005 小一郎殿の秘密 木下ねね
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近頃、義弟──小一郎殿の様子が変です。
「──半兵衛様、どう思われますか?」
「うーん、確かにかなり変ですねぇ」
藤吉郎殿と小一郎殿が、ようやく岐阜に戻られました。
お館様も、ここを好機とばかりに牙を剥いた南近江の六角の手をかいくぐり、小勢で岐阜まで無事に戻られたそうです。
藤吉郎殿は一度屋敷に顔を出すと、そのままお館様にご報告に向かうといって登城したきり、何日も帰って来ません。
まあ、それはいいのです、いつものことですし。
それより問題は小一郎殿です。
京に逃げ延びてからさらに敵地である北近江へ、休みなく移動するその最中も藤吉郎殿からの文は何通か届いておりました。
その文中に、小一郎殿についてのことが、かなりの文面を割いて書かれておりました。
曰く、
『小一郎が、剣豪もかくやという活躍で、我が隊の危機を何度も救ってくれた』
『お館様や重臣の方々の前でも、臆する事なく堂々と献策してのけたのだ』
『浅井との交渉でもなかなかの弁舌で、長政殿に涙を流させるほどの交渉術は見事だ』
『これからの木下家にとって、小一郎の各分野での別人の如き成長っぷりは、頼もしい限りである』
などなど。
──いや、大雑把にも程があるでしょう! 別人の如く、ではなく、明らかに別人ではありませんか!
今も、補充の新兵を調練している小一郎殿を、家中一の知恵者でもある竹中半兵衛様と物陰からこっそり見ているのですが……。
「──うーん、見た目は、どう見ても小一郎殿なんですけどねぇ」
「はい、私の目から見ても、顔かたちはどう見ても小一郎殿です。ただ、立ち姿が全く違いますよね。それに、何だか着物の着方も少しだらしなくなったような……」
「確かに、あの剣の振るい方を見ても、以前とは全く違いますね。
私はあの頃、朝倉の勢力下にある国人衆(小領主)の調略に掛かりきりで、金ケ崎の退き戦には加わっていなかったのですが、部下からの報告を見て目を疑いましたよ。
少なくとも、京にいた頃までの小一郎殿には、敵兵を何人も叩きのめすほどの腕前はなかったはずです。
それが、あの短期間にあれほど腕を上げるというのは、正直あり得ないですね」
「となるとやはり、他人の成りすまし、ということでしょうか?
──半兵衛様、私、どこかの間者ではないかと疑っているのですけど」
「それはないでしょう。──おね様、何だか少しこの事態を楽しんでません?」
半兵衛様は苦笑いです。あら、私、この説には少し自信があったのですけど……。
「成りすましなら、もう少し立ち居振る舞いをも似せようとするでしょうし、間者ならもっと目立たない立場の者として潜り込みますよ。
おね様、ここは一つ──」
「はい、直接、疑念をぶつけてみる他なさそうですね」
「──ああ、やはりお気づきでしたか……。やはり、義姉上と竹中半兵衛殿の目はごまかせませんの」
驚いたことに、小一郎殿は、私のぶつけた疑念の言葉をあっさりと認めたのです。
『小一郎殿──貴殿は、今までの小一郎殿ではありませんね?』
その言葉を聞いた時、小一郎殿の顔に浮かんだのは、あきらめと、どこかほっとしたような表情でした。
夕餉のあと、家人を排して私、半兵衛様の二人と向き合った小一郎殿には、焦った様子も、私たちを騙してやろうという気負いも感じられませんでした。
「お話しする前に、まず、これだけはお約束下さい。かなり荒唐無稽な話になりますが、わしは一切、嘘いつわりは申しません。その代わり、これから話すことは決して誰にも話さないとお約束下さい。特に、兄者には。
──下手をすると、お二方のお命にも係わりますゆえ」
半兵衛様と私は、顔を見合わせて大きく頷きました。
「では、お話し致します。わしは正真正銘、確かに木下小一郎です。
──じゃが、少し前から、わしの頭の中にもう一人、別の人物がいるのです」
「──は?」
「それは、いわゆる『狐憑き』ということですか? 聞いたことがあるのですが、ある日突然、別の人間が乗り移ったかのように……」
「いや、違います。
金ケ崎での戦の最中、敵兵の槍で額を叩かれて気が遠くなった時──。
わしの頭の中に、ふいにある男の──物心ついてから、叩かれた場所と同じところを斬られて死ぬまでの一生分の記憶が、鮮明に蘇ったのです」
「世に言う『生まれ変わり』というやつですか!?」
「そういうことなら、もう少し話は簡単なんですが──わしの中に入ってきた記憶の持ち主というのが、今から三百年ほど後の世に生きた者なんじゃ」
「──!?」
理解の範囲をはるかに超えた小一郎殿の言葉に、私も半兵衛様もしばし言葉を失いました。
「──『生まれ変わり』というのは、普通、その者が死んだ後に別の人間として改めて生まれる、というものですろ?
その男の場合、死んだ後に三百年の時を遡って、わしの心の中に入ってしまったのです。
……何でこうなったのかは皆目見当もつきませんが」
「なるほど。確かにこれは、他人に知られると命に係わる話ですねぇ」
私が、小一郎殿の話の内容を必死に理解しようとしている横で、半兵衛様は、さらにこの話が持つ意味にまで思いを巡らしていたようでした。
「半兵衛様、どういうことです?」
「つまりですね、小一郎殿は三百年先までの歴史を知っている──これから先、誰が戦で勝つのか、負けるときには何が原因だったのかが事前に全てわかっている、ということなのです。
このことが、例えば敵方に知られればどうなるか……」
「全て、というほど詳しい訳でもないんじゃがの」
──それでも、結果を事前に知っていれば、手を打って結果を覆すことは出来そうです。それならば──。
「で、では、半兵衛様、逆に自分たちに有利に事を運ぼうとすれば、その知識は使えるのではありませんか? 例えば、藤吉郎殿を出世させるために──」
「はあ──そこなんじゃがの、義姉上」
小一郎殿は、深く溜息をついて、私の言葉を遮りました。
「──わしの知っている歴史でも、兄者は確かに出世します。
日ノ本の歴史上類を見ないほどの、とんでもない大出世です。
しかし、あまりに出世しすぎた為に、世の中に不幸をまき散らせてしまう──。
わしは、兄者をあまり出世させすぎない方がいいんじゃないかと思うちょるんじゃ」
秀吉の妻の名に関しては『おね』『ねね』等、諸説あります。
色々調べて比較してみましたが、個人的には、本名が『ねね』で、『お松殿』『お市様』のように尊称をつける際に『おね』となる、という説が自分としては一番しっくりきたので、この小説ではそれを採用させていただきます。