帰る場所
ツェルトがルカの願いを聞き入れて病室から出て数十分が過ぎた。
結果を待つ逸る気持ちを落ち着かせるために窓の外に広がる夕焼けの空を眺めていると病室の扉がノックされた。
「ど、どうぞ!」
「失礼します」
言いながら入ってきたのはルリナだ。
それはツェルトからミカエラとルリナにした願いが聞き入れられたということを意味している。
それに少し安堵とこれからの話を考え緊張するルカ。
対するルリナはベッドから上半身を起こしている彼の姿を目の当たりにして小さく息を飲んだ。
しかし、すぐに息を吐くと謝罪を口にした。
「すみません。経緯は聞いて知っていたので驚かないつもりでしたが……」
「いえ、驚いて当然でしょうから」
ルカの言葉とルリナを安心させる笑みだったが、それでも彼女はバツが悪そうな表情を浮かべていた。
そのままルリナはルカのベッドに歩み寄ると躊躇いがちに声をかける。
「あの、その触れてもいいでしょうか?」
「は、はい。大丈夫です。
ちょっと痒くて違和感があるぐらいです」
何の気なしに笑ったルカを見たルリナは恐る恐るといった様子で食い千切られた傷口に触れた。
そして、まるで労うかのように優しく撫でた。
白く綺麗な指のくすぐったいようなどこか気持ちの良いような感覚をルカが覚えている中でルカは口を開く。
「たしかに私はまたルカさんに触れることを戦う前に望みました。
ですが、右腕を失って戻ってくることを望んではいませんでした」
ルリナの表情には自責の念がありありと浮かんでいた。
そんな彼女の念を取り除こうとルカは言葉をかける。
「これは、ルリナ様のせいじゃないですよ。
俺が突っ込み過ぎたんです」
白いアバードやアギルに関しては本当にルリナの責任はない。関係もなく、ただ巻き込まれてしまったというだけだ。
強いて原因を挙げるならばそれはルカだろう。
むしろ彼女の身や街の住人を危険に晒した彼が責められるべきだ。
この話はどちらにも良くはない。
そう思ったルリナは話を変えるため雰囲気を可能な限り変えて口を開く。
「それにしても不思議ですね。
痒いって言ってましたけど私が触れてるのもわかるんですよね?」
「はい。今はちょっとくすぐったいですね」
「あっ、す、すみません!」
バッと手を離したルリナは恥ずかしそうに顔を赤面させた。
彼女は先ほどまでルカの傷に触れていた左手を優しく握りしめるとどこか気恥ずかしい流れを飛ばすように咳払いを1つ。
「あの、それで話があるとツェルトから聞きましたけど」
「は、はい……」
ルカは言葉を選ぶために語彙の棚を片っ端から開いていくがらしい言葉は浮かんでこない。
仕方ない、と言い聞かせてその問いを単刀直入にぶつける。
「ルリナ様は自由が欲しいですか?」
瞬間、ルリナは目を見開いた。
その反応からは言葉が理解できないということでもなく、ただただ驚いた様子だけが窺い知れる。
「……なぜ、そのような質問を?」
「アギル……俺の父さんが言ったんです。自由は誰かの犠牲の上にあるって」
「私は、その犠牲である、と?」
ルカは口で答えることはなく、ただ小さく頷き俯いた。
失礼なことを言っているのはわかっている。それで引っ叩かれたとしてもむしろ当然だろう。
「……たしかに、そうですね」
帰ってきた言葉は肯定だった。
ゆっくりと顔を上げたルカの前にあるルリナの顔には苦笑いが浮かんでいる。
「私には自由はありません。
慣れはしましたが常に監視も付きますし、不自由も、圧迫感もあります。
だからあの時、私はこの城塞を抜け出した」
「それを強いているのはーー」
最後まで言おうとしたルカの唇をルリナの人差し指で抑えた。
「そこから先は私への愚弄と受け取りますよ」
小さく笑ったルリナは子どもに言い聞かせるように柔らかい声音で続ける。
「たしかに私は自由の身とは言えません。
ですが、そこまでして守りたいものがあるのです」
「それは?」
「皆様の帰る場所ですよ。
ルカさんに出会えたおかげで私はその役割を知ることができた」
「俺が?」
ルカと出会わなければそれを理解どころか知ることすらもなかった。
帰る場所の大切さを、そこで待つ者たちの思いを。
「はい。皆様が戦場に向かい戦えるのも、平穏な日々を過ごすのも、帰れる場所があればこそです。
私は皆さんが安心して帰ってこれる場所の象徴としてあり続けたいのです」
どれほど苦しくとも「あの場所に帰るために」と拳を握る者がいる。
平凡な日常を送り続けるにはその日常が崩れないという無意識化の安心が必要だ。
それらを象徴できるのがネスデッドやギフテッドの存在である。
ルリナの声音は優しいものだったが態度や言葉は毅然としたもの。
その語調のままで彼女は続けた。
「もし、私が犠牲というのであればむしろ自由を謳歌していただかなければそれは無駄でありましょう?」
満足気な表情で言い切るルリナだったが、ルカとしてはそれを素直に受け入れたくはなかった。
オブラートに包むこともなく彼女へと少し強い語気で言う。
「でも! それならルリナ様はどこで人間になれるんですか!」
「それは……」
「ルリナ様だって生きている人間なんですよ!?
なら、人間としていていいはずだ! 人間として笑ってもいいはずだ!」
ルリナ自身が自分の身の振り方を知っている。その立場や責任も知っている。
そんな彼女からしてみればルカの言葉は余計なお世話と一蹴できるものだ。
わかっていながらも彼は続ける。
「ルリナ様はみんなの帰る場所でありたいと言った。
でもあなたの帰る場所は一体どこにあるんですか!」
反応する言葉すらルリナの口から出ることはなかった。
そのようなことを言われるとは考えたことがなかったのだ。
呆気にとられる彼女へとルカは訴える。
「俺が帰る場所にはルリナもいるんだ!
だから、自分を……人間である自分を捨てないでください」
「ルカさん……」
ルカの中にも葛藤がある。掛け布団を握りしめ、訴えかけた瞳からそれがわかった。
これが自分だけの思いと理解している。
それでも言ったのは帰る場所を、守りたかったものを失ったからだ。
もう2度と失いたくないルカは口を動かしていた。
彼の思いを悟ったルリナは巡り巡る心中の言葉をまとめるために深呼吸。
そして、表情を引き締めると口を開いた。
「すみません。ルカさんの願いを聞き入れるわけにはいきません。
私がそうでありたいと思ったから、この思いを邪魔はさせません」
バツが悪そうに視線を逸らしたルカへとルリナは一転、にっこりと微笑む。
「でもルカさんの前でなら私は私で居ていいのかもしれませんね」
ルリナは村人として過ごしたルカを知り、ルカは1人の少女としてのルリナの姿を知っている。
ほんの僅かな間だったが隣に並べたのは確かだ。
そんな者相手に何か取り繕う必要はない。
「ルカさんと2人でいる時ぐらいしかできませんけど。
それで良いでしょうか?」
「はい……十分です!」
はっきり即答で答えたルカを見てルリナは「よいしょ」と立ち上がるとなんの言葉もなしに彼を抱きしめた。
「えっ!? あ、の……」
「抱きしめてください」
「は、はい!」
少し上擦った声でルカは左腕を回して抱きしめ返した。
心地よい温もりを感じるがゆえに自身の背中の左側が寂しいのが強調されているようだった。
それを感じ、回す腕により一層力を込めて愛おしそうに優しく抱きしめたルリナは言う。
「約束です。
次は触れるのではなく、私を抱きしめられるようにしてください」
「……うん。
ルリナが誰かの帰る場所を守るなら、俺は君の帰る場所を守る。必ず」
ルカは残った左腕でルリナの体を抱きしめていた。
そうしながら左腕のミサンガへと心の中で誓いを立てる。
(今度こそ、守るんだ。俺のためにも、ルリナのためにも)
戦う理由、力を持つ理由をルカはそうして見つけた




