046 凶兆 藤堂与右衛門高虎
※ ご注意 ※
今回の話の中で、いささか侮蔑的な表現があります。
これは、この当時の一般的な価値観によるもので、筆者に差別や差別助長の意図は一切ありません。
その点、ご理解の上、ご容赦下さい。
──天敵が来てしまった。
その日も俺と三介殿は、今浜での一日の仕事を終えて夕焼けの下、あてもなく馬の歩みにまかせてぶらぶらと時間を潰していた。
どちらも口には出さないが、何となく、今の羽柴屋敷には帰る気になれなかったのだ。
「はぁ──どうしたもんかなぁ、与右衛門殿」
「どうしたもんですかねぇ、三介殿」
「──ふぅ」
「──はぁ……」
夏の終わりを告げるヒグラシのもの哀しい声をどこか遠くに聞きながら、そんなやり取りをどれくらい繰り返しただろう。
お互い、相手から答えが得られるとも思っていない、無意味な問答を繰り返していると──。
ふいに、後ろの方から何だか聞き覚えのある──少し癇に障る声が飛んできた。
「ちょっと、あんたたち! さっきから人が声を掛けてるのに、何を二人で無視してしょぼくれてんのよ!」
少し離れたところから近づいて来る騎馬の旅人のひと群れ──そこに、俺の天敵がいたのだ。
「げっ──駒殿!?」
「お久しぶりですね、お二方とも」
──よかった。今日の芳野殿はいたって普通だ。傍に半兵衛殿がいないからな。
「ご無沙汰しております、芳野殿。近々、今浜の屋敷に引っ越して来られるとは聞いてましたが、今日でしたか。
──竹中家の皆様もご無沙汰しております。護衛のお役目、ご苦労様です」
竹中家からの護衛の方たちは、菩提山で顔見知りになった方ばかりだ。皆、気さくに挨拶を返してくれる。
「──あら、三介殿、しばらく見ない間に少し背が伸びました?」
「うむ! 駒殿、虎松は元気にしておるか?」
「はい、元気にしてますよ! というか、私が近江に行って離れ離れになるというのに、けろっとしていて──姉としては少し複雑ですね」
駒殿と三介殿はずいぶん楽しそうだ。
──最近、三介殿が笑顔をみせることはほとんどなかったからな。その点は少しばかりありがたい。
「ところで、お二方とも随分と浮かないお顔をされていたようですが──何かお困りなのですか?」
「あ、いえ、それはその……」
芳野殿の問いにどう答えて良いか躊躇っているところに、駒殿が能天気な声で、今一番訊かれたくないことをずけずけと訊いてくる。
「あ、そう言えば聞いたわよ、与右衛門! おね様に子供が出来たのですって? おめでたいことじゃないの! で、産まれるのはいつごろなの?」
──はぁ、少しは空気を読んで察してくれんものかな、イノシシ娘。
「いや、それなんだがな、駒殿。実は──」
「三介殿っ!! 往来でおいそれと口にするような話ではないですぞ!!」
──あ、いかん、つい苛立ちが声に現れてしまった。
せっかく明るくなりかけていた三介殿の顔がまた曇ってしまう。くそ、いったい何をやっているんだ俺は。
「──大変失礼いたしました。
ここではいささか話しにくいことなので、その話は今浜の半兵衛殿のお屋敷に着いてから、にさせていただけませんか?」
今浜城下の新築の竹中屋敷で、お二人に詳しい事情を話す。
半兵衛殿が帰宅する前でよかった。ここに半兵衛殿がいたら、芳野殿の暴走でどれだけ時間を取られるかわからんからな。
「──えっ──!?
おね様のお腹のお子は──双子なのですか!?」
「はい、あまりにお腹が大きくなっておられるので、医師に診ていただいたところ、どうやら間違いなさそうなのです」
「──」
芳野様と駒殿が、青ざめた顔を見合わせて絶句している。
──まあ、これが普通の反応だよな。双子と聞いて暗い反応を見せなかったのは、せいぜい三介殿くらいのものだ。
三介殿も始めのうちは『一度に二人生まれるとは、二倍おめでたい話ではないか!』などと無邪気に口にしていたのだが、周りの重苦しい反応にどうやら手放しで喜べる話ではないと気づいて、次第に口を閉ざすようになってしまった。
まあ、三介殿はいささか特殊なお立場なので、知らなくても無理はないのだが──『双子は凶兆』『双子は縁起が悪い、不吉だ』というのは、ごく当たり前にほとんどの者が信じていることなのだ。
診立てた医師も、たいそう気の毒そうな声で双子であることを告げてきたし、それを聞いた御大将ですら、
『子は諦めた方がいいのかのぅ……?』
と思わず口にしてしまったくらいで──。
それを聞いたおね様が落ち込んでしまい、小一郎様が声を荒げて御大将を叱りつけるような場面もあったのだ。
「──小一郎様や半兵衛殿は、『そんなのは根も葉もないただの迷信だ』と明るく笑い飛ばしてはおられるのですが、なかなか皆にそう思わせるのは難しいようでして……」
やはり、人が長年信じ込んでしまっているものは、そう易々とは覆らせられない。
表立って口にするものはいなくなったが、家臣や侍女、女中たちの間での密かな会話までをも押さえつけることは難しい。
『忌み子』だの『不吉な子』だの──。
中には、口にするのもおぞましい言葉──『畜生腹』などという下品極まりない言葉を口にするものまでいるのだ。
それを耳にした上司や侍女頭がその者をきつく叱りつけ、あるいはそんな会話を交わしている者のことを上司に密告するものもいて──。
いつしか、羽柴屋敷の中は、ぎすぎすとした嫌な空気で満ち溢れてしまったのだ。
あの、おね様のお人柄そのものを映したかのような、お気楽でおおらかで、にぎやかだった羽柴屋敷が──。
さすがに、おね様に直接そんなひどい言葉を言う者がいるはずもないが、やはりそんな雰囲気を察してか、おね様も塞ぎ込むことが増えて来た。
おまけに、御大将が小谷に帰って来なくなった。
おね様の前であのような言葉を口にしてしまい、顔を合わせづらくなってしまったのだろう。
必要以上に大量の仕事を抱え込み、ずっと今浜の現場近くで寝泊まりして仕事漬けの毎日だ。──珍しく、女遊びも完全に断っているらしいのだが。
そんなこともあってか、このところおね様はお気分だけでなく、それにつられて体調まで優れない日が多くなっているのだ。
「ふう。──で?」
俺の話をしばらく黙って聞いていた駒殿が、ようやく口を開いた。
「与右衛門や三介殿は、何であんなところでしょぼくれていたわけ?」
「いや、だから、そういう陰険な空気のところに帰る気にはならなくて、だな。
かといって、俺たちではどうやったら皆を納得させられるのかもわからんし──」
「──馬鹿じゃないの、あんたたち!?」
「──!?」
駒殿に、頭ごなしに怒鳴られてしまった。
「あんたたちまで、そんな空気に同調してどうするのよ!
与右衛門みたいな朴念仁に、皆を説得できるなんて思っちゃいないわよ!
でも、普段通りに振舞うことぐらいはできるでしょ!?
おね様に近しいあんた達まで、そんな奴らに流されてどうするのよ!
たった一人でそんな空気の中にいるおね様の身にもなってみなさいっ!」
──くそっ、悔しいが駒殿の言うとおりだ。
俺や三介殿までもが屋敷に帰りたがっていないと知れば、おね様はきっと気に病む。きっとご自分を責めてしまわれるだろう。
なのに俺ときたら、自分たちの気持ちのことしか考えないで──何でそんなことにすら思い至らなかったんだ!? 馬鹿か俺は!
「解決策なんて小難しいことは、小一郎か半兵衛様に考えさせればいいのよ!
人には向き不向きってものがあるんだから。
あんたたちには、他にも出来ることがあるでしょ!?」
──俺に出来ること、か。
俺が今やらなければならないこと──それは周りの者をどうこうすることじゃない。
そんなことよりもまず、おね様のお気持ちを、願いを一番に考えることだ。
おね様が、今もっとも願っていることは──それはやはり『お子達が無事に生まれてくること』だろう。
あ、そうか、それでいいのか。
俺たちも同じ思いなんだと、ただ純粋にお子達の無事な誕生を待ち望んでいるのだと、おね様にお伝えするだけでも良かったのだ。
おね様は決して一人ではない、俺たちは、少なくとも俺たちだけは、おね様と全く同じ気持ちだとわかっていただくだけでも──今はそれだけでもいい。
それ以上は、正直俺の手に余る。不器用な俺が無理に頭を働かせようとするより、今は自分に出来ることを愚直に──。
「──わしに出来ること、か」
その時、俺の隣でふいに三介殿が呟かれた。
「わしに出来ること──いや、わしにしか出来んこと──よし」
何かを思い立ったようにすっくと立ち上がられる。
「与右衛門殿、すまんが何日か留守にする。うまいことごまかしておいてくれ」
「え、三介殿!? 明日か明後日には伊勢からお迎えの方々が来られるのですぞ、一体何を──!?」
「京に行く。──父上のお力を借りに行く!」
「お館様の──!? あ、いや、お待ちください、三介殿!」
ずんずんと歩き始めた三介殿の言葉に、詳しく事情をご存じでない芳野殿は、いささか混乱しておられるようだ。
「え? 三介殿の父上──お館様!? え? えええ!?」
すまん、駒殿、芳野殿へのその辺の説明は任せた!
「お待ち下さい、三介殿! それではお館様の命に背くことになってしまいますぞ! それに、護衛もつけずに京へ行かれるなど──!」
「おしかりはわしが受ける! 時がおしい! 大恩ある伯母上の一大事、わしが今お役に立てずに何とするのじゃ!
半兵衛殿や小一郎殿の知恵をもってしても手にあまること──ならば、最も力のある父上を頼る他あるまい!
それで解決できるかどうかはわからんが、こんなことを父上にお願いできるのはわししかおらん!」
その毅然としたまなざしに、俺は、三介殿がもう覚悟を決めてしまったのだと理解した。ならば──。
「わかりました、三介殿、こちらはお任せください。
ですが、せめて途中の鎌刃城に立ち寄り、ご家老の樋口三郎左衛門殿にお会い下され。
それがしの紹介と言えば、護衛の兵くらいは付けてくれましょう」
「鎌刃城のひぐち殿だな、あいわかった! ──くれぐれも伯母上とお子達の事をたのむぞ、『兄上』!」
そう言って颯爽と馬に飛び乗り、鉄砲玉のように飛び出して行かれた三介殿の、俺にかけて下さった揺るぎなき信頼の証、『兄上』という言葉を聞いた時──。
俺もまた、覚悟を決めた。
三介殿のためにも、おね様のためにも、たとえ家中全てを敵に回してでも、おね様とお子たちとを悪意ある噂から守り切る盾になるのだと。




