自由とは
ツェルトが呼んだ医者の言葉を一言にまとめるならば「問題なし」だった。
右腕の切断面は綺麗に塞がっており何かの拍子で傷口が開くとも考えられず、不自由ながらも日常生活を送ることはできる。
不安な要素といえば血が足りないことだが、それも今日一日安静にしていれば問題はないだろうとのことだった。
それらを言い残した医者の背中を見送ったツェルトは「さて」と言い椅子から立ち上がる。
「本当に良かったわ。これなら明日には戻れそうね」
嬉しそうに言ったツェルトは医者を連れてくると共に持ってきたワゴンの上で紅茶を準備し始めた。
そんな彼女へとうつむきながらポツリと消え入りそうなルカの声が向かう。
「片腕の俺が戻ってもいいんですか?」
「もちろん」
即答だった。
バッとルカが顔を上げた先にあったのは優しい笑みを浮かべるツェルト。
そのまま彼女は慣れたように紅茶を淹れると枕元のテーブルに2つのカップとクッキーの小皿が乗った盆を置いた。
「あ、左手だけで飲めるかしら?」
「大丈夫です」
「よかった」
そう呟いたツェルトは紅茶を一口飲むと息をついた。
それを境に彼女の雰囲気がガラリと変わる。
頭の中の記憶を引っ張り出しながら口を開いた。
「先生を呼ぶ前にできる話があるって言ったわよね?」
「はい。あの、その話って一体?」
「私の昔の話よ。ガリスさんもちょっとだけ絡む話」
いつもよりも数段柔らかい口調でツェルトの昔話は始まる。
ツェルトの生まれは北東。
それもヴェルシー王国と友好関係であるレシオ王国の国境付近にある街だった。
「私はね。そこのスラム街に生まれたのよ」
微笑みながら流すように言ったツェルトにルカは反応の言葉すら出せない。
ルカにはとてもそんな風には見えなかったのだ。
放たれる雰囲気からはそういう場所で生まれ育った悲壮感も達観したようなものは得られない。
むしろもっといいところで生まれ育ったようなものすら感じていた。
「ミクズムとかにはないから想像しにくいでしょうけど、案外過ごしやすかったわよ?」
「でも、スラム街ってこう……良いイメージは」
「ええ、お金を稼ぐためにいろんなことをしなきゃいけなかった。
衛生状態もいいとは言えないし、おまけに治安も良くなかったわ」
スラム街は生きるのも難しい場所だった。
貿易の中継拠点を担っていた街ということでおこぼれがいくらかあり、それをアテに生きていた。
病気が流行れば数十人は平気で死に、後遺症で苦しむ者もいた。
罪人の隠れ蓑にもなったりしていたようで事件もそう不思議なことではなかった。
列挙していく事柄に何1つとしていいところを見出せないルカだったが、ツェルトの懐かしむ顔に暗いものは見えない。
その理由を彼女は口にする。
「でも、縛る人はいなかったし、果たす責任もなかったわ」
「……色々できないなりの自由はあったってことですか?」
「みんなそうでしょ?
生きるのにあまり苦労はないけれど、完全な自由なんてない。
私はそれが逆だったってだけよ」
何もないかわりに責任を問われることはない。
その代わりに生きることすら難しい。
責任をある程度問われることになり、自由は減るが生きることはできる。
ツェルトのスラム街とルカのリジオ村の違いはそこだろう。
「自由っていうのは責任と一緒なのよ。
得られる自由が多ければ多いほど責任も重くなる。しなきゃいけないことも増えてきちゃうの」
「リヴァレさんですか?」
「ふふっ、そうね。わかりやすいのはリヴァレちゃんでしょうね。
あの子は自分から背追い込みすぎてるような気もするけれど」
苦笑いを浮かべた彼女は紅茶を一口付け、話を戻す。
「まぁ、そんなところに産まれた私だったけど、変わったのは10年ぐらい前に起こったことよ」
「10年前」
何かあったかな、とルカが記憶を探り始める。
しかし、いまいちピンとこない。昔のことであり、距離としても離れているせいか出てくる事柄がない。
そんな彼へとツェルトはほぼ答えに近いそれを出す。
「私が住んでた街、名前はカイレスよ」
「……! 北東のカイレスって、たしかシュベアが大量発生して!」
シュベアとは寒冷地に数十の群れを作り、頭部が螺旋状の突起のようになっているのが特徴のドラゴンだ。
「そう、突如としてシュベアの大量発生で滅んだ街よ」
その時のルカはそろそろ9歳になる頃だった。
リジオ村にその話が流れてきたときには天使団が多数の部隊を派遣、レシオ王国の天使団と連携することで殲滅できた、というすでに解決した話だった。
全滅したという村の名前は噂によってまちまちだったが必ず「カイレス」の名前はあったのが記憶にある。
「スラム街はもちろん。カイレスの住人はほぼ全員死んだわ。
国境警備の防衛部隊もあったけどシュベアの群れは彼らが抑えるにはあまりにも多すぎた」
「……レシオ王国は? 友好国なんじゃ」
「レシオの方にも別の群れが行ってたのよ。
そっちは、たしかワイバーンだったか、他の種類だったかは忘れたけれどね」
「ツェルトさんは、そこの生き残りなんですね」
「ええ、私はルカ君と似てるのよ」
ツェルトもまたルカと同じように故郷を失い、家族や友人も失い、その身1つとなった存在。
しかし、そこで1つの疑問が浮かぶ。
「あの、どうしてクロスブレンに?」
「そうね……。
国境警備の防衛部隊って言ったじゃない?
その部隊にガリスはいたのよ。その頃は今ほど地位はなかったようだけど」
「えっ!? そうだったんですか?」
「ええ。私は彼に保護されたの」
保護された生き残りは全員が天使団の本部があるスクトゥムへと移された。
その理由は失った天使の補充。
シュベアの襲撃により後方部隊にも被害があったため、単純作業でもできる者をすぐに求めた結果だ。
「私はそこで才能を見出された」
一応は試験だがおふざけのつもりだったのだろう。その辺りは試験官たちの反応を見れば明らかだった。
しかし、彼女はそんな彼らの予想を裏切り、普通の訓練生程度にはウェスバを動かすことが出来た。
「それをきっかけに保護グループからちゃんとした訓練生のグループに移されたわ。
防衛戦で活躍したガリスは教導官になるための研修で一緒にね」
その後の流れとしてはウェスバの操縦に苦戦したりしながらも訓練を続け、修了とほぼ同時期に立ち上げられたクロスブレンにナテスアから引き込められて今に至る。
話を終えたツェルトはクッキーを食べると紅茶で流し込み、一息をつくと照れ笑いを浮かべた。
「ふふっ、ごめんなさいね。なんだか昔話の方が多くなっちゃって」
「いえ、そんなことは……。
もしかして俺によくしてくれたのって」
「私がそうだったから、ガリスもカイレスの見たからでしょうね。
私たちは帰る場所を失った者の気持ちが少しはわかるからこそ手を差し伸べるし、掴み続けるわ。
あなたが引き剝がさない限りはね」
ルカの頭を優しく撫でたツェルトは微笑み、言う。
「まとめるならそう、自由は責任も背負うことなのよ。
だからなににも縛られない自由なんてないわ」
それがスラム街と天使の両方の世界で生きてきたツェルトの答えだろう。
「責任……」
自由に付随する責任というものにはアギルが言った「誰かの上にある自由」を謳歌する者の覚悟という意味もあるのかもしれない。
その疑問に答えを出せる存在。
話をしたいと自分から言ってできるかはわからないが、おそらく彼女は彼女なりに答えを知ってる。
(話を、しないと……ルリナ様と)
決めたルカは速かった。
上半身を乗り出させる勢いと真剣な眼差しでルカは言う。
「ツェルトさん! お願いがあります」
彼女は少し戸惑いながらも彼の話に「できる限りはする」と頷いた。




