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【本編完結!】戦国維新伝  ~日ノ本を今一度洗濯いたし申候  作者: 歌池 聡
第六章  次代を担う者たち

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049   軍鶏(しゃも)鍋と焼きおにぎり   浅井駒


「──うむ、そうだな。では、その子らが無事に生まれたら、祝儀としてわし自ら名を考えてやろう」


 お館様の笑顔での申し出に、何故か秀吉たちは複雑そうな表情を浮かべました。


「む? どうした、藤吉郎、嬉しくないのか?」

「あ、いや、とても名誉なことだとは思うのですが──お館様のお子への名付け方は、その、何と言いますか、いささか風変わりといいますか──独特でして」

「な、何だと!?」


 ああ、確かに少し変わっているかも。

『奇妙丸』だの『茶筅丸(ちゃせんまる)』だの──三七様も生まれた日付けから名付けられたとかいうことですし。

 三介殿も大きく何度も頷いてますね。


「ぐぬぬ、茶筅丸までもか──。

 くそ、こうなったら、意地でも皆が良いと思う名を考えてくれるわ! 藤吉郎、どちらがいい名を考えられるか、勝負だ! おねに判断してもらおうではないか!」

「あらあら、それは楽しみですこと」


 おね様もずいぶん楽しそうです。あ、でも──。


「あの、おね様、少しお疲れなのではないですか? お顔の色が……」

「ああ、そうですね。こんなに楽しい気分になったのは久しぶりだったのですけど、ほんの少し眠らせてもらおうかしら──」


 そう言って目をつぶられたかと思うと、おね様はたちまち小さな寝息を立て始められました。

 やはり、だいぶお疲れだったのですね。


「──では、わしらは引っ込むとするかの」


 小声で、秀吉と侍女たち以外の皆の退室を(うなが)されるお館様に、秀吉が神妙な面持ちで深く頭を下げました。


「お館様、此度のおねへの温かいお心遣い、誠にかたじけのう存じます。

 それと──小一郎、半兵衛殿、しばらく今浜の工事の方は任せて良いか?

 今は、できるだけおねの傍にいてやりたいのじゃ」

「無論じゃ。その方が義姉上も心強いじゃろ」

「そうしてあげて下さい」

「すまん、頼む。

 それと、そちらの侍女。そなたにも感謝しておる」


 ──あ、やっぱり私のことなど、もう覚えてもいないんですね。

 まあ、別にいいんだけど──ちょっと複雑。


 すると、秀吉は私にだけ聞こえるような小さな声で、少し笑ってこう(ささや)いたのです。


「せっかく拾った命、粗末にしておらんかったようで何よりじゃ。

 おねのために本気で怒ってくれたこと、まことに嬉しかったぞ、浅井駒殿」






「さて、さすがに腹が減ったのぅ。小一郎、何か食えるものはあるか?」

「すぐに用意させましょう。では、皆様、こちらへ」


 おね様の寝所から中広間に案内されると、中央の囲炉裏(いろり)に火がくべられ、程よい暖かさで満たされています。

 部屋に入った順に囲炉裏の周りに座っている時、突然、部屋の入口辺りで大きな音がしました。え、与右衛門──!?


「どうした、与右衛門殿!」


 あの侍女を誰かに預けてきたのか、最後に広間に入ってきた与右衛門が、いきなり床にうつ伏せに倒れ込んだのです。

 三介殿が慌てて駆け寄り、遅れて私も駆け寄ったのですが──。


「しっかりしろ、与右衛門殿!

 ……あ、あれ? これは──寝ている、のか?」


 呆れたことに、与右衛門はその場で床に突っ伏したまま、大いびきをかき始めたのです。


「──ああ、このまま寝かせておいてあげたら? 

 こいつ、おね様の部屋の前で不埒(ふらち)な噂話をする者がいると聞いて、毎日不寝番してたらしいのよ。『俺は、三介殿におね様のことを頼まれたのだ!』とか言っちゃって……。

 ろくに寝てなかったみたいだし、たぶん、藤吉郎様がお傍にいてさし上げるということになって、緊張の糸が切れちゃったのよ」


 今、気がついたんだけど──与右衛門って私のこと『イノシシ』呼ばわりするけど、こいつもたいがい『イノシシ』だわよね?


「ほほう、藤堂与右衛門、なかなかの忠義者よのぅ」


 私の肩越しに、お館様も覗き込んできます。──って、ああっ、またやっちゃった! お館様もいるのに、ついいつもの口調で──!


「も、申し訳ございません! 茶筅丸様に対してご無礼な口をきいてしまいまして──!」

「ああ、かまわん。その様に軽口を叩き合えるほど、こいつと親しくしてくれておるのだろう? 礼を言うぞ。 

 ──名は何と言ったかな?」

「駒と申します。竹中家の奥方、芳野様の侍女にございます」

「そうか。先程のおねのことや、茶筅丸のことなど、なかなかに面白いおなごだな」

「は、その──もったいなきお言葉」


 ──でいいのかしら、この場合!?






 食事の用意を待つあいだ、囲炉裏を囲んで、それぞれの立場からの事情の説明が交わされます。


「──え? 茶筅丸様がお館様をお迎えに行かれたのですか? 京までお一人で!?」

「一人で、ではないぞ。とちゅう、鎌刃(かまのは)城に寄って、ごえいの兵は数人貸してもらった。

 ご家老のひぐち殿も、京まで同行してくれたのだ」

「──あ、いや、それでもちょっと軽率だったんではないですか?」

「まあ、そう責めてやるな、小一郎。

 大恩あるおねが悪意ある噂でつらい思いをしている、何とかしてあげたいとの一心だったのだ」

「うむ、わしや与右衛門殿ではいくら考えてもいい手が思いつかなくてな。

 父上ならば何かいい知恵をお出しいただけるのでは、と思って行ってはみたんだが、まさか、二つ返事で飛び出して行かれるとは──追いかけるのが大変じゃった」

「息子が、わしの叱責も覚悟の上で、それほどの漢気を見せてくれたのだ。父としては応えてやらんわけにもいくまい」


 お館様が、嬉しそうに隣に座る三介殿の頭をぐりぐりと撫でます。


 ──ちょうどその時、女中の方々が大きな鍋を持って入って来ました。

 小一郎がそれを受け取り、囲炉裏の火にかけ直します。


「お館様、急のお越しでしたので、きちんとしたもてなしの膳など用意できません。

 今日のところは、羽柴流の食事でお許しいただけますか?」

「羽柴流──?」

「はい、男も女も、身分の上下も関係なく、そこに居合わせた皆で同じ鍋から飯を食うのです。

 これが羽柴の家風でして──義姉上は、昔からこのやり方が好きでしてなぁ。

 まあ、さすがに大名になってからはなかなか出来んのですが」

「面白い! 口うるさいお付きの者もまだ到着しとらんからな、今日くらいはいいだろう」


「では──羽柴家特製の『軍鶏(しゃも)鍋』です」


 小一郎がそういって蓋を開けると、なんともいえない良い香りが一気に立ち上りました。


「おおっ!」

「ああっ、何て美味しそうな香り!」


 それぞれの器に小一郎と女中たちが鍋の中身を取り分け、毒味代わりに小一郎が一口食べるのを待って、皆が一斉に箸をつけます。


 ──何これ、すっごく美味しいっ!


 ぶつ切りにされた軍鶏の骨付き肉と肉団子とささがきごぼう、セリ、それぞれから出た旨味が染み込んだ短冊切りの大根、どれも美味しくて、しゃきしゃきとした食感も心地よくて、もう箸が止まりません。

 ああっ、虎松にも食べさせてあげたい!


「久しぶりのしゃもなべじゃ、たまらんなぁ!」

「これこれ、これが食べたかったんですよねぇ」

「うむ、酒にも実に合うのぅ」

「ああ、この滋味あふれる肉の旨味と、野趣あふれる野菜との運命的な出会いの素晴らしさときたら──!」


 ──芳野様、はしたないから少し抑えて下さい。


 小一郎は、自分も控えめに食べながら、何だかにやにやしながら皆の食べっぷりを見ています。

 やがて、無心に食べておられたお館様が、ふと我に返ったかのように、器の汁を一口飲んで訊ねられました。


「小一郎、この味付けは何だ? 塩でもない、味噌のようでもあるが少し違う……」

「お気づきですか」


 小一郎がさらににんまりと笑みを浮かべて、徳利を取り出しました。

 あ、誰かがそう言い出すのを待ってたのね。


「この味付けに使った調味料こそ、わしが先ほど言っていた新しい産業のその一、『醤油(しょうゆ)』です」






「『しょうゆ』──?」


 小一郎が、火箸で囲炉裏の灰に『醤油』という字を書いてみせて、徳利(とっくり)から小皿に少量の赤褐色の液体を注ぎました。

 お館様がそれを指先にちょっとつけて、ぺろりとなめてみます。


「これは『()まり』か──?」

「似たようなものですが、少し違います。

『溜まり』は、味噌(みそ)を作った時にほんの少し上にしみ出したものですが、わしゃ味噌そのものよりあれが大好きでして。

『醤油』という名で売っていないこともないのですが、かなり高価でしてなぁ。

 何とか『醤油』を安価でたくさん作れないかと材料を工夫してみたんですが、大豆に炒った小麦を混ぜてみたところ、それはそれは凄いものが出来ましてな」


 そう言って、小一郎は部屋の外になにやら合図をします。すると、女中が大皿にたくさんのおにぎりを載せて持ってきました。おにぎりには、ひとつずつに長くて太い竹串が刺してあります。


「この鍋のように汁物の味付けにも良いのですが、何といっても醤油の凄さは焼いた時の香りです。──よろしいですかな?」


 小一郎が刷毛(はけ)でおにぎりの表面にさっと醤油を塗り、囲炉裏の火で(あぶ)り始めました。

 すると──!?


「うわっ、これは!?」

「な、何と──!?」

「ああ、この香りだけでも酒が進みそうですねぇ」


 す、凄い! 軍鶏鍋の香りももちろん良かったのですが、それをもはるかに凌駕する、それこそ暴力的なまでに食欲を直に刺激する、鮮烈な香ばしさ──!

 ずっといびきをかいていた与右衛門ですら、香りに釣られたのか、がばっと起き上がって来ました。


「──先日、兄者が子が出来た祝いにと、民に振る舞い酒をしましてな。

 その近くで試験的に、醤油を塗ったネギやナスや小魚を炙って売らせてみたら、この香りで人がどんどん集まり、そりゃあもう、飛ぶように売れました。

 織田家の新しい資金源に──お館様、出資なさいませんか?」

「するに決まっておろう! いいから早くそれを寄こせ!」


 お館様は小一郎から焼きおにぎりを奪い取ると、ほふほふ言いながら(かぶ)りつきました。


「──うむ、旨い! 特にこの少し焦げたところがたまらん!」

「さあさあ、皆も試して下され! おなご用に、少し小さめのものもあるでの。

 ああ、腹は少し空けといてくれんかの、この鍋の汁で最後に作る雑炊が、また絶品なんじゃ!」






「──ふう、まさに至福のひと時であったわ」


 溶き卵でとじて刻みネギを散らした雑炊まできれいに平らげ、お館様が満足げにお腹を撫ぜられました。


「たかが食事でこれほど心躍るとは。──無礼講でわいわいと騒がしく食べるのもなかなかに愉快だのぅ」

「まあ、お立場がお立場ですから、なかなかこうはいかんでしょうな。

 羽柴家も、昔は毎日こうだったんですが、家が大きくなってからはなかなか……。

 古くから仕えてくれとる者は、たいがい何度かはこうやって一緒に飯を食うたものですが、こちらで採用した者は元々浅井の民だったためか、どうも遠慮しがちで、少し距離を感じることも多いですな」

「ああ、家臣や奉公人が多くなると、どうしてもな。

 先ほどの侍女も、一度でもこうやって共に飯を食って語り合い、おねの人となりを知っておれば、あのような愚かなことはせんかっただろうにな……」


「──あの、父上、小一郎殿!」


 その時、三介殿がおもむろに口を開かれました。


「その、先ほどのお仙という侍女のあつかいですが──わしにお任せいただけませんか?」

「ほう? どういうことだ?」


 お館様が、少し楽しそうに聞き返されます。


「あのおなごも、母親の薬代にこまって、つい忍びの話にのってしまったとのこと。

 ある意味、『貧しさ』のせいでもあると思うのです。

 それに、きびしい仕置をしたり、仕事を失ってまた薬代にことかくようなことになってしまうのは、おね殿が望まぬのではないかと」


「しかし、おぬしの大事なおねに、あのようにひどいことをしたやつだぞ。腹は立たんのか?」

「──むろん、腹は立ちました。しかし『貧しさ』に負けてしまった上でのあやまちなのだとしたら──あの者もまた、まつりごとが救ってやらねばならない者ではないかと思うのです」


 試すようなお館様の問いに堂々と答える三介殿は、ずいぶん大人びてきたように見えます。

 私の時もそうだったけど──困っている人を放っておけない、本当に優しい子よね。

 きっと、民に慕われるいいお殿様になるんじゃないかしら。


「──で、茶筅丸様はどうされるおつもりですか?」

「わしが一度話をしてみて、ちゃんと反省の色が見られるようなら、代わりの働き口に心当たりがあります。

 治左ヱ門(じざえもん)殿の酒蔵の番頭が先日こぼしていたのですが、清酒の仕込みでいそがしくて、男手も女手もとにかく足りないと……。

 あそこならば、母親ともはなれずにすみますし、こちらの目も届きやすいかと思うのですが」

「なるほど、それは妙案ですな」

「うむ、良かろう、許す。

 さっさと片づけて、お産の前におねを安心させてやれ」

「はっ」


「──しかし、皆が匙を投げたあのうつけがのぅ。いっぱしの口を利くようになりおったわ」


 お館様が、実に感慨深げに嘆息されます。


「──うむ、良かろう。茶筅丸、こたびの褒美代わりだ。伊勢へ行くのは、おねの子の顔を見てからでかまわんぞ」

「えっ? よろしいのですか!?」

「どうせ、おねのことが気になって仕方がないのだろう? 数日以内には産まれそうだということだし、おねと子らの無事を確認してから出立すれば良い。

 ──ああ、それとな、小一郎。わしもそれまでは居させてもらうぞ」

「──は?」

「手紙公方(足利義昭)の悪政の後始末には、正直うんざりしとったのだ。骨休めも兼ねて、おねの子の顔を見るまでのんびりさせてもらうぞ」


 ──ひょっとして、二つ返事で飛び出してきたのって、こっちが本当の理由なの?


「それに、『新しい産業その一』と言ったからには、その二、その三もあるのだろう? 勿体ぶらずに見せてみよ」


 お館様のお言葉に、小一郎が苦笑いで頷きました。


「それと、食事には必ずあの握り飯をひとつつけるようにな」


 お館様、どうやらかなりお気に召したようですね。



一度やってみたかった飯テロな話w


鶏肉とごぼうは定番の組み合わせですよね。

軍鶏はあまり食べたことがないのですが、やはり龍馬と言えば軍鶏鍋かなぁとw

(龍馬ファンにはわかっていただけますよね?)


美味しそうだと思っていただければ幸いです。

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― 新着の感想 ―
駒さんの名前をきちんと憶えていた秀吉殿、こういうところが人たらしたる所以なのでしょうね。 まさか覚えているとは思っていなかった相手から、覚えているよ、と名前を言われるのって嬉しいでしょうし。 駒さん的…
[良い点] 龍馬といえば軍鶏鍋! 鶏肉とごぼうのつみれは美味しいですよね~。 [一言] 本当に信長はろくな名前を付けない。 実用的であると言えば良いけど、キラキラネームっぽい(失礼!)。
2023/04/08 16:29 退会済み
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