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ダブリの華子さん ~凸凹コンビが怪異に立ち向かうようです~

作者: berio

高校二年の「俺」は、趣味と実益を兼ねて郷土史研究会に所属し、ゆるゆるとした学校生活を過ごしていた。だが、クラス替えによって一緒になった先輩(休学のため今は同級生)「田振華子」と出会ったことにより、目まぐるしく日常が動き出す。

夏休みを利用し、寂れた田舎町を訪れた俺と先輩は、ひょんなことから町で恐れられている怪異に関わってしまう。人を食うとされる化物を前に、果たして無事生き残ることはできるのか――。

※投稿時より一部文章を修正しました。

 突然だが、俺こと田原雪太郎(たばるゆきたろう)は包囲されたお寺の中にいる。取り巻くのは獣のようなうなり声。壁はどんどんと叩かれ、機械で合成したような人の声が不気味さをかき立てる。……蒸し暑いくらいなのに、冷や汗が止まらない。

 

『なんか逆に笑えてくるね』

 隣で、巻き込んだ(または、巻き込まれた)先輩が紙に書いて伝えてくる。


『……先輩、落ち着きすぎですよ。鳥肌が止まりません』

 俺は震える手でその下に書き加えた。


『しかし古典的ねぇ』

 もう一人巻き込まれた女子大生(自称)が頭を掻く。そして書き込む。まず、読者諸氏にはこうなった経過を説明しておかねばなるまい。

 

 ◇

 

――高校二年のクラス替えで、突然彼女はやって来た。


「おっす! あたし、田振華子(たぶりはなこ)! 去年一年間休学してたけど、無事復学しました! みんなよろしく!」

 担任教師からは、病気治療のためにやむなく休学していたことを補足された。今は入院しなくても問題ないという。肩で切りそろえたボブカット、切れ長で涼やかな目元、白く透き通った肌。大人しくしていれば日本人形めいた古風な少女で通るかもしれない。俺より約三十センチ分小さい彼女は、大股で真後ろの席に腰を下ろし、ちょいちょいと俺の背中をつついた。


「君、田原雪太郎くんだよね? ゆっきーって呼んでいいかな?」

「ええ、まぁ。田振さん」

 ぐいぐい来るけれど、懐への入り方にイヤミが全然なくて。

「あたしのことは華子か華ちゃんでいいよ!」

 机上で腕を組みながら、にこり、と彼女は一笑した。


「いや、一応年上ですし」

「カタいこと言うなし! 学年は一緒さ」

「……華ちゃん先輩」

「まぁよし!」

 ころころと鈴を転がしたように、破顔する。――別に俺が特別だった訳でもなく、あっという間に彼女はクラスに馴染んだ。クラス外のどこかでは、名字に引っ掛けて『留年(ダブリ)の華子さん』なんて言われてるらしいが、本人は一切気にしていない。大方、先輩をやっかんでのことだろう。つまらん連中だ。先輩の好きなB級映画を百回くらい見てから出直せ。

 ついでに、歴史好きな俺の所属するゆるーい同好会『郷土史研究会』に入会したことも付け足す。「なんとなく楽しそうだったから!」というのがその理由だ。久しぶりに日本史・世界史のウンチクを語り合える人が現れて楽しかった。

 

 ◇

 

 長期休みに入り、俺たち研究会も「なにがしかの成果を残せ」と顧問の歴史教師に言われた。実にもっともだ。部室でだべっていると、ふと華ちゃん先輩が地図帳を取り出す。

 

「したらさー。ここを調べてみない?」

「すげぇ自然が一杯なとこですね」

「あたしのカンにビビビと来たねっ!」

 生良務(せいらむ)町。若者の人口流出に悩む、漁業と農業が主産業のよくある田舎町だ。珍しい何かを神社に祀っているらしい。だが、華ちゃん先輩のカンはよく当たる。当たりすぎるくらい。小旅行ついでにちょっぴり調べ物するのも悪くないだろう、とその時の俺は思っていた。……後であんな目に遭うことも知らずに。ともかく、計画を決めてからは早かった。


 ◇


「ネット情報によると、心霊スポットになってるらしいんだ」

 先輩は、怪しげなまとめサイト記事のプリントを指さした。


「まぁ、いかにもな場所ですからねぇ」

 相づちを打ち、程よい電車の揺れに身を任せながら、俺はぐびりと温くなったジュースを飲む。


「だからこそ、あたしたちは行くのさ」

 彼女はぽりぽりとちっさな指でお菓子をつまんだ。俺と先輩は、電車の対面式シート上で会議中である。


「まずは図書館で資料に当たろう。案外早くわかるかもだ」

「了解です」

 意外(?)にも、先輩は堅実なやり方を好む。その上で、必要ならいくらでもぶっ飛んだ行動を取るのである。

 

「ところで――夏休みに心霊スポット探索なんて、ホラー系創作の導入みたいだね」

「話が作りやすいんでしょうね、きっと」

「言えてる!」

「実話であれ創作であれ、初めに考えた人には敬意を表します」

「一番難しいのが、人気ジャンルの最初の一人になることだからねえ」

 開けっぱなしの窓から、生暖かい潮風が入り込んでくる。目的地はもうすぐだ。

 

 ◇

 

「ふぁー! あちぃー!」

 冷房の効いた図書館から一歩外に出ると、そこは炎天下である。


「潮と、湿気が……こう」

 ねっとりとした熱気が体中を包む。体感気温は街より高い気がする。


「でもさ、生きてるって感じするよね! 病院じゃそんなのなかったもの」

「はぁ……。ん、なんだありゃ」

 鈴やらお札やらを服一面に付け、お遍路さんの使うような杖を突きながら、老人が俺たちの方に向かってきた。


「……お前ら、よそもんか」

 警戒心をむき出しにしながら、その老人はしゃがれ声を発した。


「こんにちは、今日も暑いですね! ちょっと調べ物がありまして」

 先輩は意に介さず、明るく言う。

「お前らの後ろに……悪霊がおる。害をなそうと舌なめずりしておるわ」

「……はぁ?」

 俺は思わず後ろを振り向いてしまった。当然ながら景色以外は何も見えない。一方の先輩は泰然としている。


「用事が済んだら、さっさと帰ることじゃな……。神社には近づくな。ひっひっひ」

 鈴を鳴らしながら、元来た方向に歩いて行ってしまった。


「変なの……」

 ふん、と鼻息を吐きながら言葉をこぼした。馬鹿馬鹿しい。彼女もそう思っているだろうと顔を向けると、意外に真面目な表情で何かを考え込んでいた。


「華ちゃん先輩?」

「ああ、ごめん。つかぬことを聞くけど。君、いわゆる霊感とかって持ってる?」

「いいえ。生まれてこの方、まったく」

「そっか。うん。やっぱそうよね。そう都合よく何かが見えたり、感じ取れたりはしないよね」

「そう信じたいから、見えたり感じたりするんです」

「だよね。あたしも入院中、いろんな場面を見てきたけど、特に何もなかったし」

「そうですよ。霊感が強かったり、守護霊だのを持ってるヒトなんてそうそういませんって」

「よっし! わかった。一旦宿に戻って、本命の神社を調べましょう。おー!」

「おー」


 ◇


 事前にチェックインした民宿に戻ると、他県のナンバーの見慣れないクルマが止めてあった。

「あれ、さっきまではなかったような」

「旅行者かなあ。今日泊まるのはあたしたちだけと聞いてたけど」

 先輩がそう言った直後、横開きの玄関を開け、そのクルマの持ち主が現れた。


「やあやあキミたち。私のクルマが珍しいかい? ン、ずいぶん若いね、高校生くらい?」

「あ、こんにちは。すいません、格好いいクルマだから見てまして。邪魔だったら避けます」

 俺が道を譲ろうとしたが、その彼女はにんまりと笑って言った。


「ああ、いいのよ。どうせお酒とか買ってくるだけだしね。私は北神(きたかみ)スバル。風の吹くまま、気の向くままにぶらりと旅をする、しがない大学生さ! ところでキミ、いい身体してるね。何かスポーツでも?」

「いえ、バリバリのインドア派です」

「そっかー!」

 ネコ科の動物を思わせるしなやかな身体に、意思の強そうな瞳が印象的だった。緩くウェーブの掛かった亜麻色の髪をハーフアップにまとめている。オーバーサイズのカーゴパンツに、微妙なデザインのTシャツ姿である。


「よろしくお願いします。俺は――」

「田原雪太郎くんに、田振華子さんでしょ? 悪いけど置いてあった宿帳見ちゃった。ゴメンね」

 彼女はウィンクしながら右手で手刀を作り、顔の前に置いた。毒気を抜かれた俺が横目で見ると、先輩がちょっと渋い表情をしている。宿の主人は優しそうなおばあさんだったが、こう、プライバシーの保護とか大丈夫なんだろうか。ともかく、部屋に戻って外出の準備をしよう。……言うまでもないが、別々の部屋である。


「や、お待たせ! 待った?」

「いえ、ぜんぜん、さっき来たとこです」

 野外行動仕様の先輩が現れた。長袖にハーフパンツとレギンス、軽登山靴だ。帽子と手袋も装備してある。俺もだいたい同じである。暑いけど。……半袖Tシャツやサンダル履きで、山奥にある怪奇スポットに行くヤツの気が知れない。いるかどうかわからないオバケその他よりも、ウルシや害虫、蜂、蛇なんかの方がよっぽど怖い。


「おんやぁ、また出るんかえ」

 夕食の食材を抱えた、民宿の主人とすれ違った。

 

「ええ、そうです。調べ物の途中で」

「岬にある、神社だけには行っちゃなんないよぉ。絶対ねぇ」

「なぜですか?」

 これは先輩だ。

 

「……ならねぇもんはならねぇさァ」

「――まぁとにかく、日が出てるうちに帰ってきます」

「……あそこに行かねばえい」


(調べた限りでは、ネット上の怪しい根拠しか出てなかったし。それに、まさしくここが今回の取材対象だしなァ)


「ようし、行きましょうか!」

「おー!」

 ちょっとデートっぽいな、と思うことくらいは許してほしい。うちの研究会の方針は『史料を揃えた後は足を使え』だ。調査に行かなければ仕方ない。

 

 ◇

 

 神社は、バスで十分に往復できる距離にあった。


生良務(せいらむ)神社。いわく『四百年前、日照りと飢饉に苦しめられていた生良務村。村に住む巫女が三日三晩雨乞いし、その命と引き換えに雨を喚び危機を救ったことを偲び、彼女の霊を慰め奉るために建立された』というのが通説ね」

 調べた史料のコピーを参照し、ふむふむと頷きながら先輩は述べる。


「うーん、最低限の手入れしかされていないみたいですね。神社を護る人もいない」

 使えそうな写真を何枚か撮りながら、俺は境内を見渡した。拝殿の扉は固く閉ざされている。

「暗くなれば雰囲気はありそうだけど。石碑、すり減っていて読めないや」

 背中のデイパックから紙や霧吹きを取り出し、写しを取る用意をしている辺り、準備万端だ。


――かたん。


「ん? 今、物音が」

「あたしにも聞こえた」

 自然に木の枝などが折れたり落ちたりして、音が鳴ることはある。だが。


()()()()()()()

 かび臭い、湿った臭いが鼻に付く。


「ゆっきー、あの扉閉じてたよね」

「ええ。俺の撮った写真でもばっちりと」

 デジカメの画面を彼女に見せた。これは、絶対に気のせいなんかじゃない。

「ロックが甘くて、偶然開いただけということもある。だけど」

「偶然扉が開くなんて、まずあり得ない」

 互いに顔を見合わせ、一つ頷いた。つまり「気になったら調べろ」だ。


「ちょい待ち。せめて神様にご挨拶は忘れずに。敬意を込めて、ね」

「そうですね。お賽銭もです」

 貯まっているのは木の葉だけで、小銭さえなかった。箱も壊れかけていたし、これはさすがにひどい。……かなり危ない橋を渡っている気もするが、二礼二拍一礼を厳かに執り行い、朽ちかけた鈴をからからと鳴らし――俺たちはそっと拝殿へと足を向けた。


「……お邪魔します」

 戸口をくぐる前、二人で頭を下げて。10畳くらいの木造建築はがらんとしている。曇った鏡と、元気のない榊が奉られているだけ。


(写真は――やめとこう。なにかやばい)

 自分たち以外には誰もいないはずなのに、じっとりとした重圧を感じる。ここだけ、冷たい雨が降った後の夜のようだ。


「ゆっきー」

 小声で先輩は呟く。

「はい」

「――逃げるよッ!」

「アイマム!」

 にちゃ、という感触がした。構わず数秒で扉を出て、鳥居まで一直線! 隅には――得体の知れないモノがうごめいていた気がする。

 鳥居をくぐった後に一応頭は下げ、バス停まで全力疾走を続けると、先輩が追いつき、その後で北神さんの車が近くに寄ってきた。


「や。偶然だね。知らない顔じゃなし、宿まで乗せてったげるよ」

「恩に着ます!」

 一刻でも早くこの神社を離れたかったので、俺と先輩は4人乗りのクルマに乗り込んだ。

「凄く汗かいてるけど、どうしたの」

 信号待ちの間に、運転席の彼女が問いかける。

「いや、ちょっと、神社から走ってきたんで」

 息を整えながら、俺は答える。


「ふうん。それにしても、なにか()()のと出くわしたって感じだね」

「……」

 隣の席の先輩は、乱れた前髪と荒い呼吸を整えつつ、俺の方を見て考え込んでいるようだ。それっきり会話が止み、田舎道をすいすいとクルマは走る。

 民宿の駐車場に着くと、主人が心配顔で待っていた。


「や、どうも。買い物帰りにこの子たち拾ってきたんですよ」

 なんてことなさそうに、北神さんはお酒やおつまみの買い物袋を両手に持って言った。

 

「行ったんか」

「はい?」

「あの神社に行ったんか!?」

 豹変して、半ば叫ぶように年老いた彼女は吠えた。

「それは、その、はい」

「えらいことじゃ……えらいことじゃ……」

 頭を振りながら、宿の中に戻っていった。

「なんなの、あれ」

 眉根を寄せながら、北神さんはぼやいた。

「……ゆっきー、肩を見てみ」

「え? 肩? …………?!」

 俺の左肩には、泥のような汚れがくっきりと残っていた。それも、()()()()の。

「あたしにも付いてる。……偶然できたものではあり得ない」

 先輩が小さな右肩を指し示すと、やはり泥の手形のようなものがこびりついている。さぁ、と背筋に冷たいものが走った。


「何者か知らないけど、クリーニング代請求してやろうか! おぉん!?」

 ぷりぷりと怒りながら先輩は地団駄を踏む。いや、問題はそこじゃない。そうしていると、建物から主人が戻ってきた。

「…………あんたらぁ、わだしの車に乗れ。和尚様のところへ行くよ。そこのあんたもじゃ」

「え、私も? これから戦利品を利き酒するという大事な任務が」

「早く!」

 せっつかれるままに、宿の主が出した軽ワゴンへ乗せられた。

 

 ◇

 

 どうも俺たちは、なんらかの禁を破ったようだ。それでもって、あの神社に封印されていた『オカタ様』とやらに絶賛呪われ中である。お寺に軟禁され――なぜか都合よく居た――その手の厄事に詳しい和尚様から、ありがたいお話を聞かされるらしい。お祓いもするとか。……お祓いって神道じゃなかったか?


「ふふふ、盛り上がってまいりました」

 待ち時間の間、しゅっしゅとシャドーボクシングをしながら、先輩は言う。あれだけ町の人から脅しを聞かされても、全くこたえていない。


「あたしの、通信式八極拳が火を噴くぜ」

「……ボクシングじゃないんですか。それって通信で習えるもんなんですね」

「おりゃー! 猛虎硬爬山!」

 先輩がそれっぽく見える演武を見せた。そうこうしていると、俺たちは中に招かれる。用意ができたみたいだ。


「なんちゅうことをしてくれたんじゃ!」

 初手からこれである。


「はぁ。しかし、私と彼が調べた限りではそういう情報はわかりませんでしたし、情報が出てきたとしても、信憑性が薄いものでした。客観的に判断し、日中に危険といえるものまではなかったかと思います」

 町の住人何人かに囲まれながらも、先輩は落ち着き払っている。


「ばあさんから聞いてただろう、ええ!?」

「それは確かに。ですが、なぜ危険なのか明瞭な回答がありませんでしたので」

「あの場所はな、オカタ様に呪われとるんじゃ」

 呪いねぇ。……非科学的じゃない?

「あの、腰を折るようですみませんが……。さっきから聞く、オカタ様ってそもそも何なんです?」

 いつまでも先輩に任せている訳にも行かないので、自分からも聞いてみた。


「昔の話やけんど――」

 あ、これ俺たちが調べたのと同じ内容だな。


「――しかし、その亡くなった巫女さまを神社で(まつ)った後も災いは収まらんかった。それ以降、化け物が何十年かに一度若い生け贄を求めてまろびでるっちゅうことじゃ」

「……はあ、なるほど」

 むやみにわかりづらくした既知の話に対して、適切な相づちを打った俺を誰か褒めて欲しい。だが、後半部分は初耳だった。


「んー、部外者の私が言うのもなんだけど」

 北神さんが口を挟む。


「そんなに危ないのに、なぜ誰も管理していないの?」

「…………それは、そのう、村のもんは特に呪われるから……」

 年かさの男が答えづらそうに言う。


「村の身内が呪われるのは駄目で、外からの客人が呪われても構わないのはどうしてでしょうね。人はみな、死ぬべき時には平等に死ぬのに」

 秋に降りた霜のように、凍てついた口調だった。しばし沈黙が流れる。


「とにかくっ! このままだとあんたら呪いで死ぬぞっ!」

 先ほど発言した男が断言した。


「「な、なんだってー!」」

 俺と先輩の声が重なる。そうすると、満足そうに和尚様が発言した。


「まだ肩だけだな? そうだな? なら、助かるかもしれん」

 どうやら、身を清め、魚や獣肉、臭いのきつい野菜を避けて次の夜明けまでお堂に籠もれば、助かるかもしれないという。早速、何人かの住民たちが準備のために走っていった。……数十年に一度の割に、やけに手際がいいな? 実はマニュアルでも整備してるんじゃないか?

 

「籠もっている間、夜明けまで口をきいちゃいかん。扉を開けても、外からの声や音に反応してもいかん」

「それを破るとどうなるんです?」

「オカタ様に肉体ごと持っていかれ、喰われる」

「えぇーっ!」

 俺の声に反応し、彼は続けた。

「お前さんらを餌食にするために、いろんなちょっかいを出す。だけんど、一切取り合うな」

「わかりました」

 神妙に先輩は頷いた。

「あんたもじゃ。呪いを受けたこいつらを車に乗せたろう」

「私もかー。ま、仕方ないか」

 さして堪えた風でもなく、北神さんは髪をいじりながら呟いた。

 

 ◇

 

 身体を清め、早めの夕食を取ると。さっぱりした先輩が話しかけてきた。


「いやぁ、まさかここまでなるとはね……。あたしも君を巻き込んですまないと思ってる。ホントだよ」

「今更気にしてないですよ。それにしても、話ができすぎている気がする。御都合主義的というか」

「やっぱゆっきーもそう思うか」

「俺たち、まるっと騙されてるんじゃないかとも思えてきました」

「ここでお札やら壺やらを買わせようとするならいよいよだけど……。あ、この一連のセレモニー自体で請求してくることもあるか。そんなときは法律相談だね。必殺の、未成年の契約並びに強迫と錯誤無効。使えるかなぁ」

 そうしていると、北神さんも現れた。


「よ! 大変な事になっちゃったね。まあでも私、万が一に備えてあの手やこの手を残しているし。大船に乗ったつもりでいなさい」

 彼女は、どんと豊かな胸を叩いた。思わず俺も目が行く。すいません先輩、今のは不可抗力なんです。だからそんな目で見ないで。


「……あの手やこの手って、何ですか」

 先輩がジト目で聞いた。


「それは、ここで言ったら備えにならないでしょう? ま、我に秘策ありってことよ」

「……はぁ、そうですか」

 先輩の機嫌がよくない。こういう時にはチキン・ナゲットとか魚肉ソーセージとかコーラとか、とにかくジャンクなものを与えればいいのだが。あいにくと手元にない。

 

「準備ができたから、お前さんたち早うお堂に籠もれ」

 寺男が身を半分だけ乗り出して言う。エアコンはないが、水道とお手洗いは付いているらしいので良心的である。そして和尚様から、(うさんくさい)破邪の儀を授けられ、明日の夜明けまでお堂に籠もることになった。

 

「日が暮れるまでは話をしていても構わん。だが、この時間になったらやめれ」

 時計を指し、そそくさと住人たちはお堂を出て行った。広いお堂に残されたのは俺と華ちゃん先輩、北神さんの三人だけ。


「とりあえずお布団出さない? 寝っ転がってリラックスしようよ」

 北神さんがぽんと手を打ち、提案した。


「さんせーい! ゆっきー、恋バナしよ、恋バナ!」

 この人平常運転か。

「……修学旅行じゃないんですから」

 まぁ、気を張りすぎるのもよくない。ここは彼女たちを見習って悠然と構えておこう。先輩のデイパックの中には紙と鉛筆が入っている。いざとなったらこれでコミュニケーションも取れる。無言で過ごすより建設的だろう。気も楽だ。スマホの電池もいざというときに備えて残しておきたい。そうして朗らかに話の花を咲かせていると。

 

――ごぉーん……!


 鐘が鳴り、逢魔が時を超えた。空気の質感が変わった気がする。俺は鉛筆を引き寄せメッセージを書いた。


『いよいよです』

『おっけー把握』

 先輩が、メッセージアプリのように下段に書き足した。北神さんは、不敵に笑っている。

 外でがたん! どすん! という音がした。心臓が一つ跳ねる。先輩の筆の下に、北神さんが書き加える。


『気を呑まれちゃ駄目』

 蒸し暑さで、俺の頬から汗がしたたり落ちる。汗のしずくは紙に落ちて、しみになっていった。


「おぉぉーい、出てきてもいいぞうぅ……出てこいよぉぉぉ」

 機械的に合成したような、違和感だらけの声が俺たちに呼びかける。


『偽者ですよね』

『だろうね』

 俺と先輩は目と目で理解していた。次には、獣の低いうなり声だ。獣臭としかいえない、なんともいえない生ぐさい臭い付きで。だんだんと数が増えて行っている。

 

『あの合成音声、質悪くない?』

 北神さんが目だけを外にやりながら書き記す。

『パターン少ない』

 先輩も同意した。

『今時、無料の音声ソフトでももっとマシなのが作れますよ』

 俺も恐怖感を紛らわすために加わった。


『違いない。アレか、やつらはIT化の波に乗り遅れたのか』

 少し考えて先輩が混ぜっ返した。一瞬、古典的な幽霊が一本指打法で四苦八苦しながら一文字ずつパソコンに打ち込んでいるのを想像した。思わず吹き出しそうになり、慌てて口を手で押さえる。


『私、少し仮眠を取るわ。誰か来たら起こして』

 凄まじい女傑ぶりだ、この大学生。

『わかった。その時はミュージカル調のセリフで起こすから』

 いちいち俺を笑わせないと気がすまないんだろうか、この先輩。


『俺もちょっと目を閉じます』

『りょ』

 寝られそうにないが、少しでも体力を温存しておこう。

 

 ◇

 

――夢の中の俺はひたすら逃げ回っていた。聞こえるのは殺気だった怒声、追いかけるのは手に手に刀や槍を持った村人たち。


「お前のせいじゃ、村をたぶらかしおって!」

「斬れ――晒せ――焼け」

「首じゃ、首を取れ。さもなくば、わしらが危ないぞッ!」


(あッ)


 飛び出た縄に足を取られ、転倒する。


「見よ、あの女を転ばせた!」


(女?)


 すかさず、追っ手が網を掛け、俺は荒縄で縛られた。


「この妖術使いめ! 見せしめだ、斬って捨てろ!」

「そうじゃ、飢饉になったのはこいつのせいじゃ!」

「いや待て、わしに策がある」

 人間はここまで下卑た笑いができるのかと思うほど、醜く歪んだ顔だった。そこから先はひどいものだ。石を投げつけられ、干ばつに苦しむ村の広場に晒され――。最後は命を奪われた。だが、結局雨は降らなかった。

 

 ◇

 

 ぺしぺしと肩を叩かれ、俺は目覚める。すい、と先輩は紙と水を差し出した。

 

『苦しそうだったから起こした』

『ありがとう』

 紙コップに入った水を飲み干しひと息をつく。汗が止まらない。


(あれは、何だったんだろう。伝承の裏に後ろ暗いことが隠れている気がする)

 余裕があれば調べてみようか。いや、『調べなくてはならない』。そんな気がした。

 傍らの先輩は、イヤホン付きのスマホで何かを見ている。俺の視線に気付いた先輩は、一旦ミュート状態にし、少し首を傾けて、イヤホンの片方を差し出した。もちろん俺は頷く。ちょっと恋人っぽくていいな、なんて空想していると。


『人間五十年――下天のうちを比ぶれば――夢幻(ゆめまぼろし)のごとくなり――』

(ぼっふぉ!)

 思わず笑いそうになったため、必死で堪えた。

『敦盛』の不意打ちは卑怯である。敵に包囲されたお寺の中で聞くもんじゃない。焼き討ちされるぞ。かの第六天魔王のように!


――そして場面は冒頭に戻る。


 ◇


 起こすまでもなく、北神さんは自分で起きた。そして周りを見聞きしていわく。


『あいつら焦ってる』

『そう思います?』

 先輩が紙の上で問うた。

『ここを乗り切れば大丈夫ね』

 この人の言うことに根拠はないはずなのに、無性に頼もしく思える。

 

(……うぅっ)


 太ももがぶるぶるとわななく。二の腕の震えが止まらない。掌で揉んでみたが効果はなかった。


『ごく自然な反応よ。だから人は生きようと必死になるの』

 俺の方を見た北神さんは労るようにこう書いた。

『そうですか』

 深呼吸。深呼吸だ。


『むしょーにラーメンたべたい。豚骨のやつ』

 この人のメンタル、炭素繊維とかでできてんじゃないか。……あと、たったの数時間が何十倍にも思えた。どよめきのようなうなり声が、次第に小さくなっていって。

 がちゃん、と鍵が外れる音がして、開いた扉から朝日が目に入ってくる。俺たちは助かったのだ。生きて朝を迎えられたことに心から安心していると、お堂を出る間際に北神さんから紙切れを渡された。とっさにポケットにしまう。

 ここから特にお金は請求されなかったが、民宿の宿泊料金はきっちり取られた。最後に和尚様から講話を頂き、『今回は助かったが、命が惜しければ二度とこの近辺に近寄るな』と念押しされ、俺たちは帰りの電車に乗る――ふりをした。正確には乗って三駅で降りていた。彼女から貰った紙片にはそう書いてあったのだ。

 

 ◇

 

「必ず乗ってきてくれると信じてたわ」

 北神さんの操るクルマの中で、俺たちはまた集った。


「これ、逃げても追いかけてくるパターンですよね。おそらく」

 冷静に先輩が切り出した。

 

「そのとおり。元を断たないと何度でもこんな茶番が繰り返される」

 彼女の口調は厳しく、後ろの席からでは表情が見えなかった。


「きっと、隠しておきたい事実が昔にあったんだと思います」

 根拠が夢、というのはちょっと弱いけど。

「お、ゆっきー鋭い。あたしもどーも引っかかってたんだよね。自己犠牲で雨を呼んだはずの巫女が、愛した村を呪うことについて理解できなくてさ……。語り継がれるほど善い人だった巫女が、だよ?」

 うまく言葉にまとめらんなかったけど、と続けた。


「ふぅーむ。ならばここで耳寄りの情報を教えちゃおう。つつけば面白いものが出てくるかもよ」

「北神さん、それを詳しくっ!」

 先輩が身を乗り出さんばかりに食いつく。


「そう、あれは昨日。20歳以上にしか許されないアルコール性燃料を求めてさまよっている時でした――」

「その話、長くなります?」

 俺が促す。

「うん、ごめん。ちょっと調子乗った。つまりね――」

 鎖で封鎖された山道に、多くの車が入っていったらしい。山菜採りや、山林の共同保守作業かと思ったが、皆軽装で、白い布きれをどこかに身につけていたため、すぐさま思い直したという。あれは物見遊山で山に入る表情じゃなかった、と彼女は締めた。


「――警察に通報しましょう」

「それが常識的よね。でも仮に、町ぐるみだとしたら? あの町に居る駐在さんも黒幕側の恐れがあるわ」

「逆効果だね……。じゃあ、オカタ様の本体を爆破するなり破壊するなり、物理で迷信を打ち砕く方向は?」

 先輩の解決策バイオレンスで力技だな? 頭アクションスターかな?


「それもアリだけど、もっとスマートに行きましょう」

 アリなんかい。


「それはどんな?」

「ふふ。後のお楽しみ。まずは買い物よ」

「買い物?」

 俺は訝しんだ。

 

 ◇

 

「ホームセンターに着いたぞ!」

「軍放出品店は?」

「そんなの基地の周りにしかないですよ」

 先輩はアクション映画の見過ぎでは? アメリカじゃあるまいし。でかいカートを押し、必要そうな物をぽいぽいとかごに入れてゆく。


「それは何ですか?」

「ロケットランチャーよ。説明書を読んでから撃ってね」

……先輩、それただの花火じゃん。物資を買い込み、代金は北神さんがカードで支払った。俺たちも一部支払うと主張したが、彼女の意思の強さに根負けしたのである。意外に、いいとこのお嬢様なのかもしれない。


「作戦そのものはシンプルよ」

 目立たぬように、町の外れに止めたクルマの中でミーティングだ。


「町の人間が出入りするその奥に、オカタ様ないしはそれにまつわる重要なモノが存在する確率が高い。よそ者に見せたくないような」

 うんうんと俺たちは頷く。


「隙をついて、標的を無力化もしくは奪取し、敵の妨害をかわして逃げ切る」

「なんかドキドキしてきた。もち、先陣はあたしが――」

「いや。直接乗り込むのは俺と北神さんでやろう」

「おいおいゆっきー、水臭いじゃない。こんなスリル中々味わえるもんじゃないよ。あたしだけ蚊帳の外だなんて、そうはいかないぜ」

「――理由は二つ。一つ、体力的に、俺たち二人のが逃げ切れる可能性が高いから。もう一つは、万が一俺たちが失敗した時に外への連絡を任せたいから」

 先輩の口元が「へ」の字に曲がる。けど、ここばかりは譲れない。


「……一年間の闘病生活は思った以上に体力を削ってます。それと、機転の利く先輩に背中を護ってもらえるならば、こんなに心強いことはない。駄目ですか?」

「……ちぇー。そう言われちゃ、やるしかないじゃん」

……言葉に出さないけどもう一つ。俺も意地を見せないと、先輩の隣に並び立つ資格さえないから。この人とは背中を護り合えるよう、対等でいたい。ここに覚悟は決まった。唇を引き結ぶ。


「……あたしにしか見せないでね、その表情(かお)

「うんうん、青春だねぇ」


 ◇


 山の作業道も、とっぷりと日が暮れると不気味である。誰かが頻繁に出入りしているのか、藪も切り開かれ一本道だった。


「車は目立たぬようここで待機。迷彩用のカバーを忘れないで。退路を確保するために、警戒を怠らないこと。花火は、使えるのなら豪快に使っちゃおう」

「OK、わかった」

 先輩も戦闘モードだ。バールを右肩に担いで、眼光鋭く彼方を睨んでいる。


「みんな準備はいいな! 行くぞォ!」

 重武装かつ目出し帽の北神さんが低くゲキを飛ばす。俺も手に構えたナタを掲げて応じた。

「……ところで、日本刀とか自生してないかしらこの山」

「そんな馬鹿な。丸太と刀がメインウエポンだなんて、マンガの世界だけですよ」


 先行する北神さんは、まるで昼間のようにものが見えているらしい。誰しも、(俺も)暗黒を恐れるはずだが、彼女はなんのためらいもなく闇の中に歩みを進めていく。

 つと右手が真横に伸び『しゃがめ』と、無言の横顔が語りかけてくる。茂みの中に身を隠すと。何人かの人影が、神社めいた建物から出て行った。

 

『やはりご機嫌が芳しくない』『新鮮な贄を供さねば』 などといった会話が断片的に聞こえる。


(対面したら、問答無用で喰われるわけではなさそうね)

(コミュケーションを取る手段があるのかも)

 ひそひそ声で俺たちは話し合う。


(戦わずに済むならそれに越したことはないわ。戦い自体は恐れないけれど) 

 歴戦の強者かな? 人影がだんだんと消えていくのを待っていると、胃の辺りに酸っぱい物がこみ上げてきた。


「緊張してる?」

「……とっても。吐きそうです」

「じゃあ、それを(ほぐ)すために。君、図書館で怪しい人に出会わなかった? 前世紀の本格ミステリに出てきそうな、いかにもな老人」

「……会いました」

「あれ、感受性豊かで純真そうな人だけを狙ってやってるみたいよ。本人は二、三年前に引っ越してきたけど、ここの町に馴染めなかったんですって」

「くそっ、騙されたっ」

「あはは、ハッタリでもどうにかなるのよね意外と。そんな訳で、呑んでかかりましょう! 突撃!」

「応!」

 程よく緊張が解れ、胃のムカムカも収まった。俺たちは、さっと建物の中に飛び込む。そこで見たものとは――。

 

 ◇

 

「な、何だ、おま――ぶっ」

「どこから――げっ」

 中に居たのは怪しげな覆面を被った男二人。無言で北神さんは彼らを沈めた。間合いを瞬時に詰めてみぞおちに一発。蹴り技でもう一人に一発。それで終わり。

 

(……えげつねぇ)


「さ、持ってきた袋を被せて。ロープで縛って転がしておけばしばらくは大丈夫でしょう」

「は、はいっ」

 この人が味方でよかったと思う。作業は主に彼女が行い、俺は呼吸用の穴が開いた袋やロープを手渡すだけだった。


「ほうほう、結構な当たりを引いたわ。見てみる?」

「これは……!」

 メモ用紙には、オカタ様への贄の提供方法が書いてあった。つまり。


「本命が、近くに居るってこと」

 次の瞬間。フクロウの鳴き声や虫の出す音が一斉に止む。


――ずりずりと何かが這う音が俺にも聞こえてきた。


「……北神さん、これって」

「いい? ()()がここに現れても、目を固く閉じてなさい。本体を見てしまったら……最悪死ぬ」

 俺はぎゅっと目をつぶる。がちゃ、きぃ……と音がし、扉が開く。鼻が曲がりそうなほどの、硫黄臭がする。


「絶対に目を開けちゃ駄目!」

 彼女の声だけが頼りだ。野生動物のような息づかいが聞こえる。次第に、俺の意識は遠くなっていった――。

 

 ◇

 

 気が付くと板の間に正座していた。視線は数メートル先の床に固定されており、一定までしか顔は上げられない。やがて、袴が見えた。


「お久しぶり、とでも申しましょうか」

「あなたは――」

「……お察しかもしれませぬが、あの巫女のなれの果てでございます」

 山奥の清流を思わせる、透き通った口調だ。


(嘘は言ってないと思う)


「……俺はこのまま死ぬのですか」

 なぜかそんな問いが口をついて出た。今はいわゆる走馬灯を見ている状態か。


「いいえ。これは、わたくしと其方(そなた)の結ばれた縁によりなしえたもの。もとより夢か幻とお考えいただければ」


(縁……?)


「恐れ、疎まれ……荒神と化したわたくしに、ひとすじの祈りを捧げし若人。おわかりですね?」

「……あ! そういえば!」

 そう。最初に神社を調査した時。先輩と一緒に――。


「このようにひとの魂魄(こんぱく)を失っても、まごころを捧げてくれることがただただ嬉しゅうございました。あの寺で、其方の見た夢が――わたくしの最期にございます」

「そうか、そうだったのか――」

「こうして(まみ)えることができたのも、ひとえに巡り合わせ。一つ、わたくしの願いを聞いていただけないでしょうか」

 ごくりとつばを呑む。


「――其方らの手で、わたくしを終わらせてほしいのです」

「!?」

「わたくしの罪はけして小さくありません。ならば、この背に負えるだけ負って消えましょう。……こうして接することができるのも、もはやあと僅か。あとは肉を喰らい、ひとを喰らい、完全なる獣に堕ちるのを待つのみ。せめて。せめて――其方たちのような若人に託して逝きたい」

 彼女の袴に、涙のしずくがぽたぽたと落ちる。


「でも、何をすれば? 今の自分にできることなんて」

「火。あの村の末裔がすぐに機会をもたらします。その時が来ればためらわず為すのです」

 いつの間にか俺の手が取られた。温かく柔らかい人の手だ。人の都合で祭り上げられ、望みもしないのに邪神としてのあり方を強制されるなんて――。俺なら堪えられない。彼女は、それでも人間(おれ)を信じようとしてくれている。


「…………承知、しました」

「其方は――優しいのですね。わたくしに対してまで慈悲のこころを示すとは」

 自分の目から床に落ちたしずくで、わかった。


「そう思ったことを大切にするのです。さぁ――目覚めの時です」

「あ、最後に一つ聞きたいことが――」

「申してみなさい」

「今でも――恨みは残っていますか?」

「否と言えば嘘になります。なれど、其方らに会えた今――心安らかに旅立つことができます」

 にっこりと、彼女は笑っていた気がする。

 

 ◇

 

「起きろッ! このまま死ぬ気かッ!?」

「北神さん!?」

「まだ目を開けるなっ! ヤツは目の前に居る!」

「いたぞぉぉぉ! いたぞぉ! 小僧と、女だッ!」

 足音も荒々しく、誰かが突入してきた! 


「さすがの私も、目が見えないと苦戦しそうねッ……!」

「焼けっ! 火じゃ!」

 この感じ。興奮した誰かがたいまつか何かを持っている。儀式にでも使うのか?


(ここだッ)


 直感。片目だけを開け、その村人に向かって――俺は猛然と突進する!


「どぉあああッ!」

 ただの力任せの体当たり。でも、不意を突いたその一撃は効果的だった。体勢を崩した彼は、火を取り落とす。そして、そこを起点に乾いた室内で少しずつ炎が広がってゆく。


「あぁッ、火が……火がぁ……! オカタ様が燃えてしまうぅー!」

「早く中の二人を助けるんじゃッ」

「くそ、逃がすな! いや、オカタ様を優先しろ! 駄目だ、うわぁぁぁ!」

「オカタ様が炎に巻かれてしまった――! 消火器、消火器持ってこい!」

「火の回りが早すぎるっ!」

 うまくいったッ!


「北神さん!? いますか!」

「ここにいる! 概ね計画どおりよ! 後は逃げるだけ!」

「了解ッ」

 炎に包まれてなお、微動だにしないであろうオカタ様を思う。


(さようなら)


 幸いなことに、妨害は気にしなくてよかったが、花火は撹乱のために使い切った。「大花火大会だ!」と先輩は笑った。

 

 ◇

 

 町から遠く離れた駐車帯まで逃げ切って――。俺たちは、今回のことを推測混じりに振り返っていた。


「あの巫女さんは、自己犠牲なんかじゃなかったんです。村人の手で、怪物にされてしまった」

「……そっか」

「きっと、どこかから移り住んできて、自分の知識や力を村のために使って。住んでいた人からも報酬を受け取って。村の一員として認められていた。飢饉が来るまではそんな普通の日常だったはずです」

 たまってゆく鬱憤。ままならない生活。誰もが疑心暗鬼になっていくその中で。一番立場の弱い――元々この村の出身ではなかった彼女が。生け贄の羊に選ばれた。


「けれど、彼女を鬱憤のはけ口にしても何も変わらなかった。それどころか、とんでもないモンスターに祭り上げてしまった。自分たちの罪悪感を薄めるために、時折迷い込んできたよそ者を生け贄として捧げた。『オカタ様がそう望んでいるから』と全員で嘘をついて」

「……二千年前も今も、ひとは結局信じたいものしか信じないのよね」

 どこか遠くを見て、北神さんは呟く。


「彼女が人間を喰らう怪異に成り果てても、俺たちを送り出してくれた。なぜなら、最期にひとを信じたかったから」

「……やりきれないや。どこで道を間違ったんだろうね。あたし、もしもあの町で生まれ育っていたら何が正しいのかなんてわからなかったかも」

 先輩が数度横にかぶりを振る。


「無理に今すべてを理解する必要はないわ。いずれ時が来れば少しずつ理解できるはず。昨日今日でほとんど寝てないから疲れたでしょう? さ、送ってったげるからシートベルト締めなさい」

「「はーい……」」


――程よい振動が眠りを誘う。信号をいくつか超えた辺りから、二人はすやすやと安らかな寝息を立てていた。


 ◇


 仲良く寄り添って眠っている二人をバックミラーで一瞥しながら――。私こと北神スバルはそっとブレーキを踏んだ。

 クルマを路側帯に寄せ、車道に身をさらすと。ソイツはぬるりと現れる。

 

「何の用? 本体は死んだ。それを模したまがい物風情が、今更帳尻合わせであの子たちに手を出そうってんじゃないでしょうね。いい加減くだらない夢から覚めるべきよ」

 黒くおぞましい、不定形の肉の塊。おそらく、術者数人が外法で練り上げた呪詛の塊。あの巫女を化け物に変えた呪術の応用か。並の者ならさぞ苦戦するだろうが――。あいにく、相手が悪すぎる。

 

「格の違いを教えてあげる。――消えなさい」

 手刀を一閃。それだけで、肉の塊はちりぢりに裂かれていった。


「呪いが返って、あの町の何人かが不審死を遂げるでしょうが――因果応報ってところよ」

 私は寺生まれの北神スバル。通称『三途の渡し人』。現代日本屈指の怪異殺し。……彼氏募集中。

「殲滅の依頼を受けた時はどうかと思ったけれど。楽しかったわ。また、縁があったら会いましょうね。ゆっきー、華ちゃん」

 何事もなかったかのように彼女は運転席に戻り――赤いテールライトが、彼らの住む町の方へと伸びていった。 

――後日、新聞の地方記事より抜粋。

『○○県××郡生良務町で、ほぼ同時刻に寺の住職含む複数人の町民が死亡。県警は事件事故の両面で捜査している。関係者のAさんは『とても恐ろしいこと。早く安心させてほしい』と述べた。専門家の意見も錯綜しており、警察による真相究明が待たれる』

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