上げ。
これはあくまで打ち上げ――。
何もやましい気持ちはないぞ…………、多分。
「う、うひゃあああ、主任がたくさん見えますうううう」
「大丈夫悠木さん!?」
そして打ち上げの帰り道。
生中二杯しか飲んでいないのに、悠木さんはベロベロになって俺にもたれかかっている。
まさか悠木さんがこんなに酒に弱いとは……!?
「一人で家まで帰れるかい!?」
「うう~ん、無理ですうううう。主任が送っていってくださあああい」
「俺が!?」
それはいろいろとマズいのでは!?
でも、このまま悠木さんを一人で放置して帰るわけにもいかないか……。
――俺は意を決してタクシーを呼び止め、悠木さんと二人で乗り込んだ。
「さあ、悠木さん、着いたよ」
「ふうう~ん、もうですかぁ?」
そしてタクシーは悠木さんが告げた住所まで到着した。
閑静な住宅街といった感じの場所だ。
俺はタクシーの運転手さんに料金を渡し、悠木さんを支えながら外に出る。
目の前に『悠木』と表札に書かれた一戸建てがあった。
ここが悠木さんの家か……。
「ほら、悠木さん、鍵を出して」
「ふうう~ん、鍵ですかぁ?」
玄関の前まで来た俺は、依然として俺にもたれかかっている悠木さんに鍵を促す。
――だがこの瞬間、俺はとても大事なことを忘れているような気がした。
「あら、藍? 帰ってきたの?」
「――!!」
その時だった。
玄関の扉を開けて、一人の女性が俺たちの前に現れた。
――そうだ、すっかり忘れていた。
悠木さんの家に来るってことは――。
「っ!! も、もしかしてケイくん!?」
「よ、よお、久しぶり」
「ふえええ? お母さんと主任って知り合いなのぉ?」
――そこにいたのは他でもない、俺の元カノである紫苑その人であった。
「コーヒーでよかったかしら? ミルクと砂糖は一つずつよね?」
「あ、ああ、ありがとう」
リビングに通された俺は、紫苑からミルクと砂糖を添えたコーヒーを差し出された。
実は今の俺はコーヒーはブラック派なのだが、紫苑と付き合っていた当時はブラックでは飲めなかったので、いつもミルクと砂糖を入れていた。
紫苑はそのことを覚えていてくれたのか……。
「懐かしいわね。あれからもう二十年以上経つのね」
「そ、そうだな」
今の紫苑は当時の面影こそあるものの、女子高生特有のあどけなさがすっかり抜け落ち、一人の大人の女性へと変貌していた。
きっとこの二十年、いろいろあったのだろう。
未だに高校生の頃から精神的には大して成長していない俺とは、提灯に釣り鐘だな……。
「でもまさか、藍の上司がケイくんだとは夢にも思わなかったわ。あの子ったらね、いつも家では『主任が主任が』って、あなたのことしか話さないのよ?」
「へえ~」
まあ、悠木さんが会社で関わりが深いのは、実質俺くらいだしな。
「ところで、悠木さ――藍さんは?」
「あの子なら部屋で寝かせてるわ。私に似て下戸なのに、調子に乗っちゃって」
「そ、そうか、それは悪いことをしたな……」
「ふふ、いいのよ。今日は、あの子が初めて主担当を任された仕事の打ち上げだったんでしょ? あの子、『主任のためにも絶対成功させてみせる!』って、鼻息荒く意気込んでたもの」
「そうなんだ……」
悠木さん……。
俺は、胸の奥がキュッと苦しくなるのを感じた。
「……本当に大人っぽくなったわね、ケイくんは」
「え? そ、そうかな? 確かに見た目はオッサンになったけど、中身は高校の頃から全然変わってないと思うんだけど」
「ううん、変わったわよ。――それに比べて私は……」
「――! 紫苑……」
紫苑は手元のコーヒーをじっと見つめた。
「今でも後悔してるわ。ケイくんと別れてしまったこと」
「っ!」
紫苑……。
「でも、あれは俺が悪かったんだし……」
「ううん、もっと私がケイくんのことをサポートできていれば……!」
紫苑は心底悔やむように、声を絞り出した。
コーヒーの水面が少しだけ揺らぐ。
――当時俺と紫苑は同じ大学に進学するため、お互い励まし合いながら受験勉強を頑張っていた。
だが、元々勉強が苦手だった俺は、健闘虚しく、紫苑と同じ第一志望の大学に落ちてしまい、第一志望に合格した紫苑とは進路が分かれてしまった……。
それ以来お互い気まずくなり、関係は自然消滅。
まあ、高校生カップルにはよくある話だろう。
「あれから私は半ば自棄になっちゃってね、大学に入学してから間もなく、サークルで知り合った先輩と、勢いでできちゃった結婚をしてしまったの……」
「――!」
それで生まれたのが、悠木さんか……。
「彼も私も大学を辞めて、彼は働き始めたんだけど……、やっぱり彼もまだまだ遊びたい盛りだものね、すぐに他の女の子と浮気しちゃって……」
「っ!?」
「あえなく離婚。――それ以来私は、女手一つで必死にあの子を育ててきたわ」
「紫苑……」
そんなことが……。
「でもね、やっぱり今でも思うの。あの子には、父親が必要なんじゃないかって」
「――!!」
紫苑は俺の手に、そっと自分の手を重ねてきた。
し、紫苑!?
「ねえケイくん、私たち、もう一度だけやり直せないかしら?」
「紫苑……」
愁いを帯びた瞳で、俺を見上げてくる紫苑。
お、俺は……。
俺は――!
――その時だった。
「ダメエエエエ!!!!」
「「っ!?!?」」
どこからともなく悠木さんが跳び掛かってきて、俺たちの間に割って入った。
「い、いくらお母さんでも、主任のことは渡さないからあああああ!!!!」
「あ、藍……」
「悠木さん……!?」
それは、どういう……!?
「主任!!」
「は、はい!?」
悠木さんのあまりの剣幕に、ピッと背筋を伸ばす俺。
「私は――主任のことが好きです!」
「「――!!!」」
悠木さん……!!
「いつも優しく見守っていてくれる主任が好きです。私が間違ったことをしたら、ちゃんと叱ってくれる主任が好きです。生姜焼き定食を、美味しそうに食べる主任が好きです。――私は主任のことが、大大大好きですッ!」
「悠木さん……」
思わず涙で視界が歪む。
「だからどうか、私を主任のお嫁さんにしてください!」
「「……!!」」
悠木さんは俺に深く頭を下げた。
……まったく、女の子にここまで言わせるなんて、男として情けないな、俺は。
俺は真剣な眼差しで、紫苑に向き合った。
「紫苑――いや、お義母さん」
「「――!!!」」
悠木さんと紫苑が、まったく同じように目を見開く。
つくづくよく似た親子だな、この二人は。
「藍さんを――俺にください! 絶対に幸せにしてみせます!」
今度は俺が紫苑に深く頭を下げる番だった。
今の俺が好きなのは、紫苑じゃなく悠木さんだ。
そのことに、この土壇場でやっと気付けたよ。
「……ふふふ、まさか元カレが息子になるなんてね」
「「――!!」」
頭を上げると、少しだけ泣きそうな目をした紫苑が、顔をほころばせていた。
「ふつつか者の娘だけど、くれぐれも藍のことよろしくね、ケイくん」
紫苑……!!
「あ、ああ、任せてくれ。いや、任せてください」
「ふふ、別に話し方は今まで通りでいいわよ」
「あ、はは、そうだな」
「ありがとう、お母さん!」
感極まって紫苑に抱きつく悠木さん。
「あなたは私の分まで幸せになるのよ、藍」
「――! お母さん……」
紫苑……。
「まあ、でも私の青春は、まだまだこれからだけどね」
「「え?」」
紫苑?
「だってこれからはこの三人でずっと一緒に暮らすことになるんでしょ? だからケイくんは、藍に飽きたらいつでも私の部屋に来てもいいわよ」
「「っ!?!?」」
紫苑は妖艶な笑みを、俺に投げ掛けてきた。
え、えぇ……。
「そ、そんなことにはならないからッ!! 主任も、絶対にお母さんの誘惑に負けちゃダメですからねッ!?」
「っ!?」
今度は俺の腕に抱きつきながら、上目遣いを向けてくる悠木さん。
その目が捨てられた子猫みたいで、何とも愛おしい。
そんな俺たちの様子を、微笑ましく見守っている紫苑。
――いやはや、いずれにせよ、波乱に満ちた新婚生活になりそうなことだけは、どうやら確実なようである。
お読みいただきありがとうございました。
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