024 引き金 竹中半兵衛重治
「──はっはっは! 兄上も来た早々、災難でしたな」
「笑い事ではないですよ、殿……」
あの後、駒殿のことを追求しようとする芳野を『殿をお待たせするわけにはいかんので』などと、いささか強引に振り切っては来たのですが……。
この後のことを考えると、頭が痛いです。
「まあ、わしも兄上の留守中、何度かあの調子で愚痴を聞かされましたからな。ご苦労、御察し致します」
──広間の上座に座るのは、私の弟で現竹中家当主、竹中久作重矩です。
私より二歳下で、以前は少し頼りないところもあったのですが、ようやく当主の自覚が出てきたのか、この頃は貫禄さえも少し感じられます。
「さて──駒と虎松、だったかな、面を上げよ」
「はい」
二人が揃って、目を合わせない程度に顔を上げます。
駒殿の所作がきちんとしているのはわかっていましたが、虎松もなかなかにきちんとした振る舞いです。
──この少し前に、三介殿が虎松に、偉い方の前での行儀を手ほどきするという驚きの光景があったのですが、そのあたりからも三介殿の成長ぶりが伺えますよね。
「二人とも、当家にて奉公したいとの事で、間違いないな?」
「はい、何卒よろしくお願い致します」
「よろしくおねがいいたします」
「わかった。他ならぬ兄上の頼みじゃ、快く引き受けよう。
──駒、仔細は兄上から聞いておる。虎松の元服までは間違いなく、竹中家で面倒を見るつもりじゃ。
それまでの間は──わかるな?」
「はい、心してご奉公、務めさせていただきます」
殿、さすがですね。先日の件は事前に文で伝えていたのですが、他の家臣にわからぬように釘を刺してくれています。
「良し、決まりじゃな。
駒は侍女、虎松はわしの小姓見習いとして明日から勤めてもらう。後で、世話役にも引き合わせよう。
──さて、兄上。次は、兄上の正念場、ですな」
ああ、頭と胃が痛い……。
「で、半兵衛殿、芳野殿の事はどうするんじゃ?」
「うう、どうしましょう……」
芳野の部屋へ向かうわずかな間だけが、作戦会議の場です。
「どうするも何も──私と半兵衛様がそんな仲じゃないって説明すれば済む話でしょう?」
「いえ、それがですね、芳野はとても疑い深くて嫉妬深くて──さらに思い込みが異常に激しく、一度思い込んでしまったらもう止まらないのです」
「あぁ……」
──かつて、侍女の一人と私のあらぬ仲を疑われたことがありました。
発端は、新しく入った侍女がそこそこ美人で、家臣の一人がたわむれに、『殿、新しい侍女が美人で、なかなか嬉しそうですな』と言っただけなのです。
それなのに、芳野は私と彼女の仲を勝手に想像して嫉妬し、どれほど説明しても聞き入れてくれず──大体、その日来たばかりの侍女と深い仲になる時間などある訳もないのですが──哀れ、その娘は奉公に上がった初日に暇を出される羽目になってしまったのです。
「う、うわぁ」
「──新種のイノシシがこんなところにも」
「与右衛門殿! それ絶対に芳野本人に言わないで下さいよ!
──ああ、説明してわかってもらえるのならば、どんなに良いか……。
多少説得を試みても、あの通り言葉が次々と矢継ぎ早にあふれ出してきて、まさに難攻不落の堅城とでもいいましょうか──」
「半兵衛様──いつまで廊下で話をされているのです?」
──部屋の中から、低く暗い声が掛けられてしまいました。
意外なことに、芳野は私の事情説明を、口を挟まずにじっと聞いています。
──無論、駒殿が仇討ちしようと我らに鉄砲を撃ってきて、などと本当のことを言えるはずもありません。
皆で手短に口裏を合わせた話は、『駒殿たちが野盗に襲われかけていたところを、通りがかった我ら一行が助け、身寄りのない境遇を気の毒に思って働き口を紹介した』というものです。
駒殿は少し面白くなさそうでしたが、すみませんがしばらくは我慢して下さい。
「──という訳で、殿に駒殿たちの奉公をお願いしに来た、ということなのです」
「なるほど。よくわかりました」
「わかってくれましたか!」
「そこで見初めたこの娘を、側室にするおつもりで連れて来られたのですね」
──全然わかってくれていませんでした!
「それはそうですよね、私にはなかなか子が出来ませんから……。
安藤の父にも言われていたのです、子の無い正室になど何の価値もない、半兵衛様が側室を設ける気になる前に早く子を成せ、と」
あああ、舅殿、よりにもよって何てことを──!
「いや、芳野、我らはまだ若いのだから、これからいくらでも──」
「いくらでも側室など持てますよね、半兵衛様ほどお美しい方なら、さぞやおなごたちが次々と虜になってしまうでしょうから。わかってはいるのです、私一人が我慢すれば全て丸く収まる、竹中の家も安泰だと。ただ、半兵衛様のお気持ちが私以外のおなごに向けられるのが、胸が張り裂けんばかりに苦しいのです」
「い、いや、竹中家はもう弟が継いでいますし、私は今さら側室を取るなど出来ませ──」
「何を言われるのです、半兵衛様のような智勇兼備にして美貌まで兼ね備えた方が望めば、側室になることを望まないおなごなどこの世にいる訳がないではありませんか。
わかってはいるのです、しょせんは私一人のわがままだと。それにしても、わざわざ私の前に連れてくるとはあまりの仕打ち、正妻に筋を通すというのもわかりますが、半兵衛様のような方を夫に持つ私の苦悩も少しは理解していただけないものかと──。
それに、絶世の美女に負けたのならばまだあきらめもつきましょうが、このような垢抜けない田舎娘に負けたのでは、私の立つ瀬がないではありませんか──」
──か、会話が全く噛み合わないっ!
そして、とばっちりでこき下ろされてしまった駒殿が、静かに怒りに震え始めています。
一刻も早く、芳野の思い込みをどうにかせねば──し、しかし、どうやって?
実は私は、とっさの嘘があまり得意ではありません。じっくり策を練った上で相手を欺くことに関しては得意中の得意なのですが……。
小一郎殿の嫁取りの話の時も、うっかりやらかしてしまってますからね。
──そうだ! あの時の手は使えないでしょうか!?
駒殿にはすでに決まったお相手がいるということにして──いや、具体的な相手の名を挙げないと信じてはもらえなさそうですね。
三介殿は──無理ですね、まだこの手の腹芸にとっさに対応できるほどではありません。
では与右衛門殿は──論外。
私の意図を察することくらいは出来るかもしれませんが──この手の芝居をするのに、私の知る限り最も向いていない男です。
まず間違いなくボロを出して──その後の騒動は想像したくもありません。
かといって、まさか小一郎殿、というわけにも──。
「いやぁ、芳野殿、これはわしの説明不足で、とんだ誤解をさせてしまったようですなぁ! 誠に申し訳ない!」
突然、小一郎殿が大声を上げられました。私以外の人の声を聞いて、ようやく芳野の口が止まります。
いや──ここで助けてくれるのはありがたいのですが、まさか──!?
「小一郎殿? 誤解とはいったい、どういうことですの?」
「いや、お駒を竹中家で預かってくれるよう半兵衛殿に頼んだのは、このわしなんです。
半兵衛殿はただ単に、わしに仲立ちを頼まれただけなんですわ」
──こ、小一郎殿、それは──! それ以上は──!!
「実はこのお駒は、わしが嫁にしようと思っとる娘でしてなぁ」
あああ、ついに言ってしまった。言わせてしまった──!!
「──まあ! そうでしたの!? 何て素敵なんでしょう!」
芳野の声が、一気に弾むような明るさを取り戻しました。
一方、三介殿と与右衛門殿は目を剥いてあんぐりと口を開け、駒殿は──顔を真っ赤にしたまま完全に凍りついています。
「お駒は早くに母親を亡くしておるためか、いささか武家の嫁としてのしつけに不安がありましてな。
羽柴家で、とも考えたのですが、小姑がおりますので、お駒も少し居心地が悪いかとも思いましてなぁ。そこで行儀見習いを兼ねて、しばらく竹中家で面倒を見てもらえぬものかと思ったのです。
なにしろ竹中家は、わしの最も敬愛する半兵衛殿の御実家。距離も近いですし、これほど信頼できる預け先は他に思い当たりませなんだ。
──芳野殿。わしにとって、大事な大事な未来の嫁とその弟です。
なにとぞよろしくご指導を賜りますよう、この羽柴小一郎、伏してお願い致します」
──小一郎殿、本当に、本当に申し訳ない……。
私は小一郎殿に、引いてはいけない引き金を引かせてしまったのかも知れません──。
「──じょ、じょ、冗談じゃないわよ! 何で私が、あんたなんかの嫁に──!!」
ようやく芳野の誤解が解けて別室に入った途端、ずっとこらえていた駒殿の感情が爆発しました。
「あー、いや、悪かったの──だが、仕方がないじゃろ。これくらいしか、あの芳野殿の勢いを止める手立てが思いつかなかったんじゃ」
「それはわかるけど──でも、よりにもよって仇のあんたと──」
「気持ちはわかるが、まあ、しばらくは我慢してくれんか?
たぶん、ただ決まった相手がいるというだけでは駄目じゃ。その相手が誰なのかはっきりわかっとらんと、芳野殿はずっとおんしと半兵衛殿の仲を疑い続けて──そのうち、ここに居辛くなるぞ? 虎松のためにも、それはまずかろ?」
「う──」
「それに、わしも最近、兄者に嫁を貰えとせっつかれておっての、想い人がおるということにしといた方が都合がいいんじゃ。ここはひとつ、お互いのためにも協力してもらえんか?」
「──そういや、あんたは何で嫁をもらわないのよ?」
「わしは、せめて兄者に跡取りが出来るまでは、と決めておるんじゃ」
「ふーん……」
小一郎殿の言葉に、何か重いものを感じたのか、駒殿の勢いが弱まります。
「──ねえ、三介どの、姉上は小一郎どののおよめさんになるの?」
「さあ、どうだろうな? 虎松はそうなったらうれしいか?」
「んー、よくわかんない──でも、姉上はあの日から小一郎どののはなしばかりして、なんか少しぼーっとしているよ?」
──まあ、子供たちは空気も読まずに無邪気なものです。
「と、虎松、余計なことを──っ!
で、でも、こんな話が広まってしまったらどうするのよ! もしかしたらこの先、竹中の御家中でいい縁談が来たかもしれないのに──」
「あー、無理無理。イノシシを嫁にしたいと思うやつなどいるはずもなかろう」
「与右衛門はちょっと黙ってて!! ──で、このまま私が行き遅れになったら、どう責任取ってくれるのよ!」
「あー、まぁ、その時はわしが責任を持って、どこか嫁ぎ先を見つけて──」
「余計なお世話よ!」
──ここら辺なのかも知れません。
駒殿の淡い気持ちに気づいていながら、小一郎殿に引き金を引かせてしまった以上、ここら辺で落としどころを作ってあげるのは私の義務なのでしょうね。
「では、こういうのはどうでしょう。二年のうちに駒殿の縁談がまとまらず、その間に藤吉郎殿に跡取りが出来るか、養子を取られた時──その時は小一郎殿が責任を取って駒殿を嫁にもらう、というのは?」
「なっ!? 何でそんな──私はまだ、小一郎の命を取ることを諦めたわけじゃないのに……」
もう表情に出てしまっているのに──まったく、素直じゃないですねぇ。
「──ふう、またしても気が強くて無鉄砲なおなご、か──これはもう、そういう運命だということなのかのぅ?……」
ぼそっと、小一郎殿が何やら意味深なことを呟きます。
小一郎殿にはこれまで全く浮いた話がなかったと聞いていたのですが──龍馬殿にそういう方とのご縁があったということなんでしょうか──?
「──うん、そうじゃな。わしはそれで構わんぜよ」
「な、何を──」
「その時まで、わしが駒殿に、命を取りたいと思わせるようなことをしなければいいだけのことじゃ。
兄者の跡取りのことや仇討ちのことを抜きにすれば、駒殿のような別嬪を嫁にすることに、わしは何の異存もない。
まあ、その間に駒殿にこれは、と思える相手が見つかったのなら、その時はわしのことなど気にせんでええ。
じゃが、もしそういう話がなかったのなら──」
そこで小一郎殿は居住まいを正し、駒殿に深く頭を下げたのです。
「駒殿、ここはひとつ、これも運命と受け入れて、わしの嫁になってはもらえんか?
そんで、前に言っていた『なるべく戦をせずに太平の世を作る』というのが本当に出来るものか、傍で見届けてはもらえんじゃろうか?」
「──ふ、ふん。まあ、変わり者のあんたはろくに相手を探せそうにないからね、その時は──いちばん身近で監視することにしてあげてもいいわよ……」




