031 身辺警護 竹中半兵衛重治
「さて、治部左衛門、おんしらに頼みたい内容なんじゃが──」
「ああ、その前に、少しよろしいですか?」
小一郎殿が仕事の話を始めようとした矢先に、治部左衛門殿がそれを遮りました。
「──正直申せば、御隠居様を死に追いやった小一郎様の依頼を受けるのは、あまり気が進みませんでした。しかし、部下たちを食わせていかねばなりませんからな。
どうせ、舌先三寸で丸め込んで安い金でこき使うつもりなのだろう、その手には乗らない、部下たちのためにも出来得る限り吹っ掛けてやろうと、そうも思っていたのです。
それが、まさかこれほどの待遇でわしらを召し抱えようなどとは──まったくの予想外でしたな。
しかし、いささか解せんのですが──わしらの忍びとしての実力などご存じないでしょう? それなのに、ここまでの好待遇を提示されるというのは、どうにも──」
「ああ、おんしが岐阜城に忍び込めたという時点で、その実力にはおおよそ察しは付いたぞ」
ああ、やはり同じところに気付いていたのですね。
「それにの、おんしは何だか面白い。おんしと仕事をするのは面白そうじゃと、そう思った。まあ、ただの勘なんじゃがな」
「面白い? ──それがしが、ですか?」
「おんし、今は長政殿の依頼で動いとるわけではないんじゃろ? なら、何で昨日、岐阜城に侵入しとったんじゃ?」
「──はて? 言われてみれば、確かに──何故なんでしょうな?」
何か、自分のことなのに首を捻ってますけど。
「おおかた、仕事の話がありそうだと予感があったのか、何が起こるか見てみたかったか、そのどちらか──いや、そのどちらも、じゃろ?」
「ああ、まあ、そんなところでしょうか」
「その程度のあやふやな理由で、あんな警備の厳重そうなところに忍び込むとは──ずいぶんと酔狂な男だと思ったんじゃ」
「そんな理由で? ──小一郎様も、またずいぶんと酔狂なお方ですなぁ……。
竹中殿も気苦労が絶えんでしょう、その心中、お察しいたします」
何か、かなり憐憫の籠った目で目礼してくれます。
うん、まあ、悪い男ではなさそうですね。
「──さて、それがしごときに思いもよらぬ好待遇、小一郎様のご厚意、誠に有難く存じます。
そこで仕事の話の前に、まずはそれがしの忠義の証を立てさせて下され」
「忠義の証──?」
「はい。実はそれがし──小一郎様の最大の秘密に気付いております」
「何じゃと!?」
い、一体どうして──!?
「先日、こちらの屋敷に忍び込みまして、盗み聞いたお二人の会話から推察致しました」
「忍び込んだ? ──まさか、命でも狙いに来たんか?」
「いえ、それも単なる好奇心からですよ」
そうあっけらかんと言って、治部左衛門殿は相好を崩しました。
「実は、浅井玄蕃允殿は妻のいとこでしてな、御隠居様以外でただ一人、わしと親しくしてくれたお方でした。
玄蕃殿が亡くなった後の駒殿と虎松殿の暮らしぶりも、ときおり窺ってはおったのです。
まあ、それがしの気づかぬところで、六角に余計な事を吹き込まれてしまいましたが──。
その駒殿の罪を許すどころか、生活の面倒まで見て、あまつさえ嫁にしようという、とんでもないお人好しとはどんなご仁か、よく知りたいと思っただけです」
「参ったのう──お駒はおんしのことを知っちょるんか?」
「いえ、名前ぐらいは玄蕃殿より聞いたことがあるかもしれませんが」
「──あ、そうか、ちとまずいか。浅井の旧臣には、おんしが忍びだということを知る者がおるかもしれんな」
「顔は覚えられていないかと思いますが──ではこの際、旧姓の『日比』に戻しましょうかね。妻も二年前に亡くしてますし、新しい生き方とやらを始めるいい機会です」
「そうか──。ところで『忠義の証』とやらはどういうことなんじゃ?」
「竹中半兵衛殿、おわかりになりますかな?」
おや、私を試すおつもりですか?
「そうですね、仮に私が治部左衛門殿の立場だったなら、小一郎殿の秘密を知っているということは絶対に言いませんね。万一、小一郎殿と敵対することがあれば、それは最大の切り札になりますから。
いざという時まで隠しておくべき切り札を自ら見せることで、一番効果的な使い方を放棄した。つまり使う気がない、ふたごころがないことの何よりの証ですね」
「──ご明察」
そう言って、治部左衛門殿は初めて私に笑顔を向けました。
「何かややこしいが──まあ、ええか。よく考えたら、忍びに隠し事をし続けるっちゅうのも面倒だし、の」
小一郎殿はずいぶんのん気なことを言ってますが……。
「あの、治部左衛門殿、おわかりかとは思いますが、そのことについては他言無用で──」
「ああ、喋りませんよ。そもそもあまり興味がありませんので」
「え?」
「それがしの知る歴史と、また別の違った歴史があったかもと知ったところで、取り換えることが出来る訳でもなし。
それがしには、自分の目に映る日々を精一杯生きることしか出来ませんので」
──なるほど、それはそれで一つの真理なのかも知れませんね。
「まあ、それでも、小一郎様が知っている未来の技術などには興味はありますがね」
「おお、そうじゃ、それじゃ!
さっき、里に鍛冶や木工をやっとる者がおると言ってたな? その者たちに、わしの考えるものの試作などを頼みたいんじゃが」
「なるほど、我らの里で作るなら、機密保持も問題ありませんな。
腕もそう悪くはないと思います」
「よし、では次に身辺警護の件じゃな。わしと半兵衛殿は一緒におることが多いから一人でいいとして、後は義姉上と、兄者と、母上と──」
指折り数え始めた小一郎殿を治部左衛門殿が止めます。
「いや、藤吉郎様に手の者をつけるのはやめた方がいいでしょう。織田の重臣方には、信長様の忍びが警護・監視役で時折付きます。それがしならともかく、配下の者では鉢合わせするのはまずい」
「わかった。──なら、後は三介殿じゃな。それと、国友村のあたりにも二・三人欲しい。あと、菩提山城にも腕の立つおなごを潜り込ませてほしい」
「菩提山──駒殿ですな?」
「ああ、それと芳野殿も一緒に、じゃ」
「芳野もですか? いや、でもその必要は──」
「あるぞ、半兵衛殿。
考えてみぃ、無明殿が敵に回った時、お駒と芳野殿はわしらの最大の弱みになるんじゃ」
「あ……」
「──失敬、その『無明殿』というのは──?」
治部左衛門殿が訊ねてきます。そういえば説明がまだでしたね。
「『無明殿』というのは、私たちの──仮想敵とでもいいましょうか。
どうも、織田家の重臣の中に、もうひとり、小一郎殿同様に未来の記憶を持つ者がいるようなのです」
「ほう──」
「それをほのめかすようなこともしてきましたが、実は誰なのかもまだわかりません。敵なのか味方なのかもまだ判断しかねているのです」
「その者の正体を探るという任務は──?」
「──いや、やめとこう。あまりに危険じゃ。
わしと同じ程度の未来の鉄砲の知識はあるようじゃが、もしかしたらわしよりずっと先の未来までの知識を持っとるかもしれん。
そうなると、どんな危険があるのかすら予想も出来ん。それは無し、じゃ」
「承知しました」
「──まあ、そういう訳でまずは身辺警護、それもわしら以外の、特に国友村とおなごへの人員配置を最優先でやってもらえるかの?」
「承知しました。──ああ、そういえば」
治部左衛門殿が、ふと笑いを堪えるような顔を見せました。
「菩提山に侍女として潜り込ませるのに、うってつけの『くのいち』がおります。
見た目はか弱い、地味な娘なのですが、なかなかの凄腕でして。
里では『イノシシ退治の名人』などと呼ばれておりましてなぁ──くくく……」
──ついに笑いを堪えきれませんでしたね──あっ……!?
「おいおい、参ったの、どこまで知っちょるんじゃ……」
「──ちょ、ちょっと待って下さいよ、治部左衛門殿。
小一郎殿が駒殿を嫁にすることを以前から知っていて、その『イノシシ』のくだりまで知っているということは──!?」
「はい、菩提山の屋敷にも忍ばせて頂きました。半兵衛殿の奥方様もなかなかに面白いお方ですな」
う、うわぁ。
「まあ、後で半兵衛殿には、菩提山城の忍び対策用に、改善すべき点をお教えしておきましょうかね」
「はい、ぜひとも」
こ、これは、絶対に敵に回してはいけない危険な男です──別の意味で。
岐阜城にすら平然と忍び込める凄腕なのに、その卓越した技術を使ってあちこち覗いて廻っているのは、もしやただの趣味──!?
……夜の睦言とか、まさか聞かれてませんよね!?
「──ああ、それとこの先、朝倉に動きがあった時には、いち早く知りたいんじゃが」
「それは大丈夫です。我らの里は領内の北のはずれ、朝倉軍の進軍行路を見張れる位置にあります。年寄りや子供にも、交代で見張りをさせますゆえ。
──で、朝倉だけですか? 六角はよろしいので?」
「ああ、そちらはええんじゃ。たぶん、六角は夏までには消えるでな」
「は──?」
「さて、浅井──日比治部左衛門。最後にひとつ確認させてもらいたい」
おおよその仕事内容の確認が済んだところで、小一郎殿が姿勢を正して切り出しました。
「わしの家臣になる以上、他家からの依頼を受けることは、今後は禁止させてもらう。
浅井長政殿とも完全に手切れ、ということになるが、構わんのだな?」
「構いません。長政殿には、それがしたちを使いこなすことが出来ないと思いますし、その気もないと思いますので」
その素っ気ない口調から、治部左衛門殿が長政殿に何の思い入れもないことが伺えます。
「──御隠居様は、戦下手を自覚しておられました。それで、内政に力を入れて国を富ませ、我らを駆使して周辺の家の情報を集め、のらりくらりと外交で乗り切って来られたのです。
長政殿は、なまじ戦の才に恵まれてしまったためか、そういった地味な仕事を好みません。
あの方は、領主としては二流の下といったところですかな。
大名のままでは、恐らく乱世を生き延びることは出来なかったでしょう。むしろ、織田の一武将となった今の方が幸せなのかもしれません」
「なかなか辛辣じゃな。──まあ、わしもそう思うが」
「ただ、武将としては一流の上です。幸い、小一郎様にはかなり好意を抱いておられますし、いざという時のために、交流はある程度持っておいた方がいいかと──」
「うむ、心得た。
──あ、あと、今後は面白半分にわしらの生活を覗き見るのは遠慮してもらうぞ。
頼む、気が休まらんぜよ……」
「承知し──まあ、そこは『前向きに検討いたします』ということで」




