76.俺の為に
「それ、本当なの?」
ヘカテーは答えなかった。
俺――神とあがめている相手に問い詰められているからか、ヘカテーは顔を強ばらせながらも目をそらせずにいた。
まっすぐに俺を見つめ返してきて、そのまま口をつぐんでいた。
「本当なんだ」
沈黙がどんな言葉よりも雄弁である。
俺はダガーが察した事が真実である事を理解した。
そしてため息をついた。
殉教者――ヘカテーは死ぬつもりでいる。
ダガーの要求を満たすため、最終的に皇帝の命を助ける為に、命をかける覚悟でいる。
それを知った俺からはため息しかでなかった。
ため息をついたあと、ヘカテーをまっすぐ見つめる。
「それはだめだよ」
「神の為ならばこの身がどうなろうとも」
「ダメだよ」
主張するヘカテーの言葉を遮った。
真顔で彼女の瞳をまっすぐとのぞき込むように見つめた。
「僕のために死ぬなんて、絶対にだめ」
「し、しかし……」
「絶対に、だめ」
言葉をくぎって、強調する様に言い放つ。
ここで完全にヘカテーは陥落した。
目が泳ぎ、表情がたじろぐ。
それでもなんとか食い下がろうとしてくる。
「ですが、こうしないと――」
「神が認めないことを君は強行するの?」
「――っ!!」
ヘカテーの顔が青ざめた。
階段の途中でしゃにむに平伏して、額を石の階段に叩きつける。
「そ、そんな事は決してありません! 神の、神のご意志に背くことなど――」
俺は気持ちしゃがんで、ヘカテーの手をとって優しくおこしてやった。
謝罪を途中で止められて、土下座もやめさせられたヘカテーはきょとんとした顔で俺をみあげてくる。
「そこまでする様な事じゃない、ただ、僕のために死のうと思わなければそれでいい」
「……」
「いいね」
「誓って、そのように」
「うん」
ヘカテーがそう言うのならもう大丈夫だろう。
殉教者といわれて俺もちょっと取り乱した。
自分の為に死ぬなんて言われてすんなり受け入れられるはずもない。
そんなの……寝覚めが悪すぎる。
ともかくこれでもう大丈夫だろう。
「行こうか」
「はい」
俺はそういって階段を降りて先頭を歩き出した。
その後ろを黙っていたオノドリム、ダガー、そして最後尾にヘカテーの順で続いた。
「……」
しばらく沈黙したまま降り続けたが、ふと何を思ったのか、ダガーがオノドリムを追い抜いて、俺の横に並んできた。
「なに?」
「手を」
「え?」
何事かと戸惑っていると、ダガーは有無を言わさず、俺の手を取ってきた。
そしてそのまま、手首に指を当てる。
「どうしたの?」
「……違う」
「なにが?」
「脈がない……いや微弱ながらあるのか? どっちにしても人間の脈ではない」
俺の手首に手を当てて――脈をとりながら、ぶつぶつ言うダガー。
「え? ああ、そういうことか」
俺は戸惑いつつも状況を理解する。
そりゃそうだ、とおもった。
今までそこを意識したことはなかったが、この体は海底にずっといた海神のボディだ。
人間とは違う、っていわれればそうだよね、ってな所だ。
心拍数を研究していたダガーはその事で判断していた。
「本当に……人間ではないのか」
「えっと……なにを?」
「なあ、少年」
「え?」
「お前の体を研究させてくれ」
「研究?」
「そうだ、人間とは違うお前を研究すれば、きっと――」
ダガーがそう言った瞬間、横からものすごい勢いで何かが割り込んできた。
それは俺の手首を掴んでいるタガーの手を払いのけ、俺達の間に割り込んできた。
「ヘカテー?」
「無礼な」
「え?」
「神に対するその無礼な振る舞い、万死に値する」
「……っ」
正直、俺は気圧されていた。
ヘカテーはダガーのほうを向いていて、こっちからは表情はみえないが、この剣幕。
凄まじい形相をしているのは想像に難くない。
さっきとは違って、これはどう止めるべきかと悩んだ。
自分の為に死ぬ――というのは絶対に許せないから止めやすかった。
それは絶対にダメという、強い感情で止められた。
でもこの場合、俺は「気にしない」くらいしか言えない。
実際その程度の感情だからだ。
そしてその程度ではヘカテーは決して怒りが収まらないだろう。
俺は分かる。
自分に対する無礼よりも、自分が尊敬する人間に対する無礼のほうがより怒るタイプの人がいるということを。
そしてヘカテーみたいな信心深い人はその最たるものだ。
「ふむ、憤るのは理解できなくもないが――」
「その口を今すぐ閉じなさい、さもなくば――」
いよいよ一触即発、無理矢理にでも止めなきゃ――と思ったその時。
「きゃっ!」
状況に入れずにいたオノドリムが真っ先に悲鳴を上げた。
地面が揺れ出した。
ただの地震のようにではなく、一気に最大レベルで揺れ出した。
「なに!?」
「これは――ひゃっ!」
悲鳴を上げるヘカテー。
直後、階段が崩れた。
足場が急に消えて、全員が一斉に落下する。
「くっ!」
飛びかう悲鳴の中、俺は力を行使した。
三人を力で包み込んで、落下をゆっくりにさせる。
距離にして建物の三階分ほど。
それくらい落下して、地面にたどりついた。
「ふう……みんな大丈夫?」
全員を下ろして、立たせて、安否を尋ねる。
「うむ、大丈夫だ」
「神の手を煩わせてしまい、申し訳ありません」
「あたしは別に助けてもらわなくてもよかったのに。地面に落ちただけじゃどうもしないから」
「うん、でもケガがなくてよかった」
「……うん」
オノドリムが微かに頬を染め、笑顔ではにかんだ。
大地の精霊である彼女ならそうなるか、と思った。
とりあえずは全員大丈夫か、それを確認した俺は、改めてヘカテーのほうをむいた。
「ヘカテー、これは?」
「……」
「ヘカテー?」
「いけない……」
重い口ぶりでつぶやくヘカテー。
俺は改めて、まわりの様子を確認する。
落ちてきたのは、地下室ながらもそれなりに広い空間だった。
爺さんの屋敷、パーティーとかに使われる応接間くらいには広いようだ。
明かりが俺達の持っているランタンくらいしかなかったから、どこまで続いているのかはっきりとはしなかった。
そんな中、ヘカテーはある一点をじっと見つめていた。
横顔は険しい。
「どうしたのヘカテー?」
「神よ、ここは――はっ!」
俺に何かを言おうとした瞬間、空間の奥、暗闇の向こうから何かが飛びだしてきた。
「危ない!」
四人のなかで、事情をしっているのかヘカテーが真っ先にうごいた。
彼女はぽかーんとしているダガーに飛びかかって、飛んできたなにかから身を挺してかばうようにした。
ここで、俺もそれがわかった。
それは太い縄のような、半透明で先端が鋭い触手のようなものだった。
それは一直線にダガーをかばうヘカテーに向かう。
その勢いだと体ごと貫かれる――が。
「ふっ」
俺は踏み込んで、揃えた手に水を纏い、下から斜め上にふりぬいた。
手刀の先に纏った水の刃が触手を斬り捨てた。
「ありがとう、ヘカテー」
「……はい」
ヘカテーは恥ずかしそうに顔をふせた。
ダガーと反目していたが、それでも生命の危機となったダガーを助けた。
それは、皇帝を助けたい俺の為に、ダガーは守らなきゃいけない、という意識が働いたからなんだろう。
それは分かる、わかる、が。
「でもね、ヘカテー」
「はい?」
「僕の為に死ぬことはないんだからね」
「――っ!」
ヘカテーは驚いた後、嬉しさ半分申し訳なさ半分。
そんな顔をしたのだった。




