049 軍鶏(しゃも)鍋と焼きおにぎり 浅井駒
「──うむ、そうだな。では、その子らが無事に生まれたら、祝儀としてわし自ら名を考えてやろう」
お館様の笑顔での申し出に、何故か秀吉たちは複雑そうな表情を浮かべました。
「む? どうした、藤吉郎、嬉しくないのか?」
「あ、いや、とても名誉なことだとは思うのですが──お館様のお子への名付け方は、その、何と言いますか、いささか風変わりといいますか──独特でして」
「な、何だと!?」
ああ、確かに少し変わっているかも。
『奇妙丸』だの『茶筅丸』だの──三七様も生まれた日付けから名付けられたとかいうことですし。
三介殿も大きく何度も頷いてますね。
「ぐぬぬ、茶筅丸までもか──。
くそ、こうなったら、意地でも皆が良いと思う名を考えてくれるわ! 藤吉郎、どちらがいい名を考えられるか、勝負だ! おねに判断してもらおうではないか!」
「あらあら、それは楽しみですこと」
おね様もずいぶん楽しそうです。あ、でも──。
「あの、おね様、少しお疲れなのではないですか? お顔の色が……」
「ああ、そうですね。こんなに楽しい気分になったのは久しぶりだったのですけど、ほんの少し眠らせてもらおうかしら──」
そう言って目をつぶられたかと思うと、おね様はたちまち小さな寝息を立て始められました。
やはり、だいぶお疲れだったのですね。
「──では、わしらは引っ込むとするかの」
小声で、秀吉と侍女たち以外の皆の退室を促されるお館様に、秀吉が神妙な面持ちで深く頭を下げました。
「お館様、此度のおねへの温かいお心遣い、誠にかたじけのう存じます。
それと──小一郎、半兵衛殿、しばらく今浜の工事の方は任せて良いか?
今は、できるだけおねの傍にいてやりたいのじゃ」
「無論じゃ。その方が義姉上も心強いじゃろ」
「そうしてあげて下さい」
「すまん、頼む。
それと、そちらの侍女。そなたにも感謝しておる」
──あ、やっぱり私のことなど、もう覚えてもいないんですね。
まあ、別にいいんだけど──ちょっと複雑。
すると、秀吉は私にだけ聞こえるような小さな声で、少し笑ってこう囁いたのです。
「せっかく拾った命、粗末にしておらんかったようで何よりじゃ。
おねのために本気で怒ってくれたこと、まことに嬉しかったぞ、浅井駒殿」
「さて、さすがに腹が減ったのぅ。小一郎、何か食えるものはあるか?」
「すぐに用意させましょう。では、皆様、こちらへ」
おね様の寝所から中広間に案内されると、中央の囲炉裏に火がくべられ、程よい暖かさで満たされています。
部屋に入った順に囲炉裏の周りに座っている時、突然、部屋の入口辺りで大きな音がしました。え、与右衛門──!?
「どうした、与右衛門殿!」
あの侍女を誰かに預けてきたのか、最後に広間に入ってきた与右衛門が、いきなり床にうつ伏せに倒れ込んだのです。
三介殿が慌てて駆け寄り、遅れて私も駆け寄ったのですが──。
「しっかりしろ、与右衛門殿!
……あ、あれ? これは──寝ている、のか?」
呆れたことに、与右衛門はその場で床に突っ伏したまま、大いびきをかき始めたのです。
「──ああ、このまま寝かせておいてあげたら?
こいつ、おね様の部屋の前で不埒な噂話をする者がいると聞いて、毎日不寝番してたらしいのよ。『俺は、三介殿におね様のことを頼まれたのだ!』とか言っちゃって……。
ろくに寝てなかったみたいだし、たぶん、藤吉郎様がお傍にいてさし上げるということになって、緊張の糸が切れちゃったのよ」
今、気がついたんだけど──与右衛門って私のこと『イノシシ』呼ばわりするけど、こいつもたいがい『イノシシ』だわよね?
「ほほう、藤堂与右衛門、なかなかの忠義者よのぅ」
私の肩越しに、お館様も覗き込んできます。──って、ああっ、またやっちゃった! お館様もいるのに、ついいつもの口調で──!
「も、申し訳ございません! 茶筅丸様に対してご無礼な口をきいてしまいまして──!」
「ああ、かまわん。その様に軽口を叩き合えるほど、こいつと親しくしてくれておるのだろう? 礼を言うぞ。
──名は何と言ったかな?」
「駒と申します。竹中家の奥方、芳野様の侍女にございます」
「そうか。先程のおねのことや、茶筅丸のことなど、なかなかに面白いおなごだな」
「は、その──もったいなきお言葉」
──でいいのかしら、この場合!?
食事の用意を待つあいだ、囲炉裏を囲んで、それぞれの立場からの事情の説明が交わされます。
「──え? 茶筅丸様がお館様をお迎えに行かれたのですか? 京までお一人で!?」
「一人で、ではないぞ。とちゅう、鎌刃城に寄って、ごえいの兵は数人貸してもらった。
ご家老のひぐち殿も、京まで同行してくれたのだ」
「──あ、いや、それでもちょっと軽率だったんではないですか?」
「まあ、そう責めてやるな、小一郎。
大恩あるおねが悪意ある噂でつらい思いをしている、何とかしてあげたいとの一心だったのだ」
「うむ、わしや与右衛門殿ではいくら考えてもいい手が思いつかなくてな。
父上ならば何かいい知恵をお出しいただけるのでは、と思って行ってはみたんだが、まさか、二つ返事で飛び出して行かれるとは──追いかけるのが大変じゃった」
「息子が、わしの叱責も覚悟の上で、それほどの漢気を見せてくれたのだ。父としては応えてやらんわけにもいくまい」
お館様が、嬉しそうに隣に座る三介殿の頭をぐりぐりと撫でます。
──ちょうどその時、女中の方々が大きな鍋を持って入って来ました。
小一郎がそれを受け取り、囲炉裏の火にかけ直します。
「お館様、急のお越しでしたので、きちんとしたもてなしの膳など用意できません。
今日のところは、羽柴流の食事でお許しいただけますか?」
「羽柴流──?」
「はい、男も女も、身分の上下も関係なく、そこに居合わせた皆で同じ鍋から飯を食うのです。
これが羽柴の家風でして──義姉上は、昔からこのやり方が好きでしてなぁ。
まあ、さすがに大名になってからはなかなか出来んのですが」
「面白い! 口うるさいお付きの者もまだ到着しとらんからな、今日くらいはいいだろう」
「では──羽柴家特製の『軍鶏鍋』です」
小一郎がそういって蓋を開けると、なんともいえない良い香りが一気に立ち上りました。
「おおっ!」
「ああっ、何て美味しそうな香り!」
それぞれの器に小一郎と女中たちが鍋の中身を取り分け、毒味代わりに小一郎が一口食べるのを待って、皆が一斉に箸をつけます。
──何これ、すっごく美味しいっ!
ぶつ切りにされた軍鶏の骨付き肉と肉団子とささがきごぼう、セリ、それぞれから出た旨味が染み込んだ短冊切りの大根、どれも美味しくて、しゃきしゃきとした食感も心地よくて、もう箸が止まりません。
ああっ、虎松にも食べさせてあげたい!
「久しぶりのしゃもなべじゃ、たまらんなぁ!」
「これこれ、これが食べたかったんですよねぇ」
「うむ、酒にも実に合うのぅ」
「ああ、この滋味あふれる肉の旨味と、野趣あふれる野菜との運命的な出会いの素晴らしさときたら──!」
──芳野様、はしたないから少し抑えて下さい。
小一郎は、自分も控えめに食べながら、何だかにやにやしながら皆の食べっぷりを見ています。
やがて、無心に食べておられたお館様が、ふと我に返ったかのように、器の汁を一口飲んで訊ねられました。
「小一郎、この味付けは何だ? 塩でもない、味噌のようでもあるが少し違う……」
「お気づきですか」
小一郎がさらににんまりと笑みを浮かべて、徳利を取り出しました。
あ、誰かがそう言い出すのを待ってたのね。
「この味付けに使った調味料こそ、わしが先ほど言っていた新しい産業のその一、『醤油』です」
「『しょうゆ』──?」
小一郎が、火箸で囲炉裏の灰に『醤油』という字を書いてみせて、徳利から小皿に少量の赤褐色の液体を注ぎました。
お館様がそれを指先にちょっとつけて、ぺろりとなめてみます。
「これは『溜まり』か──?」
「似たようなものですが、少し違います。
『溜まり』は、味噌を作った時にほんの少し上にしみ出したものですが、わしゃ味噌そのものよりあれが大好きでして。
『醤油』という名で売っていないこともないのですが、かなり高価でしてなぁ。
何とか『醤油』を安価でたくさん作れないかと材料を工夫してみたんですが、大豆に炒った小麦を混ぜてみたところ、それはそれは凄いものが出来ましてな」
そう言って、小一郎は部屋の外になにやら合図をします。すると、女中が大皿にたくさんのおにぎりを載せて持ってきました。おにぎりには、ひとつずつに長くて太い竹串が刺してあります。
「この鍋のように汁物の味付けにも良いのですが、何といっても醤油の凄さは焼いた時の香りです。──よろしいですかな?」
小一郎が刷毛でおにぎりの表面にさっと醤油を塗り、囲炉裏の火で炙り始めました。
すると──!?
「うわっ、これは!?」
「な、何と──!?」
「ああ、この香りだけでも酒が進みそうですねぇ」
す、凄い! 軍鶏鍋の香りももちろん良かったのですが、それをもはるかに凌駕する、それこそ暴力的なまでに食欲を直に刺激する、鮮烈な香ばしさ──!
ずっといびきをかいていた与右衛門ですら、香りに釣られたのか、がばっと起き上がって来ました。
「──先日、兄者が子が出来た祝いにと、民に振る舞い酒をしましてな。
その近くで試験的に、醤油を塗ったネギやナスや小魚を炙って売らせてみたら、この香りで人がどんどん集まり、そりゃあもう、飛ぶように売れました。
織田家の新しい資金源に──お館様、出資なさいませんか?」
「するに決まっておろう! いいから早くそれを寄こせ!」
お館様は小一郎から焼きおにぎりを奪い取ると、ほふほふ言いながら齧りつきました。
「──うむ、旨い! 特にこの少し焦げたところがたまらん!」
「さあさあ、皆も試して下され! おなご用に、少し小さめのものもあるでの。
ああ、腹は少し空けといてくれんかの、この鍋の汁で最後に作る雑炊が、また絶品なんじゃ!」
「──ふう、まさに至福のひと時であったわ」
溶き卵でとじて刻みネギを散らした雑炊まできれいに平らげ、お館様が満足げにお腹を撫ぜられました。
「たかが食事でこれほど心躍るとは。──無礼講でわいわいと騒がしく食べるのもなかなかに愉快だのぅ」
「まあ、お立場がお立場ですから、なかなかこうはいかんでしょうな。
羽柴家も、昔は毎日こうだったんですが、家が大きくなってからはなかなか……。
古くから仕えてくれとる者は、たいがい何度かはこうやって一緒に飯を食うたものですが、こちらで採用した者は元々浅井の民だったためか、どうも遠慮しがちで、少し距離を感じることも多いですな」
「ああ、家臣や奉公人が多くなると、どうしてもな。
先ほどの侍女も、一度でもこうやって共に飯を食って語り合い、おねの人となりを知っておれば、あのような愚かなことはせんかっただろうにな……」
「──あの、父上、小一郎殿!」
その時、三介殿がおもむろに口を開かれました。
「その、先ほどのお仙という侍女のあつかいですが──わしにお任せいただけませんか?」
「ほう? どういうことだ?」
お館様が、少し楽しそうに聞き返されます。
「あのおなごも、母親の薬代にこまって、つい忍びの話にのってしまったとのこと。
ある意味、『貧しさ』のせいでもあると思うのです。
それに、きびしい仕置をしたり、仕事を失ってまた薬代にことかくようなことになってしまうのは、おね殿が望まぬのではないかと」
「しかし、おぬしの大事なおねに、あのようにひどいことをしたやつだぞ。腹は立たんのか?」
「──むろん、腹は立ちました。しかし『貧しさ』に負けてしまった上でのあやまちなのだとしたら──あの者もまた、まつりごとが救ってやらねばならない者ではないかと思うのです」
試すようなお館様の問いに堂々と答える三介殿は、ずいぶん大人びてきたように見えます。
私の時もそうだったけど──困っている人を放っておけない、本当に優しい子よね。
きっと、民に慕われるいいお殿様になるんじゃないかしら。
「──で、茶筅丸様はどうされるおつもりですか?」
「わしが一度話をしてみて、ちゃんと反省の色が見られるようなら、代わりの働き口に心当たりがあります。
治左ヱ門殿の酒蔵の番頭が先日こぼしていたのですが、清酒の仕込みでいそがしくて、男手も女手もとにかく足りないと……。
あそこならば、母親ともはなれずにすみますし、こちらの目も届きやすいかと思うのですが」
「なるほど、それは妙案ですな」
「うむ、良かろう、許す。
さっさと片づけて、お産の前におねを安心させてやれ」
「はっ」
「──しかし、皆が匙を投げたあのうつけがのぅ。いっぱしの口を利くようになりおったわ」
お館様が、実に感慨深げに嘆息されます。
「──うむ、良かろう。茶筅丸、こたびの褒美代わりだ。伊勢へ行くのは、おねの子の顔を見てからでかまわんぞ」
「えっ? よろしいのですか!?」
「どうせ、おねのことが気になって仕方がないのだろう? 数日以内には産まれそうだということだし、おねと子らの無事を確認してから出立すれば良い。
──ああ、それとな、小一郎。わしもそれまでは居させてもらうぞ」
「──は?」
「手紙公方(足利義昭)の悪政の後始末には、正直うんざりしとったのだ。骨休めも兼ねて、おねの子の顔を見るまでのんびりさせてもらうぞ」
──ひょっとして、二つ返事で飛び出してきたのって、こっちが本当の理由なの?
「それに、『新しい産業その一』と言ったからには、その二、その三もあるのだろう? 勿体ぶらずに見せてみよ」
お館様のお言葉に、小一郎が苦笑いで頷きました。
「それと、食事には必ずあの握り飯をひとつつけるようにな」
お館様、どうやらかなりお気に召したようですね。
一度やってみたかった飯テロな話w
鶏肉とごぼうは定番の組み合わせですよね。
軍鶏はあまり食べたことがないのですが、やはり龍馬と言えば軍鶏鍋かなぁとw
(龍馬ファンにはわかっていただけますよね?)
美味しそうだと思っていただければ幸いです。




