009 技術革新 竹中半兵衛重治
更に半年が過ぎました。
織田家を囲む状況はあいかわらず芳しくありません。
同盟国の三河を除けば、周囲は反織田勢力に包囲されていて、それぞれが虎視眈々と織田の隙を窺っている──それでも、小一郎殿に言わせれば、本来の歴史に比べれば随分とましだという事なのですが。
やはり、あと二・三年続いたはずの浅井との戦いがなくなった事と、横山の戦いで朝倉・六角に大打撃を与えた事、そしてなにより北近江を掌握して、堺に並ぶ鉄砲の一大生産拠点である国友村を得たことが大きい。
織田家が力を蓄えることで、本来はもっと早くに牙を剥いていたはずの勢力が二の足を踏んでしまっている、ということなのでしょうか。
それでも、二年前に公方(足利義昭)様の殺害を企てて失敗し、阿波に追い払われた三好三人衆が再び渡海、畿内の河内・摂津に侵攻。お館様はこれを迎え撃つべく、公方様と畿内に進軍します。
そして、この時、織田からの圧力に永年耐えてきた石山本願寺が中立を破って決起。宗主の顕如は全国の一向宗門徒に檄文を飛ばしました。
『織田の横暴にはもう我慢できない、蜂起して仏敵たる織田信長を討伐せよ、従わねば破門だ』
──本来の歴史では、この檄文が浅井・朝倉にも届き、もっと大きな反織田の動きになる筈だったとのことでしたが、実際には伊勢長島の門徒や加賀の門徒による一揆を誘発したくらいに留まりました。
摂津での攻防や長島の一揆では、織田軍も少なからぬ損害を被りましたが、皮肉なことに、加賀の一揆勢の動きが活発になることで越前の朝倉が対応に追われて疲弊する、という事態も招いています。
手強そうな本願寺や三好は後回しにして、そろそろ朝倉か六角を叩き潰す頃合いか。
織田家中の声が決戦に向けて高まる中──。
小一郎殿と私は、北近江にて、いささか暇を持て余していました。
「……なあに、本願寺との戦は確か何年も続くはずじゃ、今すぐどうこうという事もないですろ。
それより、そろそろお館様と公方様の対立が決定的なものになる──そっちの方が厄介じゃな」
田舎道をのんびりと馬に揺られながら、小一郎殿があくびを噛み殺しながらこぼしました。
「お館様がいたんでは、公方様は何一つ思い通りに出来んからの。腹いせに、あちこちの大名にこっそり『織田を討て』と手紙を出しまくるんじゃ。
困ったことに、これがなかなかの筆まめでの」
「はは──ところで、小一郎殿、今日はどこに向かうのですか?」
「国友村と、もう一つは──後のお楽しみ、じゃな」
あれから藤吉郎殿は、北近江の事を小一郎殿に任せたきりで、調略や戦費調達など、相変わらず京や堺など、あちこちを飛び回っておられています。
そして近頃は、昔からの知己である川並衆の(蜂須賀)小六殿や(前野)将右衛門殿、元浅井家臣から与力として預けられた宮部継潤殿らと行動を共にすることが多く、小一郎殿や私に意見を求めることはほとんどなくなりました。
やはり、小一郎殿の功がお館様に高く評価されたことに、かなりの危機感を覚えたのでしょう。そして、小一郎殿に入れ知恵していた私のことにも……。
これ以上、手柄を立てさせたくない──そんな思いからか、小一郎殿は領内の仕置きに掛かり切りにさせられ、何度かあった朝倉、六角との小競り合いの際に小勢を率いて小規模な戦闘をしたくらいです。
『──まあ、兄者が働きやすいよう支えるのがわしの仕事じゃからの。浅井衆のことをまとめるのも大事な仕事じゃ。それに、時があるうちに、多少試してみたいこともあるしの』
小一郎殿は笑いながら言っていましたが、その声は少し寂しげでした。
「──鉄砲を改良してみようかと思うんじゃ」
近江では、まだ私も小一郎殿も家を持っていません。藤吉郎殿に許可を得ようにもなかなか会えませんので。
幸い、藤吉郎殿が小谷城のふもとに新築した屋敷に空き部屋がいくつもあるので、そこにおね様の許可を得て住まわせていただいています。
ある日、二人で夕餉を共にした後、小一郎殿がその『試してみたいこと』について、おもむろに切り出しました。
「鉄砲の改良──ですか?」
「わしゃものづくりに関しては全くの素人で、細かいことはよくわからんのじゃが、これから先、鉄砲がどういう方向に進化していくのかは大体わかっちょる。それを国友村の鉄砲鍛冶に伝えて、工夫はそっちに任せてしまおうかと。
先日、村長に一人紹介してもらって、さっそく取り掛かってもらっちょります」
そして、小一郎殿が教えてくれた改良点とは、次のようなものでした。
一、銃身の内側に旋状の溝を彫ること。
二、弾と火薬を固めて、一度に装填できるようなものを考えること。
三、それを、銃口からではなく、手元から装填できるような仕組みを考えること。
「──溝を彫るということは、弾に弓矢のような回転を加えるということですか?」
「さすがじゃな、半兵衛殿」
私が推測を口にすると、小一郎殿は意を得たりと笑みを浮かべました。
「捻るように回転させた方が矢が遠くまで飛ぶ。それと同じ理屈じゃ。
まあ、今のままでも威力が圧倒的なので、誰もそこまでする必要があるとは思っとらんようだがな。
じゃが、いずれ鉄砲がいくさの主流となれば、その性能差が勝敗を決する鍵になる。
龍馬の時代は、ちょうどそういう過渡期でな。どの勢力もより高性能な新式鉄砲を買い集めようと、必死になっちょったもんよ。
それと、二つ目と三つ目の条件は、弾込めにかかる時間を短くするための工夫じゃ」
敵より遠くから当てられて、しかも数多く撃てる。なるほど、これは確かに相当な強みになりそうですね。
国友村で会ったのは、甚六というまだ若い鉄砲鍛冶でした。
小一郎殿が村長に出した人選の条件というのが、腕がよくて凝り性で、口が堅いというものだということでしたが……。
なるほど。辺りに散らばるいくつもの銃身の試作品を見れば、彼が寝る間も惜しんで取り組んでいたことがわかります。
その甚六が恐る恐る差し出した銃身の試作品をのぞき込み、小一郎殿は満足げに頷きました。
「──よくここまで均一に彫れたの?」
「いえ、実は彫っておりません。最初は彫って作ってみようとはしたのですが、均一に奥まで彫るのがなかなかに難しくて早々に断念しました。
実は鉄砲の銃身というのは、鉄の芯棒に鉄の板を二重に巻き付けて筒状になるよう叩いて鍛え、その後に芯を抜くことで作るのですが、その芯に初めから旋状の模様を付けておけばいいのではないかと──。
鍛えるときに溝が内側にしっかり刻まれるように充分に叩かねばならないのと、芯を回しながら抜くのに手間がかかりますが、今までの銃身を作るのとそう変わらない技術で作れそうです。
ただ──」
「ただ、何じゃ?」
そこまでで口ごもった甚六は、おもむろに平伏しました。
「申し訳ございません! 手元で装填出来るように、というのは構造が複雑になり過ぎて、出来そうにありません。今より数段細かい細工、それこそ髪の毛一本分以下の精度で部品が作れるようにならなければ……」
「んー、まあ、そこは諦めるかの。罰したりはせんから気にするな。
今の国友に無理なら、どこの誰にも作れんじゃろ。まあ、暇なときに時間をかけて考えてくれればええ。
で、弾の方はどうじゃ?」
「は、はい! いくつか試作してみたのですが……」
その後、甚六に、試作品の銃身を使って鉄砲に仕上げ、何種類かの弾で試射して成果を報告するよう指示をして、私たちは国友村を後にしました。
「ふう、手元での装弾はまだ無理かの──せめて雷管の作り方を知っておったらな……」
「──小一郎殿、良かったのですか?」
「ん?」
「さっき甚六に渡した金子ですよ。あれ、小一郎殿が今動かせる金のほとんどじゃないですか。これじゃ、万が一の時──」
「まあ、試作品づくりにも金はかかりますからな。
それと、次に行くところで、かなり金を産みそうな手は打ってありますでの」
「は?」
次の訪問先は、隣村の酒蔵です。
最近、禁酒させられている身としては、この周囲に漂う香りの誘惑に負けてしまいそうで、実に辛いところです……。
小一郎殿が番頭に来訪を告げると、しばらくして主人らしき恰幅の良い男が、それこそ転げる様に飛び出してきました。
「おお、治左ヱ門殿、この間はどうも──」
「は、羽柴様! 何なんですかあれは! とんでもない大発見じゃないですか!」