キーワードは第6の封印
既に5つの封印4つのラッパが過去のものになっており、「黙示録」は「第6の封印以前」と「第6の封印以後」に区別される。
2 キーワードは第6の封印
既に5つの封印と4つのラッパは過去のものになっており、「ヨハネの黙示録」は、「第6の封印以前」と「第6の封印以後」に区別される。預言は未来が重要で、未来を予言してこそ意義があるが、[以後」は勿論のこと、既に過去になっている「以前」も後回しにして続けたい。
預言と予言は違う。預言とは、歴史を造られている創造主から言葉を文字通り預かり、未来を予言するのであるが、後で検証するが、第5の封印までと4つのラッパは実現している。「7つのラッパ」に関しては、書物ではきちんと区切りがしてあって、「また私が見ていると、1羽のわしが中空を飛び、大きな声でこう言うのを聞いた。『わざわいだ、わざわいだ、地に住む人々はわざわいだ。なお3人の御使いがラッパを吹き鳴らそうとしている。」・・・と「第6の封印以後」に、3つの災いがあることを示唆する記述になっている。
いずれ、イエスキリストが第6の封印を解けば、地震などの災害や戦争が起こるだろう。それを憂慮した場合、キリスト教の牧師なら、改心しなさいとか、祈りを捧げなさいなどと言いかねないが、2000年以上前から定められたことであり、人間の意思で変えられるものではない。死後のことを思えば改心した方がいいかも知れないが、祈りを捧げたところで、遅かれ早かれ、タイミングを観て解かれる運命なのだ。
その、7つの封印を解かれる「イエスキリスト」とは、どのようなお方なのだろうか?